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4.3_思い出

 博士から護衛許可をもぎ取り、藍野は宣言通り半休を取って、詩織を見送りに向かった。

 詩織とは不意打ちキスのせいで動揺させられ、肝心の転学の理由も、シャーロットと会って話した事も結局聞けずじまいだった。

 だが、推薦で行ける大学のうちで何となく進路を決めた詩織が、きっとアメリカでしか実現できない事をようやく見つけたのだ、と藍野は納得する事にした。

 大したこともできず、本当に見送りしかしてやれなかった事が少々心残りだが、詩織が笑って旅立つ顔を見られただけでも良かったと無理やり思う事した。


 彼女と父親の護衛では自分も部下も随分と勉強させてもらった。

 依頼人との付き合い方、望む振る舞い、彼らの悩みや苦しみに答え、寄り添う事、どれもこれもマニュアルや研修では知り得なかった事ばかりだ。

 自分が貰ったもの以上のものを彼らに返せているといい、藍野は詩織から贈られた左手首の真新しい腕時計を見て思う。

 次に『おかえりなさい』と言えるのは、いつであろうか。

 その日を楽しみに、自身の心情にも一区切りつけ、今の案件に向かうことにした。


 ※ ※ ※


 藍野が詩織を見送り、一度博士と黒崎の事を話してからは、時々藍野が暇を見て訪問するようになっていた。

 博士は息子が会いたくないのを察しているらしく、よく藍野自身や黒崎の話を聞きたがった。


「さて、今日は何をお話ししましょうか?」


 藍野はいつものようにリビングのソファーに座った。


「君と怜司はどこで会ったんだ?二人とも学部は違うし、君の方が年下だろう」


 博士はこの時間を楽しみにしている様子で、今日の話題を振った。


「学内の掲示板です。留学したかったのですが、当時、私は奨学金で通っていて成績を下げたくないからバイトもなかなかできない。留学費用は金銭的に厳しくて案内要項を見ては、ため息ついてを毎日繰り返していた時、黒崎先輩から声をかけてくれたんです」


 藍野は懐かしそうに思い出し、くすりと笑った。


「黒崎先輩、何て言ったと思いますか?」


 藍野は黒崎の口調を真似て言った。


「毎日、募集要項を眺める私に『お前、毎日これ見てるよな、そんなに行きたいなら行けばいいだろ、何を思い悩むんだ』と事も無げに言うものだから、ものすごく腹が立って、『金持ちのお坊ちゃんには、はした金だろうよ!』と言い返しました」


「ああ、金か。私費留学ならかかるだろうな。でも、君の経歴にはイギリスとアメリカとあったな。費用は結局どうしたんだ? 私費でイギリス留学なんて特にかかっただろう」


 博士は同情した。


「黒崎先輩から自分のパートナーとしてHRF(ここ)のインターンをやらないか、給料も出るし、受けてくれるならイギリス留学費用出してくれて、半年のアメリカ留学もつけてやるぞって。私は一も二もなく飛びつきました」


 あの時は背に腹は代えられなく、正直バイト気分で引き受けました、と白状した。


「でも、ふたを開ければ全部、黒崎先輩から私へのリクルーティングだったんです。留学費用は全て会社持ち。半年のアメリカ留学もグループが懇意にしてる大学でした。黒崎先輩は、もし私が入社しなければ、本当に私の留学費用を引き受けるつもりだったらしいです。私から取り立てつつ、自分はHRF(ここで)3年も働けば返せるだろうと。無茶苦茶ですよね。それを知ったのは、私が入社した後でした」


 うまいこと利用されちゃいましたと藍野は快活に笑う。


「もし……。先に知っていれば、留学は行かなかったか?」

「いいえ。それでも行ったでしょうね。目の前にチャンスがあれば掴みたくなるものでしょう?」


「……そうだな。私も同じようにアメリカへ行ったからよく分かる。あの頃は息苦しい日本から抜け出したくて必死だったよ」


 博士は憂いを帯びた表情で思い返して、コーヒーに口をつけた。


「で、イギリス留学から戻り、3年の夏休みには約束どおり黒崎先輩と二人でHRFのインターンシップに参加、私はその後、そのままアメリカ留学しました」

「このインターンシップ、只の大学生を10日間アメリカ軍の新兵キャンプに放り込み、その後は自社の研修。最後は警護員の真似事までしました。どうです、なかなか凄いメニューでしょ?」


 藍野はくすくすと笑う。

 新兵キャンプは貴重な体験だった。

 てっきりドラマや映画のような厳しくて新人いじめのような事が横行しているのかと思っていたが、そんな事は全くなくて、チームとして一体感を持たせ、脱落者を出さない事を基本とした指導だった。

 もちろん訓練メニュー自体はそれなりに厳しい課題も多かったが、決して歯が立たないものではなかった。

 この辺の経験が藍野の指導方針に今でも生きている。


「同じことを怜司も経験しているのか。引きこもり研究職の私とは体つきも違う訳だ」


「で、気がつけば、HRF(こちら)に入社が決まっていました。インターンシップが入社試験みたいなものだったんです。就職活動もせずに済み、面接も私服でその辺のカフェ、リクルートスーツも買いませんでした。お金もかからなくてラッキーでしたね」


 のんきに語る藍野に、博士に疑問が浮かんだ。


「君は商社志望だから留学にこだわっていたのだろう。進路を変えた事に後悔はないのか?」


 以前聞いた話では商社志望と聞いていた。私費留学だと本当に金がかかる。留学費用のために進路を無理に変えたのではないかと思えた。


「元々父親が商社勤めでそれに憧れて、といった志望理由です。何が何でもなりたかった訳ではなかったので、特に後悔はありません」


 それに、と藍野は続ける。


「この仕事は苦労も多いし、泣かされる事も多々ありますが、こうしていろいろな人と出会えるし、海外に関われてもいるし、いい仕事仲間にも恵まれて、意外と悪くない選択だったと今は思います」


「私のようなわからず屋も相手せねばならない時もあるしな」


 泣かせている張本人は、偉そうににっと笑った。


「でも、こうして話したおかげで、よく分かりましたよ。先輩の顔は博士によく似ているけれど、性格は全然似ていませんね」

「ああ。あれは母親に似たのだろう。愚かな私と違って聞き分けのいい子だろう?」


 博士は少し得意気な様子で言う博士に、藍野は言った。


「白鳥博士。私なんかより、黒崎先輩と直接お話しなさいませんか?」


 藍野の思わぬ申し出に、博士は少し驚き、逡巡して小さく笑い、そっと目を伏せた。


「怜司はきっと私に会わないよ。君だって事情は知っているだろう」

「はい。立場上すべて知っております。ですが博士はお会いになりたい気持ちはございますよね?」

「まぁ……最期だから、な」


 ぽつりと寂しそうに黙りこむ博士に藍野は苦笑する。


「一つ訂正します。そういう風に妙に頑固で素直じゃないところは、お二人ともそっくりですね。黒崎先輩も頑固でなかなか“助けろ”って言わないんですよ」と言い、言葉を重ねる。

「博士には魔法の一言があるじゃないですか。『責任者を呼べ』って。そう言われたら、私は上司である黒崎先輩を呼ぶしかないんですよ」


 博士は一瞬喜んだが、何かを思い、すぐに表情を曇らせた。


「呼んだところで何を話せばいいのかわからんし、今更親子ごっこという年でもない」


 それでもまだ息子に気兼ねする様子に、藍野は畳みかけた。


「呼びつけて、文句でも何でも、言いたい事を言えばいいんです。だって博士は依頼人で、先輩は博士の護衛の“責任者”なのですから」


 何でも自分の好きにしていいのだと藍野はそそのかす。

 博士はこの提案にようやく少し笑ってこほんと咳払いをし、「……ここに責任者を呼べ」とあらぬ方向を見たまま、照れ臭そうに藍野へ命じた。


「この度の差し出口、大変申し訳ございませんでした。すぐに手配致します」


 くすくすと笑いながら、形式的に謝罪してその日は部屋を出た。

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