第083話:魔王軍vs十字軍(後編)
【ブレージル連邦共和国 ロンドニア州】
「貴方はなぜ、戦うのですか?」
フランツ人の元神学生であるレオナール・シャルトルの問いかけに、ジョーカーは笑みを浮かべ、そして返答した。
「別に俺だけが戦っているわけじゃない。ヒトは皆、生きるために戦っている。お前がそう感じないのは、それだけ温い人生を送ってきた証拠だ」
「ですが、私たちは言葉を用いて意思疎通ができる人間です。カソリックであろうとムスラーンであろうと関係ありません。貴方が何を目指しているのかはわかりませんが、話し合うことで解決できるのではありませんか?」
「無理だな」
ジョーカーは失笑し、一歩踏み出した。
「少し語ってやる。ダンジョンの出現は人類史の転換点。そう言われているが、具体的に何がどう変わるのか、理解しているか?」
「………」
クルセイダーズのメンバーは互いに顔を見合わせた。質問の内容というより、相手の話し方が意外だったのだ。もっと暴力的な人間だと考えていたのだ。
「原始の時代。ヒトがまだ猿だったころは、強さとは純粋に腕力だった。やがて集落ができ、社会が生まれる。すると強さの基準が変わった。腕力に知恵が加わり生産力になった。狩りが上手い、収穫力があるなどだ。そして貨幣が生まれた。強さの基準はどれだけ貨幣を持っているかという経済力になった。経済力は社会における発言力となり、その発言力が権力となる。得た権力を守るために様々な法律を作り、やがて階級が定まる…… 国家誕生から数千年を経た現在、世界の富は偏在し、人類は見えない階級で固定されている」
「そんなことはありません。主の前では、人はみな平等です」
「笑わせるな。有色人種がバチカン教皇に就く可能性があると思うか? アフリカはヨーロッパ全土よりカソリック信徒が多いのに、アフリカ出身者は枢機卿さえ一人しかいないではないか。それで平等だと? どの口がほざく」
「それは……」
レオナールは返答に窮した。カソリックはローマ帝国の国教として広まったという歴史的経緯もあり、バチカン教国教皇位は「白人の男性」が選ばれるというのが不文律となっている。「女教皇ヨハンナ」という風刺が存在するくらい、バチカンは保守的であり極端な男性社会だ。二二六人いる枢機卿の中にさえ、女性はいない。バチカン教国内の制度や文化に「人種平等」「男女平等」という考え方はない。
「別にバチカンが悪いとは言わん。それが人間というものだ。数千年の歴史の中でヒトの価値が、階級が固定されてしまった。だがダンジョンの出現によって、それが大きく変わろうとしている。社会や国、そして民主主義という多数決の考え方が生まれたのは、一人の人間の腕力に限界があるからだ。どんな人間も数百万、数千万の人間を腕力で従えることは不可能だった。だがこれからは、それが可能になる。ダンジョンに入って超常の力を手に入れた者は、たった一人で人類そのものを滅ぼしうる力を手に入れる。俺がその気になれば、南米大陸に生きる四億人全員を皆殺しにすることだってできる。富も地位も権力もないたった一人が、国家を覆せる。ダンジョンの出現によって、強さの基準が原始に戻った」
レオナール、そして他のクルセイダーズのメンバーたちは戸惑いを覚えていた。ジョーカーが公開している動画は当然見ている。下品なジョークを交えながら、ガメリカをはじめとする先進国を口撃し、貧国に団結とダンジョンの開放を要求していた。だが実際に対面して話を聞いてみると、また趣が違う。過激なテロリストというよりは、理知的な哲学者のようにさえ感じる。
(この感覚…… どこかで)
ロルフ・シュナーベルは一人の男の背中を思い浮かべ、そして首を振った。言っていることも行動も、似ても似つかない。目の前の男は「暴力で己の意見を押し付ける」と言い切っているのだ。確信犯的なテロリストである。ロルフはレオナールの肩を掴んで下がらせた。
「レオナール、もういいだろう。ジョーカー、お前の意見は理解した。ならば我らの強さでお前を従わせる。お前自身の言葉だ。文句はあるまい?」
その言葉で、クルセイダーズ全員が切り替える。それは魔王軍も同じであった。超人の力を持つ者たちが、各々武器を構えて対峙する。その中で、魔王ジョーカー一人が泰然としていた。
「ウヒヒヒッ! 構わねぇよ? けど、俺も忙しいんだわ。お前らの相手は、コイツにやってもらう」
懐から一枚のカードを取り出し、宙に投げる。瞬間、カードは眩く輝いた。
「初めてかい? Sランク魔物と戦うのは」
「なに? 全員、後退!」
輝きを放ったカードから、深緑の色をした巨大な魔物が出現した。
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【名 前】 ドラゴン
【称 号】 なし
【ランク】 S
【レア度】 Ultra Rare
【スキル】 灼熱の息
薙ぎ払い
飛行
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《グオォォォォォンッ》
体高一〇メートルはあろうかという巨大な魔物が咆哮する。それは物語で出てくるドラゴンの姿そのものであった。
「んじゃ、楽しんでくれ」
ドラゴンの背後に立つ魔王は、手を振ってクルセイダーズたちに背を向けた。
「バカな…… ドラゴン? Sランクだと?」
「ロルフ、ちょっとヤバくない? ここは撤退したほうがいいぜ?」
盾を構えるロルフにマルコが撤退を提案する。だがその前にドラゴンの尾が襲い掛かってきた。Sランク魔物の攻撃である。Bランクのクルセイダーズたちは、たった一撃で吹き飛ばされてしまった。
「クッ……」
アルベルタが震えながら立ち上がる。一撃で甚大なダメージを受けたが、それでも死んではいない。他のメンバーたちも何とか起き上がった。だがもう一撃受けたら、今度こそ立てないかもしれない。
全員が死を予感したその時、脳中に奇妙な声が響いた。
《フム、全員が限界突破者か……》
「え?」
互いの顔を見る。そしてその声の主が誰なのかに気づいた。
「喋っ……た?」
《何を驚く。我のみならず、Sランクともなれば人間を超える知性を持つ。汝らの言語を操るなど、造作もないこと。我が主は、汝らの全員命を取るつもりはないようだ。一人を生贄に捧げよ。さすれば残りは見逃してやろう》
「ふざけるな! 仲間を捨てるなど、そんなことができるはずないだろ!」
「ま、待ってください!」
激高するロルフをレオナールが止めた。
「貴方は私たちの言葉が理解できるのですね? ならば、話し合いで争いを避けることはできないのですか? 私たちは、ここで貴方と戦いつもりはありません」
《戯言を…… 我が弱ければ、汝らは問答無用で戦っていたであろう? 我に勝てぬ故、何とか逃げようとしている。違うか?》
「違います。私たちは神の尖兵としてこの地に来ています。避けられるならば、争うつもりはありません」
《「神の尖兵」だと?》
ドラゴンは数瞬沈黙し、その巨体を震わせた。
《ガハハハッ! 神ときたか。なるほどなるほど。汝らは何も理解しておらぬようだな。ダンジョンが、なぜ存在するかを!》
ドスドスッとドラゴンは前に出た。ロルフたちが下がる中、レオナールは膝を震わせながらも立ち続けた。その手には十字架を握っている。ドラゴンは鼻先をレオナールに持っていった。
《その勇気に免じ、汝にだけ教えてやろう。ダンジョン・システムの目的は…………なのだ》
「え?」
《故に、汝らは決してダンジョンには勝てぬ。神の尖兵である限りは!》
そしてドラゴンはその巨大な顎を開き、呆然とするレオナールに頭から噛みついた。
【日本国ダンジョン省 江副和彦】
「悪いわね。こんな時間に急に呼び出して……」
日本国の中央省庁は「あり得ないほどのブラック組織」である。公表されている残業時間は月間三〇時間だが、実際には月間一五〇時間を超えている。朝七時に登庁して翌日の午前二時に退庁するといった働き方が「当たり前」となっている。これは新設されたダンジョン省も変わらない。「官邸主導」が生み出した弊害だ。特にダンジョン関連は国会でも質疑が多いため、若手官僚は連日深夜残業に追われている。日本一のブラック組織、それが中央省庁だ。
「二〇代の頃を思い出したよ。この時間に叩き起こされたのは久々だ。それで、なにがあった?」
俺はいまダンジョン省の会議室にいる。午前四時を少し過ぎている。深夜というよりは早朝だが、事務次官の石原をはじめ、局長級が集まっている。余程の事態であることはすぐに理解できた。
「結論から言うわ。バチカンから派遣されたダンジョン・クルセイダーズが魔王軍に負けたわ。リーダーのロルフをはじめ五名は逃げ延びたけれど、フランツ人の神官レオナール・シャルトルが死亡。ブレージル連邦軍も壊滅し、連邦政府は魔王軍に降伏するわ」
「……」
頭が「理解を拒否する」というのは初めての経験だった。クルセイダーズは全員がBランクだが、装備は相当に充実していたはずだ。ダンジョン内での戦闘経験も豊富で、ダンジョン・バスターズの各リーダーたちにも劣らない。それが完敗したというのは、どうにも信じられなかった。
「偵察衛星の映像よ。これを見て頂戴」
一枚の写真が差し出される。白黒写真だが、そこに写っている魔物は間違いようがなかった。
「ドラゴン……」
「ロルフ・シュナーベルの報告では、Sランク魔物だそうよ。この魔物がレオナール・シャルトルを一撃で殺害、その後はブレージル連邦軍に向けて炎を吐いて戦車隊を壊滅させた。機関銃もロケットランチャーも対戦車榴弾も通用せず、万を超える犠牲者が出た。ブレージル連邦は継戦能力、というよりは戦意を失くしたのね。降伏を決めた。つい先ほど、ブレージル連邦政府から入った最新情報よ」
「ロルフたちの様子は?」
クルセイダーズとバスターズは、ダンジョン討伐で共闘する関係である。またそれ以上に、ロルフたちは俺自らが鍛えたメンバーだ。仲間を失った彼らが心配だった。
「無事ということは確かよ。ロルフ・シュナーベルからの通信は、ブレージル国内からだった。その後は通信を途絶しているそうよ。万一を考えて、バチカンに戻るまで通信を遮断しているのね。バチカンは真っ先に、日本のダンジョン省に教えてくれた。この意味は解る?」
「もしもの時は、クルセイダーズと共に俺たちバスターズもジョーカーと戦ってくれ…… そういうことだろう?」
「その通りよ。でもこれは、ダンジョン省だけでは決められないわ。高度に政治的な問題でもある。たった一人の人間に、G20にも加盟する人口二億の大国が戦争して負けた。この事実は、各国政府を震撼させるわ。間違いなく、自国内のダンジョン冒険者を規制しようと動くでしょう」
「日本でもそうなるのか?」
「浦部総理は慎重論者だけれど、各メディアはこぞって主張するでしょうね。ダンジョン冒険者は危険だ。国家を滅ぼせる力を一個人の意志に委ねるわけにはいかない。ダンジョンを封鎖し、冒険者を拘束しろって……」
「そして世界は魔王軍によって滅ぼされる……か。大多数の人間は、危険が目の前に迫るまで自分事として捉えられない。正常性バイアスだ。地球の裏にいる魔王軍より、国内にいる冒険者のほうが危険に感じるんだろうな。それで、ダンジョン省はこれからどう動く?」
「ガメリカ、EU、大亜国、日本が、歩調をそろえて冒険者の必要性を訴えるよう働きかけるつもり。でも大亜国以外は民主国家よ? 私たち官僚がどんなに根回ししても、政治家は世論を無視できないわ。貴方にお願いしたいのは、下手に強気な発言をしないこと。ジョーカーについての意見を尋ねられた時は、憤りを感じるとだけ答えて。他については、ダンジョン省と相談してからとしておけばいいわ」
「世論を刺激したくないわけだな。わかった。それにしても……」
俺は再び写真に眼を落した。ジョーカーが何体、Sランク魔物を持っているかはわからない。だがたった一体でも、近代装備で固めた軍を壊滅させることができる。陸上自衛隊でも、現時点ではドラゴンには勝てないだろう。このままでは本当に、人間の手によって世界が滅びてしまう。
「政府への働きかけや世論については、こっちで何とかするわ。貴方は当面、国内のダンジョン攻略に集中して頂戴」
ロルフたちが戻ったら電話をしよう。そう思いながら頷いた。




