3.3_現在
ファリンの転勤話から2日後、紅谷は珍しく有給を取っていた。
今日のメイは午前保育、迎えに行ったその足で、午後からメイと共に遊びに行く約束をしていた。
もうすぐで保育園、そんな場所で坊主頭でグレーのスーツ姿の男が、スマホを持って紅谷の後ろから近づいて声をかけた。
『すみません、ちょっとこの人を探しているのですが……』
紅谷は聞き覚えのある声にはっとして振り返ろうとしたが、背中に覚えのある感触を感じてその動きを止めた。
男は銃を突きつけていた。
『こんにちは、HRFのミスター紅谷。無駄な抵抗をせず、私と一緒に来て下さい』
男は銃を操作し、カチリとロックを解除した。
『ここは日本だ。そんな物をここで使えば大騒ぎになるぞ。それに本物かどうか怪しいもんだな』
『たとえこれが偽物でも、ただの調査員のあなたに、現役軍人4人を一度に相手はできないでしょう』
紅谷はそっとあたりを窺うと、姿を見せない複数の視線だけを感じた。
嘘を言っている訳ではなさそうだ。
『お前は誰だ』
『私は高 宇航、所属は伏せますが、階級は少尉です。先日のお話通り、あなたを私の上司の所へ連れて行きます』
『俺の知り合いに軍人はいない。大体これは犯罪行為だぞ』
『国内で派手に殺しをやっているPMC共が何を言うのですか?』
『そうだ、本国では正式なPMCだからな。我々には少なくとも法的根拠はあるぞ』
『限りなく黒に近いものでもですか? 何、私達の話はすぐに終わりますし、あなたも必 ず 了承するでしょう。娘さんのお迎えにも十分間に合いますよ』
紅谷は胸ポケットのスマホにそっと手をのばすと、コウは背中の銃を更に押し付けた。
『無駄な抵抗をするな、と言いましたが?』
「用心深くてご苦労様なことだ。お疲れ様」
紅谷は日本語で言ってからそっと目線だけでポケットを見やる。
スマホにインストール済みの録画アプリが「ご苦労様」と「お疲れ様」に反応して自動的に録画を始めた。
これは紅谷が潜入調査に使っているアプリで、自身が作成した。
事前にいくつか特定ワードを自分の声で登録しておき、バックグラウンドで待機させておく。
会話の中でマイクが特定ワードを感知するとアプリが反応して、スマホはスリーブ状態のまま録画される仕組みだ。
本来ならデスクの上やテーブル、穴を開けた専用のジャケットなどで、カメラを対象に向けておくのだが、今回はポケットの中なので絵が撮れていればもうけもの程度、少なくとも録音はできている。
『私も上司も日本語はできないので、英語で話して頂けますか?』
言葉は丁寧だが、苛ついた口調でコウは命じた。
『ああ、すまない。用心深くて大変結構な事だ、と』
『お褒めいただき光栄です。では参りましょうか』
コウは銃を突きつけたまま、紅谷を近くに止めてあった乗用車に乗せ、どこかへ走り去った。
※ ※ ※
コウの接触から大分時間が経ち、ファリンが妊娠安定期に入った頃、少し早いがシュエメイを連れてファリンは香港の実家に戻った。
現在は勉強も兼ねて香港支社の営業部を手伝いながら産休までの日々を過ごしている。
ファリンやメイとの会話を終えた紅谷は、通話アプリを終了し、画面を切り替えて自身のPCから社内にアクセスし資料を作成し始めた。
内容は紅谷の知る限りと調べた限りのコウとその上司と名乗る李浩然、男達の所属する警備会社、広徳安全有限公司とその親会社、潮陽集団有限公司の組織構成や今回の目的、今後の計画などを記していた。
勿論、自身が撮影した映像や通話録音なども入れてある。
紅谷はすべてを記載するとファイルを保存した。
――このファイルが笑い話になればいい。
そう願いを込めて紅谷はパスワードを設定し、PCをの電源を落とした。




