始まりは半年後から
プロローグ
――なぜこんなことになったんだろうか。
「ハヤトが来るのを待ってんだから、アンタは早く荷物持って外に行きなさいよ、この愚図」
「ハヤト様に接する貴重な時間を使わせるなんて……こんな汚物が兄でホント恥ずかしいです」
「はぁ、もう土下座して謝った方が良いんじゃないですかぁ? お荷物君♪」
将来の約束までした最愛の人アリア、実の妹であるはずのリリィ、2歳年上でいつも穏やかな笑顔で俺と話してくれた、姉とも呼べる女性のフィーネさん。
かつては、俺を慕ってくれていた3人の幼馴染達が、今では蔑むような眼で俺を糾弾する。
ほんの半年前には、俺に満面の笑みを浮かべていたはずなのに、今では憎しみすら感じる眼が向けられる。
勇者ハヤト――すべては、あの男に関わってから何かがおかしくなった。
「…………」
ふと、3人から少しばかり離れているところに、もう1人少女がいることに気づく。その一人も、幼馴染ではあるのだが、特に何か俺に言ってくることはない。
アリアの妹であり、聖女の天啓を受けたクリスティーナ。
半年前までは、俺もクリスの愛称で呼んでいた少女だ。
元々村にいた頃も、3人ほど積極的に会話した覚えもないが、ここ半年では一言も会話していない。
まあ、3人と同じように今じゃ俺のことを嫌っている可能性が高いだろう。
「みんな、そうアレフ君を責めるものではないだろ? 同じ仲間じゃないか」
奥から爽やかな声と共に、一応形だけは俺を庇ったような言い方をした男が出て来た。黒髪黒目で、顔立ちは整ってイケメンとも言える少年……。
勇者ハヤトその人だ。憎たらしいほどの笑顔を広げれば、3人の幼馴染はバッとハヤトに群がっていく。
「ハヤトは優しすぎよ……こんなゴミにまで情けを掛けるなんて。でも、そんな所も大好き♡」
そう言って、俺の婚約者だったアリアが、ハヤトと濃厚なキスを交わす。
朝から真面目に勘弁して欲しい……昨日の夜だってお前らはずっと……っ!
勇者は既に、妹のリリィやフィーネさんとも夜を共にしている。
何故わかるかって? 俺の隣が勇者様の部屋で、毎晩ギシギシうるせぇからだよ。
隣の部屋からアリアの嬌声を聞いた時の事は、今でも鮮明に思い出せるほどだ。
その時は、嫉妬、憎悪、悲しみ、絶望の滅茶苦茶な気持ちと、猛烈な焦燥感に駆られ我慢できなくなって隣の部屋に怒鳴り込んだ。
その結果、「僕たちは相思相愛なんだから邪魔をしないでくれ!」と勇者から怒鳴られた。
挙句に次の日、俺は路地裏へ連れていかれ、アリア達3人から杖や剣の柄で滅多打ちにされ、気絶させられた。
気が付いたときには、腕が折れてたりと、下手すれば死んでいただろう大けがをしたのだ。
かなりの大けがだったのだが、更に次の日になると、何故か折れていた腕が治ってたりした。その時の俺は色々な事がありすぎてその事を気にすることが出来なかったが、今になって思うとアレは何だったのかと思う。
アリアの妹であるクリスも、おそらく3人と同じく既に勇者と宜しくしているんだろうが、今のところ彼女の嬌声などは聞いたことはない。
逆に言えば、他の3人の生生しい声は既に聞いたのだが……。
まあ、最愛のアリアが寝取られた時から、心が壊れたのかショックが大きすぎたのか、既に大して関心はなくなった。
毎日が荷物持ちで、旅の道中は憂さ晴らしで、アリア達から蹴られたり顔に殴打などけして軽くない暴行やら暴言を受け続け、精神も肉体も既にボロボロだ……。
俺が何をした? 俺は奴らにとっては何でもしていい奴隷なんだろうか?
全員の荷物を背負って、先に宿から出て外で他の奴らが来るまで待つ。
これを俺は、毎回強要されている。
今日も、俺の暗い一日が始まる。
***
フラフラとした足取りでアレフが荷物を背負い宿を出て行く。
他人の不幸は蜜の味ではあるのだが、ああも悲惨だと、アレフに対して好感度が上がってしまうじゃねぇか。まあ、それは兎も角として。
さてさて、今日の勇者と愉快な馬鹿共の調子は……。
「あ~ん! ハヤトともっとキスしたいのに~」
「アリアさんダメです! 次はわたしの番です」
「あら、こういうのは年上に譲るものじゃなくて? ハヤトさまも私の方が好みですよねぇ」
「喧嘩しないでくれ、僕は君たち全員を愛してるんだからさ」
きゃあああ~ハヤト様素敵~~! と今日も絶好調の馬鹿っぷりである。
半年前までは、ただの幼馴染連中だったのだが勇者のアレの所為で、もはや常時発情を押さえられない位にやばい奴らになってしまった。
「…………(あいつらを見てると俺様の美しさが一層際立つな!)」
俺様の容姿はな、流れる金糸のような美しいこの髪を腰まで伸ばし、女神も裸足で逃げるような……いや! それ以上に、整った顔をした碧眼の美少女なんだわ。
聖女のスキルを持つ俺様は、今日も美しい自分の姿に満足し、さっさと支度して馬鹿共がいる宿屋から外に出ようとした。
しかし勇者がそれを横目でチラッと見て即座に俺様の元に来る。なんだこいつ。
「クリスティーナは相変わらず真面目だね? 魔王討伐を背負ってるんだから、頑張り屋なのは良い事だけどたまには誰かに甘えても良いんだよ?」
「……ありがとうございます勇者様、その言葉だけで私は十分報われております(話しかけんなゴミ)」
心の内を表情に微塵も出すことなく、俺様は勇者に心から許したような笑顔で微笑む。それを見て、ハヤトもニコリと俺様に笑顔を向ける。
―――ギィィィン――――
その瞬間、頭の中で鈍い音が響いた。
(ま~たスキル使いやがったなこの糞野郎)
鈍い音は3秒ほど続きそして消える、勇者のスキル――魅惑の眼が発動したみてぇだ。このスキルに掛かると、こいつの事が嫌いな相手だろうが、好きな想い人がいようが関係ねぇ。
勇者の事を愛しくて仕方なくなるようになり、逆にそれまでの想い人は、段々と目に映るだけで嫌悪するほど嫌いになっていくという、悪魔のようなスキルだ。
しかも、このスキルって累積系だからさ、掛ければ掛けるほど効果が高まり段々と解きにくくなっていくという……。
精神系魔法じゃなくて精神系に作用する特性っぽいから、魔法によるガードも不可能な最悪の仕様だな。賢者のフィーネも防げなかったみてぇだし。
人族のみならず、エルフとかにも効果があるっぽいから、女性では、こいつの眼を見てスキルを発動されただけでアウトという相性の悪さだ。半年前までアレフ君の事が大好きだった、幼馴染3人の豹変もこれによるものなんだわ。
実際、こいつらの処女の大安売りは、凄かったぜ……。
しかも、宿屋でだぜ? 俺様の所まで、響くくらい喘いでやんの。
(まあ、俺様にはいくら使っても無駄なんだが一応、効いてるポーズはしとかないとな)
そう思うと、俺様は突然頭を抱え出し「あっ……うぅっ……」と苦しみポーズを取る。勇者は、心配そうな顔をし「大丈夫かい! いきなりどうして……」等とそちらも心配ポーズを取り出す。が、心配そうな顔をしつつも口元がにやけている為、バレバレな演技に俺様は心の中で苦笑する。
「なんだか……突然頭の中がポワンとして……勇者様の存在が大きくなっていくような……(ことをリリィのクソガキが言ってたからとりあえず真似しとこ)」
「僕の存在が大きく? なんだろう……何かを精霊神様が伝えようとしてるのかもしれないね」
したり顔で呟くハヤトの顔は、ニヤニヤしすぎてヤバい位に気持ちわりぃ。
精霊神様は寝取りを所望してんのかよ馬鹿野郎! と高速で脳内突っ込みしつつ俺様は曖昧に頷く。
魅惑の眼は、女性の精神に作用し、その心を勇者を愛するように作り替えてしまうというのが、最近の俺様が出した答えだ。
それは俺様自身の境遇に当て嵌めて、魅惑を無効化にした原因を探った結果だ。
俺様の魂、精神は男性……つまり特殊な転生者だ。
前世の俺様の事は思い出せねぇが男であり、そして俺様がこの世でもっとも美しい男だったのだけは覚えていた。間違いなくな。
転生時は女性であることにクソガッカリしたが、6歳ごろに姿見で転生した俺様を見た時に確信した! 金髪碧眼の美少女がそこにいたのだ。
やったぜ。
その時は、まだ美幼女だったが……。
そう、俺様は女になってもこの世で最も美しい者だった!!
…………思い込みじゃなくてガチでだぞッ!!!
(俺様の最終形態は、ずばり! この世でもっとも美しく清廉潔白な聖女として2千年後の世界まで伝えられる、超女神存在になることだな)
超女神存在になるために、必要な事はまだ分かんねぇ。
ともかく、こんな素晴らしい事を6歳の時点で考えていた俺様は傍目で見ても、誰かの悪口はおろか我儘すら言ったことがない。全世界で一番、良い子として育ったわけよ。
そう言う話を、あの馬鹿は情事後のアリアから聞いてたみてぇでな、そんな俺様だからこそ魅了が効いていても、アレフ君の悪口も何も言わないのだな!って勝手に勘違いしてるんだわ。
「……それより勇者様、外でアレフさんも待ってると思いますのでそろそろ出発致しませんか?(いつまで見つめてんだよこのタコ)」
「ああ、そうだね。クリスがあんまり奇麗なのでつい見惚れてしまっていたよ! さあ、みんな行こうか?」
「はい! ハヤト様!」
「いつでもいいですわハヤト様」
「そうね! 行きましょハヤト!」
相変わらず怖い位に、同時に叫ぶ傀儡共がうるさすぎる。
しかし、こいつらもこんな馬鹿とはいえ、英雄の一人……後々の事を考えると優しくしておかないと完璧な聖女伝説に亀裂が走りかねない。
(とりあえず、そろそろ精神状態もいい具合にボロボロになって来てるアレフを、全宇宙で一番美しい俺様が癒してやる場面も近いな)
今まで数々の展開を予想してきた俺様によれば、アレフの奴には何かがある。
なんとなく、もう想像は付いているんだが、確信とまでは行かねぇからあえて言わないが。アレフをこれから孤独から救ってやる事こそ、聖女伝説を成し遂げる最短の道となるだろう予感があるんだわ。
これは、全てを寝取られた男を救済する高潔で素晴らしく宇宙で一番美しく心優しき聖女の物語だ!
さあ、俺様を崇めろッ!
俺は誰よりも強く、そして美しい!