第079話:過酷な現実
【ガメリカ合衆国 ホワイトハウス】
ロナルド・ハワード大統領の伴侶、つまり合衆国ファーストレディのミレイア・ハワードは、ホワイトハウス内で大統領補佐官や自分の家族たちを交えて今後の話し合いをしていた。
「現在のところ、ハワード大統領の意識が戻る見通しは立っておりません。医師の話では、脳に損傷が見られるため、たとえ意識が戻っても言語障害などが残る可能性がるとのことです。回復には、ダンジョンアイテムを使うしかありません。ハイ・ポーションもしくはエクストラ・ポーションであれば、大統領も完全回復するでしょう」
ガメリカでは、陸軍を中心にダンジョン討伐部隊が結成し、ダンジョンの調査が行われている。その過程でポーション類も入手しており、大統領の権限を使えば回復のためにダンジョンアイテムを使用することは不可能ではない。
「特にエクストラ・ポーションは完全な健康体に戻ることが可能だ。血圧やコレステロール値が正常になれば、完全復活をアピールすることも可能だろう。そうなれば、選挙の行方はまだわからないぞ」
「もともと大統領はタフな人だからな。健康体になれば、任期四年も十分に務められるだろう」
大統領補佐官たちが盛り上がる。だが、副大統領にダンジョンアイテム手配を頼もうとしたのをミレイア・ハワードが止めた。ドナルド・ハワードにとっては三人目の妻であり、年齢は二四歳も離れている。
「ダンジョンアイテムは未知のもので、どのような副作用があるかもわからない。夫にそんなものを投与するのは反対だわ。もともと夫の年齢を考えると、二期目を続けるのは難しいと思っていたの。ハワード・オーガナイゼーションのこともあるし、これからは家族でゆっくり時間を取りたいわ」
ハワードの息子が社長を継いだ会社は、百億ドル近くの売り上げをあげている。またハワード自身の総資産は二〇憶ドルを超える。将来、遺産相続のときには前妻、前々妻が出てくることは目に見えていた。そうした家族の複雑な事情にも、これからは備えなければならない。
ファーストレディにそうした打算が働いていることは、その場にいる誰もが感じ取っていた。だが補佐官たちは互いに顔を見合わせ、阿吽の呼吸でなにも言わなかった。ロナルド・ハワードは決して仕えやすい大統領ではないが、一代で巨大企業を築き上げた指導力は確かに持っていた。だがその指導力の向き先が問題であった。「ガメリカ・ファースト」という自己中心的な政策では、この問題には対処できない。これは、個人のキャリアも政党の政略も一国の事情をも超えた、全人類の問題であった。
「共和党本部に連絡。それと、議会への説得を……」
各人はそれぞれの役割を果たすために、執務室から出ていった。
【日本国 首相官邸】
東京オリンピックが終わった後、浦部誠一郎内閣総理大臣は、自身の政治生命を賭けて大勝負に出ていた。それが、憲法改正の発議である。
「魔物大氾濫まで、あと九年しかありません。自衛隊を憲法に明記し、いずれ来る人類の危機に備えなければなりません。来年二月七日に国民投票、五月三日施行を目指します」
浦部総理の方針に、閣僚全員が頷いた。現行の日本国憲法では「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とあるが、国を滅ぼしうる魔物を想定した安全保障など念頭にない。またジョーカーをはじめとするテロリズムについても想定していない。平和主義の理想と現実とが、あまりにも乖離しているのが現行憲法であった。改憲派が七割以上を占めている現在の国会ならば、改正の発議は可能であるため、臨時国会が終わる十一月末に、憲法改正発議を国会で可決する予定で調整を進めている。
「総理、おそらく次のガメリカ大統領になるピーター・ウォズニアック氏との会談はどうされますか?」
外務大臣の問いに、他の閣僚たちも頷いた。米国では大統領が交代するときには二ヶ月間程度の「引継ぎ期間」が設けられるが、世界は目まぐるしく変わっている。二ヶ月間すら惜しい。
「サウードアラブ王国で開催されるG20サミットには、ベイツ副大統領が代理として出席するでしょう。ですがその時にはおそらく、ウォズニアック新大統領が決定しています。大統領選挙後になりますが、米国に次期大統領の出席を求めることはできないでしょうか。必要なら日本政府が他の参加国に根回ししても構いません。大亜共国も賛成するでしょう」
ダンジョンが出現する前までは、米国と大亜共国は太平洋を挟んで睨み合っていた。関税戦争が発生し、南シナ海では軍事的緊張まであった。だがこの一年間で、大亜共国は方針転換をしつつある。無論、新疆ウイグル自治区での人権問題、チベット問題などは存在しているが、日米亜の三ヶ国首脳会談が実現すれば、対ダンジョン協力体制を世界にアピールすることもできるだろう。なにより「魔王勢力」に対する強いメッセージを送ることになる。
「例の実験についてはどうですか?」
話題は変わり、今後の国防計画について防衛大臣に確認する。九年後の「魔物大氾濫」を見据えて、防衛力の増強は最重要課題であった。
「魔物を使った実験では、Aランク魔物ワイバーンは鹿児島-札幌間を飛行しました。ただ相当に疲弊したようで、実戦に耐えられるかは疑問です。暫定ですが、航続距離一五〇〇キロというところでしょう。そう考えると、大姜半島で魔物大氾濫が発生したら、日本全土が射程に入ります」
「大姜王国でダンジョン討伐者が出現したという情報は?」
「残念ですが、現状の内国との関係からも、北姜についての情報は限定的です。確認の取りようがありません」
何人かが溜息をついた。ダンジョン討伐者は、魔物カードを地上で顕現することができる。そうなると魔物は「兵器」にもなり得る。しかもダンジョンが存在する限り、低コストで無限に調達が可能なのだ。ダンジョン討伐者は、世界の軍事バランスを崩壊させかねない危険な存在でもあった。
「やはり、ダンジョン討伐者の国家的な管理が必要になるか……」
相馬副総理が腕組みをして呟いた。仕方がないという反応もあれば、明らかに反対という反応もあった。そして浦部総理はどちらかといえば反対の立場であったが、ここで顔に出すわけにはいかない。閣議の議長である以上、他者の意見を引き出すのが役割だからだ。その空気を読んだのか、厚生労働大臣や法務大臣などが反対の声をあげた。
「しかし、ダンジョン討伐者も同じ日本国民です。個人の自由権を奪うなど、憲法に反します」
「俺だってできればそんなことやりたくねぇよ。特に、バスターズの連中について悪い評判も聞かねぇしな。だが性善説で、国防や治安維持を考えるのは危険だ。なにも牢屋に入れて監禁するわけじゃねぇ。たとえば位置情報を把握するために、リストバンドの着用を義務付けるとか。あるいはダンジョン産のアイテムで、国からの許可がない限り、魔物カードを地上で顕現しないと誓約させる方法もある。もっとも、ダンジョン産アイテムの法的有効性についてはまだ結論も出てねぇし、今すぐって必要もないだろ。今後の検討課題としておけばいいんじゃねぇか?」
そう言われて、反対者たちも黙った。数瞬の沈黙後、浦部総理が口を開いた。
「政治である以上、多数の為に少数に我慢をしてもらう場合もあるでしょう。ですが、ことダンジョン討伐者については扱いを慎重にしなければなりません。なぜなら、彼らは少数ではありますが、圧倒的な強者といえるからです。全人類の命運は、少数のダンジョン討伐者に懸かっているのです。管理は必要かもしれませんが、彼らを負の方向に誘導しないよう、注意する必要があります。
【台北市 オリエンタルハイアットホテル前 江副和彦】
「ダンジョン・バスターズは日本に帰れ!」
「ダンジョンは台湾のものだ!」
「日本の帝国主義を許すな!」
プラカードを掲げるデモ隊は、俺たちの姿を見つけると一斉にシュプレヒコールをあげた。警察隊がそれを止めようとし、マスメディアがその光景を撮影する。思わず首を傾げてしまった。広東語、あるいは台湾語なのだろうが言葉が理解できない。思わずダンジョンアイテムを使おうか迷ってしまった。
「連中は、何を主張しているんだ?」
「さぁ?」
彰も肩を竦めて苦笑いている。だが無視はできない。俺たちは東亜民国政府の依頼でここまで来たのだ。別に感謝しろとは言わないが、石を投げつけられてまでダンジョンを討伐する義理はない。俺たちは「討伐させてもらう」わけではないのだ。落ち着くまで後回しにしてもなんの問題もない。
「……帰るか」
思わずそう呟いてしまった。だがそこに、日台交流協会の担当者が慌てて駆けつけてきた。
「申し訳ありません。彼らは東亜統一促進党のようです。元々は大亜共国の支援を受けていたのですが、周政権の急速な方針転換で梯子を外された形になりました。反台湾政府、そして反日デモ活動団体へと変わりつつあるようです」
「なるほど。要するに『市民活動家』の集まりか」
「兄貴、どうする?」
「このまま帰るのは少し癪だな。今後のこともあるし、ここでしっかり、ダンジョン・バスターズの方針を明らかにしたほうがいいだろう」
国外からダンジョン冒険者を呼んで、自国のダンジョンを討伐してもらう。実際に金銭が動くかはともかく、ダンジョン・コアに表示される「所有権」が、討伐者の名前になり、ダンジョンの管理権限まで取られてしまう。討伐者の気分次第で出現する魔物の強さや魔石の大きさ、あるいはドロップアイテムまで変えることができるのだ。このことに異論を持つ者は一定数はいるだろう。
今後、ダンジョン・バスターズは海外でも活動することになる。そうした反対の声にも相対していかなければならないのだ。
「ホテルに許可を取りましょう。彼らの代表者と話をします。その光景を生放送で、東亜民国の皆さんに観てもらおうじゃありませんか」
懐からダンジョンアイテム「翻訳ゼリー」のカードを取り出した。
「最初に、言葉の定義をしておきたいと思います。デモとは『主義主張』の略であり、『民主主義』の略ではありません。貴方たちは誰に対して、どのようなデモンストレーションをしたいのですか?」
オリエンタルハイアットホテル内の大会議室を急遽借り、現地テレビ局や新聞記者たちなども入れて、デモ隊の代表者と面談することにした。不思議なことに代表者たちは、最初は遠慮する素振りを見せていた。せっかくこちらが意見を傾聴するというのに、その場が与えられると途端に尻込みしてしまったようだ。
(そういえば日本の自称極右活動家も、自治体の首長との対談では罵詈雑言が飛び交うような酷いものだったらしいな。左右関係なく、そういうものなのかもしれない)
「私たちは、台湾にあるダンジョンは台湾人の手によって討伐すべきだと考えています。他国の人に頼るなど間違っている。ましてそれが、かつて台湾を侵略した日本人となれば、また侵略してくるのではないかと不安になるのは当然でしょう」
六〇代と思われる男性が持論を述べる。東亜統一促進党の党首は元暴力団関係者であり、沖縄独立運動の団体とも繋がっている。党幹部は大亜共産国の工作員として逮捕されており、彼らの言葉の裏にはそうした様々な「事情」があることを忘れてはならない。
「台湾のダンジョンは台湾人の手で…… 確かに理想ですね。できるのならば、それが一番でしょう。ですが、それを私たちに主張されても困ります。私たちは台湾人が民主的手続きで選んだ現台湾政府から依頼を受けて、ここまで来たのです。であるならば、台湾政府に対して、主張すべきではありませんか?」
こちらとしては正論を述べたつもりである。だが目の前の男には独自の論理があるようだ。いきなり表情を険しくして怒鳴った。
「日本は釣魚台列嶼を占拠し、ダンジョンを討伐してほしければ我々に領有権を放棄せよなどと言っている! これが侵略でなくてなんだ!」
(いやいや、それは政府間の交渉で決まったことだろ。俺に言われても困るわ)
「そうお思いならば、次の選挙で立候補されるなり、あるいは現在の野党に働きかけるなりするべきでしょう。私たちダンジョン・バスターズは政治には一切、口を出しません。台湾政府が、やはりダンジョンは自分たちで討伐すると意思決定をされたのであれば、私たちはこのまま帰ります。ですが、貴方は政府の代表者ではない。台湾国民二千万人の中の、ごく一部の声として傾聴はしますが、我々の行動を阻止する権利は貴方にはない。むしろ民間企業であるこのホテルの前でデモ騒動を起こし、宿泊している他のお客様に迷惑を掛けている。主義主張は勝手ですが、他人の迷惑も考えるべきではありませんか?」
彼らとて、自分たちの主張が大多数になるなど考えていないし、日本が本気で台湾に攻めてくると思っていない。もともとは大亜共産国から活動資金を得て「一つの亜国」を主張する市民活動団体だったのだ。それがダンジョン出現によって大亜共産国の対外戦略が変わり、少なくともダンジョン問題が解決されるまでは、台湾をはじめとする各国との外交問題、領土問題は棚上げとなった。
つまり梯子を外されてしまったのだ。日本でも、国会前でラップを歌って浦部政権を批判していた学生たちの存在など、忘却の彼方に消えつつある。少数意見者は、デモンストレーションによって自分たちの存在をアピールしない限り、すぐに忘れられてしまうのが現代社会だ。
(もっとも、それは彼らの事情であって俺の事情ではない。主義を持つことも主張することも自由だが、「主張することが目的」になっているのなら、チンドン屋と同じだ。いっそ左右関係なく、堂々と金銭でデモする営利団体にでもなればよいものを……)
テレビカメラが回っているためか、デモ隊代表者たちの歯切れが悪い。スゴスゴと帰っていく彼らの背中を見送っていると、記者たちに取り囲まれた。出足を挫かれた形になったが、今の気分は?と聞かれたので、無表情のままカメラに視線を向ける。コイツらはどうしてこんなに「他人事」なんだ?
「彼らは基本的に間違ってはいません。自国に出現したダンジョンなのです。本来ならば自国民の手によって討伐するべきだという考え方には、私も賛成します。今回は台湾政府からの依頼でもありますので私たちで動きますが、残されたもう一つのダンジョンは、自分の手で討伐するのだという人が出てきてくれるのを期待します」
擁護とも思える言葉に、記者たちは意外そうな表情を浮かべた。だがこれは俺の本音でもある。日本国内にも「ダンジョン討伐はダンジョン・バスターズに任せるべき」という意見がある。それどころか、ダンジョンを「どこか遠くの世界の出来事」と考えている人すらいる。「正常性バイアス」と呼ばれるものだ。あの震災の時もそうだった。警報では動かず、実際に津波を目撃してから逃げ始めた人もいたらしい。このままではダンジョン問題も「実際に魔物大氾濫が起きて、襲ってくるまで自分事として自覚できない」ということが起きるだろう。
「ダンジョンは、他人事ではありません。全人類一人ひとりの問題なのです。私は何度でも言います。すべてのダンジョンを潰すか、それとも人類が滅びるか。これは人類とダンジョンの戦争なのです」
あの時は、ただ画面で見守ることしかできなかった。今度は絶対に防ぐ。
【ダンジョン省 石原由紀恵】
ダンジョン省は第九八代内閣総理大臣である浦部誠一郎の肝いりで設置された。ダンジョンは全世界的な問題であるが、同時に日本経済復活の起爆剤ともなり得る。当然、その大臣は閣議において強い発言力を持つことになる。そのため浦部総理が大臣を兼任すると思われていたが、意外な人物がダンジョン大臣となった。
「大臣、報告です。台湾政府より、ダンジョン・バスターズへのデモについて非公式な謝罪が来ました。バスターズの江副氏からも、事を大きくはしたくないと連絡が来ています」
「では、この問題はこれで終わりですね。彼らはもう、ダンジョンに入ったのですか?」
「はい。台北ダンジョンのランクはCランクだそうです」
仙波勝大臣は、黙って頷くと執務机の上に置かれている「ワイバーン」の模型を手に取った。どう反応してよいのか戸惑う。目の前の男は、与党内ではあまり好かれていないが、軍事オタクであり政界随一のサブカル通である。実際、書棚はファンタジー系ライトノベルと自衛隊の広報誌「MAMORI」といった軍事専門雑誌が並んでいる。
「将来、FMS(対外有償軍事援助)は兵器ではなく、冒険者を派遣することになるでしょうね。ダンジョン討伐のためなら、そのほうが安い。そして魔物相手に近代兵器は十分な性能を発揮できているとはいえません。現在、世界最強と呼ばれているF35戦闘機は、あくまでも国家間戦争を前提として作られています。ワイバーン相手にステルス機能など必要ないでしょう。魔物を相手にした兵器の開発を始めなければなりません」
「防衛省と連携して、筑波の研究センターで開発がスタートしていますが……」
仙波大臣は首を振って、一昨日に公開された動画の話をし始めた。ブレージル共和国軍が魔物を相手に苦戦している映像であったが、軍事的観点からすると興味深いらしい。
「ゴブリンがAK-47を使っていました。あれは扱いやすい銃ですが、それでも最低限の訓練が必要です。ゲームやライトノベルで描かれている魔物と、現実の魔物は違います。知性があり、自己研鑽によって新たな技能を身につけられる。それでいて普段はカード化しているため維持コストは掛からないし、そのカードはダンジョンから得られるので調達コストも安い。中東やアフリカなどの貧国では、既存の軍を魔物に置き換えていくでしょう」
「日本もそうなるでしょうか」
「それは無理でしょう。想像してみてください。身長一メートル少しのゴブリン五〇〇体が自動小銃を手に行進している光景を。迷彩服を着たオーク、ミサイル輸送車の上にはワイバーンが乗っている。そんな自衛隊を国民が認めると思いますか? 魔物と戦うために必要なのだと頭では理解できても、感情がついてこないでしょう」
なぜこんな話をするのだろうか。ここは防衛省ではなく「ダンジョン省」である。自衛隊は無関係ではないか。そう思ったとき、大臣の意図が見えてきた。
「つまり大臣は、自衛隊以外の抑止力が必要とお考えなのですか?」
「どのような形態が望ましいのか。どうやって国民の理解を得て、どう管理するのか。研究してもらえませんか?」
あくまでもダンジョン省内の「非公式研究チーム」として発足させることになるだろう。公開するのはもっと先になるはずだ。私自身も、感情的には納得できないでいる。国防は自衛隊が担うべきなのだ。だが同時に思う。自衛隊だけでは、魔物大氾濫に対抗することは不可能だと。




