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第29話 「今夜はずっと私と一緒にいよう?」

◇◇◇




「えっと、ごめん、うちにあるのインスタントコーヒーだけなんだけど、いい?」


「うん、全然おかまいなく!ありがと!」



 なんでどうしてこうなった。

 橋元サキさんと僕は、一緒に、僕の部屋にいた。



 ―――この辺に住んでるんだよねぇ。

   家見たいな、ついていってもいい?


 ―――あ、ここなんだぁ。

   私も物件調べてて、ここ、ちょっと迷ったよ。


 ―――そっか、大学生協で部屋を紹介してもらったの。


 ―――お邪魔しまーす。



 流れるような橋元さんの誘導に転がされるように、僕は彼女を流れるように部屋に入れていた。



 二口コンロの片方で、お湯を沸かしながら、僕は、部屋のようすを、改めて見回す。



(ん、え、待て、いま他人を家にいれて大丈夫な状態か?

 掃除したの先週じゃなかったか?

 たまたまマンションが比較的あたらしくて綺麗だから、あと、そんなに僕の荷物がまだないから一見マシに見えはするけど、いや、本とか床に積んでるし!?)



 いまさら後悔しても仕方のないことを後悔しつつ。



「どうしたの?」


「あ、いや…………………なにもおかまいできないなと思って」



 黙っていた時間が少し長いのは、待たせた、からだ。

 考える時間を長くとって、待たせたぶん、すらすらとあたりさわりのない言葉を答えることができた。


 一応、鈴鹿くんの教訓を活用できています。



「いやいや。ぜんぜん気にしないで?

 結局ご飯まであそこで食べちゃったし」


「時間、もう結構遅いよ、大丈夫?」


「それも気にしないで。大きい通りまで一緒に出てもらえれば、あとは全然平気だから」


「え、えと、じゃあ……僕が家まで送る?」


「んー。それでもいいけど」



 それでもいい、とは何だろう。

 わいたお湯でインスタントコーヒーをひとつつくり、それを橋元さんの前に置く。



「ありがと……って、ひとつだけ?

 神宮寺くんのぶんは?」


「え、だって、マグカップひとつしかないから」



 何せ、ついこの間まで、人生にただひとりの友達もいなかった男ですから。来客がある前提の準備はなにもない。


 あ、でも友達、できたんだった。一応。

 鈴鹿くんのうちにも僕、あそびに行ったんだった。

 今後のためにマグカップ来客用ひとつ買っとこうかなぁ。


(いやいや、鈴鹿くんが僕の友達になったのも、それこそ気の迷いかもしれないし、実際に部屋に遊びに来る予定ができたときになにか……)


 と僕がもにゃもにゃ考えている間に、橋元さんはインスタントコーヒーをくいくい飲んだ。

 僕は受験勉強中にインスタントコーヒーをすごい量のんでたけど、もしかしたら橋元さんも同じかも。

 そんなことを思っていたら、「はい」と、橋元さんに、飲みかけのマグカップを差し出され、硬直した。



「え、あの……? 橋元さん……?」



 マグカップのふちには、橋元さんが口をつけたときのリップグロス?がうっすら残っている。



「だって、マグカップひとつしかないから」



 僕の表情を見て、橋元さんはティッシュを一枚とると、マグカップのふちを拭った。



「私だけ飲んでるのもアレかなって」


「……………………………」



 リップグロスはおちた。

 でも、橋元さんが飲みかけたものだ。

 ほとんど間接キスみたいなものじゃないのコレ。



「……………………………」



 橋元さんの視点に耐えられなくて、ぐいっ、と、僕は飲んだ。

 飲み慣れたはずのコーヒーがやけにドロッと濃く感じて、橋元さんの一部がその中にとけているような、それが僕の中に落ちて体の隅々に入っていくような、変態な感覚が襲う。


「美味しい?」


 いや、僕が淹れたものですけど?


 という僕の返事を待たず、橋元さんは僕がテーブルに置いたマグカップを手に取り、今度は拭いもせず、ふちに形のいい唇をつけた。



(……………!???!?!?)



 こく、こく、と、コーヒーを飲むかわいい音が、妙に僕の下腹に響いた。

 細いあご。男ほど喉仏の出ていない、白い喉。頸動脈のあたり。鎖骨。カットソーの上からわずかにのぞく胸肌。



 マグカップを、コト、と僕の方に置く。

 また僕が飲めと言うことか。

 カップのふちに、今度は、橋元さんの唇のあとが、残って、つやつやしてる。



 ああもう、…………困る。

 こんなときに、どうして急に相手を、相手の身体を意識しはじめてしまうのか。

 耳の形まで綺麗だとか。腕時計が飾る細い手首とか。

 ………存在が目にはいると無視できなくなる、ふわっとした生地ごしに浮く、かたちのいい胸とか。ジーンズ越しのきれいな足とか。



 いや、待て。おさらいしよう?

 僕は、サークルにしばらく来ていない橋元さんが心配だから声をかけたはずだ。それで会って、話した。恋愛感情とか、そういうのじゃない。

 橋元さんだって、そういうのじゃない……よね?


 僕は、マグカップを手に取り、しかし橋元さんの飲んだ側に口をつけることはできず、湯飲みのようにマグカップを抱えて反対側に口をつけた。

 こく、こく、とおとなしく飲む。



「……そういえば、神宮寺くん。

 明王寺さんとキスしたってほんと?」



 気管にコーヒーが入り、ゲホゲホと、僕は咳をする。



「な、なんで……なんで? なんでそれをいま!?


「んー。さぁ、なんででしょう?」


 僕の口の端に、コーヒーがこぼれる。

 やっとの思いでマグカップをテーブルにおくと、ティッシュで僕の口を吹く。恥ずかしい。

 いや、近い近い近い!!!



「あ、あの? 橋元さん?」


「神宮寺くん、あのね」


 すすっ、と、橋元さんは僕に膝を寄せる。



「今夜はずっと私と一緒にいよう?」




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