第088話:石原由紀恵の戦い
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【二〇二一年一月上旬 ダンジョン省】
二〇二〇年の日本経済は、名目・実質ともにプラス成長となる見込みだ。ダンジョン群発現象で世界が混乱する中、いち早くダンジョンの討伐を成し遂げ、そして討伐し続けている。日本に資産を避難させる富裕層も増加しており、消費も増加傾向だ。浦部内閣は「国が滅びれば財政均衡もなにもない」という勢いで国債を発行し、ダンジョン対策と国防増強に努めている。
大幅な金融緩和によって通貨安になるはずなのに、日本円が買われているため一二〇円/ドルより安くなることが無い。二〇二三年には電気エネルギーは国内で賄えるようになるだろう。日経平均株価は三万円を超え、脱デフレの見通しも立ちつつある。
「その状況なのに……」
事務次官の石原由紀恵は、魔王ジョーカーが公開した動画を観てため息をついた。ダンジョン内に「異世界」「異文化」「異人類」が存在しているという動画だ。ジョーカーがこれを公開した理由はただ一つ。先進国をはじめとする人類社会に選択を迫るためだ。「人権」を取って滅亡するか。「侵略者」となるか。
「ダンジョンの討伐はすべてに優先される。侵略者? なんとでも言うがいい。俺たちは第八層に向かう」
異世界については江副和彦から報告を受けていた。その時は、討伐を終えてから公開すればいいと考え、情報を敢えて伏せた。だが程なくして、魔王ジョーカーによってブレージルにあるAランクダンジョンの様子が公開されてしまった。
「これでは、ダンジョン討伐は侵略と同じではありませんか。魔物ならば仕方がないでしょう。ですが異世界に生きる異人類となれば、戦うのではなく対話を求めるべきです!」
左派政党や人権保護団体などが、こうした寝言を言い始める。恐れていたことが現実となった。これこそが、ジョーカーの狙いなのだ。「人間を襲うことが役割」と言っている相手に、対話を求めるなど不可能である。滅ぼすしかない。だがリベラル系の議員たちは、いまこそ浦部内閣を責める好機と捉え、盛んに「侵略戦争を放棄した九条を護れ」だの「異世界人の人権を擁護しろ」だのほざいている。挙句は「江副和彦を殺人罪で逮捕しろ」という過激な意見まで飛び出す始末だ。相手は人間ではなく、遺体もないのだ。どうやって殺人罪に問うつもりなのか。
「不毛でくだらない議論によって、ダンジョンの討伐が遅れてしまうわ。魔物大氾濫まであと九年を切っている。時間が無いのに……」
秘書官が入室してきた。立ち上がり、記者会見へと向かった。
「現時点においては、ダンジョンを討伐し管理下に置くという政府の方針は変わっていません。ダンジョン省としては引き続き、日本国内すべてのダンジョンを討伐し、またIDAOの方針のもと、各国のダンジョン問題にも積極的に協力していきます」
石原は、定例記者会見においてダンジョン省の方針を伝え、それから質疑応答となった。案の定、左派系の新聞記者が「ダンジョン討伐は侵略ではないか」という質問というより主張の押し付けをしてきたが、予想通りの質問であり冷静に対応する。
「侵略とおっしゃいますが、先に侵略してきているのは“あちら側”なのです。日本の国土に出現した橋頭保を押さえることは、専守防衛の一環だと考えます」
「独自の言語を使っているとのことですが、対話による解決はできないのでしょうか?」
「“解決”とは具体的にどういう状況を指すのでしょう? 日本政府が求めるのはダンジョン・コアの所有権です。これは、そのダンジョンに棲む魔物にとっては生殺与奪の権利を握られることを意味します。普通に考えれば拒絶するでしょう。しかし一方で、私たち人類としてはダンジョン・コアの所有権を得なければ、いずれ魔物大氾濫が発生し、取り返しのつかないことになりかねません。文字通り、人類絶滅の可能性すらあるのです。これは私個人の見解ですが、話し合いの余地はないと思います」
「やってみなければ、解らないじゃないですか! たとえ異世界人とはいえ、言語を操り文化を持つ相手をそのように決めつけるのは、ヘイトだと思います。まずは交渉すべきではありませんか?」
江副和彦をはじめ、ダンジョン・バスターズは記者からの質問を殆ど受け付けない。特定の新聞記者は、質問という形をとった「主張」をしてくるからだ。だが国家公務員である石原は、質問の拒絶はできない。だから呆れながらも丁寧に応じる。
「ダンジョン産のアイテムには、一時的に異言語を操れるようになる道具が出現します。それを使えば相手の言っていることを理解することはできるでしょう」
まずは受け止めである。これには質問した記者すら驚いた。だが続く言葉は激烈を極めた。
「そこまでおっしゃるのなら、ダンジョン省が特別にアイテムを用意しましょう。貴方自身がダンジョンに入り、魔物と交渉してください。私の権限で交渉人としてダンジョン内への立ち入りを認めますが?」
記者の顔が赤黒くなる。「バカが。一遍、死んで来い」と聞こえたのかもしれない。
「そんなこと、できるわけがないじゃないですか!」
「でしたらっ!」
アラサーの美女が険しい表情を浮かべて睨みつける。
「せめて、命を賭けてダンジョンに挑み、戦い続けている人たちの足を引っ張らないでください」
江副和彦とはまた違うところで、石原由紀恵も戦っていた。
【江戸川区鹿骨町 Aランクダンジョン「深淵」】
一度地上に戻った俺たちは、再び第七層に入った。第六層までは、魔物が復活しているはずだ。だが第七層にいたホワイトオークは集落を形成し、言語を操っていた。もし異世界の存在であれば、復活していない可能性もある。だが実際には……
「ふむ。普通にいるな」
駆逐したはずの集落は元に戻っており、そこには当たり前のようにホワイトオークがいた。つまり彼らは異世界の存在ではなく、ダンジョンによって生み出されたということである。
「念のため、録画しておいてくれ。それと第八層を確認した後は、いったん六層に戻ろう。どうやらAランク魔物というのはあまり数が出ないようだ。第六層で全員がBランクになってから、八層を攻略しよう」
ゴブリンやオークと違って、Aランク魔物はそれほど頻出しないようだ。となればSランクへの道は果てしなく遠くなる。地道にBランクダンジョンを攻略し、Aランカーだけでチームを組んで戦ったほうが、ランクアップには有効なのかもしれない。
(かといって、少人数で攻略できるほどAランクダンジョンは甘くないだろう。こうした森があるということは、砂漠地帯や海洋地帯だってあるかもしれない。そして安全地帯がない。大人数だとランクアップが遠くなり、精鋭だと疲弊が大きくなる。やはり、ダンジョン・システムは凶悪だ)
情報を聞き出そうとしたが、前回と同様になにもわからない。ホワイトオークを駆逐し、第八層へと向かう。第八層は広い洞窟構造となっていた。空気が違う。所々に灯りがあり、まるで自分たちを招いているようにも見える。彰や劉師父の表情が険しい。俺の背中にも、嫌な汗が流れた。
「和彦様、現在の戦力では死者が出かねません。魔物の確認は後でも宜しいかと……」
朱音も危険を察知したのだろう。その進言を受け入れて、第六層に戻った。
「CランクからBランクになるには、相当な時間が必要だ。各チームが交代で、第六層で戦い続ける。まずは凛子のチームから始めよう」
ずっと戦わせるわけにはいかない。いかに「利他の志」があろうとも、人の精神はそこまで強くはない。俺自身、Bランクになったのは金沢ダンジョンで狂おしい程に戦い続けたからだ。だがその結果、入院することとなった。メンバーたちの精神状態にも、気を配る必要があるだろう。
「時間は掛かるが、地上での休みを挟みながらにするぞ。各リーダーは、自分自身も含めてメンタルに気を付けてくれ」
こうして、深淵第六層でのメンバー育成が始まった。
【港区北青山 ウォルフガング・ステーキクラブ・シグネチャー 石原由紀恵】
日本では近年、立食式ステーキレストランなど、ステーキを安く食べられる店が流行しているが、その一方で最高級のステーキが食べられる店も、密かな人気となっている。年収一千万円を超えるエリートビジネスマンや企業経営者などセレブリティを客層とするこの店では、ステーキ一皿が一万円を軽く超える。
「阿蘇牛のサーロインをミディアムレアで…… あ、五〇〇グラムで頼む」
ニューヨーク発の高級ステーキレストラン「ウォルフガング・ステーキクラブ」は、東京や大阪にも店があるが、この青山店はシグネチャーの名がついており、いわば日本におけるフラッグシップだ。料理もさることながら、店の内装や接客サービスも最高ランクであり、それだけ値段も高い。なにしろライスが一皿八〇〇円なのだ。目の前の男が頼んだステーキは、一人前で二万二〇〇〇円、五〇〇グラムなら一〇万円近いだろう。
「相変わらず、よく食べるわね。私はフィレのレアをお願いするわ。それとワインをもう一杯、同じものでいいわ」
カリフォルニア・ワインの最高峰、スクリーミング・ホーク カルベネ・ソーヴィニョンが注がれる。ソムリエ長が自らデキャンタージュした最高の一杯を飲みながら、目の前の男を観察する。
(アンゴラ一〇〇%のロングコート、フルオーダーのゼニヤのスリーピース、靴はベルロッティ。高級だけれど全部併せても一〇〇万程度、それなりに収入があれば買えるものだわ。もっと高いスーツも買えるはずなのに、あえてそうしているのね。でも、どうして時計だけ精巧舎のクォーツなのかしら?)
高級時計の多くは機械式である。電池式でも高いものはあるが、男が着けているのはクラシックなもので、そこまで高くないはずだ。せいぜい三〇万といったところか。
私の視線に気づいたのか、男が時計を示した。
「正直、機械式はあまり好かないんだ。高級な時計の多くは機械式だが、そもそも時計とは時間を知るための道具だ。正確性という点において、機械式はクォーツに絶対的に劣る。それにオーバーホールも面倒だ。機械式時計には浪漫だの資産価値だのを求めるそうだが、俺から言わせれば成金趣味だな。時計の本質から乖離している」
「貴方は実用性重視だものね」
個室で良かった。きっと他の客の大半は、機械式の高級時計をしているだろう。運ばれてきたステーキを食べながら、会話を続ける。
「鹿骨ダンジョンの攻略はどう? 順調?」
「順調…… とは言い難いな。現在、他のメンバーたちをBランクに引き上げるため、第六層で動いている。だが第八層の気配からすると、それでも危ないと思っている。できれば凛子、正義、寿人の三人をAランクまで上げたい。そのためにはBランクダンジョンを三ヶ所、攻略する必要がある」
「仙台ダンジョンは、佐藤蒼汰率いる旭日が入っているわ。攻略するとしたら国外ね。いまダンジョン省にバスターズ招聘の打診が来ているのは、ウリィ共和国、大亜共産国、フィリピノ国…… いえ、一番目は無いわね」
ウリィ共和国は、国際ダンジョン冒険者機構に未だに加盟していない。そればかりか半島北の大姜王国やベニスエラとも繋がりがある。観光目的ならまだしも、冒険者として行くわけにはいかない。
「フィリピノ国だろうな。大亜共産国はIDAOに加盟しているが、個人的にはまだ完全には信用しきれない部分がある。なにしろ、一党独裁だからな」
「フィリピノ国はこの数年でかなり変わってきているわ。トニオ・ドゥテール大統領は目的のためならば手段を選ばないような超極右。でもその目的は私利私欲ではなく、あくまでもフィリピノ国のためという点が救いね。特に、犯罪・汚職の撲滅と経済政策には眼を瞠るものがあるわ」
「国内の麻薬ディーラーに対して、二四時間以内に投降しろ。さもなくば問答無用で射殺するって演説したんだよな? 独善的独裁的な手法だが、確かにフィリピノ国は劇的に変わりつつある。凄いと思う反面、不安でもある」
「何が?」
「似ていると思わないか? ジョーカーに……」
会ったことがない人物である。私には肯定も否定もできなかった。




