第053話:船橋ダンジョン
投稿が遅くなり、申し訳ありませんでした。
【千葉県船橋市】
千葉県の県庁所在地は千葉市だが、商業の中心地はどこかと問われれば、船橋市と県民は回答する。地方自治法に定められた「中核市」の中では最大である63万人の人口を抱えており、農畜漁業が行われている一方で、軽重工業の工場が複数並び、北欧の家具メーカーの巨大商業施設もある。一次産業から三次産業まで全て揃い、東京駅まで30分以内という立地から、定住目的のファミリー層には人気の街だ。
都市の数だけ名物があるのが日本だ。関東圏屈指の商業都市であれば、当然ながら「名物ラーメン」が存在している。
「……兄貴、これって焼きそばだよね?」
「いいや、ラーメンだ。船橋のB級グルメ『ウスターソース・ラーメン』だ」
半世紀以上前、船橋市の雀荘が「焼きそばとスープの二皿を出すのが面倒だから一緒にしちまえ」と考えて生み出したらしいが、食べてみると間違いなくソース独特のスパイシーさを感じるスープで、チャーシュー替わりにトッピングされている「ハムカツ」ともよく合う。
「いや、だって青海苔と刻み紅生姜まで載ってるよ? スープ焼きそばって名前のほうがしっくりくるよ」
「いいから食え。ラーメンなんて明確な決まりはない。店主がラーメンと言ってるんだから、ラーメンなんだ」
ソース特有の味がするスープとキャベツ、紅生姜にハムカツ。B級グルメ特有のジャンク感があり、たまに食べたくなる。彰も最初は味に戸惑っていたが、やがてズルズルと食べ始めた。当然ながら一杯では足りない。腹を満たすために別の店に向かう。
「よし、つぎは『すずきめし』を食いにいくぞ」
千葉県は、魚の「スズキ」の漁獲量日本一だ。その中でも4月末から水揚げが本格化する「瞬〆スズキ」は船橋市の名産であり、このスズキの出汁で米を炊き、それをライスコロッケにしたのが「すずきめし」だ。船橋市で30店舗以上が、このライスコロッケを使ったアレンジ料理を出している。
「人間というのは足元を見落としがちだ。東京都民は北海道や北陸、九州の名物は必死に追いかけるのに、足元の関東圏、しかも都心から30分で着く千葉県の名産が知られていない。たとえば『梨』もそうだ。長野県と思う人もいるだろうが、千葉県こそが梨の収穫量日本一ということはあまり知られていない。その中でも船橋の梨は最高品質のブランドを持っている。簡単に手に入るのに、なぜか食べたことがない人が多い」
居酒屋で「すずきめしの香草焼き」、「ホンビノス貝の酒蒸し」、「なめろう」、「ベータキャロットの野菜スティック」「小松菜ハイボール」を注文する。いずれも船橋市の名物だ。菜っ葉がドロドロになったようなハイボールに彰はひいていたが、一口飲んで驚いている。ビリジアン色からは想像できないほどに飲み口が軽い。
「ところで、新しく高校生が入るんでしょ? 慎吾くんだっけ? 茉莉ちゃんに告白してフラレて、それでも入るって、根性あるね」
「惚れた女を護るために強くなる。戦う理由としては十分だ。それに茉莉も高校2年生、今年で17歳になる。健全な高校生として、恋愛の一つも経験すべきだろう」
「兄貴、父親の顔になってるよ? こうやって茉莉ちゃんは大人になっていくんだね。そして兄貴はオヤジに……」
「うるせぇよ。俺はまだ40歳だ。誕生日まで3ヶ月ある」
緑色の液体が入ったグラスで乾杯した。
【ガメリカ合衆国 国防総省 アイザック・ローライト】
参謀長という仕事に見切りをつけて民間のダンジョン研究機関に転職しようかと思っていた僕が、未だにその椅子に座っている理由は一つだ。中南米の失敗した国「ベニスエラ」に出現した自称魔王への対策に追われたからだ。
「FBIの分析では、ジョーカーは白人男性で年齢は30歳から40歳。大学もしくは大学院でかなりの高等教育を受けているだろうとのことです。貧困層問題を取り上げていることからボランティア活動に関わっていたか、あるいは医師としてベニスエラで活動していたのではないかと考えられます」
「そんな人物が『ダンジョン討伐者』になり、さらにはクーデターまで起こしたというのか? 訳がわからん。それで、大統領はなんと?」
「当分は様子見だそうだ。米軍撤退による国際社会からの非難、さらには日本とバチカンによるダンジョン討伐。スタンピードの時期を把握できずにいたことへの不満と、10年後の不安で暴動まで起きている……これ以上失策を重ねたら、大統領選挙どころか8月の共和党大会で指名すら受けられない。合衆国史上初の、党大会で落選した現職大統領になるかもな」
「情報を隠していた張本人の日本が、ガメリカより先に沈静化してしまったからな。それどころかデモすら起きていないとは……」
「日本国民は『災害』に慣れている。騒いでも仕方がないことは受け入れる民族だ。それにダンジョン・バスターズの存在も大きい。既に3つのダンジョンを討伐し、4つ目に取り掛かっているそうだ。民間人冒険者の登用も順調で、魔石採掘者だけでも200名を超えている。浦部総理も、自分の任期中に国内全てのダンジョンを討伐すると宣言しているしな」
「その結果、浦部内閣の支持率は6割まで回復、一方のハワード大統領は2割ちょっと……僅か4ヶ月で、大きく差が開いてしまったわね」
部下たちがため息をついた。会議室に重苦しい空気が漂う。もっとも、僕の興味は浦部内閣でもハワード大統領でもない。ジョーカーのほうが遥かに面白そうだ。だから話題を戻す。
「政治の話はいいよ。僕らの仕事はガメリカの裏庭である南米に出現したテロリストへの対策を考えることだ。もう一度、ジョーカーの動画を見せて」
秘書がパソコンを操作し、ジョーカーの動画が投影される。両手を後ろに組んで動画を観る。やはり疑問が湧き上がる。この動画は、どうやって撮影したんだ?
「可怪しいよね。この動画を観る限り、ジョーカーって男はかなりイカレているように見える。そんな男が、ビデオカメラとマイクをセッティングし、演説したデータをエンコードして、動画サイトに載せるなんて作業をするかな」
「つまり、ジョーカー以外の協力者がいると?」
「それも複数ね。今回の政変は、ジョーカーの単独犯じゃない。おそらく、ジョーカーが指揮しているか、あるいはジョーカーを支持している組織があるんだと思う。ベニスエラは混乱していたけれど、それでも人口は3千万人以上いたんだ。貧困層の中に、ジョーカーに心酔する者が出てきても不思議じゃない」
僕は前のめりになり、机の上で手を組んだ。左右の部下たちを見回す。
「思い出してほしい。世界で初めてダンジョンを討伐したメンバーは3人だった。ダンジョン・バスターズでさえ、単独攻略は不可能だった。つまり、ジョーカーはダンジョン討伐者になって狂ったんじゃない。その前から、ジョーカーと一緒にダンジョンに潜っていた仲間がいる。経済破綻しているベニスエラでは、魔石を得たところでカネにはならない。では彼らは、なんのためにダンジョンに入ったんだ?」
僕は疑問を提示しながら沈思した。ジョーカーの立場になって想像してみる。ただの好奇心でダンジョンに入ったという可能性は無いだろう。衣食住が足りた後に出てくるのが好奇心だ。ベニスエラではそれが決定的に欠けている。彼ら……少なくともジョーカーは、必要に迫られてダンジョンに入った。何故だ? 彼はダンジョンでなにを得たかったんだ?
(魔石以外の収穫物。魔物カード、ポーション、武器や魔法の道具……)
いまいちピンとこない。ジョーカーが医者なら、医薬品を求めてダンジョンに入ったという可能性はある。だがそれは医者だから必要だというだけだ。他の仲間たちの共感は得られないだろう。ジョーカーを含めて全員が求めるもの……
「ひょっとして……」
僕は一つの可能性に行き着いた。ダンジョンは魔石しか生み出さないという前提そのものが間違っているのではないか。
「……ベニスエラには、魔石以外が出現するダンジョンがあるのか?」
【ベニスエラ 首都カラカス】
首都カラカスはベニスエラ最大の都市ではあるが、その治安状況は世界最悪といわれている。特に「ラ・チャルネカ」と呼ばれる貧民窟は、強盗や殺人が毎日のように発生し、一切れのパンを求めて人々が争い合う地獄の様相を呈していた。
「ボス、今日の収穫物です」
貧民窟のビルの一角、雑然とした部屋の中に顎髭を生やした男が入ってきた。その後ろでは、プラスチック製のボウルに白い粉や果物などが盛られている。だが、ボスと呼ばれたピエロ姿の男ジョーカーはボウルの中身ではなく、男が差し出したカードの束のほうに興味があった。運ばれてきたボウルは一瞥しただけで、
「全部配布しろ。特に、子供がいる家庭にはな。それと陸軍の装備が手に入った。収穫者たちをもっと増やせ」
「ですがボス、今日はなにも食べていないじゃないですか。せめてこれだけでも……」
差し出されたリンゴを受け取り、ジョーカーは齧った。カラカス貧民窟に出現したダンジョンは、魔石ではなく「食料」を生み出している。そのダンジョンの討伐者であるジョーカーは、ダンジョンの管理と採掘は貧民窟の住人たちに任せ、そこから得られた「カード」を受け取っていた。人の数に比して、得られる食料は決して多くない。だがそれでも、僅かでも腹を満たすことはできる。貧民窟には、肉やバターの味を知らない子供までいるのだ。
リンゴを齧るジョーカーの姿に、顎髭の男は感銘を覚えていた。確かに、目の前の男は恐ろしい。素手で簡単に人をくびり殺せる。だが同時に、強烈な信念を持っている。その信念に生きている。
ヒトは、生まれながらに不平等だ。何百万トンもの食料を平気で捨てる国がある一方で、飢餓に苦しむ国がある。栄養失調で赤子に飲ませる乳すら出ない母親がいる。「神の前ではヒトは平等」など、誰が信じるか。
「俺たちは、神様にババを掴まされたのさ。金持ちが金持ちであるために貧乏人は存在している。奴らが笑って暮らすために必要な道化師、それが俺たちだ。だからジョーカーとしてこの世界を浄化しよう。そのときには自分たちは死んでいるだろう。だが、ただ無為に死ぬのではない。この歪な世界の終わりを見ながら、嗤って死のうじゃないか……」
生きる意味を見出したと思った。それまでは理由もなく、怒りの感情のまま他者を傷つけ、そして自分を傷つけて生きてきた。自分が生きている意味なんてない。存在してもしなくても、世界にはなんの影響もない。苦しめて苦しみ、奪って奪われて、そしてつまらない一生を終えるだろうと思っていた。
だがいまの自分は違う。この男の「狂おしき夢」に乗った。彼と共に踊り狂おう。なんの価値もない自分の命が尽きるか、この世界が滅びるまで……
【鹿骨ダンジョン 山岡慎吾】
ダンジョン・バスターズの見習い冒険者となった僕は、真実を知った。鹿骨には世界初のダンジョンが存在し、江副さんは去年の6月からそれに潜っている。そして木乃内さんも、夏休み中から手伝うようになったそうだ。木乃内さんの変化は「強化因子」によるものだったのか……
「ハァッ……ハァッ……」
汗が滴り落ちる。両手足にウェイトを着けて歩くというのが、これほどキツイとは思わなかった。木乃内さんも、最初はコレから始まったらしい。
「早くしなさい。茉莉が退屈してるわ」
「エミリちゃん。慎吾くんは初めてなんだし、可哀想よ」
ダンジョンに入ってもう一つ驚いたことがある。木乃内さんが顕現させた「エミリ」という同い年くらいの女子だ。外見は少し気が強そうだが、木乃内さんと同じくらいの美人で可愛い。地上で二人が並んで歩いたら、声を掛ける男は無数にいるだろう。けれど、この2人に対して共通して思ったことは……
(クソッ……女の子に置いていかれるなんて、情けねぇっ)
僕はフラフラになりながら歩いているのに、2人は平然としている。基礎体力がまるで違う。腹の底から悔しさが湧き上がる。なにが木乃内さんを護るだ。護られてるのは自分の方だった。
「茉莉、こういう時は同情しちゃダメよ。同情すればかえって、相手を惨めにするんだから……とっとと立ちなさい。男なんでしょ? それともゴブリンに食われたいの?」
歯を食いしばって、太腿に力を入れる。ゆっくりと、それでも着実に前に進む。一歩ごとに、自分が強くなっていく。そう信じて進むしか無い。僕は歯を食いしばって、引きずるように足を出した。
「はい、お疲れ様」
「あ、ありがとう……」
木乃内さんからポーションを受け取る。血のように赤い色なのに、無味無臭の液体だ。それを飲むだけで、バラバラになりそうだった全身の痛みがひいていく。だが精神的な疲労までは回復してくれないらしい。寝台に倒れ込んだ僕は、そのまま眠ってしまった。
「ねぇ、茉莉……それで、どうなの?」
「どうって?」
「とぼけないの。慎吾から告白されたんでしょ?」
「う……今はまだ、誰とも付き合うつもりはないって断ったのに、まさかバスターズに入ってくるなんて…… きっと、和さんがなにか企んだんだわ」
「ふーん? 今は、ね? じゃあ見込みはあるかしら? 結構、可愛い顔してるし?」
「んもうっ!」
こんな会話がされていたとも知らず、僕はグッスリと眠ってしまった。
【船橋ダンジョン】
「焔薙」
朱音が忍術を発動すると、ダンジョンの床を這うように炎が広がった。第一層のゲジが次々と消えていく。単体への攻撃力は弱いが、範囲魔法の代替になる。Dランクあたりまでならこれで十分のようだ。
「姉御もいよいよ、ゲームキャラっぽくなってきたね。第二層は僕が行くよ」
船橋ダンジョン第一層のゲジは簡単に消滅した。まるで害虫駆除である。第二層に入った俺たちを待っていたのは60センチほどの大きさの「蝿」だった。やはり女性陣を連れてこなくて正解だった。茉莉がいたら卒倒していたかもしれない。
「モンスター・フライですわ。弱毒と溶解液を持つ大型の蝿ですが、それなりに高速で飛んできます」
朱音も少し嫌そうな表情を浮かべている。まぁ虫型魔物が出るダンジョンなら、ああいう「巨大な複眼生物」とかも出るだろう。某映画の「腐海の蟲」のような奴まで出るかもしれない。
「んじゃ、僕がいくね」
彰は、新たに手に入れたSRランクの武器を構えた。ヌンチャクである。
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【名 称】 双節棍LEE
【レア度】 Super Rare
【説 明】
格闘家専用のヌンチャク。所有者自身は重さを
感じないが、攻撃を受けた側は100キロの
鉄球で殴られたようなダメージを受ける。
二つの崑を繋ぐ鎖は神鋼鉄でできており、破壊する
ことはほぼ不可能
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「ホァァァッ!」
50年前に一大ブームになったカンフー映画のように、ヒュンヒュンと高速でヌンチャクを振り回す。そして「ホァチャァァッ!」とか叫びながらブゥゥンと飛んでくる蝿を叩き落とした。ヌンチャクの動きはさらに加速し、彰の両腕も見えなくなる。そして半径2メートル以内に入った蝿は次々と煙になっていった。戦いぶりを見ていると「ドラゴンな音楽」がバックグラウンドに流れているような気がしてくる。
そして第三層で、ついにDランク魔物が出現した。「蚊」だ。
「エビル・モスキート。Dランク魔物ですわ」
「俺がやる」
両手を前に出し、自分の制空圏を確認する。そしてその中に入った巨大な蚊を次々と叩き落とす。目で追うことも判断することもない。ただ感じたままに掌底を突き出していく。
「『考えるな。感じろ』……たしか有名なカンフー俳優の言葉だったな」
「『鉄則を学び、実践し、やがて忘れる。形を捨てた時、全ての形を手に入れる』……僕はこっちのほうが好きだね」
少し大きめの蚊が4匹近づいてきた。それを同時に叩き落とし、俺たちは先へと進んだ。そして、第5層を越えて第6層の安全地帯に入ろうとした時、朱音と彰が飛び出した。そして俺はようやく気がついた。第6層の安全地帯に、黒髪の女性がいた。年齢は20代半ばだろうか。
「こんにちは! 私、ダンジョンを渡り歩く行商人、リタと申します。よろしくお見知りおきのほど~ ニヒッ」
ダンジョン・システムについては、まだまだ未知の部分が多いようだ。
ジョーカーにつきまして、様々なご意見をいただきました。本当にありがとうございます。調べたところろ、WEBサイトでジョーカーとすることには問題ないようなので、このまま書き進めたいと思います。今後、書籍化などがされた場合は、これまで頂いたご指摘も含めてかなり書き換えるつもりですので、その際にキャラクターの名前も変えたいと思います。
たくさんのご意見、ご提案をいただき、本当にありがとうございました!




