SS:日下部凛子の事情
明日は投稿できなそうなので、本日中に投稿しました。サイドストーリーということで3600文字と短めですが、ご容赦くださいませ。
日下部流古武術の歴史は、戦国時代にまで遡る。当時は剣や槍、あるいは体術などを使った「殺法」が主流であったが、戦国時代以降は「護身」に重きを置き、現在でも古武術として道場を開き、警察署などでも指導している。日本の警察官は滅多なことでは銃を抜かないため、ナイフなどの武器を相手にした無手の戦い方が中心となっている。
そして私は、その日下部流宗家の娘として幼い頃から様々な武術を学んできた。道場は兄である日下部静彌が継ぐのだが、18歳で師範となった兄ほどではないにしても、私も素質に恵まれたのか10代後半で師範代となった。
「静彌さんは、神明館の宍戸彰と手合わせをしたことがあるとか?」
「ハハハッ……小学生の頃さ。昔の話だよ。勝負の結果は、覚えてないな」
私から見ても、兄は天才だ。道場の子弟たちも、世界最強の格闘家と呼ばれる宍戸彰に伍する強さだと思っている。だが兄は飄々としており、試合で勝つための強さは求めていない。子弟からどちらが強いかと聞かれても、兄は笑うだけだ。
「ウチは護身を掲げてるんだよ? 一対一の試合に出て戦って勝つことは目的じゃない。自分の身と周りにいる大切な人たちを護るために強くなるんだ。いいかい。殺す力を持つことは難しいことじゃない。必要以上に相手を傷つけずに、大切な人を護り抜く。このほうが遥かに難しいんだよ」
道場には、総師範である父と師範である兄、そして私の他に、親類から3人の男が師範代を務めている。他の三人は兄よりも年上だが、兄が次の総師範になることに納得している。「才能が違いすぎる」と苦笑しているくらいだ。
「兄さん、宍戸彰が冒険者になったって、知ってる?」
食事中に、私は兄に話しかけた。兄は肩を竦めて首を振った。私は父に了解を得て、テレビを付けた。武道の家と聞くと古めかしく堅苦しい家を想像するかも知れないが、日下部家はそこまでではない。父も母も、礼儀作法には少し厳しいが、他のことについてはごく一般的な両親だと思う。
〈では、防衛省が公表した「ダンジョン・ブートキャンプの様子」を見てみましょう〉
私が通う大学でも、ダンジョン群発現象のことで持ちきりだ。薙刀部の女子の中には、女剣士を目指すなどと言う者までいる。確かに、これまで身につけてきた「武術」が、魔物相手にどこまで通じるか、興味がないと言えば嘘になる。
テレビでは2人の男が少し大型のウサギを相手に戦っていた。私が密かに「兄の好敵手」と思っている宍戸彰が、凄まじいパンチを繰り出している。強い。ひょっとしたら、兄よりも強いかも知れない。でも兄は、特に驚きもせず箸を口に運んでいた。テレビに視線を戻すと、もう一人の男の戦いぶりが映っていた。スコップを持っている。あんなもので魔物と戦えるのだろうか。だが次の瞬間……
「なっ……なに、いまの速さは!」
右手に持ったスコップを軽く振っただけに見えたが、その瞬間にウサギは文字通り破裂した。モザイク処理をされているが間違いない。宍戸のように殴って吹き飛ばしたのではない。スコップのあまりの速さに、吹き飛ぶ前にウサギの身体が破裂してしまったのだ。
「……人の域を超えているな」
「えぇ、人間じゃありませんね。アレは……」
父が小さく呟き、兄が面白そうに頷いている。私は信じられなかった。最強と思っていた兄が、男の強さを褒めるどころか、呆れているのだ。
「兄さんでは、勝てない? あの男に」
「宍戸彰とならばいい勝負ができるかもしれない。でももう一人は無理だね。僕と父さんと凛子の三人がかりでも、勝てないかも知れない。見てみなよ」
男の動きに、私は唖然としていた。10メートル以上も壁を駆けている。まるで映画だ。筋力も瞬発力も、人間のそれとは明らかに違う。私には、テレビの男のほうが魔物に見えた。
「あの力をもってしても、勝てない物の怪がいるのか……」
父は少し瞑目し、それから食事を続けた。
それから私は父と兄に乞い、ダンジョン冒険者の試験を受けた。強さを求めていたわけではないが、あの男の戦い方が衝撃的すぎた。父は言った。たとえダンジョンで強くなり、兄を超えたとしても道場は継がせない。身の丈を超えた力を持てば、ヒトは力に溺れて自らを滅ぼす。それを常に自覚せよと。
だがそう言いながらも、私と師範代3人を送り出してくれた。父の中にも、ダンジョンに対する危機感があったのかもしれない。父に言われるまでもなく、私は力に溺れるつもりなどない。ただ「武の価値を示すとき」だとは思う。魔物が跋扈するダンジョンを放置するわけにはいかないだろう。
「魔物との戦い方が必要となる。それには戦国の世で培われた『殺法』が役に立つはず」
ダンジョン・ブートキャンプの前日。私室で日本刀を手入れしながら、私は宗家に伝わる秘技を思い浮かべていた。そしてブートキャンプに参加した。最初は重りを付けて歩くだけだったが、ダンジョン内の異質な空気か、あるいは魔物の臭気によるためか、わずか一日で参加者はかなり疲弊していた。元力士らしい人は、階段の上り下りで苦労しているようだ。どこか痛めているのかもしれない。
激しく疲労している者やひどい筋肉痛の場合はポーションを渡される。すると体力も疲労もすぐに回復するようだ。もっとも私たちは、この程度で音を上げるほど軟ではない。ポーションを断り、すぐに就寝した。
「凄いですね。ここまで積極的に戦う人なんて、江副さんと宍戸さん以来ですよ」
2週間が過ぎると、ダンジョン冒険者としての本格的な訓練が始まる。ダンジョン・バスターズから提供されたという短剣を使って、実際にウサギ型魔物と戦った。正直に言えば、拍子抜けだった。見た目こそ夜叉のような表情になったりするが、戦闘力は皆無に近い。噛みつきさえ気をつければ、簡単に倒せるだろう。
(ひょっとしたら、あのテレビは演出だったのではないか?)
そんなことまで思ってしまった。だがダンジョン内である以上、油断はできない。それに私も他の3人も身体能力が向上してきているのを感じていた。それは、他の参加者も同様のようだ。なるほど、これが「強化因子」と呼ばれるものか。
ダンジョン冒険者となってから2度、私たちは横浜ダンジョンに入った。単調に魔物を殺し続けるというのはどこか作業じみており、退屈でもある。だから独自にウェイトを付けたり、意図的に素手で戦いを挑んだりするなど、課題を設定して戦っていた。
だがやはり、ダンジョン内で数日を過ごすというのは苦痛だ。他の三人にとって私は妹のような存在らしいが、私だって20を過ぎた女子大生だ。男の視線も気になるし、数日風呂に入らないことに苦痛も感じる。このまま冒険者として続けられるのか。悩み始めた頃に、防衛省からの招集がかかった。札幌ダンジョンを攻略して判明したことを共有するそうだ。全冒険者が集められる。もちろん、ダンジョン・バスターズもだ。
「江副和彦氏に会えば、迷いが晴れるかも知れない。それに、強さが本物かも気になる」
私に衝撃を与えた男との初対面が楽しみだった。そして当日、防衛省の会議室内に入った私は、少し失望した。他の冒険者たちは緊張感もなく、腑抜けた様子に見えたからだ。正確にはごく少数だけ、違う気配を放つ者もいたのだが……
「ねぇねぇ、君も冒険者だろ? 良かったら俺たちと組まない?」
私に気軽に声を駆けてきた男がいた。チャラい男だ。宍戸彰や兄のように、中身を伴いながらも表層でチャラくしているのなら、私だって無下にはしない。だが目の前の男からは、そんな気配は感じなかった。
「失礼、貴方に用事はありません。話しかけないでもらえるかしら?」
私は冷たく無視して、席に座った。男は顔色を変えて、何か言おうとしていたが、私の後についてきた師範代たちに怖じけたのか、そのまま立ち去っていった。口説くのであれば、本気で口説けば良いものを。覚悟を持って口説いてきたのなら、承知しないまでも、もう少し返事の仕方も変えるのだが……
ため息をつきそうだったとき、背中にゾクッという気配を感じた。師範代たちも振り返る。他の冒険者たちも気づいたのか、少しざわめきが広がった。
「中々、壮観だな」
「へぇ……結構、強い人もいるじゃん」
「彩波系無口キャラとか、合法ロリとかはいなそうだね」
30歳くらいに見える男を先頭に3人が入ってくる。一人は間違いなく宍戸彰だ。そしてもう一人は、テレビで劇的なダイエットに成功したと話題になった、田中睦夫だろう。その2人を従えて先頭に立つ男こそ、世界最強の冒険者「江副和彦」に違いない。その姿に、私は笑みを浮かべた。放っている気配が尋常ではない。きっと父が見たら、亡くなった祖父のようだと話すだろう。途方もない数の実戦を経て培われた「強者の気配」だ。
(本物だわ。この人は、間違いなく最強の冒険者……)
これから会議が始まるが、まだ少しは時間があるだろう。私は我慢できずに立ち上がり、彼のもとへと歩を進めた……
Q.完全起動が前倒しになった事情について
A.唐突で驚かれた読者様も多いと思いますが、完全起動を前倒しにすることは、当初から設定していました。江副和彦が大阪ダンジョンを後回しにする描写は何度か描きましたが、それはこの伏線のためです。不均衡、不平等、理不尽、唐突なのが現実世界なので、ご批判を覚悟でこの設定を起動させました。
一方で、小説としての「娯楽性」を担保しなければならないので、バランスを取りながら描いていくつもりです。「なんだよソレ!」と読者様が驚かれるようなことは、極力避けるようにしてまいります。
これからも応援の程、宜しくお願い申し上げます。




