第070話:2020年東京オリンピック
【つくば市 ダンジョン省ダンジョン研究センター】
ダンジョン省の設立とともに立ち上がった組織「ダンジョン研究センター」では、一人のガメリカ人が挨拶という名目の演説をしていた。
「僕はダンジョンを研究するためにガメリカを捨ててきた。この国がもっとも、ダンジョン研究がしやすい環境だからだ。二四時間、三六五日、僕の頭はダンジョンへの好奇心で満杯だ。君たちも科学者ならわかるだろう? ダンジョンの謎に比べれば、地位も名誉もカネも無価値だ。この超常現象が解明されたとき、僕たちは『神の証明』に手が届くかもしれない! 人類史上最大にして究極の研究テーマだ」
科学者アイザック・ローライトは、とても外国人とは思えない流暢な日本語を使っていたが、その次に挨拶した金髪美女は英語を使った。
「ローライト博士の秘書を担当しますレベッカ・ワイズバーンです。博士はこの通り奇人変人で生活無能力者ですので、皆様どうか生暖かい瞳で見守ってあげてください。それと、私は日本語ができませんので、もしコミュニケーションをお望みなら英語での会話をお願いします」
「問題ありません。少なくともここには、英語ができない研究者はいませんから。ガメリカ最高の天才と呼ばれるローライト博士と研究を共にできる幸福に、感謝します」
魔石を研究している班のリーダーがそう応える。昨年末にアイザック・ローライトが書いた「虚数空間とダンジョン維持エネルギーの関連性を考察する波動方程式」という論文は、時間の流れが異なるダンジョン空間の謎を量子力学的に解釈したものとして脚光を浴びた。二〇代の若者とはいえ、舐めるような研究者はいない。
「オーケー! 一通りの挨拶は終わったな。ローライト博士は一つのテーマではなく、ダンジョン関連全般を担当する。つまり『全チーム』を駆け回る。必要な機材があればなんでも言ってくれ。スポンサーは全世界の名だたる富豪や大企業、つまり予算は無尽蔵だ」
所長が手を叩いた。ダンジョン研究センターは、ダンジョン省の予算以外に全世界から寄付金が集まっている。現在、世界中から日本に投資が集まっている。その目的は「資産防衛」のためだ。国家が崩壊すれば、通貨価値を裏付ける「信用」が消える。このままダンジョンを放置すれば、数百億ドルの資産がすべて紙切れになってしまうからだ。
「早速だけど、新宿ダンジョンに行きたい。資料は車の中で読むよ」
アイザックは白衣に袖を通しながら、忙しげに動き出した。新宿区百人町に出現した「新宿ダンジョン」は民間には開放されず、研究センターが独占している。魔物のリポップ場面や倒されて消える瞬間を高感度カメラで撮影し、魔物と強化因子の正体を探る研究が行われている。無論、ダンジョンコアや各種カード、そして冒険者自身についても研究班が割り当てられている。
研究の成果はEU圏内のダンジョンを研究している「欧州原子核研究機構」との間に設立された「日欧合同プロジェクト」で共有される。現在は未知の部分が多いが、魔法を発生させるエネルギーの観測に成功するなど、徐々に成果は出始めていた。
冒険者たちとは違う場所で、科学者たちもまた、ダンジョンと熾烈に戦い続けているのであった。
【警視庁 東京オリンピック警戒特別本部 江副和彦】
東京オリンピック開幕間近となった七月二〇日、警視庁にEランク以上のダンジョン冒険者が招集された。四日後に開幕するオリンピックを警備するために、国と東京都が警備を依頼してきたのである。
「ダンジョンの発生によって、テロリズムへの警戒がグローバル規模で高まっています。人類のクライシスの中で、平和の祭典を行うということは、未来に向けて大いなるレガシーとなり、オリンピックの歴史において確固たるレジェンドを残すでしょう。東京都が、世界一のセーフシティであり、国籍も文化も超え、世界中の人々を受け入れることが出来るダイバーシティ・メガロポリスであることを証明するために……」
都知事の挨拶を聞いていて、帰ろうかと思った俺は悪くないと思う。
(なんでこのオバハンは横文字ばかり使うんだよ。お前はルー○柴か?)
「ダンジョン・バスターズの江副さん。ダンジョン冒険者代表として、一言いただけませんか?」
都知事から藪から棒に指名されて、俺は立ち上がった。ここで要らぬ衝突を起こす必要はないだろう。そう思いつつも、少しだけ皮肉を入れる。
「みんな。暑い夏をトゥギャザーしようぜ」
残念ながら理解者が少なかったよ。
「協力といっても、民間人である私たちが不審者の取締りをするわけにはいかないわ。万一の時に備えての待機が主な仕事。新国立競技場に交代で詰めることになる。まぁ、ロハで東京五輪を観戦できると考えれば、悪い仕事じゃないわよ?」
ダンジョン・バスターズからは霧原天音のチームが主体となって参加する。天音は元警察署副署長だ。警視庁、警察庁にも知人が多く、今回の依頼には最適の人材だろう。
「もともと、犯罪冒険者を取り締まる組織を立ち上げるためにバスターズに入ったのだから、今回の依頼は渡りに船だわ。けれど予想より半年は早い。それもこれも、ジョーカーのせいね」
「Bランクどころか、Cランク冒険者ですら世界には数えるほどしかいないはずだ。だがその中に、未知のダンジョン討伐者がいないとも限らない。万一のときは俺と彰を呼べ」
新国立競技場の地下に仮設された冒険者待機室には、保管庫が隣接している。顕現させた各種ポーションや装備類はアルミアタッシュケースに入れて、この保管庫で厳重に管理する。Bランク魔物までなら対応できるはずだ。
「大姜王国やベニスエラから参加する選手は、厳重に荷物チェックがされるはずよ。けれど、こんなカード一枚、どこにでも隠せてしまうわ。もしものときは、頼んだわよ?」
こうして、およそ一ヶ月半におよぶ東京オリンピック、パラリンピックが始まった。
【東京オリンピック 開会式】
〈さぁ、いよいよ日本選手団の入場です。五六年前の東京五輪では三五五名の選手団でしたが、今回は史上最大、全三三競技五〇八名もの選手が、暑い東京で熱い戦いを観せてくれます〉
午後八時から始まった開会式は、六万人を超える観客の盛り上がりで異様な熱気となっていた。全国から集められた二〇万人を超える警察官が、交通整理や各所の警戒にあたっている。メディアセンターには全世界の報道機関が集まり、各国に配信している。その中には当然、大姜王国そしてベニスエラのテレビ局もあった。
「さすがにカメラマン一人ひとりまで裏取りはできないけれど、パスポートなどで身元確認はできているし、荷物も徹底的に調べたわ。今のところ、問題はないけれど……」
窓越しに開幕式を見ながら、ダンジョン省事務次官の石原由紀恵は呟いた。本人は独り言のつもりだったのだろうが、隣に立つ男が反応する。
「陛下の観覧、首相の挨拶、各国からの来賓…… テロを起こすにはこれ以上ない舞台だな。ここにAランク魔物一匹でも放り込んでみろ。五分で世界が一変するだろう」
石原はチラリと男に視線を向けて溜息をついた。
「これまで騒ぎを起こした外国人は、米国人、フィリピノ人、大亜国人。いずれも冒険者ではないわ。正直、不気味なくらいよ。必ず騒動が起きると思っていたのに」
「まだ始まったばかりだ。開会式と閉会式はもっとも緊張する場面だろう。俺なら開催期間中、それも後半を狙う。そのころには、緊張感も薄れているだろうからな」
「現場の警察官たちはそうでしょうね。炎天下の中、ずっと緊張し続けるのは難しいわ。その分、私たちが気を引き締めないといけないわね」
石原の携帯電話が震える。電話で受け答えするうちに、石原の表情が険しくなる。
「また騒動よ。今度は日本人。競技場の外で旭日旗を振っていたら、内国人とトラブルになったらしいわ。問題は、その日本人が採掘者に登録されているらしいの」
「暴力行為は?」
「幸いにもFランカーだったようで、掴み合い程度だったみたい。それでも冒険者に違いないわ。困ったものね。省に昇格したとはいえ、ダンジョン冒険者の気質まで管理するのは無理よ」
「祭りに浮かれて騒ぎを起こすか。どこにでもバカはいるな」
二人は呆れた表情を浮かべ、肩をすくめた。
【東京都某所 日内外相会談】
東京オリンピックの開会式は、国家間にとっては重要な政治の場になる。ジョーカーという国際的テロリストの登場により、アフリカなどの貧困国がダンジョン問題で揺れる中、日本のリーダーシップ発揮に世界が期待していた。開会式の挨拶を終えた翌日、浦部総理は精力的に首脳会談に臨んでいた。
一方、日本の隣国でありながら対日強硬姿勢を続けているウリィ共和国(内国)は、パク大統領の開会式出席を見送り、カン外相が代理として出席した。G20加盟国であるにもかかわらずジョーカーを支持する内国に対して、各国の反応は芳しくない。しかし日本はホスト国である以上、内国外相と会わないわけにはいかなかった。そこで、茂田敏正外務大臣とカン外相の日内外相会談が行われたのであった。
「このままでは世界は二つに分割してしまいます。ダンジョンを討伐し、現在の秩序を維持しようとする守旧派と、ダンジョン出現を契機とし、貧富の差など南北問題を一気に解決しようとする革新派です。ですがいずれも、人類の平和と繁栄を願っていることに変わりはないと信じます。ウリィ共和国は、大姜半島の南北分裂という悲劇を経験し、何もないところから先進国へと成長した奇跡を成し遂げた国です。我が国ならば、守旧派と革新派の間を取り持てると考えます。ですがそのためには、まず守旧派の方から手を差し伸べる必要があるのです。日本国政府にはぜひ、ベニスエラ政府およびジョーカーとの交渉のために一歩の譲歩を期待します」
カン外相の発言に、茂田外務大臣は肚の中で呆れながら返答の言葉を探した。だが結局のところ「現状認識のズレ」なのである。だからそこから確認することにした。
「どうやら我が国と貴国とでは、認識にズレがあるようですね。我が国はジョーカーおよびベニスエラを革新派とは考えていません。彼らはダンジョンで得た超常的な力を利用して他国を脅かし、暴力をもって不当に富を奪わんとするテロリストである。これが我が国の見解です。我が国はテロリストに対していかなる交渉も譲歩もしません」
結局のところ、平行線のまま物別れに終わった外相会談であったが、この日を境に日本政府は対内国強硬政策へと一気に舵を切ることとなった。八月下旬からいよいよ循環型水素発電炉の一号基が稼働を始め、二号基、三号基の建設も始まっている。エネルギー自給率が高まれば、日本経済はデフレ脱却どころか第二の高度経済成長期を迎える可能性すらあった。憲法改正と自主防衛軍の設立、そして世界に冠たる「大日本」の復活。これが保守党、そして浦部誠一郎総理大臣の悲願であった。
「仕方がありませんね。予定通り、大亜共産国や東南アジア各国との関係を強めることに注力しましょう。東亜民国やフィリピノへのバスターズ派遣は十月頃になるでしょう」
外務大臣からの報告を聞いた浦部総理は、予定通りという表情を浮かべた。四千年の歴史を持つ大亜共産国は決して油断ならない相手だが、約束を守るという点では内国以上に信頼できる。エネルギー自給率が一〇〇%になれば、南シナ海のシーレーンの重要性も下がる。ダンジョン出現から僅か一年で、アジアのパワーバランスは劇的な変化を遂げようとしていた。
【横浜国際総合競技場 サッカー一次ラウンド 日本対ウリィ共和国】
真にグローバルなスポーツを一つ挙げろと言われたら、多くの人は「サッカー」を挙げるのではないだろうか。横浜国際総合競技場には七万人以上の観客で埋め尽くされていた。ただでさえ盛り上がるサッカーだが、さらに日内戦となればその盛り上がりは異様になる。
「慎吾君、よくこのチケット手に入ったね」
「和さんルートでね。茉莉とデートするんなら、やっぱりオリンピックでしょ」
ダンジョン・バスターズ唯一の高校生の二人は、七月から正式に交際を始めた。慎吾は既に普通二輪免許を取得し、一括払いで国産バイクを購入した。高校三年になれば大型二輪や普通自動車の免許も取得できる。交際し始めたばかりだが、慎吾は茉莉以外の女性にはまったく興味がなかった。もっとも、もし茉莉を泣かせるようなことをすれば、多方面から物理的に殺されかねない。
(茉莉お嬢様と交際される以上、凡俗の輩であっては困ります。一流の男子たるべく、不肖このセニャスめが徹底的に鍛えて差し上げましょう。ダンジョン内であれば、いくらでも時間は作れますからな)
言われるまでもなく、慎吾は自分を鍛えるつもりでいた。スタジアムに入るまでの間、腕を組んで歩いている茉莉に男たちの視線が集中しているのを感じた。もし僅かでも離れたら、たちまち他の男が群がってくるだろう。余裕があるように強がっていても、中身はしょせん高校生である。「本当の自信」を手にするには、まだまだ人生経験が必要だった。
(高校生のうちは、不純異性交遊はダメだぞ。せいぜいキスまでだ)
キスどころか腕組みくらいの関係でしかない。今夜、もう少しだけ踏み出したいと思っていた。
〇対〇のまま後半戦を迎え、会場は更にヒートアップしている。慎吾と茉莉は日本国旗を片手に応援しているが、内国の応援も負けていない。スタジアムの大スクリーンに両国の応援が映し出される。すると茉莉を映したところでカメラが止まり、ズームされる。それに気づいた茉莉は、慎吾の顔を見て腕を組み、頭を肩に乗せた。
「初めてスタジアムで観たけど、あんなに盛り上がるんだね」
試合は一対〇で日本が勝利した。大満足の二人は会場のゴミ拾いをした後、レインボーブリッジを通ってお台場に来ていた。少し遅いが軽く食事をして、青海南埠頭公園を散歩している。時間は二二時半になっていた。高校生二人が出歩いて良い時間ではない。
「……お母さんは、今日中に帰ってくればいいって」
「じゃぁ、もう少しだけ一緒にいていいか?」
芝生のベンチに座り、互いに見つめ合う。真夏の夜も、海風が抜ける埠頭公園は涼しいはずであった。だが慎吾も茉莉も、頬が熱くなっていた。ニキビ一つない滑かな頬に手を添える。茉莉は目を閉じた。オレンジ色をした埠頭夜景の中で、二つの影が重なった。
【東京オリンピック 閉会式】
交通渋滞や地下鉄の混雑、外国人の案内、そしてテロ対策と、東京オリンピックは開会前から様々な課題が挙げられていたが、蓋を開けてみればそれほどの混乱もなく無事に閉会した。テロ対策でピリピリしていた冒険者たちも、ホッと一息ついたところである。
「明後日から、三泊四日で石垣島に行ってくる。バスターズ全員、家族一緒でだ。一気に緩んだからな。気分の切り替えのためにも、リゾートでのんびりしてくるよ」
石原は殺意がこみ上げるのを必死に抑えながら頷いた。こっちは新設したばかりのダンジョン省の切り盛りや、休むことを知らないイカれた米国人研究者のせいで夏季休暇すらロクに取れないというのに、目の前の男はダラけ切っている。
「そう。ただ連絡だけは取れるようにしておいて頂戴。それと気が向いたら、転移で私を連れていってくれてもいいのよ? 無理にとは言わないけれど……」
江副は苦笑して頷き、オリンピック会場を出た。まだ祭りの余韻が続いている。多くの外国人観光客が歩いている。あと数日は続くだろう。新宿や六本木に飲みに行ってもいいが、これでは落ち着けないだろうと考え、瑞江駅前の飲み屋に行こうと決めた。
「ん?」
転移するためにトイレに向かおうと歩み始めた時、ふと視線を感じて振り返る。一〇〇メートルほど距離があるだろうか。大通りを挟んだ向こう側に外国人の男性が一人、立っていた。そしてその横には少女がいる。異様なのは少女の髪の色だ。染めたとは思えないほど、自然な青色であった。閉会式の後だからだろうか。他にも派手な格好をした人たちがいるので、それほど目立ってはいない。だが何故か、視線を釘付けにする。
「誰だ…… アレは……」
思わず小声でつぶやく。宍戸彰とは違い、自分は強さを肌で感じることなどできない。だが視線の先にいる二人は、異質な存在感を放っていた。
ふと、男の口角が上がったように見えた。二人が同時にピエロの仮面を付ける。その瞬間、男めがけて駆け出した。頭ではまさかと思いながらも、直感が認めていた。だが五〇メートルも駆けぬうちに、外国人の団体が割り込んできた。Bランカーが本気で体当りしたら死人が出る。止まらざるを得ない。
「クソッ! どいてくれ!」
だが大亜国人たちと思わしき一行は、酒に酔っ払っているらしく、潜り抜けるのに時間を取られた。そして大通りに立ったときには、二人のピエロは姿を消していた。
第三章 了
更新が遅くなり申し訳ありません。第三章はこれで完結です。
第四章は日本国内に残ったダンジョンの討伐、海外への進出、そしてジョーカーとの戦いが本格化します。今後も応援の程、宜しくお願い申し上げます。




