第087話:ダンジョン内の異界
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【二〇二一年一月三日 ブレージル共和国】
リオ・デ・ジャネイロは、ブレージル共和国最大の観光都市であり、第二の経済都市である。日本では「リオのカーニバル」というイメージがあるが、それ以外にも様々な観光スポットがあり、コルコバードのキリスト像やコパカバーナ海岸などの文化的景観は、世界遺産にも登録されている。
「自分の国が負けたというのに、ブレージル人は楽天的だな」
ボタフォゴ地区のパストゥール通りを東へと進むと、広場を過ぎてこじんまりとした海岸が広がっている。観光客の多くはコパカバーナ・ビーチに向かうため、この海岸は地元の家族連れが訪れることが多い。
ピエロ姿の男は、砂浜で遊ぶ子供たちに眼を細めた。だがやるべきことはやらねばならない。現在、このビーチは立ち入り禁止なのだ。
「ボス。これがベルメーリャ海岸ですか?」
「あぁ。このビーチを封鎖するのは残念だが、ダンジョンが出ちまったら仕方ねぇよな?」
ジョーカー率いる魔王軍のメンバーたちが、子供や家族たちをビーチから追い出す。無論、暴力は振るわない。剣や斧を構えた強面の男たちに立ち去るように言われれば、大抵の人は頷くものである。
ブレージル共和国が魔王軍に降伏してから一ヶ月半が経過した。当初は、ブレージル国内で大規模デモなども発生したが、現在は落ち着きを取り戻しつつある。魔王という言葉のイメージから、圧政による暴行と略奪が行われるのではないかと不安を抱いていたブレージル国民であったが、思いのほか魔王軍が礼儀正しいという実態が知られるにつれ、その不安も消えていった。無論、ジョーカーの支配に抵抗する声も根強いが、そもそも言論・表現の自由が認められているという時点で、魔王軍の寛容さを示している。
「第二、第三部隊も各ダンジョンに到着しているはずです。そろそろ……」
「よし。スケルトン・ナイト四体に入り口を見張らせろ。ガキどもが興味本位で入っちまうかもしれねぇからな。食い物と装備を最終確認したら入るぞ」
魔王軍はCランカーを中心に部隊を分け、ブレージル国内のダンジョン討伐に乗り出していた。各部隊のリーダーは、ベニスエラの貧民街のときからジョーカーに従ってきた者たちで、ダンジョン討伐者の称号も持っている。これまではジョーカー自らが指揮してきたが、ブレージル国内に散らばる多数のダンジョンを手中に収めるために、部隊編成を行ったのである。
そしてジョーカー自身は、リオ・デ・ジャネイロ、ベルメーリャ海岸に出現したAランクダンジョン「苦悶」の討伐へと乗り出した。
【二〇二一年一月三日 江戸川区鹿骨町 江副和彦】
二〇二一年中にSランクに到達する。これが今年の俺の目標だ。そのためには「Aランクダンジョン討伐者」の称号を得なければならない。つまり、日本国内に存在する唯一のAランクダンジョン「深淵」の討伐が目標となる。年明け早々の一月三日、ダンジョン・バスターズの精鋭三チームが集まった。
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チーム名:天照
リーダー兼アタッカー:日下部凛子(Bランク)
タンク:早乙女剛毅(Cランク)
アタッカー:陣内輝彦(Cランク)
スカウト:服部純一(Cランク)
バックアタッカー:高橋麗(Cランク)
ヒーラー:後藤早苗(Cランク)
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チーム名:国士無双
リーダー兼タンク:田中正義(Bランク)
アタッカー:高尾盛精志(Cランク)
アタッカー:立花隆史(Cランク)
スカウト:小野寺夏美(Cランク)
バックアタッカー:竹内理恵(Cランク)
ヒーラー:向井悟(Cランク)
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チーム名:希望の翼
リーダー兼アタッカー:篠原寿人(Bランク)
タンク:矢島俊介(Cランク)
アタッカー:山村尚美(Cランク)
スカウト:鈴木真里菜(Cランク)
バックアタッカー:長田陽一郎(Cランク)
ヒーラー:横田雅史(Cランク)
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各パーティーは単独でBランクダンジョンを攻略できる力を持っている。そこにAランカーである俺と彰を加えた、合計二〇名による討伐だ。
「これだけの規模のレイドは台北ダンジョン以来ですね。あの時と同様、一気に討伐してしまいましょう!」
寿人たち若者は、ダンジョン討伐戦を「レイド」という言葉で表現している。正直、最初は意味が理解できなかった。オンラインゲームの用語らしいが、元々は軍事用語で「突発的な攻撃もしくは何らかの目標の奪取」という意味らしい。俺はゲームはやらないから知らん。
「兄貴、仙台ダンジョンの討伐はいいのかい? あそこはBランクだけど?」
「あぁ…… アレは旭日のために残しておこう。Aランクになるには、Bランクダンジョンを討伐しなきゃならんからな。台湾、フィリピノ、大亜共産国…… 海外には、Bランクダンジョンはたくさんある。俺たちはそっちを討伐する」
国内ダンジョンの独占という批判の声は、多少は緩和するだろう。魔物大氾濫を回避した後は、すべてのダンジョンを各国に返還すればいい。その頃には、冒険者制度が各国に定着して運用されているはずだ。俺は引退し、南の島でノンビリ暮らす。
「行くぞ。“深淵”を討伐する」
こうして、今年最初のレイドが始まった。
【Aランクダンジョン「深淵」 第七層】
深淵第六層のトロールケイブで肩慣らしをした俺たちは、ついに第七層へと入った。そして理解した。俺たちが知っていたダンジョンとは、ほんの一部に過ぎなかったのだと。
「なんだ? この空間は?」
第七層は一面の銀世界であった。針葉樹の森の中にある岩場が出入口で、第八層の場所はまったく不明である。見上げると雪がちらついている。第七層は、完全な「異世界」であった。
「拙いな。防寒対策はしていないぞ」
「なんでアイテムカードに防寒着が出るのか不思議だったけど、こういうわけか」
「くっ……」
凛子が自分の腕を摩っている。この状況では戦いなど不可能だろう。一度、第六層に戻ってガチャをやるべきだ。
「戻るぞ。第六層でガチャる。幸い、UCカードを一〇〇〇枚ほど用意してあるからな」
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【名 称】 魔導防寒着
【レア度】 Un Common
【説 明】
身に着けると寒地でも快適に過ごすことが
できる。身体の大きさによってサイズが変わる。
ただし特別な効果は無い。
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「スノージャッカル! Cランク魔物です!」
「Cランクだと?」
防寒着を身に着けた俺たちは、第七層の探索を開始した。程なく、森の中を通る一本道で魔物に襲われる。前方に体長二メートルほどの真っ白な犬が出現し、牙と爪を剥いて跳びかかってきた。だがCランクであればそれほど苦戦はしない。タンクが抑え込み、アタッカーが剣を振る。数体のスノージャッカルは数瞬で煙と化した。
「なぜCランクが出る? ここは第七層だ。最低でもBランクが出て当然だと思うが……」
「確かに、奇妙ですわ。スノージャッカルは群れで行動しますが、なりふり構わず襲い掛かってくる魔物ではありません。獲物を観察し周到に取り囲み、四方向から一斉に跳びかかるのが常なのですが……」
「だが一方向から襲ってきた。この先に、何かあるのか?」
一本道の先に視線を向ける。雪はいつの間にか止んでいた。
ダンジョン内では何が起きるかわからない。そう肝に銘じていたはずだが、深淵第七層は俺の想像を超えていた。地下に入っていくダンジョンなのに、なぜか空があり、森があり、雪が降り、そして夜が来る。
森の中の少し開けた場所で、俺たちはキャンプを設置した。三カ所に火を起こし、テントを張る。
「夜半になると吹雪くかもな。この第七層には安全地帯が無い可能性がある。四人一組の交代制にして、四方向を警戒するようにしよう。それと第七層の日没から日の出の時間を測っておくぞ。地上に戻った時に地球と比較したい。いずれ民間ロケット企業を招聘して、ロケットの打ち上げ実験を行おう」
おそらくは異世界なのだろうが、これはダンジョン内に再現された「限定された空間」なのか、それとも宇宙空間まで存在する「開けた空間」なのかを確認しておく必要がある。もし別の星系に存在する惑星ならば、これは大変な問題になる。
そして夜を迎えた。二時間おきに、俺も含めて全員で見張りを交代する。俺の番が終わり、テントに入ってしばらくしてからのことだった。微睡んでいたところに襲撃という言葉が聞こえて飛び起きた。
「スノージャッカルの群れです。それともう一つ、気配があります」
四方から跳びかかってきたジャッカルをタンクが弾き返す。超えてきた獣はアタッカーが斬り裂く。二〇名もいれば、Cランクの魔物が幾らいようと問題ない。
「和彦様ッ!」
朱音が忍刀を振るう。黒く塗装された矢が落ちた。スノージャッカルに気を取られている間に、盾と盾の隙間を通すように、俺を狙って矢を撃ち込んできたのだ。ゴブリンやスケルトンも矢を使う奴がいたが、ここまで戦術的に仕掛けてくることはなかった。
ジャッカルたちが一斉に引き上げていく。そして代わりに、青白い肌をした巨体の魔物が次々と姿を現した。
「ホワイトオーク…… Aランクです。これは……」
「なるほど。あのスノージャッカルは、このオークたちが嗾けたわけか。囮による戦力情報の収集と集団による夜襲。もうこれはレイドではないな。ゲーム風に言うとPvP(Player vs Player)といったところか」
ひと際大きく、顔に刺青をしたオークが出てきた。何事かを口にすると、周囲のオークたちが頷く。独自の言語を操っているのだ。どうやら長のようである。
(戦術を駆使し、独自の言語を使い、階級社会を形成している。明らかにこれまでの魔物とは違う。魔物が「文明」を持っているのか? となれば、こちらが侵略者と考えることもできる。一体、ダンジョンとは何なのだ?)
オークたちが叫びながら襲い掛かってきた。言葉が通じない以上、こちらとしても迎撃するしかない。
「どすこいっ!」
正義がシールドバッシュでオークを弾き飛ばす。Aランク魔物とはいえ、こちらも朱音や劉師父などAランカーが揃っている。俺と彰はオークたちを分断するように動き周り、各チームが集で戦えるようにしていく。日頃からこうした連携の訓練をしていた成果だ。
やがて、オークたちが撤退し始めた。
「朱音。奴らに気づかれないよう、尾行することは可能か? 拠点を見つけたい」
「忍びの得意とするところですわ。お任せを」
朱音の姿が消える。戻ってくるまで怪我人の手当をして待つ。四肢切断などの大怪我こそないものの、かなり深い傷を負っている者もいた。
「ここから先、ずっとあんな魔物を相手にしていくのか。厄介だな」
「兄貴、どうする?」
「朱音を待つ。連中は何らかの言葉を操っていた。コミュニケーションが可能ならば、ダンジョンについての情報を得たい。それに、この第七層についても調べたいしな」
怪我人の手当てを終えると、俺は寝ずに朱音の帰りを待った。
【リオ・デ・ジャネイロ Aランクダンジョン「苦悶」】
ジャングルの中で道化師が佇んでいる。空は曇天で小雨が降っている。
《褒めてやろう。我が兵たちを倒して、よくここまで来れたものよ》
身長五メートルはあろうかという三つ目の巨人が、ピエロを見下ろしていた。同じく三つ目の巨人がその背後に控えている。喋っているのはどうやら部族の長らしい。
《だがここまでだ。貴様ら弱小種族が、我らに勝てると思うか。捻り潰してくれる!》
《フヒッ》
道化師姿の男、ジョーカーは三つ目の巨人と同じ言葉を操っていた。ダンジョンアイテム「翻訳ゼリー」の効果である。巨人の威嚇を前にして、腹を抱えて笑い出した。
《ウヒャヒャヒャァ! 笑える! マジでこんなテンプレあるんだなぁ。自分は強いと調子に乗って凄んでいるのに、いざ戦うと“な、なんだとぉ! こんなバカなぁ!”ってなるんだよ。ウヒヒッ》
そして懐からカードを取り出す。ジョーカーの背後に、次々と魔物が出現した。最低でもBランク以上の魔物が数十体、その中にはAランクやSランクもいる。
《行け。我が魔王軍よ》
ゴブリンやオーク、スケルトン、巨大な熊、さらにはワイバーンやドラゴンまでが一斉に巨人に襲い掛かった。魔物たちの咆哮と悲鳴を聞きながら、魔王はタバコに火をつけた。
「デカい奴だけは生かしておけよ。ちょっと聞きたいことがある」
ゴブリンが素早く動いて相手の気を引き、上空からワイバーンが鋭い爪で襲い掛かる。ドラゴンは圧倒的な強さで三つ目の巨人を頭から齧った。魔物が魔物を喰らい尽くす。その光景に、三つ目の長は震えた。
《魔物も怯えるのか? さて、お前に聞きたいことがある》
ズンッという衝撃と共に、三つ目の長は大地に伏した。ドラゴンが上から抑え込んだのだ。足で潰された長は、グヌヌと呻く。
《ば、バカな…… こんなことが……》
予言通りの反応だが、ジョーカーは笑うことなく傍に寄り、冷徹な眼差しで見下ろした。
《答えろ。ここに来る前の記憶はあるか?》
雨足が強くなり始めていた。
【Aランクダンジョン「深淵」 第七層】
第七層はおよそ一〇キロ四方の閉ざされた世界であった。風や降雪といった自然現象はあるのに、端に行くと結界のようなものが張られていて、そこから先に進むことができなかった。
《人間は殺さなければならない。殺すことが我らの役割だ》
《その役割は誰に与えられた?》
ホワイトオークの集落に攻め込んだ俺たちは、なんとかオークたちを駆逐して長を捕らえた。ダンジョンアイテム「翻訳ゼリー」を使って、魔物の言葉を話す。このオークたちは、気づいたらこの第七層に囚われていたそうだ。魔石があるためか空腹は感じなかったそうで、時折、集落に襲い掛かってくる魔物を狩っていたそうだ。それ以外のことは覚えていない。というよりは「考えない」ようになっている。なぜここにいるのか。なぜ人間を襲うのか。明確な回答は得られなかった。
「和彦様、第八層に続く階段を発見しました。やはり集落の中にありました」
「わかった。だがいったん戻ろう。コイツは……」
自分を見上げるホワイトオークの額に、剣を突き刺した。




