第060話:レジェンド・レアたちへの疑念
【東京都新宿区百人町 職安通り】
東京都新宿区百人町の歴史は古く、江戸時代にまで遡る。江戸幕府初期、江戸の街を警備するために「百人組」という鉄砲部隊が組織されたが、そのうちの一つである「伊賀組」の屋敷があった場所が、この百人町である。現在は、山手線「新大久保駅」と総武線「大久保駅」を中心に栄えており、日本最大級の「コリア・タウン」としても有名である。
新宿区百人町がコリア・タウンとなったのは、太平洋戦争直後である。1950年、新宿区大久保に在日内国人一世が「製菓メーカー」を創業する。その後、大姜半島戦争から逃れてきた姜国人・内国人たちが雇用を期待してこの地に集まり、現在のようなコリア・タウンの原型が誕生した。その後、内国での日本旅行自由化や国際化・グローバル化の流れから、アジア周辺国からも人々が集まり、エスニック系料理の店を開いたりするようになる。21世紀になると、いわゆる「姜流ブーム」から日本の若者たちも集まるようになった。しかし、日内間の歴史認識問題から「嫌姜デモ」なども頻発し、姜流ショップが倒産したりするなど、コリア・タウンは20年間で盛衰を繰り返してきた。
現在は、一時期ほどの熱狂的な賑わいこそ無いが、職安通りから大久保通りにかけては姜流レストランやK-POPサロンなど在日内国人が経営する店のみならず、ハラールフードストアなどムスラーン教徒向けの店も立ち並び、国際色豊かな街へと変貌しつつある。
「ここか…… 初めて来たな」
京葉道路から靖国通りを進み、曙橋、東新宿を通過すると「職安通り」へと続く。右手に総合ディスカウントストアが見えてくる。そこが都内最大のコリア・タウンの入り口だ。通称「イケメン通り」と呼ばれており、大久保通りまで繋がる幅4メートルの道には、多数の「コリア・ショップ」が並んでいる。
駐車場に車を停めた俺は、信号機を渡りホルモン店を右手に見ながら、イケメン通りに入った。かつては多くの在日内国人と日本の若者が賑わったそうだが、来てみると想像していたほどではない。
「現在のパク政権が誕生してから3年、日内関係は急速に悪化したわ。特に、内国の経済は最悪で、対ダンジョン政策の見通しも立っていない。この数年で、日本国内では「嫌姜」が常識化しつつあるわ。この街にかつての賑わいが戻ることは無いかもしれないわね」
霧原天音は、すこし寂しそうに両側の店を見ている。天音は姜流ファンらしく、ドラマや内国コスメなどに詳しいそうだ。ちなみに俺は姜流ドラマなど観たことないが、「夏ソナ」とかいうドラマが有名なことくらいは知っている。もっとも俺の場合は、日本のドラマでさえも観たことがないのだが……
「そういえば以前、東テレのWBNで『姜流フライドチキン』が特集されていたな。この機会に食ってみるか」
「あら、和彦さんはどちらかというと『嫌姜派』だと思っていたけれど?」
天音が横目を向けてくる。俺の記者会見の仕方が悪いのか、どうも「保守」「嫌姜」と思われているようだ。この際だからハッキリと言っておこう。俺は内ポケットからスマートフォンを取り出した。
「俺のスマホはギャラクシアだ。自宅のテレビも内国の家電メーカー製だ。友人には元在日内国人もいるし、冬にはキムチチゲも食べる。車は国産だがな。『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』という奴を否定するつもりはないが、俺は違う。俺が気に入らないのは、ウリィ共和国政府の『対ダンジョン政策』だけだ。政策が気に入らないだけであって、その国の企業まで否定するつもりはない。どの国の製品であろうとも、良いものは取り入れる」
「兄貴は現実主義者だからね。使えれば内国製だろうが大亜製だろうが使い、使えなければ国産でも切り捨てる。もっともその結果、ダンジョン内で使うキャンプ道具は全部、国産になっちゃったんだけどね」
民間人冒険者の登場によって活況を呈している企業として、アウトドア用品メーカーがある。ダンジョン・バスターズが使用するテント、寝袋、ランタン、バーナー、テーブルや椅子などは、すべて日本メーカー製だ。その動画を公開しているためか、国内のみならず海外からも注文が殺到しているらしい。
「ガメリカブランドも悪くはないが、同品質なら国産を選ぶ。道具のみならず、食事もほとんど全て国産だ。理由は簡単だ。万一にも大氾濫が起きたら、世界は間違いなく分断される。安全保障の観点からも、国内の自給力を高めておくべきだ。俺たちは高額所得者だからな。金をガンガン使って、一次産業の人たちに還元すべきだろう」
話をしているうちに、目的地に到着した。イケメン通りから一歩入った「西大久保公園」である。細長い公園だが、ダンジョンが出現したのは南側の公園広場だ。
「ん? なんだ?」
公園の入り口で人々がなにか叫んでいる。他の冒険者と鉢合わせたかと思ったが、どうやら彼らは民間人冒険者ではなく、なにかの活動家らしい。
「日本人だけダンジョンに入れる制度など差別だ!」
「不本意ながら日本で生きざるを得ない在日の人びとの権利を守れ!」
「浦部内閣は直ちに総辞職しろ!」
老若男女20名ほどが、そんな言葉を叫んでいる。政治主張をするのは結構だが、周囲の迷惑も考えてほしい。俺たちが入れないじゃないか。そのうち一人が俺たちに気づいたらしく、目を剥いた。
「ダンジョン……バスターズ?」
左右に割れた。やれやれ、ようやく入れる。と思ったら、一人が喚き出した。
「差別主義者は家に帰れ!」
「あん?」
叫び声の方に思わず顔を向けてしまった。20代中頃の女性だろうか。一瞬、怯んでいたが再び叫び始める。
「貴方たち、恥ずかしくないの! ダンジョンに入るということは、浦部内閣の差別政策を支持するということよ! ダンジョン・バスターズは差別団体だわ!」
「そうだそうだ! 日本のダンジョン政策は間違っている! 日本で暮らし、税金を納めている在日の人たちにも、ダンジョン冒険者の機会を平等に与えるべきだ!」
「………」
俺は無視して通り過ぎることに決めた。民間人冒険者の登録資格を国籍で分けるのは、差別ではなく区別だろ。ガメリカ人もフランツ人も、日本では登録できないんだから。
だが、それを言っても彼らは理解しないだろう。20年近くの社会人経験で解ったことがある。世の中には「思想」と「信仰」を混同している人がいる。情緒的観念論を掲げて「自分が正しい」と主張する人たちのその精神構造は「信仰」に近い。こういう相手には、何を言っても無駄だ。
「帰りが面倒だな。できればコリア・チキンとチーズダッカルビで打ち上げしたかったんだが……」
「この近くに、内国の有名な芸人が経営している、日本初上陸のフランチャイズチキン店があるわ。個人的には、青唐辛子チキンがオススメね」
「……二人共、これからダンジョンに入るってときに、食事の話はやめてください」
凛子が睨んでくる。まぁ攻略後の楽しみにしておこう。自衛官4人が警備している入り口を通り、公園に入る。ダンジョンを中心に公園全体を塀で囲い、ブランコなどの設備は全て撤去され、民間人冒険者を受け付ける2階建ての施設が用意されていた。
「お待ちしていました。ダンジョン・バスターズの皆さん」
女性が声を掛けてくる。新宿ダンジョン施設の「受付嬢」だ。この現代社会に、なぜか黒を基調とした中世的デザインのスーツ?である。これは「らしさ」を演出するためらしい。有識者会議およびその他多数の声により実現した。
(睦夫まで「ギルド受付嬢はファンタジーの花形だよ! それが迷彩服着てるなんてありえない!」とか言ってたからな。そのへんの感覚はまったく理解できん)
「現在、他の冒険者の方が入っています。最大でも、あと40分ほどで出てくると思いますので、それまでお待ちください」
「では、このダンジョンについて判明している限りの情報が欲しい。ダンジョン内の構造、出てくる魔物、魔石の大きさ、安全地帯の位置などだ」
俺、彰、凛子、天音、正義、寿人の6人が別室に通される。新宿ダンジョンについての情報を整理し、共有するためだ。資料をめくった彰たちが顔を見合わせる。
「ん? この魔物は初めてのはずだが、知っているのか?」
「……兄貴、日本人で知らない人のほうが少ないと思うよ。超メジャーな魔物だよ」
「どう見ても、ド○ゴ○・ク○○トのド○キーですね」
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【名 前】 ドッキー
【称 号】 なし
【ランク】 F
【レア度】 Common
【スキル】 飛行Lv1
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「背中の翼でホバリングしたり急旋回したりするらしい。ただ、攻撃方法は噛みつきなので、空中機動に気をつければ簡単に倒せるそうだ。ちなみに第二層まで判明しているぞ。第二層は『ポイズンスライム』というらしい。ランクはEだ」
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【名 前】 ポイズンスライム
【称 号】 なし
【ランク】 E
【レア度】 Common
【スキル】 毒攻撃Lv1
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5人がなんとも言えない表情を浮かべている。確かに一見すると「アニメっぽい外見」をしているが、魔物なのだからそういう奴もいるだろうと思っていた。だが5人からすると異常に見えるらしい。
「兄貴、本当に知らないのかい? これ、テレビゲームに出てくるモンスターだよ」
テーッテレンテテテ……とか彰がメロディを口ずさんだ。
「あのなぁ、俺は40歳だぞ。無論、ド○ゴ○・ク○○トというゲーム名は知っているし、やったこともある。『Ⅰ』だけだがな」
「だったら知ってるでしょ! ド○キーなんてⅠから出てるはずだよ」
「クライアント先にゲーム開発会社があったから、話題になるかと思ってスマホでダウンロードしてやってみた。自称国王が、ナントカとかいう奴を殺してこいと、偉そうに命令してきたのがムカついて開始1分で止めた覚えがある。支度金も出さないし、討伐報酬も明示しないんだぞ? 断って当然だろ」
「いや、ゲームだから……」
呆れたように笑う彰を置いて、俺は書類に目を落として沈思した。
(いったい、どういうことだ? ゲームのキャラクターが魔物として出てくる? ガチャというスキルといい、ダンジョン・システムがこの世界のことを学んで、新たな魔物を生み出しているのか? だがなんのために? 異世界を滅ぼし続けてきたシステムだが、滅ぼすことそのものは目的ではないのだろう。何かを成し遂げようとしている。それが叶わず、結果として世界が滅んだ…… 以前、人類の進化のためにダンジョンがあると仮説を立てたが、なんのために人類を進化させるのだ?)
「カズさん、どうかしましたか?」
寿人の声で、俺は我に返った。ダンジョン・システムについての仮説は後回しだ。今はその前に、確認しておくことがある。俺は思考を中断した。
「ドッキーですわね。飛行能力こそありますが、攻撃力の弱いFランク魔物ですわ」
新宿ダンジョン第一層で、朱音を顕現させる。出てきた魔物ドッキーを当たり前のように解説するが、俺はそこで朱音をじっと見つめた。
「……なぜ知っている?」
「和彦様?」
俺の眼差しに違和感を覚えたのか、朱音が真顔で応じてきた。恐らく、朱音に対して初めて見せる「不審の表情」だろう。
「朱音、このドッキーというのは異世界には存在しないはずだ。なぜなら、この魔物はこの世界の人間が創り出したゲームのキャラクターを模して、ダンジョン・システムが生み出したからだ。他の世界にいるはずがない。それを、なぜお前が知っている?」
「なぜ……と仰られましても……」
戸惑う朱音をよそに、俺はエミリ、劉師父、ンギーエを顕現させた。そして同様の疑問をぶつける。エミリとンギーエは知らなかったが、劉師父はドッキーという魔物を知っていた。
「朱音たちレジェンド・レアを疑っているわけではない。だがその記憶は、ダンジョン・システムによって調整、コントロールされているのは間違いない。恐らく、地球にダンジョンが出現した際に、各キャラクターに記憶が植え付けられたのだろう。となると、問題は最下層の壁画だ。お前たちが覚えた違和感、重要なはずだという感覚さえも、ダンジョン・システムによって生み出されたと考えるべきだろう」
「兄貴、姉御たちのことを疑っているのか?」
「信用している。これまで幾度となく助けられたし、今も助けられている。ただ、レジェンド・レアそのものがダンジョン・システムの一部であるということを再認識しただけだ。信用はするが、盲信はできない。ダンジョン・システムにおいて、レジェンド・レア108柱の役割はなんだ? ダンジョン討伐を助けるのが役割というのなら、なぜそんな役割がダンジョン・システムに組み込まれているのか。それが明らかにならない限り、完全に信頼することはできない」
「………」
彰や凛子たちが互いに顔を見合わせた。しわがれた咳払いが聞こえた。劉師父のものだ。
「それで良い。儂ら108柱は討伐者を助けるために存在している。だが、なんのために存在しているのかは解っていても、なぜ存在しているのかは、儂らにも解らん。そのような状況で儂らを無条件に信じるなど、甘さを通り越して愚かというものじゃ。儂らのことさえも疑うぐらいに用心深くないとのぉ」
「……済まなかったな。信用しているし、頼りにもしている。そこに嘘はない。朱音、済まなかったな。気分を変えよう。少し早いが、安全地帯に戻って食事にしようか」
微妙な空気を変えたかった。時間は十分にある。ノンアルコールビールと和牛ステーキ肉のバーベキューにしようと思った。
【コロビアン共和国首都 ボゴタ】
南米大陸北西部に位置するコロビアン共和国は、人口4900万人、南米第三位の経済を持つ。日本人が持つコロビアンへのイメージは、情報不足のためか1990年代で止まっているといえる。すなわち「麻薬カルテルなどのマフィアが暗躍し、内戦が続き、政府も腐敗した治安の悪い国」というイメージだ。
1990年代前半は、たしかにこのイメージに近いものであったが、21世紀に入るとコロビアンは劇的に変化した。麻薬カルテルはほぼ完全に崩壊し、内戦の原因であった極左革命軍も衰退の一途を辿り、汚職は一掃された。人口の多さと人件費の安さから、有望な投資先として注目されている。
コロビアンといえばコーヒーが有名だが、これも20世紀のイメージだ。現在のコロビアンでは、産業の中心はコーヒー農園から鉱工業へと移行している。2002年に大統領に就任したアヤラ大統領は、ポピュリズムと現実的政策を絶妙なバランスで実行することで、8年間をかけてコロビアンを激変させた。彼の実績については現在でも賛否両論があるが、低下するコーヒー価格で国内経済が疲弊し、マフィアやゲリラが横行する最悪の国内状況を見事に立て直し、7%近い経済成長を維持しつつ国家財政を健全化した手腕は、現在でも高く評価されている。その後に政権を継いだニコライ大統領も、ゲリラ組織との和平に成功するなど、21世紀のコロビアンは前世紀とはまったく違う国家へと変貌している。
2018年8月、新たな大統領に「ルイス・サルミエント」が就任する。折しも、隣国のベニスエラでは国内が混乱し、100万人の難民が流れ込んできていた。また経済成長に伴う貧富の差の拡大により、再び左翼ゲリラが活動を開始している。さらに、そのような混乱の中でダンジョン群発現象が発生する。
2002年から2代続けて卓越した政治手腕を持つ大統領に恵まれたコロビアンだが、3代目にして試練の時を迎えようとしていた。
ボゴタ市の中心部である「ラ・カンデラリア」のボリバル広場から南に進むと、国会議事堂、そしてコロビアン大統領府がある。この日、サルミエント大統領は国家安全保障会議に臨んでいた。議題は対ダンジョン防衛及びベニスエラ国境の防衛についてである。
「現在、第一、第二、第四師団が国境を固め、第六師団もビチャーダ県を中心に防衛にあたっています。ベニスエラ側の動きは未だにありませんが、避難民の流入は続いており、サンタマリアとククタの難民キャンプはパンク状態です。武装ゲリラにも流れているという未確認情報もあり、予断を許しません」
「一方のダンジョンのほうは、落ち着いています。ボゴタに2つ、メデジン、カリに1つずつ出現しましたが、陸軍により完全封鎖が成功し、今のところ被害は出ていません」
「やはり問題は避難民の扱いです。200万の避難民をどうにかしないと、このままでは暴動が起きます。かといって、彼らを国民として受け入れられるほどの経済的、財政的余力もありません。やはりここは、ガメリカに支援を求めるべきでは……」
閣僚たちが頭を抱えていると、大統領が口を開いた。
「避難民の中から、有志で『ダンジョン冒険者』を募るということはできないだろうか?」
現在、コロビアンではダンジョン冒険者制度は導入されていない。財政的な余裕が無いためだ。魔石買取以前に、ダンジョン周辺に管理棟を建て、防塵スーツや安全靴などの最低限の装備類を揃え、志望者にブートキャンプを行い、その中から冒険者を登録して活動を管理しなければならない。日本によってある程度はマニュアル化されているが、資金も人材も不足している。
「大統領、それは難しいと思います。ダンジョン冒険者制度が成功しているのは日本とEUだけです。大東亜共産国やバーラタリア民主共和国でも始まってはいますが、運用面の課題も出てきているようです。なにより、資金的にも難しいかと……」
だがサルミエント大統領は資金面の問題の問題については、ガメリカや日本に頼れば良いと考えていた。
「我が国はベニスエラと隣り合っている。ジョーカーの脅威をもっとも身近に受けているのだ。別に軍拡をしようというのではない。ジョーカーが顕現させる魔物に対抗するため、冒険者を育てたいだけだ。同じ状況であるブレージルと歩調を合わせて、ガメリカ、EU、日本と交渉できないだろうか?」
「EU、ガメリカはともかく、日本は乗ってくる可能性はあると思います。日本のダンジョン対策は世界最先端ですし、他国の支援にも積極的です。なにより『難民対策への協力』という名目であれば、難民受け入れに消極的な日本にとって、国際社会からの非難を躱す口実にもなるでしょう」
「ガメリカは大統領選挙中ですので、ハワード大統領がどう反応するかは未知数です。EUは交渉可能でしょう。南にアフリカを抱えるEUにとって、ジョーカー対策は喫緊の課題のはずですから」
「ではまず、ブレージルへの根回しと、駐日大使を通じて日本の感触を図ってみてくれ。その感触次第で、EUとも交渉を始める」
大統領の指示によって、各閣僚も動き始めた。こうして、ジョーカーの脅威が迫りつつあるコロビアンは、自国防衛のために日本に協力を要請したのである。
これが今後、世界にどのような影響を与えるのか。この時点では誰も見通してはいなかった。
※作中に出てくる「バーラタリア民主共和国」は、現実では「インドネシア共和国」に相当します。




