枠ある世界
花は 一つとして同じものはない
果実も野菜も みな違う
みかんの 袋の中の
つぶつぶ一つだって
甘いのスイの、味なしのが
あるのだよ 私は遊びで
一粒づつ食べ比べしたのよ
ちょっとおかしな事が気になるの
空は ひとときとして同じ色ではない
雲は 常に色も形も変えている
地上は静かなときでも
空は風が吹いていて
雲が形を変えていく
それを眺めて道歩き
溝にはまることも多いの
空から落ちてくる 雨粒
空から降ってくる 雪
それを手のひらに載せたくて
子供みたいに 遊んでる
変な大人が世の中にいるのだよ
動物達は コロニーを作るが
それでもそこには自由がある
此の世は百花繚乱が溢れているというのに
枠を作りたがる?
何処かに 囲われていなくてはならない?
同じ方向を向かなくては いけないのか?
同じ視点を持たなくてはいけないのか?
自分の中に 多くの自分がいたらおかしい?
創作する自分
世の中を高みから眺める自分
本の世界を読む 絵を眺める
情報を得る 調べる
リアルの外側の自分が
それを隠しているけれど
沢山あるのはいけないのだろうか
世の中の こうで無ければならない
それとは違ってたらおかしい?
好きな事を楽しみたい
世界を読んで作って書(描)くことは
素敵な事だから
しかしそれは
全て自身が独りで行う事
その透明な世界に
色を与えるのは 私自身
自分が思い、心に残る
それを形にして行く
読むことは他者の世界を覗くこと
違う いけない おかしい
否定 拒否 排除に嫌悪
は、深く思わない
ただ、他人を
文字にて
あらかさまに
攻撃していない限りだが
それを読むと
文字が悲しく見える
言霊がある
生み出された文字も
命があると思う
だから人の手により
生み出される
物語はとても面白い
なので悲しい文字は
切なく辛い
いい世界に生まれ代わっておいでと
そんな事を考える
枠が無いほうが楽しい
世界が広がるから
否定 拒否 嫌悪
それもいらない
読む世界が狭くなるから
狭くなると
作る世界が少なくなる
それは私にとって
とても困った事になる
生きてく楽しみが
ゴソーと減るから
何かで読んだ
リアルな飢えはそれはもう堪えるけれど
タマシイの飢えは相当なダメージだと
なので実生活では
氏名による枠に入っといて
あれこれ創ってる時は
自由でいよう。