第二巻出版記念SS:江副和彦の江戸川区探訪「葛西 蓬莱亭」
サイドストーリーです。書籍版の付録SSにも「江戸川区探訪」はありますが、これはWeb版として書きました。ダンジョン・バスターズでは、現実に存在する店をベースに書いています。もちろん本話も同様です。
ダンジョン・バスターズ本社屋建設のために、瑞江駅近郊のマンションに引っ越してから少し経った頃の話である。中小企業診断士の仕事を辞めた俺は、ダンジョンに入らない日は暇を持て余していた。そのため、瑞江駅近辺を含めて江戸川区内を探訪することが増えた。この話はダンジョンが完全起動する前の、まだ平穏だったころの俺の日常である。
『〇〇が食べたい』
こう思うことは誰にでもあるだろう。焼肉が食べたい。ラーメンが食べたい。お好み焼きが食べたい。ふとしたときに、自分が食べたいものを思い浮かべる。それが好物のときもあれば、普段はあまり食べないものであったりもする。そしていま俺は、後者の状態となっている。
「皿うどんを食いたい」
パリッと揚がった麺に、野菜の旨味が溶け込んだ濃厚な餡を掛けた、長崎県の名物だ。全国展開している長崎ちゃんぽん専門店もあるが、俺は本格的な長崎皿うどんを食べたいのだ。
「というわけで、皿うどん食べに行くぞ」
「へ?」
部屋の掃除を手伝っていた茉莉がポカンとした表情を浮かべた。だが詳しく説明している時間はない。あの店の営業時間は僅か三時間、一二時半の今から行けば、一三時には着くだろう。俺は茉莉を連れて、車を出した。
瑞江から涼風橋を通って環状七号線を葛西駅方面へと向かう。新川を超えると右手にその店が見えてくる。この地で四〇年以上も営業を続ける長崎ちゃんぽん、皿うどんの専門店「蓬莱亭」だ。東京都内の長崎ちゃんぽん専門店を挙げれば、五指には入る名店である。
「皿うどんセット、大盛りで。それと烏龍茶を二つ。茉莉は……」
「私はちゃんぽんの並盛でいいです」
最寄りのコインパーキングに車を入れて店内に入る。一三時を過ぎていたため、並ばずに座ることができた。卓上には酢、辛子、胡椒、ソースなどが置かれている。
「私、初めてきました。有名なのは知っていましたけど……」
「葛西駅からも少し離れているからな。だがそれでも、この店目当てに来る客は多い」
やがて料理が運ばれてくる。蓬莱亭はデカ盛りでも有名だ。皿うどん大盛りはキロを超える。パリパリの麺に具だくさんの餡がこれでもかと掛かっている。箸で何カ所か麺をつぶして、最初はデフォルトの状態で食べる。茉莉もちゃんぽんに箸を伸ばした。女性一人分としては量が多い。だが高校生でしかもダンジョン内で活動している茉莉なら、これくらいは食べられるだろう。
「うん、美味い」
豚骨と野菜の旨味が詰まった餡を揚げ麺に絡めて口に運ぶと、口内でバリバリと音を立てる。キャベツの甘みと程よい塩加減、そして圧倒的な旨味が揚げ麺によく合う。
「あ、美味しい。ちゃんぽんって冷凍食品しか食べたことないんですけど、こんなに美味しいんですね」
「冷凍食品も悪くはないがな。本場のちゃんぽんは麺が違う。唐灰汁というかん水を使っている。あとスープだな。豚骨と鶏ガラの比率が店によって違う。ここは豚骨メインだな」
少し食べ進んだところで、辛子を入れる。辛子多めが俺の好みだ。大匙一杯分以上を入れ、少し酢を掛ける。ツーンとくる辛子、そして酢の酸味がともすると甘めと感じる豚骨ベースの餡を引き締めてくれる。熱々の餡が掛かった揚げ麺は、やがて汁気を吸って少しずつクタってくるが、それもまた皿うどん特有の変化だろう。
「そうだ。機会があれば、皿うどんでコレを試してみろ」
そう言って、卓上のソースボトルを茉莉の目の前に置く。
「長崎県民は、皿うどんにこのウスターソースを掛けるそうだ。長崎の醤油会社が製造している」
ボトルには「金鳥ウスターソース」と書かれている。このソースが最後の「味変」だ。酢が掛かっていない部分、四割ほど残したところで、このソースを掛ける。すると味が大きく変わる。
「他のウスターソースと比べるとスパイス感が少なく、酸味が強い。それが餡とマッチしてもう一段、旨味を高めてくれる。皿うどん専用のソースとまで言われているほどだ」
「う…… そういうのあるんなら、私も皿うどんにすれば良かったかな~」
茉莉が恨めしそうに上目遣いをする。いや、ちゃんぽんだって美味いだろ。ただ野菜を煮たのではなく、ちゃんと豚ラードで炒めて旨味を引き出し、豚骨ベースのちゃんぽんスープにマッチしているはずだ。いかんな。俺もちゃんぽんが食べたくなってきた。
「……餃子も食べていいぞ」
ニンニクとショウガが利いた餃子を食べ、そして皿うどんを食らう。20分ほどで食べ終わってしまった。だが満腹ではない。その気になればもう一皿食える。そしてそれは、目の前の美少女も同じだったようだ。見た目はアイドル顔負けの美少女高校生だが、中身はDランクのほとんど人間を辞めているような超人、基礎代謝も人並外れている。
「和さん。私も皿うどん頼んでいい?」
「俺も、ちゃんぽん頼むか。すみません! 追加を……」
注文を取りに来た中年女性がどのような表情を浮かべたかは、想像にお任せする。食欲が満たされた俺たちは、大満足で家路についたのであった。




