第080話:LRカードの謎
ダンジョン・バスターズ第二巻の発売が決定しました!
発売日は追って、ご報告いたします。
第一巻ともども、よろしくお願いいたします。
【つくば市 ダンジョン研究センター】
ガラス張りの部屋の中に、異様な生命体がいた。見た目は骨格模型だが、鎧を着て剣を持っている。ガチャ産の魔物「スケルトン・ナイト」であった。ガチャ産の魔物は、顕現制限時間が存在しない。そこでダンジョン・バスターズが台湾に行く前に、何体かを顕現しておいてもらったのだ。
科学者アイザック・ローライトは同じ部屋に入り、スケルトンの周囲を歩きながら観察していた。腕や足を触っては首を傾げる。
「博士、危険です。早く退室してください」
スピーカーから、秘書のレベッカの声が響いた。だがアイザックは片手をヒラつかせて無視した。顕現者は「何をされても抵抗するな」と命令している。そのためスケルトンは大人しく立っているだけであった。ようやく部屋から出ると、レベッカから険しいまなざしを向けられた。
「博士、いくらなんでもたった一人で魔物と同じ部屋に入るなど危険です。護衛をつけてください」
「襲われるならとっくに襲われてるよ。なんの問題もない。それよりレベッカ、気づいたかい? あのスケルトン、呼吸してないよ」
「それはそうでしょう。骸骨なんですから、肺などはないでしょう」
「じゃぁ、あの骸骨はどうやって自立してるんだ?」
そう言って、アイザックは自分の研究室に戻った。その後ろにレベッカが続く。部屋に戻ると冷蔵庫から「ドクトル・ペプシ」を取り出し、椅子に座って呷る。
「博士、何か気になることでも?」
一気に飲んだアイザックは盛大にゲップをしたあと、座ったままレベッカを見上げた。
「レベッカ。Zハザードって映画、観たことある?」
「確か日本のテレビゲームが原作の映画でしたね? 軍需産業が開発したウィルスが事故によって拡散し、ゾンビが出現するという設定だったかと……」
「そう。あの映画以降、ゾンビをテーマにした映画やドラマが何本か作られたよね。どの映画でも、ゾンビが人間を襲い、噛まれた人間もまたゾンビになってしまうって設定だった。娯楽映画としては面白いんだろうけど、科学者の立場からすれば、あんな設定はあり得ない」
「どういうことでしょう? 実際、ガメリカ人の中にはゾンビウィルスによる世界滅亡を信じている者もいるようですが?」
アイザックはフンッと鼻で笑うと、ボテトチップスの袋を開けた。最近お気に入りの、日本の製菓メーカーのブランドである。
「いいかい? 僕らは二本足で立って歩いている。脳が脚の筋肉に電気信号を送り、筋肉を動かして自重を支えているから立てるんだ。運動エネルギーが働く以上、当然ながら外部からエネルギーを摂取しなければならない。僕らは食事をし、体内で消化し、血液を経由して末端まで栄養を届け、酸素摂取によってエネルギーを作り出し、運動しているんだ。で、あの映画のゾンビはどのようにエネルギー代謝を行なってるんだ?」
「いえ…… それは映画ですから」
「もし実際に、あんなゾンビ騒動が発生したら、僕だったら七二時間、家に閉じこもって自衛するね。三日もすればゾンビたちは体内に蓄えられたエネルギーが枯渇してバタバタと倒れるだろうよ。エネルギーを摂取できないのに、無限に動き続けられるなんて有り得ない。それはゾンビであろうと戦闘ロボであろうと同じだ。では、ダンジョンやガチャ産の魔物はこの地上で、どうやってエネルギーを摂取してるんだ?」
「あ……」
「そう。魔物はエネルギー摂取を必要とはしていない。にもかかわらず動くことができる。僕は以前、ダンジョン内のエネルギーについて論文を書いたけれど、それは地上時間の一四四倍の速さで時が流れる『ダンジョン空間』に限定した論文だった。けれど、ひょっとしたらその論文は加筆修正する必要があるかもしれない。魔物大氾濫というのは、この星そのものが『ダンジョン化』することなのかもしれないよ?」
レベッカは自分の二の腕を掴んでブルッと震えた。
【永田町 首相官邸】
「それでは、G20閉幕後に憲法改正発議ということで閣議決定をしたいと思います。賛成の方は、挙手をお願いします」
閣僚全員が挙手した。官房長官の菅沼義明は感無量であった。八年近く支え続けてきた浦部誠一郎総理大臣の悲願が、遂に実を結ぼうとしている。そしてそれは、保守党七〇年の悲願でもあった。
閣議後、各々が離席していく中、浦部は椅子に座ったままであった。顔色があまりよくない。当然であった。総理大臣職はただでさえ過酷なのだ。その過酷さに耐えきれず、現職のまま亡くなった総理までいる。さらにそこに、ダンジョン問題が発生した。解決の見通しも立たない状況で、それでも全世界が日本に協力を期待している状態である。行政の最高責任者としてのストレスは想像を絶する。
「総理、大丈夫ですか?」
菅沼は小声で話しかけた。浦部は難病を抱えている。体調管理を徹底することで、総理大臣という激務を務めてきたが、それにも限度というものがあった。菅沼は幾度か、エクストラ・ポーションを飲むように浦部に薦めたが、浦部は拒否し続けている。エクストラ・ポーションは希少で、世界中の難病患者がすがる思いで待っている。権力者である自分が、その地位に留まるために飲むわけにはいかない。飲むときは、総理の職を辞した後だというのだ。
「大丈夫です。憲法改正まであと一歩です。その日を迎えるまで、倒れるわけにはいきません」
「総理、私から江副さんに頼みましょう。あくまでも私が勝手にやることですから……」
浦部は首を振り、立ち上がって菅沼の肩を叩いた。
「記者会見があります。行きましょう」
菅沼は俯き、肩を震わせた。その日の記者会見は、五分ほど遅れて始まった。
【台北市Cランクダンジョン 江副和彦】
初の日本国外のダンジョンであったが、入ってみれば全く同じ構造である。違いは出現する魔物だ。
「ゾンビです。噛まれると猛毒が回ります。また腕や足を失っても動きは止まりません。頭部を破壊するのが効果的です」
「……いや、ゾンビは理解できるんだが、なんで人間の姿をしてるんだ? オークやゴブリンのゾンビはいないのか?」
肉が腐ったような酷い臭いだ。呼吸することすら嫌になる。安全地帯に入ると、全員に防毒マスクを渡した。口元だけでなく、顔面全体を覆うフルフェイス型である。口元の「吸収缶」を交換することで、様々な毒に対応できる。
「兄貴、なんでこんなの持ってるの?」
「別に今回だけじゃない。いつも持ってるぞ? ここはダンジョンだ。毒の罠だってあるかもしれないからな。吸収缶はNATOで使われている高性能フィルターだ。ウィルスや放射性粒子、VXガスやサリンにも対応できる。視界が狭くなる分、注意して進むぞ」
イタリアの軍需企業が開発した高性能マルチガスフィルターは、一個二万円もするが、ダンジョン・バスターズではこれをグロス単位で備蓄している。防毒マスクと聞くと、某SF映画の悪役のような「コーパー」という音を想像するかもしれないが、実際には呼吸音はほとんど無音であり、少しくぐもるが声も普通に出せる。
「それにしても、ゾンビというのは生きているのか? それとも死んでいるのか? 『動く死体』なんて言葉からして破綻していると思うんだが……」
「和さん! そんなことよりまた来ます!」
凛子の声が響く。ゾンビの首を次々と斬り落としていく。火炎魔法で焼くよりも、こちらのほうが効率的だ。魔法では燃え尽きるまでに時間が掛かってしまう。
「さすがに、あの臭気の中で飯は食えないからな」
スケルトン・ナイトが出てくる階層の安全地帯で食事をとる。夜市で買い込んでおいた小籠包や魯肉飯、大鶏排という鶏ムネ肉の唐揚げなどが並ぶ。討伐が終わったら、喰い歩きに出よう。
「兄貴、タピオカミルクティー飲んだことある? ほとんど糖質だから、手っ取り早くエネルギー補給できるよ」
「どれ……」
日本でも流行していることは知っていたが、俺自身は飲んだことがない。たしか小岩駅近くに専門店があったが、俺は紅茶では「無糖派」なので甘い飲み物には興味がなかった。
「……アッサム葉だな。だが茶葉の質が悪い。使われている牛乳も脂肪分が少なく、ミルクティーとしては安物だ。だがタピオカの味は悪くない。黒糖を使っているのか? それが不思議なコクを出している」
紅茶に一家言のある俺としては、あまり認めたくない飲み物だ。茶葉で味を出しているのではなく、使われている黒糖が味を出している。だから「タピオカミルクティー」なのだろうか。
「それにしても、海外のダンジョンも基本は同じだってことがわかったね。Cランク以下のダンジョンについては、各チームを派遣するってやり方でいけるね」
一リットルのミルクティーを飲みながら、彰が明るい声を出す。確かにその通りだ。「地域が異なろうとダンジョン内はほぼ同じ」ということは、クルセイダーズからの情報で知識としてはあったが、実際に確認する必要があった。日本と異なるのは討伐前後の対応である。日本でなければ調達できない装備があるし、カード類の取り扱いについてもよりスムーズに持ち込めるようにすべきだろう。だが手荷物検査をおざなりにすれば、テロの危険性も高まる。この辺は課題事項としてレポートを提出するつもりだ。
「よし、では一気に討伐してしまうぞ」
休憩を終えた俺たちは、最下層目指して進み始めた。
【台北市Cランクダンジョン最下層 日下部凛子】
台北のダンジョンは第七層が最下層であった。いま私たちは、一本道の途中にある「天井画」に釘付けになっている。異形の魔物に向けてカードを翳している人間の姿が描かれている。
「兄貴、あのカードって……」
「LRカードの可能性が高いな。だが問題はそこじゃない」
そう、問題はカードではない。それを翳している人間の姿が問題であった。石に刻まれているでため顔の形は正確ではないが、髪型や体形を考えるとそうとしか思えなかった。
「なぜ、朱音がカード使用者としてここに描かれている?」
和さんの目が鋭くなる。胸の形や髪型、服装など描かれていたのは、どうみても朱音さんであった。朱音さんはLRカードとして、ダンジョン・システムに組み込まれた存在だ。その使命は、カード所有者のダンジョン探索と討伐を支援すること。つまりあくまでもサポーターに過ぎない。その彼女がカード使用者、つまりプレイヤーとして描かれていた。これはなにを意味するのだろうか。
顕現された朱音さんは自分が描かれた天井画を見つめながら、両腕を組んでブルッと震えた。和さんはしばらく考えた後、第六層の安全地帯にいったん引き上げ、このレリーフについて討議すると言った。
「恐らく朱音は、どこかの世界のダンジョン討伐者だった…… それが俺の推測だ」
「そう……だと思います」
安全地帯で軽食を取りながら、和さんは自分の推理を語った。その推理に朱音さんも同意する。
「でもさ、だったらなんで姉御がカードになってるの? ダンジョン・システムが起動した世界は、すべて滅んだんだよね? つまり姉御でも魔物大氾濫を止められなかったってことでしょ?」
「これまで滅んだ世界の中には、私たちのように魔物大氾濫を止めようとした人たちもいたはずです。そうした人たちの中から、LRカード化する人が出るということでしょうか?」
彰さんの言葉を受けて、私も自分の推測を話した。ほとんど思い付きのようなものだ。なにがどうなったらLRカード化するのかも不明である。和さんは念のため、朱音さんに記憶の確認をしたが、まったく覚えていないそうだ。皆もそれぞれ意見を出し合う。それを黙って聞いていた和さんが、ふと呟いた。
「存在限界突破者……」
Cランクになった時に聞こえる「ダンジョン・システムの声」である。これは私たちもCランク、つまり「種族限界突破者」になったときに聞いている。その後Bランク、Aランクへと上がっても、ステータス画面に表示される称号は変わっていない。そのため、和さんも私たちも忘れていた。
「俺は、ダンジョン・システムとは人類を進化させるためのシステムだと考えている。俺たちはすでに、人間という種の限界を突破している。だが存在限界とはなんだ? 朱音がLRカードとして存在していることが、存在限界なのか?」
「いや、それも変だよね。だってアレって確か『目指してください』って言ってたよ? 正直、姉御には悪いけど僕はカード化なんて目指したくないな」
彰さんの言葉に、私も頷いた。強くなるのはいい。けれども生き物であることそのものを辞める気はない。私はヒトとしてダンジョンに立ち向かい、魔物大氾濫を食い止めたいと思う。そう思うのは私だけではないようで、他のメンバーも頷いている。
やがて和さんは首を振って立ち上がった。
「情報が不足している。いま考えても仕方がない。まずはこのダンジョンを消し去ってしまおう。天井画のスキャニングが完璧かどうか、もう一度確認してくれ。朱音、気にするな。過去がどうであれ、お前はダンジョン・バスターズの大切な仲間だ。魔物大氾濫は、この世界で食い止める。力を貸してくれ」
厳しかった表情も緩み、口調も違う。ホッとした空気になる。朱音さんは嬉しそうに頷いた。
【江戸川区松江高等学校 木乃内茉莉】
体育の授業で、男子たちがサッカーをしています。松高は硬式野球部が有名なんですが、それ以外にも陸上部やハンドボール部など、運動部が盛んです。だから体育の授業では、そうした運動部の人たちが活躍することが多いんですが……
「クソッ! またかよ!」
あり得ない反応速度でパスカットしてドリブルする男子生徒がいます。彼は帰宅部で、少し前までそれほど目立つ人ではありませんでした。でも……
「キャーッ! 慎吾くーん!」
その活躍に女の子たちが騒ぎます。他の男子生徒は少し面白くなさそうです。サッカーでもバスケットでも、運動部の人たちでさえ敵わないほどに活躍して、しかもテストの成績もトップクラス。それでいてバイクに乗っていて、大人びた雰囲気なので、同学年や下級生の女子たちから人気があります。そうです。私の彼氏である山岡慎吾君です。
「自分で言うのもなんだけど、高校生がダンジョン冒険者やるのは、やっぱり問題あるんじゃないかな」
毎日じゃないけれど、慎吾君とは放課後に待ち合わせをしてデートしたりします。今日は京葉道路沿いにあるしゃぶしゃぶ食べ放題のお店でデートです。高校生のわりにお小遣いは多いと思うけれど、和さんみたいに高級料理を食べることはできません。二人とも食事量が多いので、食べ放題のお店が多くなります。私も慎吾君もしゃぶしゃぶが大好物で、一人でキロ単位のお肉をペロリと食べちゃいます。
「ダンジョンでトレーニングしたオリンピック選手を認めるかって問題になったしね。東京オリンピックのときは、ブートキャンプ参加者くらいだったから大丈夫だったけれど、次回はダメだと思うよ」
私も慎吾君もDランカーです。これは人間の限界ギリギリの身体能力で、その気になれば世界記録だって出せるかもしれません。今日の体育の授業だって、実は慎吾君は結構「手加減」をしていたはずです。他の女の子からキャーキャー言われるのはちょっと複雑だけれど、モテない彼氏よりはいいと思います。
「そういえば、さっき和さんからメールが入ってたよ。台湾ダンジョンの討伐が成功したって。明日の飛行機で帰るって」
「台湾かぁ……この先、亜国とかガメリカとかにも行くことになるんだろうな。俺たちが冒険者登録するころには、日本国内に未討伐ダンジョンは無くなってるかもしれない。いきなり海外デビューって可能性が高いかもな」
「うん。やっぱり慎吾君、考えてるんだ」
「あぁ…… ガメリカの大学に行こうと思う。できれば茉莉も、一緒に来てほしい」
とても真剣な表情で、ドキッとする言葉を言われました。
【防衛装備庁 対飛行系魔物研究班】
江副和彦率いるダンジョン・バスターズが台北ダンジョンを無事に討伐したころ、 防衛省の下部組織である防衛装備庁内では、魔物大氾濫時にもっとも可能性が高いであろう「ユーラシア大陸から来る飛行型魔物の迎撃」について、熱い議論が続いていた。
「ですから、ワイバーンやドラゴン、あるいはモ〇ラを迎撃するのに、超音速とかステルス性能とか必要ないんですよ! ワイバーンには、一撃離脱戦法やミサイルを使ってのアウトレンジ戦法は通用しません。相手は戦闘機じゃない。数万、数十万のワイバーンです。あの機動力と互角に戦える空戦格闘能力、継戦能力! そして分厚い表皮を貫く強力な機関砲が必要なんですって!」
「しかし、航空自衛隊の戦闘機はすべて現在の空戦思想に基づいている。F-15Jでさえ、固定武装は二〇ミリバルカン砲一つだけで、あとは全部ロケットとミサイルだ。となると戦闘機をイチから開発し、揃える必要がある。いったいどれだけの時間と費用が掛かると思ってる!」
現在の第五世代戦闘機の設計思想は「より発見され難い機体で、敵を先に発見して、ミサイルで撃墜する」である。だがこれは敵国、つまり人間との戦争を前提としており、ワイバーンやドラゴンと戦うことなど全く想定されていない。
ワイバーンを使った実験から、榴弾などは効果があるが、〇四式空対空ミサイルではワイバーンを叩き落とすのがせいぜいであった。二〇ミリ機関銃も殺傷するには至らない。つまり航空自衛隊の現在の戦力では、空戦は不可能であった。
「速度の遅いワイバーン相手に、ジェットエンジンなんて必要ありません。時速七〇〇キロもあれば十分です」
若い研究者が熱く語る。彼の中には、ある種のロマンチシズムがあった。戦後日本は、航空機開発力は大幅に低下し、航空自衛隊の戦闘機は米国からの輸入に頼っていた。だが魔物を相手にするには、最新鋭戦闘機である必要はない。
若き研究者は机に両手をついて、メンバーたちを見まわし、自分の構想(というより夢)を語り始めた。
「圧倒的な格闘性能と重装備…… これを兼ね備えた戦闘機をかつて我が国は開発したではありませんか! 世界をアッと言わせた、あの傑作機を現代に蘇らせましょう! 題して『プロジェクト・零』です!」
日本人ならば一度は見たことがあるであろう、優美な「プロペラ戦闘機」の写真が投影される。彼の上司は、額に手をあてて天井を仰いだ。




