4.4_頼み事
つい、口から出てしまったのだ。あの一言は。
ましてや病人で余命幾許もないと知っていれば、なおさらだ。
あんな風に遠慮する姿を見せられたら、誰でもそう言いたくなると思う。
「息子さんと直接話さないか?」と。
藍野は若干後悔しつつ、タブレットを持って、マンションの駐車場に止めている社用車に向かった。
今回の待機所は久しぶりのワンルーム。
広めだがチームで使う巡回警備用に私服やら作業着やらを持ち込んでいて、すでに手狭な上、誰が突然入ってくるかわからない。
プライベートな事でもあるので部長室へ行っても良かったが、本人を目の前にすると挫けてしまいそうなので、ビデオ通話にした。
(俺、先輩に借りはあっても、貸しはないんだよなぁ……はは……)
すでに債務超過状態で、いつ自己破産してもおかしくない程度に借りを作ってきてしまい、更に貸してください、とは言いづらい。
もちろん現実的な借金ではなく、精神的な借りの方である。
藍野は黒崎のアカウントを呼び出すと、黒崎はすぐに応答した。
「お疲れ様、珍しいな、こんな時間に」
「お疲れ様です。あのう……黒崎先輩。ひとつお願いがございまして……」
上目遣いになりたいところだが、画面では出来ない。
言いづらそうな雰囲気を察した黒崎は、少し心配そうな顔をした。
「どうした、何かトラブったか?」
藍野はわずかばかり視線をカメラから外して戻すと、思い切って言って頭を下げた。
「黒崎先輩、どうか博士と会ってあげて下さい!」
画面を見ずとも、一瞬で凍った空気感がひしひしと伝わり、ますます顔を上げづらくなった。
「俺は始めに説明しなかったか? 会いたくないと」
ぱっと顔を上げ、藍野は答えた。
「もちろん聞いています。そこを曲げてどうかお願いできませんか?」
藍野は黒崎の顔色を窺うよう、カメラをのぞき込んだ。
「あの人が私に会いたいと言ったのか?」
思ったほど怒られず、むしろ普段と変わりない声音が余計に藍野の居心地を悪くさせた。
「いいえ、博士は言葉にして会いたいとは申してませんが、先輩と話したがっています。ほんの5分か10分で構いません。会って話してあげて下さい。お願いします!」
でなければ、あんなに何度も自分を話し相手にしない。
藍野は黒崎から離れていた分、父親に肩入れしたくなっていた。
「なあ、藍野。一つ聞いていいか?」
「はい。何です?」
どんな無理難題が来るかと藍野は身構えたが、予想もしなかった一言が黒崎から発せられた。
「これは案件統括への依頼か、それとも友人としての頼み事か?」
「もちろん、これは俺から黒崎先輩への頼み事ですよ。こんな事、仕事の前にまず親子でしょう?」
至極当然のように藍野は答えた。
「わかった。少し考えさせてくれ」と言って、通話を終了した。
(藍野にとっては、こんな事か……)
世間的に見れば自身の感情にこだわり、会いたくないと駄々をこねる自分は、死にかけの親の頼みも聞かない、友人の言葉も聞き入れない、ひどい息子で人間だろう。
いっそ仕事なら感情的にならずに済むのにと自嘲気味に笑って、なるべく短く済むような日程に予定を入れた。