第066話:近代兵器対魔物
【コロビアン共和国 空軍司令部】
コロビアン共和国は、ブレージルに次ぐ南米の大国であるが、経済大国と呼べるほどではない。一人あたりGDPは米ドルで九千ドル程度であり、まだまだ発展途上といえる。そのため、その軍事力は米国や大亜共産国とは比較にならない。五〇年前の戦闘機を第一線で飛ばしているのが現状だ。もっとも、南米各国は似たようなものであるため、軍事力という点では均衡が保てている。だが、ダンジョンの出現によってその軍事的均衡が大きく崩れた。
「未確認飛行物体一〇機がベニスエラ方面より侵攻中。高度一五〇〇、速度、およそ三〇〇!」
「どういうことだ? 時速三〇〇キロとなれば戦闘機ではない。いったい何が?」
コロビアン共和国空軍司令部は、レーダーで感知した未確認飛行物体に首を傾げていた。それでも空軍としては備えないわけにはいかない。まして飛来してきた方向はベニスエラである。最前線であるバランキージャに駐屯する第三一一戦闘飛行隊「ドラゴネス」は、命令を受けてただちに全機出撃した。飛び立った戦闘機はA-37軽攻撃機、別名「ドラゴンフライ」と呼ばれる五〇年以上前の旧式戦闘機だ。だが機体設計が簡素でメンテナンス性が高いこと、最高速度七七〇キロメートル、航続距離一五〇〇キロメートルとそれなりの性能であることから、南米では現在でも現役である。
「こちらDF-01、まもなく未確認飛行物体と接触する…… 待て、なんだアレはっ!」
パイロットが見たものは、大空を羽ばたきながら悠々と飛行する巨大生物の姿であった。
「ド、ドラゴン……」
「こちらDF-01、未確認飛行物体の正体は、翼を持つ巨大生命体、ドラゴンだ! 攻撃命令を!」
『こちら司令部、状況は確認した。警告射撃、しかる後に、全機撃墜せよ』
こうして、人類史上初の戦闘機対ドラゴン(後に判明するが、正確にはワイバーン)の戦闘が始まった。
「FOX3、ファイアー」
A-37に搭載されている機銃がタタタッと火を吹く。あくまでも警告射撃だ。これで魔物たちが逃げ散ればそれでよい。だが予想外なことに、ワイバーンたちは逃げるどころか加速した。そのため外したはずの機銃が命中する。チンチンッと表皮で火花が散る。弾き返しているのだ。
「FOX2!」
6機のA-37戦闘機が、一斉に赤外線誘導ミサイルを発射した。敵は魔物といっても速度は遅く、命中すれば無事では済まない。隊員の誰もがそう思っていた。だがワイバーンは命中前に信じがたい機動を見せた。命中直前に跳ね上がるように急上昇し、ミサイルを足で掴んでへし折ってしまったのだ。他のワイバーンたちも、およそ戦闘機では不可能な機動を見せ、次々とミサイルを躱し、そして叩き落としていった。
「コォォォッ」
一頭のワイバーンが口を開けて吼える。すると口から炎の玉が撃ち出された。A-37はかろうじてそれを躱したが、他のワイバーンも次々と火球を放ちはじめる。
『コイツらには銃もミサイルも効かない! 助けてくれぇっ!』
『ば、化け物だぁっ!』
『メーデーッ! メーデーッ!』
無線を通じて、空軍司令部内にパイロットたちの悲痛な声が響いた。
【ベニスエラ 某所】
パソコンモニターを見つめていたピエロ姿の男は、肩を竦めてモニターから視線を外した。予想外の結果に、落胆している様子であった。
「参ったな…… まさかこんなことになるなんて。ミーファはこうなること、予想してたのか?」
「ん…… だから止めろって言った」
ジョーカーは盛大にため息を吐いて、タバコに火を付けた。パソコンを操作している部下たちも、不安そうな表情を浮かべ、自分たちのボスを見つめる。
「……まさかワイバーンの首にカメラ付けたら、こんな映像になるなんてな。これじゃ、とても使えねぇな。静止画だけにするか?」
今回、ワイバーンが戦う様子を撮影しようと、首にカメラを括り付けていた。だが、いざ持ち帰ったカメラを再生すると、とても観れた代物ではなかった。翼で羽ばたくワイバーンは、その頭を数メートル上下させていた。つまり動画も激しく上下しているのである。戦闘機との戦闘場面など、何が起こっているのかさえ判別不能であった。
「映画やアニメでは、ドラゴンに人が乗って飛んでたぞ? ジャパニーズアニメだから正確だと思ったのにありゃ、嘘か? メイド・イン・ジャパンは品質第一のはずだろ」
「小鳥だって羽ばたく時には胴体が動く。ワイバーンが羽ばたけば、その動きはとても大きい。こんなの当たり前……」
幼女が冷めた視線を送る。ジョーカーは頭を掻いて、部下に指示を出した。
「しょーがない。とりあえず静止画にしてコロビアンに送りつけてやれ。完勝なのは間違いないんだ。奴らは今頃、ガメリカに泣きついてるだろ。こちらもメッセージを送るか」
別に怒っているわけではなさそうなボスの様子に、部下たちは安堵の表情を浮かべた。
【ダンジョン・バスターズ本社 江副和彦】
ダンジョン・バスターズの本社には、冒険者たちが集まって食事をする大食堂がある。最近、そこの壁に八〇インチの大画面テレビが納品された。データベースに無い魔物の情報共有、剣や弓での戦い方を複数で学習するために使っている。だが今日は、ニュース番組を観るために大勢が集まっていた。
〈ブエナス・タルデェッス! やぁ、人類諸君、魔王ジョーカーだよ! 今日は君たちに、魔王軍がいよいよ動き出したことをお報せするための動画だ。ジャジャーン!〉
ピエロ姿の魔王「ジョーカー」が両手で自分の右側を指し示すと、魔物の写真が映し出された。
「ドラゴン?」
「いいえ、ワイバーンですわ。強さはAランク…… ドラゴンは両手両足の他に背中に翼を持っていますが、ワイバーンは鳥と同じく、両腕が翼です」
朱音が訂正した。この放送のために顕現している。俺は頷いて、画面に戻った。
〈コイツはワイバーンっていう魔物だ。先日、コイツら一〇頭を隣国のコロビアンにけしかけた。魔物対戦闘機という胸アツな戦いがあったんだが…… スマン、写真しかねぇ〉
写真が切り替わる。ワイバーンの両足が戦闘機を掴んでいる。再び切り替わった写真では、ミサイルを砕いている様子が映っていた。いったい、どうやって撮影したのか気になったが、画面の魔王がその答えを教えてくれた。
〈ワイバーンの首にカメラ付けて撮影したんだが…… まぁ見れた映像じゃねぇんだわ。あんなに激しく動いてたら、手ブレ補正なんて意味ないね。気持ち悪くなるだろうから動画は公表しねぇが、いずれにしてもこれで、コロビアン軍程度ならワイバーン一〇頭で滅ぼせるってことが判った。コロビアンの空軍の皆さん、ご協力感謝しますよ。ウヒャヒャハ!〉
「なんかムカつくなぁ、コイツ…… 兄貴、コイツに出会ったら、殴っていい?」
「気が済むまでやっていいぞ」
普段は飄々として軽薄な彰が、珍しく感情的になっている。ここにいる仲間たちは皆が個性的だが、基本的には気持ちの良い連中だ。犠牲になったパイロットたちにも家族や友人がいただろうに、画面の魔王は平然と笑っている。その姿に嫌悪を覚えるのも当然だろう。
〈コロビアンへの要求はシンプルだ。ベニスエラに協力しろ。ダンジョンを俺たちに渡せ。ただそれだけでいい。コッチは別に、占領する気も金を要求する気もない。国境開放して、俺たちがそっちのダンジョンに入るのを黙って見ていればいい。それだけだ〉
「……マズイな。コロビアンには左翼ゲリラがいる。メデジン・カルテルのような大型犯罪組織はなくなったが、それでも小規模な麻薬ゲリラは残っているはずだ。連中にとっては、ジョーカーが来るのは大歓迎だろう。今の大統領が、この要求を飲むか?」
「ガメリカ次第じゃないかしら? この事件に介入してくるなら、コロビアンも強気に出られるでしょう。でも……」
腕を組んで表情を険しくしている天音の呟きに、俺も反応した。ガメリカは、口先ではなにか言うだろうが、実際の軍事行動には出ないだろう。ベニスエラを爆撃するにしても、クーバ共和国への根回しが必要になる。何より、あの大統領は口先だけだ。半島北の独裁国に対する姿勢を見ればわかる。僅かでも自分に危険がある場合は、決して行動しようとしない。「よく吠える弱い犬」とは、あの大統領のことを指すのだろう。
「ジョーカーがメヒカノスまで出てくるならともかく、しょせんはカリブ海の向こう側の話だからな。ハワード大統領は損得勘定で動く。孤立主義を強めるガメリカにとって、コロビアンを助けるメリットはない」
むしろ、メヒカノスとの国境に壁を建設したのを「先見の明」とか言って自慢するだろう。北米大陸には、キャナダを入れてもダンジョンの数は四〇未満だ。資源国のガメリカなら、貝のように閉じ籠もることも可能だろう。
「俺がジョーカーなら、メヒカノスを緩衝地帯にしてガメリカが出てこないようにしつつ、南米の全ダンジョンを手に入れようとする。もしここでガメリカが動かなかったら、反米ムードが南米大陸を包むだろう。人口が多いブレージルも、ジョーカーに与するかもしれない」
「そうなったら、今度はアフリカ大陸、そして中東にまで飛び火するわね。世界の半分が、魔王ジョーカーの手に落ちる。本当に、ファンタジーの世界になるわ」
テレビでは「自称オバチャンコメンテーター」がなにか言っている。
〈犠牲になったパイロットの人たちは本当に気の毒に思いますけど、こうなってしまった背景があると思うんですよね。南米の中でも、ベニスエラは混沌状態で、多くの人が苦しんでいたんですよ。私も含め、先進国の人たちはその状況を見て見ぬ振りをし続けていたんですよね……〉
聞く価値もないので無視して立ち上がった。
「和彦様?」
朱音が後ろからついてくる。中庭に出た俺はタバコを取り出して火を付けた。
「……朱音、いまの俺たちで、ワイバーン一〇頭と戦えるか?」
「もちろんです……と、言いたいところですが」
「無理だよな。Aランク魔物一〇頭で一国が滅びる。大氾濫になれば、それ以上に危険な魔物が何万と出てくるのに、未だに危機感のない奴らが多い。正直、一瞬思ってしまったよ。俺たちが苦労してダンジョンを討伐するほどの価値が、人類にはあるのかってな。同じ人類であるジョーカーが、世界を滅ぼそうとしている。それもまた、ヒトの意志なのではないか。人類は、滅ぶべくして滅ぶ。それが正しいのではないか……」
「和彦様ッ!」
朱音の鋭い声に、俺は我に返った。黒髪の美しいくノ一が、目の前で悲しそうな表情を浮かべている。フゥと息を吐いて笑顔を向けた。
「済まない。少し、弱音を吐いてしまったな。ダンジョンを討伐し、魔物大氾濫を食い止める。それが、俺が決めた正義だ。誰がなんと言おうと、俺の正義を貫く」
「迷ったときは、私がお慰めします。ですから、どうか独りで苦しまないでくださいませ」
朱音の頬に手を当て、絹のような黒髪を撫でた。久々に、深酒したい気分だった。
六月中頃から、いよいよ衆参両院選挙が始まった。二〇一二年末から始まった、保守党対野党の「一強多弱体制」は八年近く過ぎても変わっていない。その原因は、最大野党である立憲民政党にある。今回の争点は、ダンジョン対策および憲法改正だが、立憲民政党は昨年に問題視された首相の公式行事「観桜会」を未だに取り上げ、浦部内閣を攻撃している。
「八年も続けば、こうした腐敗が出てくるのです! 政治を生まれ変わらせるためには、浦部内閣を倒さなければなりません!」
党首自らがそう叫ぶが、有権者の反応は不調だ。それどころか野次さえ飛んでくる。
「ふざけんな! 足を引っ張るだけの野党なんていらねーよ! ダンジョン問題はどうするんだよ! ジョーカーにどう立ち向かうつもりだよ!」
戦後、長きに亘って与党で有り続けた保守党のアンチテーゼとして設立された前政党は、政権を獲って三年で瓦解した。反保守党だけでまとまっていたため、与党になった瞬間に国家運営や政策の食い違いが露呈したのだ。その後、野党に転落して幾つかに分裂したが、未だに「アンチテーゼ」のポジションを捨てていない。そのことが、この選挙でも露呈していた。
「我々もダンジョン対策は重要だと考えています。しかしながら、現在の浦部政権下で憲法を改正するのは反対です。保守党の憲法改正案は穴だらけで、国民の権利を守れません!」
「だったらお前らも改正案を出せよ! 反対だけして対案出さねーから、見捨てられるんだよ!」
反論すると、一段と野次が酷くなる。立憲民政党の江田島党首は、この選挙後に自党がどうなるのか、暗澹とした気持ちであった。
一方、明確に反保守、反浦部内閣を打ち出し、少数ながらも支持を得ている政党がある。社会共産党であった。反資本主義、自衛隊の解体、天皇制廃止、共産主義革命による大企業解体とプロレタリアート民主連合政府の樹立を打ち出している。
「ガメリカ軍が撤退し、日米安保体制が崩れたいま、日本は独自の外交を行う必要があります。ジョーカーを代表とした第三世界と手を結び、国籍も人種も貧富もない、真に平等な世界を築く好機です!」
聞く人が聞けば、狂っているとしか思えないだろう。だが彼らは本気である。戦前からずっと「プロレタリアート共産革命」を叫んできたのだ。たとえダンジョンが出現しようとも、たとえ人類滅亡の危機を前にしようとも、その姿勢だけは崩れない。自分たちの理念を貫くという意味では、立憲民政党よりもよほど一貫していた。無論、支持するのはごく僅かではあったが。
「私たちが直面している最大の問題はなにか? ダンジョンです。まずはこの問題をなんとしても解決しなければならない。ハッキリ言いましょう。私だって浦部内閣に言いたいことは山ほどありますよ。観桜会もそうだし、内国との外交関係もそうだし、カジノリゾートの贈賄問題だって追及したい。でもね、それは後でも良いんですよ。いま! 今やるべきことはなにか。一日も早くダンジョンを潰すこと。そして万一にも魔物が出てきたときのために、防衛力を高めること。これが最優先なんですよ!」
消費税増税反対、脱原発を訴えていた元タレント議員は、ダンジョン群発現象後は一転して保守党に協力するようになった。政策の優先順位が一致したためである。大型モニターを使っての街頭演説はインパクトがあり、支持者たちが拍手を贈る。
「魔物を操って隣国を襲って、そしてダンジョンを開放しろなんて脅す。普通に考えて、こんなことが許されて良いはずないじゃないですか! そんな輩と手を結ぼうとしている国が、我が国の隣にあります。あの魔物はワイバーンというそうですが、それがいつ日本に来るか解らないんですよ。陸海空自衛隊のすべてを強化する必要があるんです!」
保守党の各候補者たちも声を張り上げている。選挙は蓋を開けるまでわからないと言われているが、今回ばかりは、結果は見るまでもない。有権者の誰もがそう感じていた。
【防衛省 ダンジョン冒険者運営局 ダンジョン省準備室】
ダンジョン冒険者運営局は、選挙後の省庁設置に向けて準備を進めていた。今回の選挙はほぼ間違いなく、保守党大勝で終わるだろう。だがそれは、ダンジョンとの果てしない戦いの始まりでもある。ジョーカーに与する国も出始めている。その一方で、ガメリカは我関せずの姿勢を崩していない。もはや一国だけでどうこうできる問題ではないのに、七四歳の米大統領は「ブロック経済」が成立すると考えているようだ。
「もうガメリカにはなにも期待しないほうがいいわ。日本は日本で、自国を護りましょう。それで、バスターズからの返答は?」
「手元にあるBランクカードをすべてガチャに使い、Aランク魔物を確保、ワイバーンを顕現させて自衛隊に提供すると約束してくれました」
「そう…… 貴重なカードだから無駄にはできないわね。F15、九〇式空対空誘導弾がワイバーンにどこまで効果を発揮するか。準備ができ次第、実験を始めてちょうだい」
石原局長が矢継ぎ早に指示を出す。自衛隊の武装で魔物とどこまで戦えるかを試すのは、喫緊の課題であった。EUでは、クルセイダーズが魔物カードを提供することになっている。大亜共産国は、まだAランク魔物のカードを手に入れていないため、日本の実験結果を提供することになる。
「実は、ウリィ共和国からも大使館を通じて実験データ提供を要請されていますが?」
「犬に喰われろ…… というのは冗談だけれど、ジョーカーに与する国に軍事データは提供できないわ」
防衛省にも内国軍から打診が来ているが、完全無視の姿勢であった。大亜共産国の脅威が無くなり、ルーシー連邦もヨーロッパ方面に張り付いている中、極東の火種は半島北部の独裁国家と、それに従属する南部の極左政権だけである。もっとも、南側のほうは国内の混乱が始まり、今後の行方は不透明であった。
「ダンジョン省の最初の仕事は、東京五輪対策よ。ジョーカーの例にあるように、ダンジョン討伐者の称号を持つ者が、私たちが知っている数だけとは限らない。万一にも東京で魔物が顕現されたらパニックになるわ。国交省や警察庁とも連携して、厳重警戒にあたるわよ」
本当なら五輪など中止してほしいくらいであったが、世界の危機だからこそ「平和の祭典」を行う意味があるというIOCの意見により、五輪開催が進められている。それに向け、横浜、新宿、船橋のダンジョンでは警察官のブートキャンプが行われていた。
「カード保持者を察知する道具があれば便利なんだけれど……」
残念ながら、そのような道具は出現していない。五輪開催が失敗すれば、ダンジョン省どころか内閣が吹き飛びかねない。石原はそう懸念していた。
さらに混沌を深めつつ、二〇二〇年の半分が終わろうとしていた。




