聖女伝説の始まり
俺が剣を握り勢いよく引き抜くと、次の瞬間、台座から真っ白な空間へと場所が変わった。
「なんだ。ここは一体……? クリスは!? クリスはどうなって……」
『ようこそ、今代の勇者。私は君をずっと待っていた。この奈落の底で君が来るのを』
頭の中に涼やかな男の声が響いてくる……。もうわけがわからない状況だ。
「誰だ! 誰なんだ? 俺をずっと呼んでいたのもあんたなんだろ!?」
『そうだ、今代の勇者よ。私の名はシェフス。初代勇者と呼ばれていた者だ』
「初代勇者シェフス!? 何百年も前の話だろそれって。死んだんじゃなかったのか?」
『そうだ、私は死に。今では聖剣の中に意思だけが残っている。次の継承者を待っていたのだ』
初代勇者、聖剣の意志だと。そして、今代の勇者が俺?そんなはずはない、だって。
「今代の勇者はハヤトではないのか……?」
『あやつはこの世界の勇者ではない。異世界から召喚されし、別世界の勇者だ』
「ハヤトは異世界人……?」
『そうだ、そしてあやつには邪悪な欲望が混じっている。一応勇者ではあるが、この世界を託せるような存在ではないと私は判断した』
「それで俺を呼んだというのか……? 俺が勇者だと?」
『お前こそ、正真正銘、この世界の勇者だ。私を抜けたのがその証拠だ』
頭の中は混乱しっぱなしだ、俺はスキル無しでただのお荷物で……ゴミだったはずじゃないのか。いや、今はそんな事どうでもいい。俺にとって大事なのは。そう、たったひとつだ。
「色々思う所はあるが、そんな些細な事はどうでも良い! 俺が勇者だというなら力をくれるんだろ!」
『もちろんだ、お前が私を継承すれば、勇者スキルと今まで私を握って来た全ての勇者の力がお前の物になる。英雄たちの願いを込めた力だ』
「それがあれば、さっきの火竜に勝てるんだな!? クリスを……聖女を救えるんだろ!!」
『ああ、あの程度の低級竜など造作もなく屠れることだろう。そんなことより私はお前に問わなければならないのだ……それは』
火竜を倒せると剣は言った。助けれる……俺がクリスを救える。クリスを助けられる、クリスとまた話せる……! 話せる! 笑いあったり、膝枕して貰ったりするんだ、もう一度クリスと。
こんな、俺を信じてくれた彼女を、愛する人を、俺の全てを、命より大事な人、俺の世界を。
ああ……、クリス クリス クリス クリス クリス クリス クリス! いま行くよ、いま、いますぐ助けに行く! 怪我をしてないだろうか……心配だ、さっさとこんな場所出て戻らないと。
「はやく はやく力を クリスを救える力を俺にくれ! ください! お願いします! 救いたいんです! 俺の命より大事な人なんです! 救わないといけないんです! お願いします! なんでもします!」
『待てと言っている……お前に問いたいのだ。お前は世界を救う意思があるのかそ――』
「ある! あるぞ! 世界を救うって言ってるんだ……世界が滅びるかもしれないんだぞ! こうしてる間にも! だったら救わないと! 世界を! 世界を救うために力を貸してくれよ! 俺の世界なんだ! 救いたい救いたい救いたい!」
『わ、わかった。世界を救うというのなら力を貸さない理由もないな……それではアレフ、いや、今からお前は今代の聖勇者アレフだ。私と共に、魔王を倒し世界の救済者となろう!』
「なる! なるから早く戻らないとっ! 世界が滅びちまう……許されない、そんなこと絶対に!」
『あ、ああ……? 流石にそんな早く世界はどうこうならんと思うが……わかった。お前の世界への執着は確かに伝わった。では行こうか、聖勇者アレフよ、我らの力と共に』
力が流れ込んでくる。凄まじい力が。だけど、感動は何もない。急がないと、世界が死んでしまってはこんな力など何の意味もない。救わなければ俺も救われない。
光が溢れる……そして場所が変わり、目の前には剣が刺さっていた台座が目に映る。
戻って来たんだ! 間に合ったよ俺は!! 助けられるんだ! 俺は急いで竜のいる方向を見る。
――クリスのお腹を竜の巨大な爪が抉っていた。いや、最早、貫いていた。
巨大な、爪が、腹部を貫通して、大量に出血している。どう見ても、致命傷だった。
悲鳴も、言葉すら何も出ない。ああ、間に合ってなかった、馬鹿だ俺は。遅すぎた。何処までも役立たずの糞野郎になってしまった。
竜は貫いたクリスを、まるで塵のように床に放り投げると、俺の方に向かってきた。爪を俺に振るってくる。感情の抜けた俺は持っていた聖剣を力なく振う。
竜の右手が地面に落ちた。もう一度斬ると左手も落ちた。竜は斬られたことにしばらく気づいてなかった。そして、横に薙いだだけで竜の首が地面に落ちた。
こんな簡単に、あの恐れていた火竜がバターのように斬れる。圧倒的な力を得て俺が思ったことは、間に合わなかったことに対する後悔だけだった……。確かに凄い力だ、何でも出来る。だけど、それが何だというのだろう。
俺の全てはもう、失われたのだから。こんな力に意味などない。護れなかった、どこまでも愚かな愚図、それだけだ。
だからせめて、クリスの亡骸は丁重に扱わないといけない。これ以上は傷つけさせないからね…。
クリスの元に向かう、傷は酷い有様だ。どれほど痛かったのだろう……ごめん、本当にごめんな。何も出来なくてごめんなさい。俺だけ生きててごめんなさい。君を埋葬したらすぐに向かうから。
クリスをそっと抱き上げる。お姫様抱っこという奴だ。生きてる間に、やってあげたかったなぁ……。
身体中が傷だらけだったにもかかわらず、可愛い彼女の顔だけは何故か無傷で。死人に対してこんなことをするのは冒涜だと分かっていたが、俺はクリスの唇に自分の唇を押し当てた。
愛してるという思いを伝えたくて。もう遅いけど……彼女はもう、遠い所に行ってしまったけど、それでも俺は。
――その時だった。
「う……げぇ……ぐっ……ごほっ……げほっげほ」
もう、しないはずの声がした。
「クリス……? クリス!?」
「げほっ……あっ……アレフ、さん、やっぱり、助けに、来て、くれたんですね……」
息も絶え絶えで弱弱しい口調ではあったが、クリスはそう言って俺に微笑む。生きて、微笑んでくれた。今の俺は、止まらない涙と鼻水で多分、顔はとても酷い事になってるだろう。
この日、俺は初めて神に感謝をした。
***
うぎゃあああ!
げえええ……ぺっぺ!
俺様の、俺様の、俺様のファーストキスが!……うええ。
台座に居たアレフの姿が急に消えたから、しばらく噛ませ竜と無敵モードで遊んでたはずが、急にアレフが出現してきて、これは覚醒したな!と確信した俺様は、アレフが振り向くタイミングで計画通りに腹を貫かれた。
もちろん、急所は外してある。安心安全の匠の技だ。
まあ、見た目の酷さを重視したために、死んだように見えたことだろう。目論見通り、アレフは噛ませ竜を瞬殺して俺様の亡骸を見て悲しんだ。
後はアレフが神に祈るようなタイミングを見て、俺様が息を吹き返せば奇跡の聖女生還が完成したんだよ! ちくしょう! まだ唇に感触が……。
いや、厳密には現状でも成功はしたんだが、まさか死体の唇にキスしてくるなんて俺様にも予想が付かなかった……。思わず、素で声を上げてしまい、そのまま演技する羽目になってしまったじゃねぇか。
ああ、聖女伝説の厚みは増したが。何か、大事なものを失ってしまった感が半端じゃねぇ! くそっ! 俺様の唇は安くねぇからな……。アレフにはこれから俺様の伝説の為に容赦なく働いてもらう事にするわ。
それと、後でアレフから聞いた話だが、どうやらアレフがこの世界の真の勇者らしい。まっ、そんなこったろーと予想してたがな。
スキル無しで荷物持ちとか大抵そんなもんだろ?
色々と苦労はしたが、ここから真の勇者と慈悲深く全世紀で一番美しき聖女の救世の旅が始まるんだ。今までは伝説への下準備期間だったが、こっから俺様の伝説作りは本格化するんだぜ。
俺様はようやくのぼりはじめたばかりだからな!
このはてしなく遠い聖女坂を!
未完!エピローグで一章は終わり。