出版記念SS:ある警察官の物語
オーバーラップノベルス様より6月25日に「ダンジョン・バスターズ第一巻」が発売されます。
それを記念して、サイドストーリーを書きました。
少し残酷な場面が出てきますので、苦手な方はご注意ください。
大阪府警察の中には「地域部」という部署がある。府民の生活にもっとも近いところで働くのが、この地域部の警官たちだ。いわゆる「お巡りさん」である。一一〇番が入ると、最初に動くのが私たちだ。
私が警察官を目指したきっかけは、高校生のときにある。九〇年代後半、暴走族を取り上げたマンガが売れるほど、そうした不良は日本中に見受けられた。街を歩いているだけで、当時の感覚でも信じられないようなファッションセンスをした不良を見かけることができた。信じられるだろうか。「天上天下唯我独尊」と背中に大きく描いた白いロングコートを夏場に着ているのである。ハッキリ言って、ダサイ。だがその感想を態度に出してしまう若さ、愚かさが私の人生を決めた。
高校二年生のときに、そうした「ダサイ」格好をした不良たちに絡まれた。私の不用意な発言が、彼らの怒りを買ったのだ。殴る蹴るの暴行を加えられていたときに助けてくれたのが、たまたま巡回中の警察官だった。「なにをしている!」と叫ぶだけで、不良たちは逃げていった。そして私は憧れた。暴力に対抗するには、あの「旭日章」がもっとも強いと思った。
高校を卒業すると同時に警察学校に入り、そして地域部に配属された。大阪府内の交番を点々とし、旭日章の力によって何人かから感謝され、何人かの暴力を打ち砕いた。新世紀に入ると、ダサイ不良たちは徐々に消えていったが、繁華街ではいい年した大人が馬鹿げたことをしたりする。
「なにをしている!」
旭日章を中央に飾った帽子をかぶり、眉間を険しくしてこの一言を発するだけで、どんな暴力にも勝てる。かつて、私を助けてくれた警察官のように、理不尽な暴力に対しては果敢に挑み、困っている人には手を差し伸べてきた。おかげで市民からは幾度か感謝され、巡査長、巡査部長と昇進もできた。結婚し、子供にも恵まれた。四〇歳を過ぎ、子供も大学生になった。このままいけば二、三年後には警部補になれるだろう。高卒のノンキャリでは、ここが事実上のゴールだ。たとえなれたとしても、警部に上がるつもりはない。「街のお巡りさん」でいたいからだ。
「ツイてないっスね。当直のときに○電なんて……」
大卒の後輩である相川が愚痴をこぼした。たしかに、私が勤務している「梅田ゴールデン地下街交番」は、地上の大半がオフィスビルということもあり一一〇番の頻度はそう多くはない。オフィスビルは民間警備会社が警備をしているし、夜間になれば地上には人がいなくなる。変質者が出ないように見回ったり、酒場でハメを外したサラリーマンを介抱したりする程度だ。
「現急ではないから、事件というわけではないだろう。誰かがイタズラでもしたのか?」
平日の夜一〇時過ぎだというのに困ったものだ。明日の一〇時に当直引き継ぎをしたら、休みを取っている。家族で食事に行くつもりだ。息子もそろそろ就職先を考え始める頃だ。子供の頃は警察官になりたいなどと嬉しいことを言ってくれていたが、いまはどうだろうか。
「ここですね。地下駐車場に不審な穴が空いているそうです」
高層ビルの地下二階駐車場に奇妙な穴が空いているという通報を受け、私たちは様子を見に向かったのだ。現場につくと、警備会社から派遣されている民間人もいる。ビル設備のことなので、彼らとしても放ってはおけないのだろう。
「結構大きいな。それに深そうだ」
懐中電灯を使うまでもなく、穴の存在はハッキリと見える。一メートル四方くらいの大きさで、地下へと続く石造りの階段がある。
「ここは前まで、塞がれていたんですか?」
「いいえ! 夕方の見回りでは、ここにはなにもなかったんです。こんな階段なんて、私たちも聞いていません」
「いや、そんなはずはないでしょう。見れば結構深そうな階段だし、イタズラでこんなモノを掘る人なんていないでしょう」
相川が事情聴取するが、どうも要領を得ない。こんな階段なんてあるはずがない。誰かのイタズラに違いないという。相川ではないが、私もそんな馬鹿げたイタズラなどありえないと思う。分厚い鉄筋コンクリートの床を掘り進め、さらに階段の加工までする。イタズラにしては手が込みすぎている。彼らが知らなかっただけで、元からあったに違いない。
「貴方たちねぇ。もう少しマトモな嘘をつきなさいよ。夕方までなにもなかったって、こんなのを数時間で掘れるわけないでしょ!」
「相川、もういい。俺たちで入ってみよう。二人の名前を控えておけ。恐らく排水溝かなにかだろうが、念の為だ」
「ウッス!」
排水溝を塞いでいた鉄板かなにかを持ち去られ、その責任を逃れたくて嘘をついている。そんなところではないだろうか。もっとも嘘をつくにしても「夕方まではなかった」というのは下手すぎる。
「急な階段だから気をつけろよ」
階段の途中で振り返ると、相川の動きが緩慢にみえる。まるでスローモーションのようにのっそりと動いていた。急な階段だから、慎重に下りようとしているのだろう。
かなり深い階段を下り続ける。私は不安を感じ始めていた。これほど深い階段がある地下施設、いったい何に使っているんだ?
「深かったが、ようやく着いたか」
やがて私たちは地下の空間に下り立った。奇妙な部屋だ。天井には電球も蛍光灯もない。それにも関わらず、薄暗い程度の明かりがある。まるで壁そのものが発光しているように見えた。
「なんか、気味悪いですね。だだっ広くて、柱があって……」
「ゲリラ豪雨のときに、雨水が溢れないように逃がす地下施設があるそうだが、それじゃないのか?」
懐中電灯を右手に持ち、あたりを照らしながら先に進む。天井は高く、床も壁も石造りで冷たく感じる。そして広い。左右を見ると壁から壁まで、優に一〇〇メートルはあるだろう。私たちは奥へと進んだ。ふと、相川が立ち止まった。
「どうした?」
「……佐藤さん、なんか聞こえませんか?」
「ん?」
耳を澄ますと、たしかにパタパタという音が聞こえる。それも複数だ。そして、徐々に音が大きくなってくる。同時に、ギャギャッという嫌な音が聞こえてきた。人間の神経を逆なでするような、鳥肌の立つ音だ。やがて前方から何かが走ってきた。子供くらいの背丈だが、肌の色が可怪しい。そして武器を手にしていた。
「こんなところで、なにをしている!」
私は怒鳴った。だが止まる様子はない。暴力団構成員さえも怯ませた一喝が通用しない。あまり使いたくはないが仕方がない。
「相川、警棒だ。抵抗するようなら公妨で確保しろ」
「はい!」
私たちは同時に、アルミ合金製の警棒を手にした。だがその瞬間、手先の感覚が無くなった。私も相川も呆然としてしまった。床にはカードらしきものが落ちていた。
「ヒィィッ! 化け物!」
相川が腰を抜かす。子供と思っていたソレは、薄気味悪い色の肌をした、得体のしれない生き物だった。棒きれのような剣を持ち、ギャギャギャと耳障りな声で一斉に飛びかかってくる。
「道具!」
身の危険を感じた私は、最後の手段に出た。腰に下げたもう一つの武器「拳銃」に手をかける。法で認められた、警察官唯一の「殺傷道具」だ。だが指がその感覚を掴まない。慌てて腰に目を落としたときには、鋭い痛みが襲ってきた。錆びついた剣のようなもので、化け物が斬りかかってきたのだ。
「ギャァァァッ!」
後輩が剣に刺され、転倒している。私は夢中になって、後輩を襲っている化け物を化け物蹴り飛ばした。相川はほうほうの体でズルズルと床を這いながら下がっていく。腰が抜けてしまったのかもしれない。
「はやく逃げろ! 走れ!」
「さ、佐藤さん!」
薄気味悪い生き物が襲いかかってくる。夢中で腕を振って殴り飛ばすが、脇腹や太腿が灼けるように熱くなる。凄まじい悪臭と灼ける痛みだが、ここで倒れるわけにはいかない。私は警察官だ。理不尽な暴力に屈するわけにはいかない。
永遠とも思えたが、それは一瞬だったのかもしれない。私は床に倒れた。そこに化け物が覆いかぶさってくる。いくつもの衝撃が体を貫いた。必死に頭をよじり、私たちが入ってきた階段の方に視線を向ける。相川の背中が階段へと消えた。
(紀子、蒼汰、織愛……すまない)
なにかが顔に振り下ろされた。私、佐藤恒治の時間は永久に止まった。




