SS:江副和彦のマッドな実験
これは、木乃内茉莉がバスターズに参加する前の話である……
私は「忍し者 朱音」と申します。ダンジョン・システムに組み込まれたレジェンド・カードであり、これまで数多くの世界で、ダンジョン・システムと共に出現し、その滅びを見てまいりました。世界が滅んだ場合、私はシステムに吸収され記憶が浄化されます。そのため他の世界の詳細は覚えていないのですが、これまで数多くの主人に仕え、その尽くが滅びたということは、記憶が残っているのです。
(この世界も、また滅びてしまうのでしょうか……)
この世界に顕現した時、私は半ば諦めと共にそう思いました。私を顕現させた人は、中年の小太りな男性で、お世辞にも強そうには見えませんでした。ですがすぐに、私は認識を改めました。主人となった方は、ある意味で「狂気」を秘めた方でした。ダンジョンを起動させた「第一接触者」は、その殆どが破滅的な未来に絶望し、僅か10年の享楽を求めるようになるのです。ですが、今回の主人「江副和彦様」は違いました。和彦様は、その破滅的な未来に敢然と立ち向かうことを決意されたのです。
(あぁ、和彦様…… 私は貴方様の忠実なる下僕でございます。戦えば鋭き一振りの刀剣となり、夜伽では貴方様を悦ばせる淫蕩な娼婦となりますわぁ~)
ゴブリンを黙々と屠り続けるその背を見つめていると、私の肢体は熱くなるのでございます。すると、和彦様がいきなり立ち止まられました。ドロップしたカードを拾われると、顎を擦って呟かれました。
「魔物というのは、呼吸しているのだろうか?」
Aランクダンジョン「深淵」に入られてからというもの、和彦様は時折、奇妙なことをされています。例えば幾つかの装備を持ち込んで、どれがカード化するかを調べられたり、ダンジョン内にトランシーバーなるものを持ち込まれてその有効性を確認したりなどされています。疑問を思いついたら小さな帳面に書き込み、それを後々に試してみる。討伐対象であるダンジョンを理解しようとされているのです。そして今、和彦様は再び、何かを思いつかれたようです。
「魔物は呼吸をしているのか?」
この疑問は解く必要がある。日本は海に囲まれている。11年後、魔物大氾濫が発生した場合、海を越えて魔物が押し寄せてくる可能性がある。もし魔物が呼吸をしているのであれば、海底を歩いてくることは困難になるだろう。またダンジョンを水攻めにできるかも知れない。
「和彦様、その水槽は何にお使いになるのですか?」
俺は幅2メートル超えのアクリル製の水槽をダンジョンに持ち込んだ。第一層の安全地帯に、家庭用ビニールプールを膨らませ、その中に水槽を置く。そして縁ギリギリまで水を入れていく。
「これは魔物について調べるための実験道具だ。ゴブカードを顕現してこの水槽に落とし、そして蓋をする。魔物は呼吸しているのか。また召喚した魔物が死んだら、カネをドロップするのかなどの実験を行う」
縁一杯にまで水を張ると、俺はゴブカードを取り出した。水槽の上でカードを顕現させると、ゴブリンはザバンッと水槽に落ちた。アギャアギャともがくゴブリンを押さえつけながら、すぐに蓋を閉じてストップウォッチを押す。
「ゴブリン程度の力なら、この強化アクリルの水槽を割ることは難しいだろう。さて、抵抗するということは呼吸しているのか? 吐き出すのは二酸化炭素かな? まぁこの辺はおいおい調べるとして、呼吸しているのならどれぐらいで心肺停止する? そして死んだらどうなる?」
なんとか脱出しようと水槽内のゴブリンは必死にアクリルガラスを叩いている。だが水の抵抗があるため、その力は弱い。俺は目を細めて、弱っていくゴブリンを観察した。
「か、和彦様…… 召喚魔物は味方でございますよ?」
「だからその命を有効に利用しているんだ。俺はダンジョン・システムについても召喚魔物についても、何も知らない。こんなことをお前で試すわけにはいかないからな。ゴブカードなら容易に手に入る。解剖なども行いたいが、それには設備が足りない。まずはコイツらが『海を越えられるか』を調べる」
朱音は少し顔を青褪めさせている。俺にも憐憫の情はある。だがこの実験は必要なのだ。自らにそう言い聞かせ、水の中から俺を見つめるゴブリンを見下ろし続けた。
やがてゴブリンは動かなくなり、そして消えた。
「時間はおよそ5分か。カネは……落としていないな。召喚魔物は死ぬと、カードに戻らずに消えるわけか。そして何もドロップしない。少なくともゴブリンは、水の中では生きられないことが判った。他の魔物でも逐次、試すようにしよう」
「まだ……お続けになると?」
「当然だ。ダンジョン討伐のためには必要なことだ。冷酷非情と蔑まれようとも、俺は続けるぞ。サイズ的にオークは難しいから、次はスケルトンナイトでの実験だ。俺の予想では、アンデッドは溺死しない」
朱音は自らの腕をさすり、ブルッと身震いさせていた。
和彦様は、普段は温和でお優しい方です。ですが決して甘い方ではありません。必要と判断すれば、躊躇なく残酷なことも行います。味方であるはずの召喚主によって溺死という死を与えられたゴブリン。そしてそのもがく姿を、視線を逸らさずに見続ける和彦様。あぁ、なんという瞳でしょう。心の中ではきっと、ゴブリンに対して詫びていらっしゃるに違いありません。だからこそ、目を逸らすような偽善をせず、その罪を背負うつもりで、死にゆくゴブリンを見続けたのでしょう。
「……やはりスケルトンナイトは溺死しないな」
水槽の中に沈んだスケルトンナイトは、特に抵抗すること無くカクカクと首を動かしています。和彦様は念のために10分以上お待ちになられましたが、スケルトンナイトが消えることはありませんでした。
「よし。アンデッドが海を越えられることは判った。この様子では水圧すら関係ないだろう」
短剣を抜いて、水面から出てきたスケルトンナイトの頭部を破壊されました。スケルトンナイトは煙となり、そしてカードもお金も落としませんでした。
「サンプル数がまだ足りんな。オークや他の魔物でも試す。100匹召喚して全てが同じように消えたら、召喚魔物はドロップしたりカード化したりしないと判断しよう」
冷たい表情でそう呟かれます。この御方を見ていると本当に、切なくなります。後でタップリと慰めて差し上げますわ。
ダンジョンを討伐するうえで必要なのは、共通する目標を持つ仲間たち、その生活を支える金銭、そしてダンジョンを安心して進むための大量のアイテム類である。仲間集めは俺がやるとして、二番目と三番目をなんとか効率化できないだろうか。
「朱音、確認したいんだが俺が地上にいる時に、ダンジョン内でお前が魔物を倒してカードやカネを集めるって方法は取れないのか?」
「残念ながら、それはできません。ダンジョン・システムでは、召喚者と召喚獣は『同じ世界』にいなければなりません。仮に私が一人でダンジョンに入ったところで、和彦様が地上に出てしまわれた瞬間、私はカードに戻ります」
「地上への階段に入った時は大丈夫だったが……少し試してみるか」
俺は朱音を顕現させたまま、階段を昇った。半ばあたりで留まり、引き返す。すると朱音の姿は消え、床にカードが落ちていた。それを拾って再び顕現させる。
「なるほど。どうやら階段半ばであっても朱音はカードに戻ってしまうようだな。常に一緒に居なければならないわけか」
「和彦様はお嫌ですか? 私が常に側に居るのは……」
そう言って両腕を首に回して下半身を擦り付けてくる。まったく「妖艶なるくノ一」とは良く言ったものだ。腰を掴んで引き離すと俺は咳払いした。
「ではこれならどうだ? 俺がこの安全地帯に居て、朱音や召喚魔物だけでダンジョンに入って魔物を倒す。コレなら可能だろ?」
「可能ですし、そうした召喚者も過去に居たはずです。ですがあまり意味があるとは思えません」
「その理由は?」
「召喚者自身が強くならなければ、結局のところ、ダンジョンを討伐することは不可能だからです。確かに私は、自律的に判断し行動できます。ですがそれはレジェンド・カードだからであり、一般的な召喚魔物はそこまで自律行動が取れません。また、ダンジョンを消し去るか残すかの選択権は、召喚した者に与えられます。私たちだけでダンジョンの最下層に辿り着いたとしても、消し去ることも管理権限を得ることも叶わないのです」
「つまり、最下層まで召喚者自身が一緒に行かなければならない、ということか。なるほどな」
俺は椅子に座って、ノートを開いた。いまの話を整理してまとめておく。それが終わり伸びをしていると朱音が向かい合う形で両脚に跨ってきた。
「和彦様、お仕事が終わられましたら、先程の続きを……」
今度は、引き離すことはしなかった。
「和彦様、そのネズミはなんでございますか?」
第一層の安全地帯には、籠が二つありました。それぞれに、白いネズミが一匹ずつ入っています。私は和彦様に、実験の目的をお聞きしました。
「ダンジョンの強化因子が、地上の動物にも有効なのかどうかを確認する。ここに二匹のネズミがいる。その一方をダンジョンに持ち込み、強化因子を吸わせ続ける。籠の中にカラカラがあるので、それで運動をさせる。もう一方はこの安全地帯に残したままだ。同じカラカラ、同じ餌を与えて、身体能力に違いが出るかを見てみる」
「地上の動物を使った実験でございますね? 籠は私がお持ちしますわ」
「頼む。地上の動物にも有効だった場合、今度はそれが『遺伝』されるかどうかを確認したいな。だがそれには時間も設備も必要だろう。いずれ解くべき疑問としてメモしておくか」
私は籠を持ちました。中のネズミは赤い瞳を私に向け、そしてカラカラと回る回転車で遊び始めました。私はなんともいえない気持ちになりました。可愛らしいネズミがカラカラと音を立てているすぐ側で、和彦様はゴブリンと戦い続けておられます。あら、後ろから来ましたわ。私は籠を持ったまま、軽い蹴りを放ちました。それだけで、ゴブリンは煙となってしまいます。このネズミも強化因子を吸って喜んでいることでございましょう。
「フム、やはり地上の動物にも強化因子は有効だな。だが……これは凶暴化しているのではないか? これではまるで、強化したラットではなく、魔物化したラットだ」
二匹のネズミを同じ籠に入れると、強化因子を吸ったネズミがもう片方に襲いかかり、一瞬で殺してしまいました。その獰猛さに、和彦様は眉間を険しくしておられます。ラットは血塗れのまま、籠の中でキキキと鳴いています。
「強化因子を吸った動物は凶暴化するのか? ならなぜ、人間はそうならない? 朱音、この辺は何か知らないか?」
「申し訳ありません。それについての知識はありません。過去に和彦様のような方がいなかったのか、それともその知識が消されているか……」
「恐らく後者だろうな。地上の動物を使って魔物を殺そうとするアイディアなど、ちょっと考えれば誰でも思いつく。ひょっとしたらこの辺に、強化因子の秘密があるのかもしれないな」
和彦様は頷いて、観察記録をノートにまとめていらっしゃいます。その後、凶暴化したネズミは毒餌を与えて殺処分されました。もちろん、弱くなっていくネズミの様子もつぶさに観察され、毒の餌が魔物に有効かどうかを試そうともされました。残念ながら、餌はカード化されてしまいましたが、和彦様は何か納得されているように頷かれました。
「この分なら殺虫剤も持ち込めないかもしれん。良くできている」
顎を摩りながら、そう呟かれました。




