4.2_要望
藍野が通されたリビングは天井が高く、背の高い藍野でも頭上を気にしなくてもいいところだった。
小花柄の壁紙にぐるりとオーク色の腰壁を巡らせ、高くて大きい窓から燦々と夏の日差しがレースのカーテン越しに差し込んでいた。
座面の高い四つ足の応接セットに、マントルピースの上には、色々な写真立てに入れた写真が置かれ、全体的にアンティークなアメリカの雰囲気となっていた。
藍野は応接セットの椅子に座ると、早速タブレットの警護計画書を開いた。
警護に対する博士の要望を聞き取りながら、警護にあたっての要望などすり合わせて、タブレットで作成しながら提案し、決定して行く。
「大仰な警護は希望しない、目立つ立哨も希望しない、と。では、私服での巡回警備を基本としたものにしましょう」
藍野はさくさくとタブレットに希望を入力しながら、博士の希望する護衛方式を提案した。
「巡回というとお前達のような者が家の周りをうろつくのか? それも迷惑な話だぞ」
「警護につく者や巡回パターンを頻繁に変えますし、私服や作業服で目立たないよう配慮します。ご近所や管轄警察への根回しも行いますので、ご安心ください」
3人から4人のチームを組み、営業のふり、学生のふり、住民のふり、ありとあらゆる職業や立場に化けて博士の家の周りを巡回する。
これを24時間体制で行う。
手間はかかるが、人も変わるし、職業も変わるのでそう目立たない。
藍野達も警察に通報されては困るので、警察と近所にも根回しを行うと説明すると、博士は納得したようだった。
「他に何か要望はございますか?」
「知り合い以外には会いたくない。予定にない者は全て追っ払ってくれ」
最近は知らない者まで『会ってくれ』とうるさくて適わない、とうんざりした顔で博士は言った。
「それでは、訪問者には私どもから博士のご意向をお伝えしてお帰り頂きます。訪問者のリストがご入り用でしたら、日々の報告書に掲載しておけますが、いかが致します?」
「必要ない。アポイントはアシスタントに管理させてる分だけで十分だ」
「承知致しました。警護に当たり、私共のリクエストとして、お約束のない訪問者の把握に監視カメラと、ご自宅の侵入防止にセンサー型の警報を敷地内に設置したいのですが、可能ですか?」
博士は渋い顔をしていたが、レイはあっさりと了承した。
「部屋の中まで映り込んだりしないなら、かまわないわよ。ねえ、センサーって大きな音でも鳴るの?」
騒がしくて近所迷惑なのは困るとレイは言った。
「いいえ、社と私達に通知が来ます。センサー自体は音が鳴ったりはしません」
「なら安心ね。構わないわ」
「ありがとうございます。郵便物や宅配の受け取りもお任せ下さい。すべて私達が対処します。この対応に部屋を一つお借りできればその場で対応できますが、なければ我々の待機所まで持ち帰りとなり、お時間がかかります。いかがいたしましょうか?」
呆れ果てた顔で博士は言った。
「爆弾なぞウチには来んぞ。一体何を心配しているんだ。そんな配慮、私達には必要ない!!」
博士は藍野の提案を馬鹿馬鹿しいと一笑に付したが、どの依頼人からも同じような事を言われ続けている藍野は、もうマニュアルになってしまった一言を返す。
「いいえ。郵便物や宅配は爆発物だけではなく、刃物、毒性のある薬物、強力な睡眠薬、違法な品物や薬物による冤罪、考えられる危険はたくさんあり、それらを排除するためです。どうかご理解ください」
博士はぐっと詰まった顔をし、レイも今までの依頼人と同じような反応を返した。
「わかったわ。1階の空き部屋を使ってちょうだい。後で案内するわ」
「ご協力に感謝します」
そういえばと、レイは思い出して藍野に尋ねる。
「米田先生……お医者様はちゃんと通してくれるの? それとも誰かに声をかけないとダメかしら」
急いでいるときは困ると、少し心配そうな表情のレイを安心させるよう、藍野は言った。
「米田先生は既に把握しており、侵入防止センサーへも登録済みでございます。私達はお声がけしませんので、自由に訪問できます。その他にも通して欲しい方がいらしたらお伝え下さい。登録の上、こちらからお声がけ致しません」
「よかった。私が仕事の時は訪問看護の人が来るから、その人も登録しておいてちょうだい」
「かしこまりました。手配いたします」
藍野はタッチペンで要望を書き入れる間、博士はげんなりした顔で尋ねる。
「やっぱり、近所の散歩にもついてくるのか? 研究所でもそうだったが……」
「ご不快でしょうが、散歩は必ず外の警護員をお連れ下さい。声をかける必要はありません。距離をあけて2人が博士の後をついていきます。もちろん散歩のお邪魔は致しません。徒歩で行けない外出はお知らせ頂ければ、私どもが送迎致します」
藍野はできあかった警護計画書を保存して画面を閉じると、博士に向き直った。
「その他に警護のご要望がございましたら、何なりとお申し付けください。随時対応させていただきます」
話の切れ目を察した博士は、先ほどの藍野の申し出を持ち出した。
「私の要望を叶えると言ったな?」
「はい、できる範囲ですが。何でしょうか?」
「その、お前の所の伶司……黒崎伶司を知ってるか?」
博士は少しためらいがちに藍野に聞いた。
「もちろんです。彼は私の上司で大学の先輩ですよ。黒崎部長が何か?」
思った通りの反応で、藍野は微笑ましく思った。
「そうか。君は怜司と同じ大学だったのか。お前が見送り行ってからで良い。君や伶司の話を聞かせてくれ」
博士はこれまでの顔と違い、ふ、と表情を緩め、『……伶司には内緒でな』と言った。
「かしこまりました。『内緒』、でございますね。では、日を改めてお伺いいたしましょう」
自分の話せる黒崎の話で二人が何とかなるなら安いものだ。
博士にくすりと笑って、藍野は快諾した。