第068話:広島ダンジョン攻略
【ガメリカ合衆国 国防総省】
その部屋は「散らかっている」という言葉の定義を疑いたくなるほどであった。乱雑に巻き散らかされた書籍や書類は床を埋め尽くし、カーペットの色すら確認できない。主人の役職の重さを示すかのような重厚な机は、空のペットボトルやナッツの食べカスで汚れている。それらを無造作に払って、男はダンボールを机に置いた。ペットボトルが机から落ち、飲み残しのコーラが床の書類に広がるが、男は一向に気にしない。鼻歌を歌いながら、ダンボールに無造作に私物を入れていく。金髪の素晴らしい美女が、不安げな表情を扉の外から覗かせた。
「ギルド長、本当に辞めてしまわれるのですか?」
「もう僕はギルド長じゃない。ただの失業者だよ。ここにいても、ダンジョンの研究はできない。民主党のウォズニアック氏が勝てば、ガメリカのダンジョンはバスターズとクルセイダーズが討伐することになるし、ハワード大統領が勝てば討伐すらできぬまま、ガメリカは世界から置いてけぼりになるだろう。つまり、僕がここにいる意味はないのさ」
「……この後は、どうされるおつもりですか?」
秘書であったレベッカの問いに、アイザック・ローライト元参謀長は返答しなかった。どこで聞きつけたのか、民間研究所やシンクタンク、さらにはバチカン教国からも誘いが来ている。だが日本の防衛省からはなにも来ていない。情報に疎いのは相変わらずであった。
「日本ではダンジョン省が設立され、ダンジョン関連のすべてを一元管理するようになる。そこの研究機関にでも行こうかな。コレの価値は、ミズ・イシハラも認めるでしょ?」
そう言って自分の頭を指差す。国防総省からは、私物以外は一切持ち出せない。だが頭の中身までは置いてはいけない。合衆国は六〇〇以上のダンジョンを把握しているが、その位置情報を「秒単位」で正確に記憶している人間など、国防総省内でもこの男だけであろう。
「では、私も一緒に行きます。几帳面な日本人の中で、貴方のような生活無能力者が働けるとは思えません。というか私も先程、辞表を出してきましたし……」
「おいおい、日本語もできない君がついてきてもしょうがないだろう?」
「問題ありません。日本は国民全体で見れば英語が不得手ですが、中央官僚には英語が話せる者もそれなりにいます。なにより、貴方の暴走を止めつつ、周囲との交渉を担う人間が必要です」
「暴走って……」
「貴方は頭だけは良いですが、基本的生活習慣は壊滅的で、政治的判断も駆け引きもできないコミュ障ではありませんか。ミズ・イシハラにやり込められて口をパクパクさせたのを忘れたのですか? 貴方は研究に没頭し、交渉事は私に任せれば良いのです」
上司部下という関係が解消された途端、レベッカはこれまでの鬱憤を晴らすかのように、罵倒を交えてアイザックを説得した。天才的な頭脳を持つアイザックだが、それだけに他者とのコミュニケーションや交渉事は苦手である。相手の感情を察するという点では、元秘書の足元にも及ばなかった。
「さて、まずはこのゴミ部屋を片付けましょう。もう少し綺麗にして出ていかないと、長官から恨まれますよ?」
レベッカは勇気を出してゴミ袋を手に部屋に入り、一週間前から床に放置されているポテトチップスの空袋を摘んだ。
【広島市紙屋町 広島Bランクダンジョン】
ダンジョン・バスターズは、冒険者パーティーの名前ではない。複数の冒険者パーティーを束ねる「クラン」の名前である。現在は、日下部凛子、霧原天音、墨田正義、篠原寿人の四人がそれぞれパーティーを持っている。経歴、年齢、男女比などを考慮して結成しているが、自分の知り合いをメンバーに加えるという場合もある。四月以降はさらにメンバーが加わり、最終的には全二〇パーティー、総勢一二〇名まで増やす予定である。
「当初はもっと早く二〇パーティーにするつもりだったが、計画変更だ。Bランク、Aランクの数が限られる以上、メンバーを無闇に増やすわけにはいかない。俺たち全員がAランクになるまでは、いまの人数のまま固定だ。もっとも、逸材がいれば別だがな」
先日、俺と同年代の元力士「高尾盛関」が第二の人生を考えてバスターズに入りたいと言ってきたときはさすがに迷った。一九〇センチ近い身長と、幕内力士として活躍した実績は十分に評価できる。その一方で、正義ほどに「誰かのために戦う」という動機を感じなかった。
だが正義をはじめ、凛子や寿人さらには向井総務部長まで賛成したので、バスターズの試験として一緒に「深淵」に潜った。第一層の安全地帯で「ロボコップ」をやって気弱な自分を必死に奮い立たせようとしている姿を見て、彼の加入を認めた。あの実直さは、周りに良い影響を与える。
「ムッチーの提案は却下したんだよね」
「当たり前だ。聞いたときは開いた口が塞がらなかったぞ」
鍋を囲んでいる全員が笑う。睦夫が持ってきたのは「ダンジョン・パイレーツ」という案であった。どうやら芸能プロダクションから相談があったらしい。「海賊団」という名前は問題があると思っていたら、どうやら「巨乳団」という意味らしい。向井部長が苦笑しながら理路整然と説教している姿に、思わず笑ってしまった。
「でも、冒険者を身近にするという意味では、悪くない案だと思いますけど?」
寿人が消極的な反論をするが、その程度は俺も考えた。だがダンジョン・バスターズがやる必要はない。芸能プロダクション単体で、採掘者のグループとして活動すればいいのだ。現にTNG47などはダンジョン内でロケを行なっている。
「あまり堅苦しくても疲れるだけだが、不真面目と思われるのもまずい。人間を超えた力を持つ討伐者は、社会から信用されなければならない。Paiレーツで、その信用が得られるとは思えんな。投稿する動画に、少し遊びを入れるくらいで良いだろうよ」
ダンジョン・バスターズは、世界最大の動画サイトにチャンネルを持ち、ダンジョン内の戦い方やキャンプのやり方、魔物の種類などを公開しているが、サブチャンネルでバスターズたちの日常を見せたりもしている。遊びの部分はその程度で十分だろう。
広島ダンジョン第三層に到達する。前回はこの階層で撤退した。ホーンラットという一角の巨大ネズミがでると聞いている。当時はCランクが多かったが、今回は違う。俺以下全員がBランクに上っている。Cランク魔物など鎧袖一触だろう。
「シィッ」
凛子が日本刀を振る。巨大ネズミは首から先が見事に切り落とされ、そのまま倒れていく。まるで時代劇の殺陣のように、ドドドッと突進してくるネズミたちを次々と斬り伏せていく。摺足のまま進み、時折、クルリと回転して体位を入れ替えながら斬り進む。絵になるような女剣士の姿だ。
「私も負けてられないわね」
天音が新しい武器を取り出した。これまでのような鞭とは違う系統だ。いや、趣向という意味では同じかもしれない。
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【名 称】 緋鳳扇
【レア度】 Super Rare
【説 明】
緋色に輝く鳳凰の羽根から作られた扇、
その強度は鋼鉄を遥かに超え、振れば刃、
構えれば盾となる。
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三〇年ほど前にどこかの湾岸にあった「ディスコ(死語)」の「お立ち台(死語)」で、毎週「ハナキン(死語)」に「ボディコン(死語)」着て、「アッシー(死語)」や「メッシー(死語)」相手に「ランダバ(死語)」していた「バッチグー(死語)」で「ハッスル(死語)」なOL女性を彷彿とさせる。うん、俺はまだ「ナウい」よ。
「うぅっ、なんスかこれ…… なんだか送迎だけさせられたり、飯だけ奢らされたりするような哀れな男たちの姿が目に浮かぶッス!」
「うーん、チョベリバーとかアウトオブ眼中とか、聞いても理解できないです」
寿人が首を傾げる。やめろ、そんなに真面目な顔をするな。お前だってあと二〇年経てば俺の気持ちが理解できるはずだ!
「兄貴、早く行こうぜ」
彰に声を掛けられて、俺は「ガビーン」という状態から回復した。よし「OK牧場」!
【ニッポンエアー 機内】
ワシントンのダレス国際空港を発したニッポンエアーの機体は、羽田国際空港を目指して飛行を続けていた。ファーストクラスは個室に区切られているため、隣同士でも会話などはできない。
国防総省を辞職したアイザック・ローライトと秘書のレベッカは、間仕切りを挟んで隣同士であったため、パソコンを使ってチャット形式で会話をしていた。ファーストクラス内には、米国から離れたのであろう富裕層の老夫婦の姿も何組か見受けられた。
《浦部政権が選挙で勝利すれば、さらに米国からの移民が増えるかもしれませんね》
《まず間違いなく増えるだろうね。政治に興味のない僕でさえ、日本で行われている選挙次第で世界の命運が決まると思っている。もっとも、結果は見えている。野党の一部は「浦部NO!」を叫ぶあまり、発狂しているからね。浦部政権が続くくらいなら、人類滅亡を選ぶって言うんじゃないかな?》
《まさか》
《自分の理想を実現するためならば、犠牲を厭わない。理想主義者というのはそういう人間だよ。ヒトラー、スターリンその他諸々、歴史がそれを証明している。もっとも、現在南米にいる最悪の理想主義者は、ちょっと違うかもしれないけどね》
《ジョーカーは、理想主義者だと?》
《少なくとも、そう見せようとしているね。自分の理想のためなら、七〇億を犠牲にしても構わないと宣言している。けれど僕はジョーカーという人間が、そんな単純な人物に思えないんだよ》
《どういうことでしょう?》
《彼は自らを「魔王」と言った。つまり、自分の行為が「悪」であると考えている。その点が、他の理想主義者とは決定的に違う。ヒトラーやスターリンが、自分のことを「魔王」なんて呼んだかい? 僕が記憶している限り、魔王を自称した理想主義者は、日本の戦国時代にいた「ノブナガ・オダ」くらいだよ。理想主義者は、自分が絶対的に正しいと信じ切っている。自分の理想に酔っている。自分が言うこと、やること、すべてが正しい。自分に反対する奴が悪。それが理想主義者の思考だ。けれどジョーカーは違う。彼は自分を絶対正義と思っていない。どこか覚めていて、バランス感覚がある。つまり「正気」なんだよ》
《それはそれで、もっと最悪なような気がしますが?》
《最悪と考えるか、交渉の余地があると考えるか、そのへんが意見の分かれどころだね。恐らく、ジョーカーは悩みに悩んだ末に行動に出た。そして今も、本当にこれで正しいのかと悩み続けていると思うね。彼のピエロマスクの下には、そんな表情が隠されているんじゃないかな》
やがてチャットでの話し合いを終えたアイザックは、アイマスクを着けて横になった。日本に行けば、地上でカードを顕現できる「討伐者」たちがいる。魔物の生体解剖なんかもできるだろう。「研究者」としてのこれからを楽しみにしつつ、眠りの海に沈んだ。
【広島ダンジョン 最下層】
Bランクダンジョンである広島ダンジョンの最下層に届くまで、一週間を要した。慎重に進んでいたのは確かだが、それ以上の理由として魔物が強力だった。人型のオニや、魔法攻撃を放ってくるリッチ、毒攻撃をするスライムもいた。ラノベでは四、五名の固定パーティーがオールラウンドに戦っているが、実際は魔物の数や種類によって、フォーメーションや使用する武器を様々に変える必要がある。
「レジェンド・レアがいなければ『詰み』だったかもな。壁、近攻、遠攻、魔法、支援の基本五つの役割に、レジェンド・レアを加えることでバリエーションが生まれる。Bランクでさえこれだ。AやSのダンジョンなら、さらに魔物は強くなるし、戦い方も多様化するだろう」
「やっぱり、魔物のデータを取って、一種類ずつパターンを考えるしかないよね。ここも攻略終えたら、各層の魔物を録画して、戦い方を考えようよ」
ダンジョン・バスターズの重要な役割として、情報発信がある。討伐を終えたダンジョンでは、出現する魔物を録画し戦い方を標準化、ノウハウ化して全世界に無料で公開している。記者からカネを取らないのかと聞かれたことがあるが、論外だ。俺たちは金銭目的で戦っているのではない。ダンジョンの討伐を目指して戦っている。結果としてカネになっているというだけだ。
「Bランクダンジョンを討伐しなければ、Aランクには上がれない。この制約条件はかなり厳しいからな。恐らく現時点でBランクダンジョンを討伐できるのは俺たちだけだろう」
クルセイダーズも頑張ってはいるが、未だBランクにすら到達していない。D、Cランクダンジョンを優先させている。先日も、パルテノン神殿の床に出現したCランクダンジョンを討伐したとニュースが流れていた。
広島ダンジョンの最下層、天井画の撮影を終えた俺たちは、ガーディアンがいる部屋の前に立った。新宿ダンジョンと同じくAランク魔物が出る可能性を考慮し、朱音やエミリを顕現させておく。
「グロースヴォルフ! Aランク魔物、魔獣の中では最上位ですわ!」
朱音が叫ぶ。部屋の中にいたのは、体長三メートル近い巨大な狼であった。全員が部屋に入ってくるのを確認し、床に寝ていた巨大な狼はのっそりと起き上がった。正義とンギーエが盾を構える。だが凄まじい圧力が襲いかかり、正義が盾ごと吹き飛ばされた。グロースヴォルフが体当たりで攻撃してきたのだ。
「速いっ! それに、なんだこの力はっ!」
「ウォオオンッ!」
巨大な狼が咆哮し、前足でンギーエの盾を弾き飛ばそうとする。だがそこに爆発が起きた。エミリの火炎魔法がグロースヴォルフの顔面を捉えた。逃げるように後退し、前かがみになって構える。
「正義、大丈夫か!」
「ッス!」
正義は元力士である。身体を強く打ったようだが、頑健な肉体のおかげで命に別状はなさそうだ。起き上がり、再び盾を構える。狼は呻きながら、今にも飛びかからんと力を蓄えていた。
「グロースヴォルフは魔法こそ使えませんが、その力と速さは神狼フェンリルに匹敵します。まともに力勝負をしては勝てませんわ!」
「さすがはAランク、これまでの魔物が雑魚に見えるな。だが想定内だ」
新宿ダンジョン以降、Aランク魔物を想定した戦い方は幾つもパターンを試してきた。ンギーエや正義を弾き飛ばすほどの圧倒的物理力に対抗するには、段階を踏んでいく必要がある。
「まず相手の足を止める。朱音、エミリ、寿人、天音は訓練通り、勢子の役目だ」
「「「「了解!」」」」
忍術と魔法、そして鞭による遠距離攻撃でグロースヴォルフを追い立てる。壁や天井を使った立体機動で迫ろうとしてくるが、しょせんは獣だ。炎は本能的に嫌厭するようで、動きを誘導できる。やがて斜め方向から飛びかかってくる。だがここまでは計算通りだ。
「シールドバッシュッ!」
ンギーエと正義が同時にシールドバッシュを放つ。カチ上げられた狼の前足が跳ね上がる。決定的な隙が生まれた瞬間、彰と凛子がトドメを放つ。
「数え抜き手ッ! 五、四、三、二、一ッ!」
「日下部流刀術『星落とし』!」
グロースヴォルフの腹めがけて、彰が両手で抜き手を放つ。右、左と順番に指の本数が少なくなり、最後は指一本で腹をぶち抜く。同時に凛子が天井近くまで宙を舞い、最後は天井を蹴って勢いをつけ、狼の眉間に日本刀を突き立てた。脳を完全に破壊され、グロースヴォルフは音を立てて倒れた。
二〇二〇年六月二八日、ダンジョン・バスターズが広島ダンジョン討伐に成功したのと前後して、日本国衆参両院議員選挙が行われた。その結果は大方の予想通り、与党保守党の圧勝であった。改憲勢力は衆参両院ともに三分の二を超え、年内中にも憲法改正の是非を問う国民投票が発議される予定である。改憲反対勢力であった立憲民政党はわずかに議席数を下げる程度で済んだが、国民民政党は壊滅的な敗北を喫した。また社会共産党も議席数を落とし、改憲勢力に転じた「令和新選党」が議席を伸ばした。
「国内外を取り巻く環境は一段と厳しいものになっています。特に安全保障に関しては早急に手を打たねばなりません。公約通り、ダンジョン省を立ち上げ、国内のダンジョン対策および国連を中心とした国際協調の取り組みのすべてを一元管理します」
浦部誠一郎保守党総裁の記者会見が続いている。ダンジョン省初代事務次官が内定している石原由紀恵は、テレビを消して浴室へと向かった。四〇代後半とは思えない若い肌の上を雫が流れる。ダンジョン・ブートキャンプによって、入省したての頃の肢体を取り戻している。
「……若返っても、抱いてくれる男がいないのよね」
バスオイルを浴槽に入れて身体を沈める。フゥと息を吐いて、思考を切り替える。江副和彦から、広島ダンジョン討伐成功の連絡を受けたのは昨日であった。そして今日は、ガメリカの元参謀長が「転職」を求めて来日したという。ただでさえ忙しい時期に迷惑な話だと思うが、これでさらにダンジョン討伐に弾みがつくのも確かだ。
「東京五輪対策、そして日本人冒険者の海外進出…… やることは多いわね」
顔を洗い、湯船から出る。湯温が高かったのか、それともこれからの戦いに高揚していたためか、頬が少し火照っていた。




