第1章 首なしの騎士 ④
野外で一泊を迎えた次の日の朝。
私たちは起床してすぐに、目的地であるアグネリア領へと出発していた。
「つ、つらい・・・・」
項垂れるように、私は馬車の窓に寄りかかる。
最初はこの馬車の旅も楽しく思えていたのだが、流石にこう長時間乗っているとキツイものがあった。
正直言って、もう当分馬車には乗りたくない気分だ。
また延々と狭い空間に閉じ込められることに、私は思わず深いため息を吐いてしまう。
「フフフッ。まぁ、最初は慣れないよな」
すると、そんな私の姿を見てアリッサさんが小さく笑っていた。
「す、すいません・・・・お見苦しい姿を」
「いや、気にすんな。馬車に乗り慣れていないと、みんな最初はそんなもんさ」
「アリッサさんもそうだったのですか?」
「あぁ。あたしなんて、酔い易いからゲロ吐きまくりだったぞ〜??」
そう言ってガハハと豪快に笑うアリッサさん。
そこに、乗り物酔いをしている雰囲気は一切無かった。
「着いたら仕事が待ってるんだ。手持ち無沙汰なら休めるときに休んどくのも冒険者の仕事だぞ?」
「そう、ですね・・・・」
確かに、ここは少しでも休んでおいた方が良いのかもしれない。
昨夜は初めて行った野営ということもあり、正直あまり眠れなかった。
下手に体力を使うよりも、仕事のために休息を取っておいた方が利口だろう。
「では、少々仮眠を取ろうと思います」
「おぉ、そうしとけそうしとけ。着いたら起こしてやるからよ」
そうして、私は静かに瞼を閉じた。
"ロクス、孤児院を出て騎士になるって・・・・本気で言っているの?"
視界に、懐かしい光景が映し出される。
剣を素振りして訓練に励む少年と、その横で不満げな顔をして柵に座っている過去の私。
当時まだ14歳だった私は、彼に想いを伝えられずにいた。
どう告白すれば彼が振り向いてくれるのか、そればかりを考え日々を過ごしていた。
そんな時に、彼が孤児院を出て騎士団に入ると言いだしたのだ。
私は非常に困った。
どうすれば彼を引き留められるか、本気で悩んだ。
"ーーーー行かないで欲しい"
悩んだ末導き出したのは、自分の想いを直接伝えるという単純なもの。
好きだから、側にずっと居て欲しい。
一緒に同じものを見て、一緒に同じ時間を共有したい。
そういった私の想いを彼に全部ぶつけた。
今にして思えば、恥ずかしくて顔から火が出そうな告白だ。
だけど彼は、優しく静かに見守ってくれていた。
"リア、俺はね。騎士になってこの孤児院の人たちを・・・・ううん、この国の全ての人たちを守りたいんだ"
"嫌! 行かないって言うまで、絶対に孤児院から出してあげないんだからっ!"
"あははは! リアは頑固だからなぁ。うん。じゃあ、約束しよう"
"約束?"
"そう、約束。騎士のお役目が終わったら、その時はずっと一緒にいるって誓うよ。だから、それまで待っていて欲しい"
そう言って彼は翌日、孤児院を出ていった。
私では彼を引き留めることはできなかった。
もし、ここで彼が違う道を選んでくれていたのなら。
遠ざかって行く彼の背中に、私は必死になって手を伸ばす。
しかし、その手は虚空しか掴むことができない。
それでも私は手を伸ばし続ける。
「行かないで、ロクス」
そう口にするが、その言葉も虚空に消えていった。
「おーい、リア、着いたぞー」
目が醒める。
隣に視線を向けると、アリッサさんが私の肩をゆさゆさと揺らしていた。
「着い、た?」
寝ぼけ眼をこする。
どうやら、馬車は停車している様子だった。
チラッと窓の外を見ると、そこには大きな町が広がっている。
その光景に、私の脳は一気に覚醒した。
ついに目的の地へ到着を果たしたのだろう。
私はさっそく馬車から降り、アグネリアの領都へと足を下ろす。
「・・・・・これが、本当に領都なのですか?」
その町の異様な風景に思わず困惑してしまう。
何故なら、そこには人が一切見当たらなかったからだ。
多くの民が住まう邸宅が何件も街路沿いに建てられているが、そのどれも人の住んでいる気配は微塵も感じられない。
加えて長い間整備されていないのか、石畳の隙間からは雑草が生い茂り、建物には蔦が絡み付いていた。
「思ったよりも不味い状況なのかもな」
馬車から降りたアリッサさんのその言葉に、私は激しく同意した。
何らかの原因があって、この町の人々は姿を消したのかもしれない。
もし、その原因が依頼内容にあったアンデッド、もしくは貴族を狙った襲撃者によるものなのだとしたら・・・・・これは、国に報告しなければならない大変な事態に陥っている可能性がある。
「とりあえず、領主様にお話を聞きに行きましょう」
「そうだな。おい、お前も1人で何かあったら危険だ。付いて来い」
そう言ってアリッサさんが御者を呼ぶと、彼は大人しく後ろからついて来た。
「アグネリア侯爵の邸宅は・・・・あっちだな」
この大きな街を見下ろすようかのように、巨大な邸宅が崖の上から外下を威圧している。
恐らくあれが六代貴族の1人、アグネリア家が所有する屋敷と見て間違いないだろう。
私たちは周りを警戒しながら、崖の上に聳え立つその屋敷へと歩みを進めて行った。
「お待ちしておりましたよ」
屋敷の前に辿り着くと、2人の衛兵に囲まれた壮年の男が私たちを出迎えて待っていた。
彼がアグネリア侯爵なのだろうか。
年齢は50代前半くらいで、とても膨よかな体格をしている。
首回りにはでっぷりとした脂肪が付いており、鼻の下には立派な髭が左右にピンッと真っ直ぐ伸びていた。
豪華な装飾が施された服を着用していることからして、彼が身分の高い者であることが把握できる。
(彼が領主様であれば館は無事ということになりますね。では、何故都市はあのような状態にーーーーー)
私がそう思考を巡らせていると、アリッサさんは前へ出て男に話しかけた。
「ほらよ、依頼は達成だ。さっさと報酬を渡してもらおうか」
「?」
依頼は達成? 報酬?
アリッサさんは何を言っているのだろう。
私たちはまだ町の事情を聞いていないし、それに魔物を一匹も退治してすらいない。
「アリッサさーーーーー」
そう彼女に問いかけようとした次の瞬間。
後ろに立っていた御者が突如、私の両手を縄のようなもので縛り付けてきた。
「なっ!?」
咄嗟のことで頭が追いつかない。
何故、御者は私の手を拘束してきたのか。
アリッサさんに助けを求めようと彼女へ視線を向けると、そこには理解し難い光景が広がっていた。
「どうぞ。今回の代金です。いやぁアリッサさんは質の良い上物を毎回仕入れてくださる」
「世辞はいらない。ってお前、事前に話していた代金と随分違うじゃねえか!」
「それは前金です。残りの代金は私の護衛をお願いした後にお渡しします」
「チッ」
(・・・・・これは、いったいどういうことなの!?)
大金の入った袋をアグネリア侯爵から受け取るアリッサさん。
そして、縛られている私。
この状況を見るに、恐らく私は・・・・・彼女に売られたのではないだろうか。
だとしたら不味い。
何としてでもこの場から逃げなければならない状況だ。
でなければ、この先に待つ私の運命は、きっとろくな物じゃない。
両手は塞がれている。
だが、生憎と口は動く。
呪文の詠唱さえできれば、両手の縄など造作もない。
火属性の低級魔法"エンファイア"を使って、縄を焼き切ってしまおう。
私は、彼らに気付かれないように小声で魔法の詠唱を始める。
だがーーーーーーー。
「おい馬鹿かお前ッ! そいつは修道士だぞ!? 詠唱できないように口を抑えろ!」
そんな企みは呆気なく、アリッサさんの一言で潰えてしまった。
御者が、私の口に布を突っ込む。
これでは魔法を発動することはできない。
どうして? 何故こんなことを?
そういった感情を含めた瞳を、私はアリッサさんへと向ける。
「悪いな。運がなかったと思って諦めてくれ」
そう言ってアリッサさんは私を一瞥し、屋敷の中へと入って行った。
「グフフフッ。綺麗な銀髪をした若い修道女か・・・・穢しがいがある。今夜は久々の宴だな。おい、貴様ら! 我が傘下の貴族たちに連絡を回せ!」
「はっ!」
アグネリア侯爵が衛兵に何やら命じている。
だが、そんなものに興味はない。
(アリッサさん、何故あんな顔を・・・・)
彼女は別れ際、ひどく辛そうな顔を見せていた。
もしかして彼女がこのような行いに走った背景には、何かどうしようもない理由があったのではないだろうか。
これまで私が見てきたアリッサ・ベルガという人間。
それら全てが偽りではないと、根拠は無いが何故か私はそう確信していた。
(彼女がもし、あの貴族に何か弱みを握られているのだとしたら・・・・)
彼女を助けてあげたい。
だが、今の私は両手も縛られ口も塞がれている状態だ。
そんな自分すら救えぬ私に、彼女の現状を救える術など思い付くはずかない。
そのままアグネリア侯爵の配下たちに両腕を掴まれ、私は抵抗もできず屋敷の中へと連行されて行った。
ーーーーーーーピチョン。
水滴が水溜りへと落ちて行く音が周囲へ響き渡る。
アグネリア侯爵に捕まって数分後。
私は、屋敷の地下牢に閉じ込められていた。
牢獄の中は薄暗く、ジメジメしていてかなり肌寒い。
辺りには人の気配などは感じられず、しんとした静けさに包まれている。
どうやらこの場で拘束されている人間は私だけのようだ。
「何か、ここから逃げ出す手立ては・・・・」
周囲を見渡す。
周りは分厚い石壁で囲まれており、抜け穴などは見当たらない。
牢の鉄格子は・・・・攻撃魔法を遮断するエリメタルという鉱石で作られていた。
ここに入れられる際に口から布を外されたのは、こういった対策があったからなのだろう。
完全に八方塞がりに陥っていた。
「私は、これからどうなるの・・・・」
碌な目に合わないであろうことは安易に推測できる。
奴隷として売り払われるか、またはアグネリア公爵の慰みものになるかのどちらかだろう。
ゾッとするような最悪の光景が脳裏に過る。
せっかく冒険者になれたのに、そのような結末を迎えるなんて絶対に嫌だ。
何としてでもここから逃げ出さないと。
そう決意を固めた、その時。
突如、バンッという大きな音と共に地下牢に光が差し混む。
目を細める私の視線の先に映るのは、長い髪の毛を衛兵に引っ張られて引き摺られる女性の姿だった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!!!」
静寂を引き裂くかのように、牢獄内に女性の叫び声が反響する。
その女性の姿は痛々しいものだった。
ボロボロになった粗雑な服の隙間から見える肌には無数の傷が刻まれており、顔の半分は酸か何かを浴びたのか酷く爛れている。
そして、お腹がぷっくりと膨れ上がっていることから・・・・彼女が妊娠していることが見て分かった。
私は、妊婦を乱暴に扱う衛兵に嫌悪感を覚える。
その光景を黙って見ていることなど、できるはずもなかった。
「やめなさい!!! 痛がっているでしょう!!!」
だが、そんな私の怒りに満ちた声など意にも返さず、衛兵はその妊婦を向かいの牢の中へと雑に放り込んだ。
「かふっ」という掠れた声をあげて、彼女は地面へと転げ落ちる。
そして衛兵は牢の鍵を閉めると、地下から足早に去って行った。
いったい何なのだろう、この屋敷の人間は。
衛兵の振る舞いに怖気立つものを感じながら、私は向かいの牢に入れられた彼女に声をかけた。
「大丈夫ですか!? 怪我をしたのであれば私が魔法で治癒します!」
そう声をかけるが、女性は這い蹲り、息を荒くしてこちらを見つめるのみだ。
何か病気を患っているのだろうか。
高位の修道士であれば病も治せると聞くが、私にできるのはせいぜい外傷と状態の回復のみ。
せめて、彼女の痛々しい傷は治してあげた方が良いだろう。
私は、鉄格子の隙間から彼女へ向けて手を伸ばし、詠唱を開始する。
外傷を治すヒールと、毒や恐慌状態を治すレジストキュアを彼女へかけてみた。
すると、彼女の肌に刻み付けられた痛々しい傷跡がみるみる回復していくのが分かった。
だが、その様子にこれといった変化は見られない。
ひたすらゼェゼェと苦しそうに息を荒げている。
「やはり、何か病気にかかってしまったのでしょうか・・・・」
だとしたら私にはどうしようもない。
自分の未熟さに悔しさを覚え下唇を噛む。
「ですが、大丈夫。必ずあなたをここから助け出します。私はこれでも冒険者ーーーーーー」
「きぃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!!!!!!!」
耳を塞ぎたくなるようなけたたましい金切り声が周囲へ鳴り響く。
それは、向かいの牢にいる彼女から発せられた叫び声だった。
その後、彼女は白眼になり、牢獄内で仰向けになりながらもがき苦しみ始めた。
見るからに尋常ではない様子だ。
「だ、誰か! いませんか!? 向かいの牢にいる女性がッ!!!」
全力の限り叫ぶが、屋敷の者が地下牢に現れる気配はない。
私は狼狽えながら、彼女に向かってヒールを唱え続けた。
「ヒール! ヒール! ヒール! ヒール!」
だが、回復魔法をかけたところで彼女は益々苦しそうに叫び声をあげていく一方だった。
その状態が改善される兆しが全く見えない。
「どうすればッ!? どうすれば良いのッ!?」
私が思考を必死に巡らせていたその時。
バチュンという、水風船が割れるような音が地下牢に鳴り響いた。
「えっ・・・・・?」
その状況に驚愕し、瞳孔が大きく開く。
何故なら、彼女のお腹が爆弾のように弾け飛んでいたからだ。
どしゃりという音を立てて、辺りに肉の破片と臓物が降り注ぐ。
そして、その肉片の一部が私の右頬に付着した。
「な、なにこれ・・・・・」
いったい何が起こったのか理解が追いつかず、私は呆然と立ち尽くしていた。
何故、彼女の腹部は破裂したのか。
その疑問は、彼女の亡骸を見て一目で理解することになる。
彼女の半分消し飛んだ腹部。
そこから得体の知れない触手のような生物が、大量にウゾウゾと這い出ていたのだ。
その地獄絵図のような光景に、私は気が動転してしまった。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
あまりの出来事に腰を抜かし、尻餅を付いてしまう。
まるで、悪夢でも見ているかのような状況だった。
彼女から這い出た触手は、そのまま彼女の血と肉を貪るように死体の上を這いずり回っている。
辺りに血と臓物の匂いが充満していった。
「うぷっ」
反射的に口を抑えるが、それだけで吐き気を抑えることなどできるはずがない。
ビチャビチャといった音を立てて、吐瀉物が私の口から地面へ流れ落ちた。
「ハァ・・・・ハァ・・・・」
ただただ、恐ろしくてたまらなかった。
何故なら、目の前の女性が未来の自分の姿に思えてしまったからだ。
腹を裂かれ、得体の知れない化け物を産む母体。
もしや、私はそのために捕らえられたのではないのか。
そう考えると、気が狂いそうになった。
「冒険者にならなければこんな目にはっ・・・・・」
瞳から大量の涙が溢れ落ちる。
冒険者にならず、修道院に残っていればこんな地獄は知らずに済んだのだろう。
孤児院で一緒に暮らした友人たちに、暖かいご飯がある食卓。
そんな環境にいた私は幸せだったのかもしれない。
何故、その幸せを自ら捨ててしまったのか。
後悔と絶望が私の胸中に渦巻く。
ーーーーーそんな過去を悔いている私に、突如、闇から不気味な声が降って来た。
「絶望、しているのかね?」
「・・・・・ぇ?」
声が聞こえた方向へと視線を向ける。
すると、背後に何者かの気配があった。
今まで私は、この牢に自分以外の人間はいないものだと思っていた。
だが、それはどうやら思い違いだったようだ。
薄闇に目を凝らすと、そこには紺色で全身を染め上げたようなーーーーーー不気味な騎士が座っていた。