6.5_帰宅
一報から十数分が過ぎ、車窓から流れる景色を眺める余裕などなく、ただひたすらに父親の無事を祈るレイのスマホが震え、メッセージの着信を知らせていた。
レイはロックを解除しメッセージを確認して、きゅっと目をつぶり、スマホを握りしめて言った。
「……藍野さん、やっぱりこのまま私を家に連れてって下さい。お願いよ」
ハンドルを握って前を向いたまま、藍野は答える。
「向こうの様子も分からないのに、あなたを連れて行くことはできないと先程も申し上げたでしょう。できません。状況がわかったら必ずお連れしますから、今は社に居てください」
頑とした態度で、レイの希望は叶えてくれそうにない様子だ。
これ以上、時間をかけて無駄な議論をしても意味はないとレイは悟った。
ちょうど交差点に差し掛かっていて、赤信号のため車は減速している。
チャンスは今しかない。レイはスマホを鞄のポケットに滑り込ませた。
「なら、私一人で戻るわ!」
レイは赤信号で止まった隙にさっとシートベルトを外し、ドアのロックをはずして開けて車から降り、眼前の横断歩道に走り出た。
レイの思わぬ行動とハンドルを握っていたため、藍野の反応は完全に遅れて左手は空を切り、レイを捕み損ねた。
藍野もあわててシートベルトをはずし、ギアをニュートラルに入れ、パーキングブレーキをかけて外に出て叫んだ。
「レイ、待ってくれ! レイ!!」
藍野の声に周囲の人間も驚いて、藍野やレイを見ている。
傍から見れば、カップルの痴話喧嘩にしか見えない状況なのだろう。
ところどころでクスクスと忍び笑いが漏れ出る中、レイも藍野の声に一瞬振り返ったが、すぐに踵を返して歩行者に紛れて走り去った。
そうしているうちに信号は青になり、後続車からクラクションを鳴らされて、仕方なく藍野は車に戻って発進させた。
※ ※ ※
(クソッ! 護衛が依頼人に逃げられるなんて最悪な展開だろ!!)
クラクションに急かされるよう、車を発進させた藍野は、運転しながらカーナビを音声起動して、レイに持たせていたGPSの位置を表示させた。
タクシーに乗ったのだろうか。あっという間に自分との距離が開けられていく。
地図を広域に変更し、目的地を確認すると、足取りはやはり家に向かっていた。
ひとまず安心したものの、藍野は思いっ切り舌打ちし、無線チャンネルを5課に変え、大声で沢渡を呼び出した。
「沢渡!」
突然の大音量で沢渡の左耳は危機的状況になった。
何せ無線機は人の声に反応し、騒音は軽減する指向性マイク。
藍野の大声をめいっぱいに拾って沢渡に伝わり、沢渡の耳が死にそうになった。
「藍野さん! 声っ、声デカすぎ! 俺の鼓膜、破壊する気ですか!!」
じんじんする左耳を押さえ、イヤホンを右耳につけ直した沢渡は必至に訴えた。
「レイに逃げられた。多分自宅に向かってるから、経路上で誰か近所にいたら保護して社に連れてくるよう通達!」
沢渡の事情などまるっと無視して、藍野は沢渡に指示を伝える。
「了解です。レイさんの件、全社通達します。藍野さんはナビ必要ですか?」
誘導有無を沢渡は確認した。
本来なら助手席がナビ役なのだが、杜山は博士の家に向かわせていたことを知る沢渡が誘導役を申し出る。
「平気。自力で行ける! サンキュ、沢渡」
「ああ、さっき現場フォロー入った奴の一報が入りました。警護員は全員生存を確認。博士は亡くなっているとのことです」
米田医師を手配しましたとの沢渡の報告が、藍野には随分遠くに聞こえた。
「……そうか。うん。了解。知らせてくれてありがとう」
藍野は無線を戻し、自分の頬を両手でひっぱたいて気合を入れ直すと、博士の自宅へ急行した。
※ ※ ※
藍野に背を向けたレイは、急ぎ足でその場を離れながらスマホを取り出し、アシスタントのリアムに電話をかけた。
『リアム、どうしよう…。父さんが……』
とうとう足を止めて不安気に立ちすくみ、今にも泣きだしそうな声でリアムに縋った。
『レイ……』
何と言ってやればいいのかわからないほど、レイは悲しんでいるのがわかったが、レイ自身のために、その場にとどまらせることはできない。
『レイ、聞いて。そのまま真っ直ぐ駅前に出ればタクシープールがあるから、そこでタクシーに乗って。彼の言う通り、今の君が一人で移動するなんて危険が多いからね』
言われてレイは顔をあげ、ゆっくりと歩き出した。
目線の先には、リアムの言っていたタクシープールが小さく見えている。
順番を待っている人も少なく、すぐに乗れそうだった。
『そうね。わかってる。もう切るわね』
順番のきたタクシーへ住所を告げ、レイは一人家に戻った。




