第084話:ブレージル陥落
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【日本国 ダンジョンバスターズ本社 江副和彦】
《緊急速報です。現地時間で昨日午後、ブレージル連邦共和国軍とベニスエラ出身のテロ組織、通称「魔王軍」が交戦、ブレージル軍は甚大な被害を出して撤退したとのことです》
《ブレージル連邦政府は、魔王軍のリーダー「ジョーカー」の要求を受諾すると発表しました。事実上の降伏です。ジョーカーの要求は「ブレージル国内のすべてのダンジョンを魔王軍に無償譲渡すること」「魔王軍のブレージル国内の活動を認めること」「ベニスエラ共和国との国交の回復」「G20国を対象にブレージル産農畜産物の輸出規制を強化すること」「今後一〇年間、ガメリカドルで計一〇億ドル分の物資食糧を魔王軍に支払うこと」の五つです》
《この発表を受け、リオデジャネイロでは一時的に略奪や暴動が発生しましたが、すぐに鎮圧されたとのことです。魔王軍はブレジリアのホテルに滞在していますが、占領軍というわけではなく、ホテルの滞在費も現金で支払っているとのことで、現地からは意外という声も出ています》
《日本政府は直ちに、ベニスエラおよびジョーカーに対して最高レベルでの非難声明を発表しました。国連においても日米欧亜の連名で、非難決議案が図られる予定です》
「ブレージル降伏」というニュースは、日本のみならず世界中で一斉に報道された。ベニスエラ国内のクーデターや、隣国のコロビアンへの侵攻とは明らかに扱いが違う。人口二億人を超える南米最大の国家が一個人の率いる小さな組織に「軍事的に敗北した」という事実は、ダンジョンによって軍事パワーバランスが一変することを証明したのである。
そしてバチカン教国が送り込んだ「十字軍」がジョーカーに敗れたという報道は、特にヨーロッパに衝撃を与えた。ローマでは人々が涙し、バチカンでは教皇自らが弔意を述べた。敬虔なカソリックであった神官レオナールの死は、フランツ人を激高させるに十分であり、魔王軍の本拠地であるベニスエラに核攻撃を仕掛けるべきだという声すら出ている。
世界が衝撃を受け、レオナールの死を悼む一方で、石原次官が懸念していた声が出始めた。すなわち「ダンジョン冒険者を放置して良いのか」という声である。
《今回の事件でダンジョン冒険者の力、可能性が証明されたわけです。つまりたった一人であっても、超人のような力を持ち、何万もの魔物を顕現させて一つの国すら転覆させ得るのです。そしてこれからどんどん、その力を持つ者が増えてくる。これを放置するのは危険ではないでしょうか?》
《ウリィ共和国では、冒険者はダンジョンアイテムで契約し、すべてのカードを回収しています。GPSで冒険者の居場所を常に把握できるようにしています。その結果、冒険者による犯罪は回避されています。日本もそうするべきです》
「テレビのコメンテーターは無責任に好き勝手なことを言うだけですから、気にしないほうがいいですよ」
昼食時、食堂でテレビを見ていると向井総務部長が声をかけてきた。今日のランチは鴨南蛮だ。出汁から作っているため、並の蕎麦屋より美味い。
「隣国では監視腕輪の装着など、冒険者の人権を無視した政策を取っています。テレビではそうしたことまで報道されませんが、ダンジョン省はしっかり把握していますよ」
「そうですね。ですが日本は民主国家です。世論が冒険者規制の方向に流れれば、政治家も無視はできないでしょう。野党の左派系議員からは規制強化の声が出ているようですし。向井部長にはご苦労をおかけしますが……」
「問題ありません。それに応援の声もあります。非公式ですが、江戸川区長から感謝の言葉も貰っています。なんだかんだ言っても、わが社は区内にお金を落としていますからね」
向井部長は蕎麦を啜りながら地域との交流について話してくれた。総務部からの報告は受けているが、当事者から実際に聞くとまた違った気づきがある。少なくとも江戸川区内では冒険者が白い眼で見られることはなさそうだ。それが救いだと思った。
【二〇二〇年(令和二年) 臨時国会 江副和彦】
二〇二〇年一〇月から開かれた臨時国会は、後の歴史に残ると言われている。魔王軍の台頭、ダンジョン対策、憲法改正など議論すべき喫緊の課題が山積しており、そのいずれもが先送りできないものであった。普段はスキャンダルの追及に終始する野党も、今国会では憲法改正論議をするのではないかと思われた。だが蓋を開けてみると、日本国民の感覚から遠く離れた質疑であった。
「ダンジョン問題や憲法改正などもありますが、この質疑では観桜会について質問させていただきます。時間が余りましたら、他のテーマについても質問します」
野党最大政党である立憲民政党の議員が発したこの言葉は、ネット世界では相当なバッシングを受けた。だが一方で、少数政党ながら堂々と政府と議論を重ねる政党も存在していた。憲法改正に賛成する国民民政党と、憲法改正に反対する社会共産党である。
「ダンジョンは国家ではありません。現在の自衛隊が魔物と戦うのは、制度上もなんら問題ないはずです。わざわざ憲法を改正せずとも、法律によって自衛隊に対魔物への武力行使権限を与えればよいではありませんか」
「何度も申し上げますが、魔物と戦うというのは命がけです。憲法上の位置づけが不明確なまま、自衛隊員の人たちに命を賭けろというのですか。彼らが国防に誇りを持てるように環境を整えるのが、私たち政治家の仕事ではありませんか」
憲法改正の議論は、国会のみならず各国会議員の選挙区内でも行われた。憲法は国家の枠組みを決める基本である。これに見解を持たない者など国会議員の資格はない。浦部誠一郎内閣総理大臣は、六月の衆参同時選挙後の自由保守党総会でそう明言し、各選挙区ではその区の国会議員によるタウンミーティングが開催された。こうして憲法改正の機運は醸成され、一一月下旬に発議されることが決まったのである。
国会での主要テーマは、憲法改正の他にもある。その一つが「民間人ダンジョン冒険者」の扱いについてである。ジョーカー率いる魔王軍の行為に注目が集まっているが、ガメリカやEU、東南アジアにおいても「犯罪冒険者」が出始めていた。魔法スキルによる暴力行為の他に、ダンジョン産アイテムを使った窃盗事件、密輸事件なども発生していた。犯罪は、発覚しなければ犯罪にならない。こうした数件の事例は氷山の一角と思われ、今後はさらに凶悪な犯罪も発生するだろう。日本においても、今のうちに対策を講じておくべきだというのである。
「ダンジョン冒険者は危険です。ダンジョンアイテムを使い、彼らを制約すべきです」
不思議なことに、普段は自由主義派であるはずの左派政治家ほど、ダンジョン冒険者を危険視し、人権を無視してでも拘束すべきだと主張していた。この矛盾についてはネット上でも盛んに議論されていたが、ある野党の左派系議員が「冒険者がいなければそうした犯罪は起きない」と発言したことから、護憲派の根幹思想である「武器が無ければ戦争は起きない」「不戦と言えば戦争は起きない」というのと同じだというのが保守派の意見であった。
「民間人冒険者を政府が雇用し、特別公務員とするという意見もありますが?」
参考人質疑で呼ばれた俺は、野党議員の質問に真っ向から反論した。
「それを希望する冒険者は、そうすればよいと思います。ただ、一体いくらで雇用するつもりですか? 私見ですが、最低基本給は議員報酬の二倍は必要だと思いますよ? ちなみに私は国家予算を積まれてもお断りします。他人から命令されるのが嫌いなので」
「冒険者制度を変更し、特別公務員以外はダンジョンに入れないようにするという案もあります」
「つまりIDAO(国際ダンジョン冒険者機構)から離脱するということですか。政府がそうするのであれば、仕方がないでしょう。ただ、それであれば私たちダンジョン・バスターズは拠点をヨーロッパに移さざるをえませんね。国内の残りのダンジョンは、どうぞ公務員の人たちで討伐してください」
野党から野次が飛んでくる。まったく理解不能だ。「どうしたら犯罪冒険者の発生を抑えることができるか」が論点なのに、野党は「ダンジョン冒険者制度の廃止」を目標としているように思える。
「現行の制度では、前科者および反社会的組織、公安調査庁の監視対象組織に所属している者はダンジョン冒険者になれないとなっています。さらにダンジョンアイテムの地上使用を禁じる誓約もしています。確かにダンジョン冒険者の中には、人を超える力を持つ者もいますが、大半の冒険者は素人格闘家に毛が生えた程度なんですよ? もしこれ以上の制限を行うのであれば、ボクサーや空手家など格闘技者全般に適用しないと“差別”になると思いますよ?」
俺は別に、ダンジョン冒険者の代表ではない。だが自分に知名度があることは理解している。自分の発言の如何によって、冒険者全体が不利益を被るようなことがあってはならない。なにより、民間人冒険者を規制して魔物大氾濫を食い止められるとは思えない。
(ダンジョンで戦う公務員だと? 現場を知らないからこんな絵空事を言えるのだろう)
新エネルギー開発の成功や民間人冒険者の増加など、世間ではダンジョンについて明るい話題もあるが、俺の中では暗澹たる気持ちが広がっていた。
【ブレージル連邦共和国首都 ブレジリア】
ジョーカー率いる魔王軍に対し、事実上の降伏宣言をしたブレージルに対して、各国政府は遺憾の意を示した。ブレージルはあくまでも被侵略国であり、ジョーカーおよびベニスエラが軍事侵攻を行ったというのが国際社会の見方である。
その一方で、ブレージルに対するジョーカーの要求は、人口二億人以上のG20加盟国に対する要求としてはかなり低いものであった。一〇億ドル分の物資支払いというのも、年間にすれば一億ドルであり、ブレージル国産の農畜産物で支払えば経済的負担はないに等しい。
またダンジョンを魔王軍に譲渡したということは、見方を変えればブレージル軍による管理が必要なくなるという意味でもある。実際、コロビアンのダンジョンは、第一層の安全地帯にBランクのゴブリン四体が監視役として顕現されている。魔王軍以外でダンジョンに入ったものは生きて戻れないと周知することで、犯罪冒険者の発生を抑止している。これは「ダンジョン・マネジメント」という観点から考えると、決して悪い手ではない。
「ですが魔王軍は、魔物大氾濫を引き起こして人類を滅ぼすと宣言していますが?」
「本気でそんなことを考えていると思うか? ガメリカやEUから譲歩を引き出すためのパフォーマンスだよ。連中の狙いは“固定された経済格差の破壊”だ。一〇年後にはG7が全部入れ替わっているかもしれんぞ? 我が国が常任理事国になっている可能性も十分にある」
ブレージル大統領はそう反論して、自嘲ぎみに笑った。笑うしかなかった。「南米のハワード」と呼ばれ、右翼政治家として国民から期待されて大統領に就任したのに、ブレージルの歴史に永遠の汚名を残してしまった。せめて未来を夢想して空元気を出さないとやっていられなかった。
ナポレオン戦争後の五国同盟、そして第一次、第二次世界大戦を通じて、世界の「列強国」というのは固定された。核兵器を持つ常任理事国、経済力と技術力を持つ日本とライヒの七カ国が「大国」であり、それに地域大国や中級国が続く。人口大国であるバーラト国も、南米最大のブレージルも、二〇年前と比べれば経済成長はしているが、同時に貧富の格差も拡大している。首都ブレジリアの郊外にある衛星都市はスラム化しており、国内の犯罪率は一向に下がらない。もともと、秩序だったダンジョン管理など不可能だったのだ。政府の代わりに魔王軍が、恐怖の存在として国民を抑えてくれる。その間に治安回復を図る。それがブレージル大統領の狙いであった。
「金持ちと貧乏人がダンジョンを奪い合えばいい。こっちはそんな余裕はないんだ」
吐き捨てた言葉は、大統領の本音であった。
【ウリィ共和国(内国) 青瓦台】
サウードアラブ王国で開催されたG20会議において、日本に先駆けてウォズニアック次期ガメリカ大統領と会談できたことは、大統領支持率を一時的にでも上げるものだと思われていた。
だが会談内容が公開され、日米首脳会談との違いが明るみになると、逆に支持率は大きく下がった。パク・ジェアン大統領の岩盤支持層の中にさえ、不支持の声が出始めていたのである。ウリィ共和国政府としては、支持率回復のための何らかの手を打つ必要があった。
ウリィ共和国(内国)では政権の支持率が低下するたびに、時の政府はなんらかの形で「反日」を行い、国民のガス抜きを図ってきた。しかし前政権のムン・ソユン大統領時代から数年に渡り、日本と内国の関係は最悪の状態となっている。ウリィ共和国でもダンジョン部という部署を設けてダンジョン対策にあたっているが、日本との情報交換は皆無に近い。パク・ジェアン大統領は前政権以上に反日姿勢であるが、さすがにこれ以上は行動しないだろうと思われていた。
「日本は憲法を改正し、自衛隊の軍備を増強することで、アジア再侵略を狙っている。 内国はこれを断固として非難する! 隣国に害を与えることに慣れた日本の一貫して反省しない態度にはもう驚きもしない。日本の恥知らずの水準は世界で最上位圏である」
青瓦台高官の発言は、直ちに日本に伝えられた。あくまでも青瓦台の一高官の発言に過ぎないため、日本政府は強い反応は示さなかったが、保守系メディアを中心に日本の世論は反発した。ネット上には「たとえ魔物大氾濫が起きたとしても、日本は内国を助けるべきではない」といった書き込みに溢れた。
だが内国にも事情があった。低迷する経済に国民の不満は蓄積しており、外交も上手くいっていない。前政権から続く内国の外交姿勢である「安米経亜(安保は米国、経済は大東亜共産国)」はダンジョンの発生と、魔王軍による南北問題のテーゼによって瓦解してしまった。理想と現実の狭間で、内国政府は動くに動けなかったのである。
「大統領、ベニスエラへの非難声明は出されないのですか? ガメリカ、EU、大亜共産国、そして日本も最高レベルでの非難をしていますが?」
「カン外相の話では、ベニスエラは隣国を侵略しないという話だったではないか! だが実際にはブレージルに侵攻している。どういうことなのか?」
「ベニスエラ政府の話では、あくまでも民間団体が行ったことであり、ベニスエラ政府の関与するところではなく、内国との約束違反には当たらないとのことです。むしろ石油精製プラントの技術供与や援助はいつから開始されるのかとせっつかれたほどです」
「民間団体だと? そんな詭弁が……」
「無論、外交部もそう反論しましたが、内国でも『例の像』などのことがあるはずだ。同じことだと返されたそうです」
「……大姜王国からはまだ返事がないのか?」
「キム・シア副部長の発言だけです。コウモリ外交を続ける国の言うことなど敵以上に信用できないと。ですがガメリカと大亜共産国を敵に回すわけにはいきません。ここはベニスエラと決別すべきです。我が国の経済規模で中立姿勢など、国際社会が許しません」
ベニスエラやジョーカーに与して民族融和、南北統一の夢を取るか。それとも米国や日本と共に反魔王軍の陣営に加わるか。パク・ジェアン大統領はいまだに決断できずにいた。
各国がそれぞれに混迷を深める中、二〇二〇年の師走を迎えたのであった。




