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プロローグ  復讐の始まり 



「何故、この私がこんな目にッーーー!!!」




 深夜午前二時。

 

 暗闇に包まれた森林内に叫び声が響き渡った。


 そこにいたのは死に物狂いで駆けている1人の男の姿。


 その様子は尋常ではなく、目は血走り、額には玉のような汗が浮かんでいる。

 

 時折背中越しに後方を確認していることからして、彼が何者かに追われていることは明白だろう。


 彼の名前は、アルベルト・フォン・クライッセ。


 王国の中枢を担う六代貴族の一角、大貴族と呼ばれる者の一人である。


 彼にとって、貴族とは狩る側でありその他大勢は狩られるだけの存在にすぎなかった。


 一言死ねと言えばどんな者であろうとその命はそこで終わったし、裸になれと言えば女たちは喜んでそれに従った。


 権力と財力を持つ者の前では皆等しく無力。


 それ故に、恐怖という感情がこれから先自分に芽生えることはないと、明確な確信を抱いていた。



 しかし、現在。


 彼のその顔には、はっきりと怯えの色が浮かんでいる。


 今にも泣き出しそうな表情を浮かべ歯をガチガチと鳴らすその様相は、彼を知っている者が見れば一様に驚愕することだろう。

 

 そして、当然ながら彼もそんな自身の変化に困惑を隠せなかった。



「クライッセ家の当主であるこの私がッ! 逃げ惑うなどあってはならない。 あってはならないのだッ!」



 唾を飛ばし、そう叫ぶ。


 そして男は肩越しに後方をチラリと伺った。


 そこには木々に囲まれた深い暗闇だけが延々と続いている。

 

 人の気配などは微塵も感じられない。

 

 だが、男は確信していた。

 

 その闇の向こうに、こちらを追う何者かが接近しているということを。

 

 怯えの色をより濃く示した男は、大地を蹴り上げる足に一層力を込める。



「何なのだ彼奴は!? いったい何なのだこの状況はッ!?」



 追っ手に強い恐怖を感じる自分に情けなさを覚え、男は下唇を強く噛んだ。



 大貴族の邸宅ともなれば、王城を守護する騎士団並みとはいかないまでも、それなりの実力を持った護衛が王により派遣されているものだ。


 事実、彼の家には歴戦の勇士たちが衛兵として雇われていた。


 王国騎士団出身の者や元冒険者(魔物を専門に討伐する傭兵)といった、戦闘のプロが常に屋敷には常駐しており、鼠一匹でさえ彼の屋敷に侵入することは難しかった。


 だが今現在、その猛者たちはこの世に誰も残ってはいない。


 突如現れた1人の賊によって、いとも容易く彼の衛兵たちは惨殺されてしまったのだ。


 その光景に気が動転した男は屋敷から脱兎の如く逃走。

 

 一目散に近隣の森へと逃げ込んだ。


 自身の財が目的であれば、賊は自分になど興味は持たないだろう。


 男はそう考え、あえて屋敷に財産の全てを置いてきた。


 しかし、そんな彼の狙いは外れ、賊は金になど目もくれず後を追いかけ続けている。


 一体何が目的で自分を追っているというのか。


 男には皆目見当も付かない。




「ハァッ・・・ハァッ・・・」




 屋敷を飛び出して数十分。

 

 その間休まず走り続けていたことから、男の足取りは徐々に重くなっていた。


 彼は別段、身体能力に秀でている訳ではない。


 その不摂生な腹部の贅肉からして、久しく運動をしていないことは誰が見ても察することができるだろう。


 加えて、夜の森は洞窟の暗闇と対して変わらない。


 夜目が利くレンジャー職の冒険者ならば最適なルートを導き出せるだろうが彼は貴族。


 当然そんなスキルなど持ち合わせてはいないので、何かに躓くのは必然だった。



「ぐふっ!」



 小石につま先を引っ掛けた男は、正面から転倒。


 その体躯を盛大に地面へと打ち付ける。


 腹部を激しく強打した男は、その顔を苦悶の表情で歪めた。



「ハァハァ・・・何故、このような醜態を晒さねばならないのだ」



 泥塗れになり地に倒れ伏した男は自身の現状に嘆く。


 何故、王国有数の大貴族である自分が土埃に塗れ、傷だらけにならなければならないのか。


 自分は狩る側であり、絶対的な強者では無かったのか。


 その顔にはそういった困惑の色が激しく浮かんでいた。


 だが、そんなことを考えている間も追っ手の追跡が止まることはない。


 男が膝を持ち上げ、立ち上がろうとしたその直後。

カツンという、革靴が地面を叩く音が周囲へ響き渡った。


 それに過敏な反応を示した男は、その音が聞こえる方向へと勢いよく視線を向ける。


 彼の視線の先。


 そこに広がるのは木々に囲まれた漆黒の闇だ。


 一寸先は何も見えない。


 追っ手がどのくらいの距離にいるかは分からないが、早くこの場から離れなければならないのは明らかだろう。


 だが、男は動かない。


 いや、動けないと言った方が正しいだろうか。

 

 それは、転倒の痛みによるものなどではない。

 

 彼は恐怖により体を硬直させていたのだ。




「鬼ごっこは終わりかね? クライッセ卿」




 臓腑に重く響く、不気味な声が辺りを支配する。

 

 男が見つめていた暗闇の先から出てきたのはーーー異様な雰囲気を宿した1人の騎士だった。


 騎士が着用している兜と鎧の隅々には無数の傷が刻まれており、腕にはその鎧と対を成すような紺色の籠手が嵌められている。


 そして、腿当てから膝当て、グリーヴと呼ばれる脛当てまでもが、同じように年季の入ったものが装備されていた。


 その姿はさながら、苛烈な戦場から帰還した英雄と言ったところだろうか。


 だが、彼が醸し出すその気配は正義の英雄などでは断じてない。


 悪魔に忠誠を誓った死神、とでも言った方が正しい表現だろう。



「立てないのなら手を貸してやろうか?」



 そう言いながら、騎士は倒れ伏す男の元へと近付いて行く。



「近寄るなッ!」



 男は仰け反り、大声でそう叫んだ。


 大貴族である彼の恫喝には、一定の人間が恐れおののく力がある。


 だが、圧倒的強者であるこの騎士に対して、そんな叫びに効果はない。


 騎士はそのまま倒れ伏す男の前まで難なく辿り着くと、その場で立ち止まり、クックックッという不気味な笑い声を上げた。



「私はね、君のような絶対的な権力者が恐怖に悶える姿に、この上のない快感を覚えるのだよ」


「下郎が!! この私を誰だと思っている!!」



 男は憤慨する。


 地面に背を付けて仰け反る自分と、こちらを愉快そうに見下ろす騎士。


 その構図に腹を立てていた。


 何故、狩る側である自分が逃げ惑う野ウサギのように怯えなければならないのか、と。

 

 苛立ちを含めたその問いに、騎士は不思議に思ったのか頭を斜めに傾げる。



「何を分かりきったことを聞いている? 君と私は同じさ。ただの"下衆"だよ」


「なッ!?」



 その発言に、顔を真っ赤にする男。


 彼にとって、その言葉は許しがたい侮辱だったのだろう。


 男は、騎士を鬼の形相で睨め付ける。


 だが、そんな男の様子など気にも留めない様子を見せ、騎士は愉快そうに口を開いた。



「屋敷の地下の惨状を見たよ。 君は、女を拷問して犯すのが好きなのかい?」



 そう。


 男は、特殊な性癖を持っていた。


 その欲望を満たすためだけに領内の村娘を攫ったことや、奴隷を購入することは頻繁にあった。


 だが、それは彼にとって読書や食事と何ら変わらない。


 ただ性欲を消費するための些事にすぎないことだ。


 今この場にそれが関係があるのか?という疑問の表情を男は浮かべる。


 彼のその態度に納得がいったのか、騎士はふむふむと頷いた。



「やはり君と私は同類さ。 私はね、今の君の怯える姿を見て、非常に興奮している」



 その瞬間、男の背筋に悪寒が走った。


 今まで彼は、この騎士の目的は単純にこちらの命を奪うことなのだと考えていた。


 だがそれは違う。


 拷問し、犯し、楽しみながら殺す。


 男が趣味で娘たちに行ってきたことと、同じことを自分に対して行うのだと。


 それが、直感で理解できていた。


 そして、この瞬間、自分が狩る側から狩られる側に変わったのだということ。


 それをはっきりと感じ取った。



「頼む、後生だ見逃してくれ! 金ならやる!」



 最早ここに、名高い大貴族クライッセ家の当主の姿はない。


 この場所にいるのは、ただ生を懇願する1人の人間だった。


 男は、地面に頭を擦り付けて頼み込む。

 

 お願いだから、何でもするから、と。


 だがーーーーー。



「あぁ、素晴らしい! 実に良い表情をするではないかッ!」



 そう言って、騎士は両手を広げ盛大に笑い声をあげた。


 男の懇願など、彼を悦ばせる材料でしかなかったのだ。



「・・・・・・・」



 だが、男は諦めない。

 

 自分の命を守るための最後の手段が残っていたからだ。


 それは、単純明快な策。


 相手の命を奪い、自身の命を守ること。

 

 貴族である彼は、剣の教訓を少なからず受けていた。


 自身の力で盗人を叩き伏せたこともあったため、彼はある程度剣の腕には自信を持っている。


 だが、そんなものはこの騎士に通用はしないと、最初から理解していた。


 この騎士は格が違う。


 真っ向にやり合えば一瞬で殺されることは明白だろう。


 しかし、現在。


 騎士は剣の柄に手もかけず、両手を広げ、ただ笑い声を上げていているだけだ。


 こちらを取るに足らない相手と考え油断していれば、急な襲撃に対処できないのではないかと男は考えた。


 しくじれば死ぬ。


 その緊張感を唾と共に飲み込みながら、彼は気付かれないようにゆっくりと、腰に付いているサーベル剣の柄に手を当てる。


 そして、騎士が何も反応を見せないことを確認し、勝機を見出したその時。


 彼は瞬時に鞘から剣を引き抜き装甲の薄い騎士の首めがけて一閃、刃を振りかぶった。



 その直後。

 

 カランという乾いた音だけが周囲へと響き渡る。

 

 それは、騎士の兜が地面へ落下した音だった。



「やったッ!!」



 頭を切り落とすことに成功したのだと考え、男は一瞬、その顔に笑みを浮かべる。

 だがーーーーーー。



「ぁ、あ・・・・・!?」



 彼の態度は一変した。


 喜びの表情から一転、恐怖に顔を歪めた男は、怯えにより体を震わせていた。


 その振動により、手に持っていたサーベル剣は力なく地面へと落ちる。


 その様子は、これまでに比べ一際異常なものだった。


 尋常なる恐怖心に駆られてはいたが、彼は今まで生への執着を諦めてはいなかった。


 その目には、光が宿っていた。

 だが、今現在。

 その瞳は絶望によりドス黒く染められている。



「は、はははっ、どうしろってんだこんな奴! はははは!!!!」



 気が狂ったかのように男は笑い出す。

 

 急激に様子が変化したその理由。

 

 それは、騎士の兜。その中身によるものだった。



「やれやれ。自分の頭が吹き飛ばされるのを見るのは、あまり良い気分ではないのだがね」



 騎士は呆れたようにそう言いながら、地面へ落ちた自身の兜を拾い上げる。


 その手に持つ兜のバイザーの隙間から見える中身にはーーーー何も入ってはいなかった。


 そして、騎士の胴体から上。


 そこには、切断されたであろう首だけを残し、何も存在してはいない。


 にも関わらず、騎士は平然と立ち男を見据えている。


 そう。この騎士には端から"頭部"が存在していなかったのだ。


 そこから導き出せる答え。

 

 この騎士は、確実に人間などではない。

 

 ではその正体は何なのか。

 

 それは、この世界に生きる者であるならば誰でも簡単に推測できることだ。


 頭部が無いのに喋り、動くことができるモノなどこの世にそんな存在はひとつしかいない。



「アンデッド・・・・!!!」



 そう、この騎士は間違いなく"アンデッド"と呼ばれる魑魅魍魎の類。


 人類の仇敵、"魔物"と呼ばれるその一種であった。










「さて、始めようか」











 首なし騎士の手が伸びる。


 勿論その先は、彼、大貴族アルベルト・フォン・クライッセへと。


 死神の手が眼前へ迫る直前。

 

 男は、自身の考えは間違いだったのではないのかと生まれて初めて疑問を抱いた。


 より強者の前では、誰でも狩られる側になり得る。 


 怪物の前では、金や地位など等しく無意味なのだと。



 死の間際にそう、結論を導き出した。

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