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第2章 闇妖精の少女 ④


 あの地獄の日々から解放されて、数日後。

 

 私はロクス様の計らいによって、彼が持つ山荘に住まわせてもらっていた。


 そこでは誰にも暴力を振るわれることもなく、綺麗な衣服を身につけることが許され、真っ当な食事を摂ることができる。


 そんな当たり前の日常が、私には懐かしくとても幸福に感じられた。



「・・・・・・彼が帰ってきたら快適に過ごせるよう、お掃除しなきゃ」



 部屋の隅に置いてあった箒を手に取り、私は清掃を始める。


 ロクス様が言うには、この山荘はずいぶんと長い間放置されていたものらしい。

 

 だからなのか埃が凄く、蜘蛛の巣がそこら中に張ってあった。


 けれど、人の暮らしに必要なものは大体揃っていて、暖を取るための暖炉や大きなベッド、後は衣装タンスに調理器具なんかもあった。


 地下牢に長く幽閉されていた私にとって、多少の汚れなんかは全く気にならない。


 ここは、人の営みが行える夢のような場所だった。



「・・・・・・何かお礼ができたらいいんだけど」



 私を地獄から解放してくださっただけでも、あの御方には感謝し切れない恩がある。


 それなのに、ロクス様はこのような素敵な住居までも与えてくださった。


 こんなにたくさん貰ってばかりじゃいけない。

 あの慈悲深き御方に何か恩返しがしたかった。


 だけど、現状において私にできることと言えば、掃除や洗濯くらいの雑事だけだ。


 そんなもので彼への大恩に報いることは決してできない。



「・・・・・・・・・・・・」



 私は、ふと、自身の小さな胸に触れる。

 その身を、人間に触られるのはもう嫌だった。

 あんな吐き気を催す行為は金輪際味わいたくは無かった。


 だけど、ロクス様にならーーーーーーー。

 ロクス様にならこの身を捧げても構わない。

 何故か、そう、思った。

 そこに嫌悪感などは一切感じられなかった。



「・・・・・・馬鹿な考え。私なんかを抱いて、あの御方が喜ぶはずがない」



 尊敬するかの英雄に対して不遜な考えを抱いてしまったことに、私は自己嫌悪に陥る。



「・・・・・・それに、こんな醜い身体」



 壁に立て掛けられている姿見に視線を向けると、そこには白いワンピースを着た褐色肌の少女が立っていた。


 彼女のその肌には痛々しい傷跡が残されている。

 深く刻まれた裂傷に、大きな火傷の跡。

 恐らく、これを見た者の多くは絶句することだろう。


 何たって14歳くらいの少女の身体に、酷い拷問跡がいくつも残されているのだから。


 まぁ、私はエルフなので、見た目ほどそんなに幼くはないのだが。



「・・・・・・・それにしても、何でこんなに変わっちゃったんだろ」



 鏡を見る度に不思議に思う。


 黄金のように輝いていた長い髪は漆黒に変わっており、碧だった瞳は真っ赤に染められている。

 そして、真っ白の肌は褐色に変わっていた。


 自分の姿に変化が起こった理由は何も分からない。

 もしかしたら、私の知らないエルフ族特有の何かが働いた結果なのだろうか。



「・・・・・・・別にいいか。困ることもないし」



 特に見た目以外に変わった点は無かった。

 記憶もしっかりちゃんとあるし、私は私のままだ。

 ただ、強いてあげるとするならば、以前より感情表現が少し苦手になっているみたいだ。

 常に能面のように無表情で、感情が面に現れない。

 だけどこれは恐らく、あの地獄の日々による影響の結果であり、今回の変化とは無関係のものだろう。



「・・・・・・・うーん。難しい」



 口元を釣り上げ、無理矢理、微笑みを作ってみる。

 しかし、鏡に映っているのは不気味ににっこりと笑う、歪な表情をした私だった。



「・・・・・・・可愛くない」



 鏡の前で、私は項垂れる。

こんな無表情の女を、果たしてロクス様は愛らしいと思ってくれるだろうか。


 感情を表さない私を、不気味だと思ってはいないだろうか。


 そう考えれば考えるほど、心は不安で埋め尽くされ、気分が沈んでいった。



「・・・・・・・・掃除、やろう」



 気を取り直して箒を持ち直す。

 そうして私は、部屋の掃除を再開した。

 埃を払い、窓を開け、換気する。

 すると、外から暖かい太陽の日差しが差し込んできた。


 それに対して私は、両手を広げ日光浴をする。


 何気ない平和な日常の風景。

 もう恐ろしいことは何も起こらない。

 これからはあの御方とこの家で平和に暮らすんだ。

 そんな幸せな未来に想いを馳せていた、その時だった。




「だ、誰か助けてええええええッ!!!!!!!!」




 突如、外から甲高い悲鳴が聞こえてくる。

 私は即座に箒を放り投げて、テーブルに置いてあった果物ナイフを手に取った。



「・・・・・・・・こんな山奥に、人の声?」



 ここは、人里離れた山の中だ。

 ロクス様からは、滅多なことが無い限り人は現れないと聞いていた。

 それなのに誰かの叫び声が聞こえてくるなんて、異常な事態だ。

 周囲には間違い無く、危険な存在が潜んでいると見て良いだろう。



「・・・・・・・・・・・」



 事前にあの御方にはこう伝えられていた。

 自分が不在の間に何者かの気配がしたら、即座に逃げろ、と。


 だが、今の声は・・・・助けを求める声だった。

私には分かる。

 あの悲鳴は、どうしようもない理不尽な現実に対してそれでも抗おうとする者の声だ。


 私が彼に助けられたように、私もあの悲鳴の主を救いたい。

 そんな気持ちが、私の足を自然と動かした。


 ナイフを手にし、家を飛び出る。

 そして、声が聞こえた方向へ向かって一目散に駆け抜けた。

 山の中なので、辺り周辺は木々に囲まれて視界は悪い。

 そして尚且つ、岩や枝が私の行き先の邪魔をした。



(・・・・・いちいち避けている時間は無い)



 私はそれらを腕や足で振り払う。

 すると、いとも簡単に全てが粉々に粉砕されていった。



(・・・・・・あれ? 私って、こんなに力があったっけ?)



 不思議だった。

 まるで、自分の身体じゃないような違和感があった。

 地下牢に長く幽閉されていたはずなのに、強い力が、高い身体能力が、私の身には宿っていた。



「あん? 何だお前?」



 林を抜けると、幼いエルフの少女を肩に担いでいる1人の大男に出会う。



「た、助けて!!!!」



 肩に背負われている少女は、瞳に涙を浮かべながらそう叫んだ。

 その声を聞いて私は確信する。

 先程の悲鳴は間違いなく彼女のものだと。



「その長い耳、お前エルフか? あまり見ない珍しい肌の色と髪をしているが・・・・あぁ、分かった。ハーフエルフって奴だな」


「・・・・・・・・その子を離して」


「ほう。同族を助けにきたのか。感動させてくれるねぇ。おじさん泣いちゃうよ」


「・・・・・・・・その子を離さないなら、殺す」


 私はナイフを眼前に構える。

 すると大男は、熊のような巨大な体を震わせて笑い出した。


「ブッハッハッハッハッ!! そんな果物ナイフじゃおじさんは殺せないなぁ。 でも、健気なその姿に免じて言う通りにしてあげるよ」


「・・・・・・・・・え?」



 男は肩から少女を降ろし、解放した。

 まさか、すんなり言うことを聞くとは思ってなかった。

 私は思わず目をパチクリとさせてしまう。


 少女は地面に降りると、一目散に私の元へと駆けて寄ってくる。



「あ、ありがとうっ! ありがとうお姉ちゃんっ!」


「・・・・・・・怪我はない? 大丈ーーーー」



 その時、丸太のような太い脚が腹部に飛んできた。

そして、ゴリッという音を立て、私は空中に舞う。



「お姉ちゃん!!!!」



 気付いた時には、盛大に木の幹に叩き付けられていた。

 その衝撃によって、辺りから鳥たちが一斉に飛んでいく姿が目に入る。



「いやぁ、エルフを2匹も捕まえられるなんて、今日はついてるなぁ。しかも1匹はハーフエルフ? 傷物みたいだが何かレアな奴っぽいし」



 大男はそう口にすると、倒れ伏す私の元に歩み寄ってきた。


 なるほど。

 私は不意を突かれ、攻撃されたんだ。

 落ちているナイフを拾い、フラフラとよろめきながら立ち上がる。



「・・・・ッ!」



 その瞬間、身体の節々に鈍い痛みが走った。

 だけど、動けないほどではない。

 それでも、あの巨大な腕や足から繰り出される一撃を何度もその身に受けてしまえば、小さな体では耐えきれない程の大きなダメージになってしまうだろう。



(・・・・・・・次は、避ける)



 私は無格好にナイフを構えて、目の前の大男を見据えた。



「ほう? 無抵抗主義のエルフが、まだ反抗する気か? だったら殺さねぇように手加減しなきゃ・・・・なっ!!!!」



 今度は大きな拳が、私の身体に向かって放たれた。

 瞬時に放たれるその剛腕を、瞬きひとつでもして見逃せば、私はまた宙に浮かされるに違いない。



(・・・・・・大振り。であるならば)



 私はしゃがみ込み、相手の懐にあえて飛び込んだ。

 大振りの拳を振り上げているならば、その間、胸はガラ空きになる。

 だから、拳を回避さえすれば、首や心臓などの急所をナイフで狙うことができるはずだ。



(・・・・・・・死ね!!!!!)



 体を捻ることで拳を回避し、その首に、ナイフを突き立てようとした。

 ーーーーーーその時だった。



「甘いぜ、嬢ちゃん」


「・・・・カハッ」



 大男の巨大な膝が、私の胸に放たれていた。

 膝蹴りによる衝撃に肺がダメージを負い、呼吸が不安定になる。

 その結果、私は力が入らなくなり、地面に膝を付けることしかできなくなってしまった。



「これで分かっただろ? 実力の差って奴がさ」

 


 そして男は私の髪の毛を掴むと、そのまま上へ持ち上げる。

 ブチブチと音を立てて、何本もの髪の毛が抜けていくのが分かった。

 私はその痛みに歯を食い縛り、男を強く睨みつける。



「・・・・・・やめ、ろっ!」


「良いから黙って従えって。お前みたいな弱い奴はな、強者に食われるために存在してんだよ。抵抗なんて無駄無駄。諦めれて楽になった方が身のためだぞ?」



 弱い奴は、強者に食べられるために・・・・存在している?

 お前たちはまたそうやって、傲慢な態度で、他者から全てを奪っていくのか?

 お母さんをあんな姿にした時のように。


 ふざけるな。


 ふざけるな。

 ふざけるな。

 ふざけるな。

 ふざけるなッ!!!!


 初めてあの地獄に叩き落とされた日を思い出せ!

 殴られ犯されるお母さんを、ただジッと見ていることしかできなかった、あの時の無力な自分を思い出せ!


 そんな、昔と変わらない、弱い私のままでいいのか?

 奴らの言う"弱者"のままでいいのか?


 邪悪な人間たちを殺し尽くしてやると、決意したあの日の憎悪はどこにいったんだ。

 殺せ!

 奴の身体に私の怒りを刻み込め!!!!

 完膚無きまでに、肉片残らず、殺し尽くせ!!!!


 私はその憎悪の声に従って、手を動かした。



「は?」



 男は困惑する。

 目の前に飛び散る、自分の指に。 



「・・・・・あはっ」



 私は、そんな男の姿に恍惚とした。

 もっと見たかった。

 その怯える表情を。

 もっと激しく混乱し、恐怖し、涙を流す顔を見てみたかった。



「いや、何だよこれ、は? 何で俺の指? え?」


「・・・・・・・あはははははははははははははははははっ!!!!!!!」



 笑いが止まらなかった。

 彼のその感情の変化が、可笑しくて、楽しくて、仕方がなかった。



「・・・・・・・さぁ、今度は貴方が食べられる番」



 私は血に濡れたナイフを持つ。

 そして、嗤い声をあげながら、彼へ襲いかかった。


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