第20話 童貞は男のズルさを手に入れた。
「………まぁ、そんなに知りたいわけじゃ」
「そうなの?」
明王寺さんは、ふいに、にじりよってくる。
大きな胸が揺れて、僕は思わず後ずさった。
さんざん僕の体のいろんなところに押しつけられたせいで、僕の体のあちこちは、そろそろだいぶ明王寺さんの胸の形を細部まで覚え始めていた。
下手すると、1限めの講義を受けるにはとてもマズイ状態になってしまうかもしれない。
「………そんなに警戒しないでよ神宮寺クン。
最近元気なくて、心配になって来てみただけなんだから」
心配してくれたのはありがたいです。でも、一体なんで僕のとってる講義知ってるんでしょうか……?
キャラがこんななのでときどき忘れそうになるが、明王寺まほろさんという人は、とてもきれいな人だ。
160センチぐらいの身長と、お人形さんのような細くて長い手足、つやつやでさらさらな長い黒髪、磁器のような白い肌、ぱっちりと張った大きな目は、瞳がくろぐろと光る。
少し前の僕なら、こんなにきれいな人には恋をしてはいけないと自戒しながら、ちょっと押されたら、コロッと好きになってしまっていただろう。
「――――で、元気がない元凶は、カレなのかな?」
明王寺さんは、すでに女子の団子ができている一番前の席周辺を指差した。
指差しているということは、あの中心が鈴鹿くんであることを、明王寺さんはもう知っているのか。
「いや。
鈴鹿くんはなにも悪くないよ。ただ……」
「ちやほやしてくれていた女の子たちが、新しいイケメンがきたらみーんなそっちに行っちゃった。
やきもちをやいてしまうけど、相手は何も悪くないから、誰にも言えなくて悶々としている。
だから今日も、彼とこんなに離れて座っている」
(…………………)
僕にとどめを刺そうとしているのか?
この子は。
「恋とは罪深いものだよねぇ。
人をモノのように、手に入れたくなり、壊したくなり、自分の命さえどうでもよくなる。一方で、消えるときは身勝手なまでに一瞬。
そして………」
僕の頬に、明王寺さんが触れる。
「された側にも傷跡を残す」
彼女の指先は、つつつ、と僕の顔をはって、頸動脈のあたりを通過し、鎖骨をくすぐり、すうっ、と僕の胸までおりてきた。
心臓の真上、鼓動を聴くように、指先が僕の胸を押さえる。
「ほら、せつなくなってる?」
「…………なにも、べつに」
指が離れると、その手が、僕の心臓を握りこむように、僕の薄い胸筋に触った。
「いま、キミのここがぽっかり空いてるなら、ボクが埋めてあげたいな」
華奢でとってもきれいな手なのに。
その手が、僕の服ごしに、ねっとりと女の子の胸を触るような、妙にやらしい触りかたをする。
背中はぞわぞわとして、でも下半身は血が巡り出す。ひとつのからだに何人も自分がいるようだ。
「……あのさ、ここ、教室なんですけど……」
「あは、ごめん気になるよね神宮寺クンは」
明王寺さんは、ぱっ、と、僕の胸から手を離す。
もう教室には人がだいぶ入ってきてる。
たぶん周りには、場所をわきまえないカップルだとでも思われてる。
「嫌われるのはイヤだから、しつこいのはやめるって決めたの、ボク。えらいでしょ」
「…………」自覚してると思うけど、全然やめられてないですよ?
「だけどあるでしょ?
鈴鹿尋斗氏のことだけじゃない。
人に言えない、黒い感情。
ねぇ、尻軽女ばっかりなサークルになんて行かないで。今夜はうちにおいでよ。
ボクが受け止めてあげるから、全部」
「――――明王寺さんは…………」
言葉に迷いながら、僕は続けた。「僕なの?」
「最初から、キミ以外に目もくれてないよ?
神宮寺クンだけ」
甘い言葉だ。
いまの僕にとって、これ以上ない甘い言葉だ。
毒だとしても、飲み干したいぐらいに。
いやいやいやいや!
鈴鹿くんはまだ正式に入部したわけじゃない。
それに、この間の感じからすると、女の子集めに使われるのは絶対嫌がりそうだ。
だったら僕はまだ、お役御免ではないのでは?
けれど。鈴鹿くんがいなくなったからと言って、みんな鈴鹿くんが来る前に戻るだろうか?
単純に、僕なんかのことはべつに要らなかったな、と、みんなが気づいただけなんじゃないだろうか? 一時の、気の迷いに。
「ねぇ、おいでよ?
最近出たゲームは全部そろってるよ?」
「……………」
口を開くとOKしてしまいそうで。
OKしたら、何かの扉を開いてしまいそうで。
永遠のように思えた数秒が経過したとき。
机の上で、僕の携帯が震えた。
――――水上先輩からのメッセージだった。
『今日はちょっと遅れるけど、行くから!
ここ最近サークル行けてなくてごめんね』
通知で、その文字列が携帯の画面に浮かび、消えていく。
それを、明王寺さんも横から見ていたらしい。
きれいな顔から、笑みが消えている。
水上さんに会いたい。
唐突に、強く思う。
好きなのかなんなのかよくわからないけど、僕は、水上さんに会いたい。
「サークルは行くよ」
僕は迷いながら、そう答えた。
明王寺さんがもう一度誘える余地を言葉に残していたのは、僕のズルさだった。
◇◇◇




