第1章 首なしの騎士 ③
「ほら、リア!王領を抜けるぞ!」
冒険者ギルドから馬車に乗って2時間半。
現在、私たちは王都を離れて他領の地に接近していた。
とは言っても目的のアグネリア領は王国の最西端にあるため、東にある王都から考えるとここからかなりの距離がある。
まだまだ時間はかかりそうだ。
その間は手持ち無沙汰になるため、アリッサさんと雑談したり、ボーっと外を眺めるくらいしかやることがなかった。
「アリッサさん、ひとつ、聞いても良いでしょうか?」
「ん? 何だ?」
「アグネリア領というのは、魔物の出現数が多い土地と聞いた覚えがあります。それは本当なのでしょうか?」
ふと、巷で聞いた話を隣に座るアリッサさんに質問してみる。
すると、アリッサは顎に手を当て、うーんと唸りながら口を開いた。
「あぁ。確かに多いとは聞くが・・・・どうなんだろ? すまん、あたしもそんなに詳しくないんだわ」
そう言って、彼女は頭をポリポリと掻きながら笑みを浮かべる。
(アリッサさんも、アグネリア領にはあまり詳しくないみたいですね。できれば、依頼者に会う前に、何か情報を得たいところですが・・・・)
今回の依頼はアグネリア領内に現れた低級アンデッドの掃討といったもの。
だが、私たちはその依頼の裏に別の狙いがあることを読んでいた。
その狙いは、要人の護衛任務。
本来であれば、冒険者はそういった仕事をしてはならない決まりになっている。
なので、私たちはその裏の狙いはあえて無視する方針にしていた。
だから、当面の間は表の依頼である、低級アンデッドの討伐のことだけを考えていれば良いだろう。
だが、低級の魔物といっても、アンデッドは決して油断してはならない相手だ。
何故ならアンデッドは、状況によって、より上位種に転化する可能性を秘めているからだ。
Bランク冒険者の彼女がいるからと言って、慢心してはならない。
少しでも、情報は得たいところ。
(彼ならば何か知っているのでは・・・・・)
ふと、今まで声をかけていなかったある人物へ私は視線を向ける。
それは、この馬車の運転をアグネリア侯爵により任された御者の男だ。
彼は口を真一文字に結び、黙々と馬を走らせている。
私は、思い切って彼に声をかけてみることにした。
「御者さんはアグネリア領の方なのですよね? 領内にアンデッドなど見かけられるそうですが、様子はどのような感じなんでしょうか?」
「・・・・・・・・・・」
御者はこちらを振り向くこともなくコクリと頷くだけで、それ以上の返答は何も返ってこなかった。
察するに、彼はあまり会話を好まない性格なのだろう。
何故なら馬車に乗ってからというもの、彼が口を開いた姿を私は見ていないからだ。
無理に話しかけて気を悪くさせても悪いし、私はそれ以上話しかけるのはやめておいた。
それから5時間後。
街道に魔物や盗賊が現れる・・・・何てこともなく、馬車は平穏無事に進み、辺りにはすっかり夜の帳が下りていた。
窓の外を覗くと、空の上には大きな満月が浮かんでいる。
私の育った修道院では、月には女神が住んでいると教えられてきた。
月の女神メティスは、天上から寝静まった大地を見守っている。
だから月を見かけたら、女神に感謝の祈りをしなければならないと、修道院で口酸っぱく学ばされてきた。
「女神様、か」
こんなことを言ったら修道院の皆に不信心者と袋叩きにされそうだが、正直言って私は、この世界に神様がいるとは思っていない。
何故ならこの世は理不尽だからだ。
咎もない善人が無慈悲に死ぬこともあるし、魔に魅入られた悪人が徳をすることもある。
もし、そんな世界を作った神様がいるならば、それは悪神と言っても良い存在だろう。
人を救えるのは神では無く同じ人の手だけだ。
だからこそ私は、人を救うために冒険者を志した。
「この辺で止まろう」
アリッサさんが行者にそう声をかけると、馬車はゆっくりと速度を落とし停止した。
今日は一晩、ここで一泊するということなのかな。
「リア、野営の準備だ」
「わかりました」
私たちは馬車から降り、後方にある荷台から積荷を下ろしていく。
その荷物は、焚き火に使う木材と寝袋、食事の用意といったものだ。
この物資はアグネリア侯爵が事前に用意してくれていたものらしく、遠慮なく使用しても良いと出発前に受付嬢に告げられていた。
元々そういった野営の準備はしていたが、これから何があるかも分からないし・・・・無駄な出費は抑え、ここは素直に好意に甘えた方が良さそうだ。
そうして私たちは火を起こし、野営の準備を順調に進めていった。
「さて、飯にするぞ!・・・・って言ってもまともな食事に何て在り付けないけどな」
鍋と携帯簡易食の入った袋3つを手に持ち、アリッサさんがこちらへ歩いてきた。
袋の中身はコールベリーと呼ばれる果実を乾燥させたものだ。
この国ではありふれた食料のひとつなのだが、決して美味しいとは言えない代物で、好んで食べる者はまずいない。
けれど、半年ほども保存が利く上に持ち運びに手軽な大きさをしていることから、冒険者や旅の商人と言った脚を使う仕事の人間にとってはこの上ない必需品になっていた。
「おーい、お前も食うだろ?」
アリッサさんが行者へそう声をかけるが、行者は馬車に乗ったままフルフルと首を横に振った。
「んだよ。じゃあ、あいつの分は2人で食っちまおうぜ」
そう言ってアリッサさんは、鞄から取り出した水筒を開け、そのまま鍋に水を投入する。
そして、そこに先程持ってきた携帯簡易食、コールベリーを放り込んだ。
コールベリーは1つの房に大量の小さな実が付いた果物で、実ひとつひとつをそのまま食べることもできるが、乾燥させた物は基本的にその実を湯に浸して食べるのが一番よく知られる調理法だ。
鍋を火にかけるアリッサさんを横目に、私は器を取り出し彼女と私の前に2つ並べていく。
これで準備は整った。
あとは湯が沸くのを待つだけだ。
「・・・・・・・・・・・」
アリッサさんは口を閉ざし、ただジーッと火を眺め座っていた。
辺りからは、虫の音色しか聞こえてこない。
別段嫌な沈黙という訳でもないが、せっかくだしずっと気になっていたことを彼女に質問してみることにしよう。
「前々から思っていたのですが、アリッサさんの持っているそのプレートメイル、立派なものですよね。特別なものなのですか?」
そう口にすると、アリッサさんの表情が曇った。
今まで、彼女のこういった表情を見たことが無かっただけに私は少し困惑する。
(これは、あまりして欲しくなかった話題のようですね・・・・)
どう話の流れを変えようかと考えていると、アリッサさんは静かに口を開いた。
「あたしの家は昔、小さな土地を持った小領貴族だったんだよ」
「えっ・・・・?」
「まぁ、今じゃ爵位は没収されてただの元貴族だけどな。その過去にあった小領貴族の家宝がこの鎧だったという訳さ」
なるほど。
確かにそれは、人に話し辛い身の上話だ。
彼女がプレートメイルについて問われた時に眉を顰めたのも分かる。
「これでも、過去にいたとされる勇者の遺物とまで呼ばれた代物でね。凄い力が宿ってる・・・・何て言われちゃいるが、私にとっては何の変哲も無いただの派手なだけの鎧さ」
そう言って、アリッサさんは地面に置かれているプレートメイルに優しく触れた。
その隅々には銀の装飾で不思議な紋様が拵えられている。
確かにこの鎧には、勇者の遺物と言われてもおかしくないだけの何かが宿っているような・・・・そんな雰囲気が感じられる。
「・・・・あたしの弟がね、英雄譚に出てくる勇者様に憧れててさ。この鎧を着て、僕は冒険者になるんだー! って、いつも叫びながら走り回っていたよ」
「そう、だったんですね」
過去形、ということは弟さんは亡くなったのだろうか。
私は考える。
もしかして彼女は、弟さんのその夢を継いで冒険者になったのではないのかと。
だとしたら、それは・・・・とても悲しい話だ。
彼女に変な質問をしてしまったという罪悪感から、思わず俯いてしまう。
「お、おいおい! 暗くなるなって! ほら、湯が沸いたぞ! 飯食おうぜ飯!」
ガハハハと笑いながら、アリッサさんは鍋の取っ手を持ちその中身を器に流し込んでいった。
辺りに、コールベリーの何とも言えない青臭ささが充満していく。
「そんじゃ、今度はこっちから質問な」
「はい。何でもお聞きください」
せめてものお礼・・・・にはなり得ないないだろうが、彼女の質問にはしっかりと答えなければ。
キリッとした表情を作る私の前で、アリッサさんは困惑気な表情を浮かべた。
「なぁ、何でお前は冒険者になったんだ? 修道士なら他にも道はいくらでもあっただろ?」
それは確かに疑問に思うことだろう。
わざわざ冒険者になって危険の伴う戦地に向かうより、修道院に在籍して医療に従事した方が確実に安泰だからだ。
正直、その問いに対して何と答えるべきか私は迷った。
彼女の弟さんと同じで、英雄譚に出てくる勇者に憧れていたから、何て言うのは簡単だ。
だが、彼女は苦渋しながらも、自身の過去について話してくれた。
こちらも、過去を交えて自分の核たる部分をさらけ出すべきだろう。
「・・・・私には昔、恋人がいたんです。 彼はどうしようもないお人好しで、困っている誰かがいたら進んで苦労を背負うような・・・・そんな人でした。だから私も、彼と同じ景色が見てみたかったのかもしれません」
私の幼馴染みであり、恋人だった青年。
彼はもう、この世にはいない。
今でも彼を思い出す度に涙が溢れる。
あんなに心優しい人が、何故、王女暗殺の罪に問われなければならなかったのか。
国と人々を守るためにその身を費やしてきた人間が、何故、罵声の中で死ななければならなかったのか。
そして、何もできずに彼の首が跳ねられる瞬間をただ見ていることしかできなかった自分は、なんて愚かで無力だったのか。
だから私は、あの時決めたんだ。
英雄譚の勇者のように、誰かを助けられる自分になってやると。
「冒険者になろうと思った動機は単純で、亡くなった私の恋人のように、困っている誰かの力になれる存在になりたいと・・・・そう思ったからです」
そんな私の答えに、アリッサさんは目を丸くした。
「そっ、か。今時珍しいよ。あんたみたいな金目当てじゃない冒険者は」
「そう、なのでしょうか・・・・?」
「この業界に入って、私はあんたみたいな奴を1人も見たことがない。冒険者なんてものは、命を担保に手っ取り早く金を稼げる職業でしかないからね。それが、大多数の共通認識さ」
分かっていたことだ。
英雄譚に出てくる勇者や冒険者は、幻想の姿なのだと。
けれど、人々を助けることよりも金銭が第一の冒険者の方が多いということに、地味にショックを受ける。
そんな私の表情を見て思うところがあったのか、アリッサさんは少し悲しそうな顔をして口を開いた。
「世の中、綺麗事ばかりじゃないからね。この先もあんたがその志しを捨てずにやっていけるのなら・・・・」
そう口にして、アリッサさんはどこか遠くを見つめる。
「・・・・・いつしか、本物の勇者は現れるのかもしれないね」
それは、そよ風にも遮られそうな微かな声だった。
その言葉に、どのような感情が秘められているのか私には分からない。
けれど、アリッサ・ベルガという冒険者が様々な苦悩を重ねて生きているということは、これまでの会話で充分に把握できた。
長くこの世界で生きてきたのだろう。
彼女は、冒険者の辛さをよく理解している。
駆け出しの身である私には、まだその痛みは分からない。
だけど、いつか自分の身に信念を揺るがすような事態が訪れた時。
果たして私は、今のように理想を語ることができるのだろうか。