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第69話 本当にほしいのは

◇◇◇



「たこ焼き美味しい」

「ほんと? こっちのカレーも美味しいよ。一口食べない?」

「え、待っ……」



 ガン!

 ……と海の家の中に響いたのは、明王寺さんがビアジョッキをテーブルに打ち付けた音だった。

 とはいえ中身はウーロン茶だ。

 この店では年齢確認を突破できなかったらしい。


 一方水着の上にパーカーを羽織ったサキさんは、カレーに合わせてラッシーを頼んでいた。まだまだ海で遊ぶからアルコールは今は控えるとのこと。



「……で、なぜ橋本サキとふたりで海に来ていたの、神宮寺クンは」



 隣に座っていた明王寺さんが長い黒髪を揺らしてにじり寄ってくる。

 眉を吊り上げた色白二次元美少女フェイスとともに、コルセットの上にふっくらと乗ったFカップの胸がゆらゆら迫る。

 そのままのしかかられそうなところをかわし、じりっ、と僕は距離を取った。

 たこ焼き二つ目早く食べたいのに。アツアツのうちに。



「明王寺さん、車で来たって言ってたけど……その車と運転手さんは?」


「待たせてる。話をそらさないで」


「待たせてるって、この猛暑の中どこで」


「神宮寺クン。海は嫌だって言っていたのはキミだよ?

 だからボク、キミが喜びそうな完璧なデートプランを毎回立てて誘っていたのに! なんで!」



 叫ぶなり、ヤケ酒ならぬヤケウーロンみたいな勢いで明王寺さんはジョッキをあおり、そのくせ美味しくなさそうに顔をしかめる。

 わかるけどね。お嬢様のお口に合うクオリティのウーロン茶を海の家に求めてはいけない。



(さてどう答えようか)



 考えながら隙を見て、僕はたこ焼きを口に放り込んだ。

 美味しい。アツアツとろとろの中に潜むぷりぷりのタコの食感。マヨネーズとソースと青のりのハーモニー。遊んだ直後のほどよく空いたお腹に染み渡る。最高。

 美味しすぎてちょっと一瞬トリップしかけた。

 明王寺さんの恐い目で、我に還る。



「……なんでと言われても…………うーん、タイミング?」


「タイミング!?」


「あ、そうだ、まほちゃーん。気になったんだけど何で水着じゃないの?」



 超マイペースにカレーを食べながらサキさんが口を挟むと、うぐ、と明王寺さんは詰まった。



「水着レンタルあるし、何なら近くに買えるお店あるよ? 水着着たら一緒に海で遊べるのに」


「そ、それは……」


「いつものまほちゃんならスタイルを見せつける意味でも水着着てきそうなのに」


「…………」



 明王寺さんが顔を赤らめ、若干涙目になってきた。

 さすがの僕も理由を察しないではいられない。


 この場合真っ先に考えられる可能性は『生理』だろうけれど、これまで明王寺さんは、医学部生ゆえに抵抗がないのか、わりと僕に対しても生理についてオープンに話していた。


 そんな彼女が返答に詰まってしまう、理由。

 察するに、恥ずかしいから。

 そうすると多分、明王寺まほろさん唯一のコンプレックス……野比のび太もビックリな超絶運動音痴が関係している。



「サキさん、それぐらいで」

「ん?」

「えーと……海に入りたくない気分の時もあるでしょ」



 溺れるかもしれないから海に入るのが恐い、がたぶん正解だろう。

 あえて僕がぼかした言い方をすると、明王寺さんが「そ、そう! そういう時もある」と、渡りに船とばかりにブンブン首を縦に振る。


 それを見て、サキさんは

「……あ、ゴメン! そうだよね! 大丈夫? 冷たい飲み物つらくない?」

と(生理だと思って?)心配する。

 ぽかんとした明王寺さんに、僕はつい笑ってしまった。



「……そうだね。『タイミング』って言い方は微妙だったね。

 何ていうか、たまたま海に行っても良いかなって気分だったんだよ。

 で、来てみたら、サキさんのおかげでめちゃくちゃ楽しくて」



 本当に楽しかった。

 この僕が、海でこんなに楽しい時間を過ごせるなんて思わなかった。

 こんな風に充実した時間を積み重ねれば、いつか失恋の傷も癒えていくのだろうかと想像できるほど。


 抱き締めた生々しい感触、それから彼女の新しい魅力を知ったのももちろんあるけど。

 何より、僕が楽しく過ごせるように心を砕いてくれたサキさんの優しさと配慮と、しごできっぷりのおかげだ。

 


「やっぱりサキさんはすごいなって、尊敬する気持ちが強くなって、僕もしてもらったことを返せるようになりたいって、そう思った」



 サキさんは、ちょっとだけ寂しそうな顔をして「尊敬、なんだ」と言った。



「尊敬だけじゃなく、人として女性として魅力的だし、友達として大切だよ。

 サキさんのレベルに比べて、今は僕が未熟すぎて……ああ、いや」



 違う。この言い方じゃダメだ。

 自分を下げているようで、ズルく逃げている。


 本当にほしいのは、諦めなきゃいけない恋心を弔う時間だから。



「いろいろあったんだ。気持ちの処理がつくまで、まだ時間がかかりそう。

 今の気持ちのままで誰かと付き合ったら、それはその相手にとても失礼なことだと思ってる。

 ……だから、今は」



 我ながら、ひどい言葉だ。この言葉でサキさんは僕に愛想をつかすだろうか。

 見切りをつけて他の男に向かっても、もしよかったら友達でい続けてほしい。

 けど、そこまで望むのは強欲だろうか。



「そんな感じかな、って思ってた。だから告白のタイミングずっと見計らってたんだけど」


「!?」


「ああでも今日は、水着の威力と海っていう非日常感で落とせるかなぁ、っていう期待はしてた。それは残念かな。でも」



 スルッ、と、サキさんは僕の手に自分の手を重ねた。

 しっとりと柔らかい、女の子の手の感触と体温……。鼓動が速くなる。



「私は待つよ。いつまでもじゃないけど、そう遠くないって信じてる。

 友達として私と一緒にいて楽しいなら、何回でも二人で遊びに行こう?」


「あ……その……」


「ちょ……橋元サキ! 何やってっ」



 明王寺さんがサキさんの手を剥がすけど、サキさんはまったく動じない。



「ね? 神宮寺くん」


「……うん……行こう」



 僕がうなずくと「じゃ、じゃあ! ボクだってまだ待つ。神宮寺クンと、友達になる!」と明王寺さんが食い下がった。



「明王寺さん、今までの自分の行動振り返ってから言ってくれない?」


「友達になる……なってくれないなら京都府警に手を回して海水浴場今すぐ閉鎖してやる……」


「まず友達の意味、辞書で調べよっか?」



 しばらくごねて邪魔するように居座った明王寺さんだったけど、友達になることを交換条件にどうにか引き下がってくれて。

 僕とサキさんは予定どおりの時間まで海でたっぷり遊んだあと、ごはんも食べて、サキさんの運転する車で帰りながら次の約束をして解散したのだった。


◇◇◇

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