第019話:ロスジェネ向けプレゼンテーション
ダンジョン冒険者運営局という名前は知っている。民間冒険者登用の試験、魔石の買い取りなどを一手に行なっている防衛省の事務方だ。ネット上では「冒険者ギルド」などと呼ばれている。そこの局長ということは、冒険者ギルド長という地位になるのだろう。そんな人が俺に会いたいと言ってきた。
「申し訳ありません。本日はダンジョンに入るだけの予定でしたから、スーツではないのです」
「お気になさらず。こちらが突然お呼びたてしたのです。お疲れのところ、本当に申し訳ありません」
株式会社ダンジョン・バスターズの名刺で名刺交換を行い、俺は着席した。40代半ばだろうか。切れ者といった雰囲気の女性だった。国立大学在学中に国家公務員試験を通り、卒業後に防衛省のキャリア官僚となったのだろう。女性官僚が少ない中で、バリバリと働き、昨今の女性管理職登用の流れから、若くして局長に抜擢された。そんな感じだろうか。
「それで、私に相談というのは、なんでしょうか?」
「民間人冒険者の確保について、お知恵を借りたいのです」
話を聞いてみると、先の二次試験の様子が全国に放送され、希望者たちが及び腰になっているそうだ。民間人登用試験は、ただでさえ門戸が狭い。オンライン試験と体力測定で厳選され、さらにダンジョン内で魔物を殺さなければならない。最初は応募が殺到したそうだが、現状では次の試験ができないほどに少ないそうだ。
「グラム100円という買取額や、ポーションなどのアイテムの価値など、懸命に広報しているのですが、申込数が足りず、このままでは江副さんたち二人だけが冒険者ということにもなりかねません」
「確か、第四班以降は全て『リタイア』したんでしたよね? 正直、私に言わせると広報の仕方や試験の仕方に問題がありますね。防衛省だからか『自衛官採用』と同じ感覚でやっているのではありませんか?」
「どういう意味でしょう? 私たちのやり方が間違っていると?」
「自衛隊の募集方法は『国防』とか『資格が取れる』とか、そんな方法をやっていますね。ですがダンジョン冒険者候補を集めたいのなら、そのやり方ではダメです。人間は、崇高な理念や資格が取れるなどの漠然とした未来像では動きません。特に、ダンジョンに憧れるような連中はね」
「では、どうすれば良いのでしょう? どうすれば、集まるのでしょうか?」
「私に一つ、案があります。局長の許可が必要ですが……」
そして俺は、自分の私案を口にした。石原局長は眉を顰めて考え込んでいたが、それ以外の案が思いつかないらしく、俺の意見を採用してくれた。
〈防衛省ダンジョン冒険者運営局の発表です。本日22時から、横浜ダンジョンで民間人冒険者希望者のためのプレゼンテーションが行われます。報道番組はもちろん、ニッコリ動画などでも生放送されます〉
僕の名前は田中睦夫、今年で42歳になる。いわゆるロスジェネの世代だ。大学卒業の頃の日本は就職氷河期で、僕は中堅のIT企業になんとか入れたんだけれど、当時はブラック企業が当たり前で、結局は長続きしなかった。その後は仕事を転々として、今ではフリーのプログラマーをやりながら、同人雑誌なんかも作ってる。
「お、面白そうだ」
僕は人と付き合うのが苦手だ。だからこうして一日中、家の中でできる仕事をしている。ダンジョンが出現した時は「異世界キター」って思ったけど、現実はそんなに甘くなかった。何より、体力測定で僕はダメだった。身長172センチ、体重85キロ、しかもメガネを掛けている人は採用されないらしい。興味はあるけど、実際にダンジョンには入れない。だからニュースなどで、ダンジョンについての情報だけ集めてる。
「お……江副氏がプレゼンするんだぁ。この人、凄いね」
僕は、江副和彦という冒険者のファンだ。同世代なのに見た目は30くらいに若々しくて、覇気がある。記者会見で毎朝新聞の女記者をやり込めた時なんて、スカッとした。同じロスジェネなのに、こんなに違うのかと、ちょっと嫉妬もしてしまう。あ、始まった。スーツかと思ったら、冒険者の格好してるよ。
〈さて…… まずこのプレゼンテーションは30代後半から40代、つまり私と同年代の人たちにこそ聞いてほしい。もちろん、その世代以外の『ダンジョンに興味がある』という老若男女全てに向けていますが、いま日本は私と同年代の『ロスト・ジェネレーション』と呼ばれる世代が、『引きこもり』や『非正規雇用』などで苦しんでいます。もちろん、全てが社会のせいというわけではない。本人の努力と言えばそこまででしょう。ですが『何をどう努力したら良いのか判らない。だから動けない』という思いもあるのではないでしょうか? だから彼らに訴えたい。いまからでもできる『一発逆転、勝ち組への道』を!〉
江副氏は僕より二つ年下だけど、その話し方は本当に引き込まれる。まるで僕に対して訴えているように聞こえた。だから僕は、パソコンの音量を上げてヘッドホンを付けた。ニッコリ動画には、共感のコメントや批判のコメントが幾つも書かれてる。
大きなケースが台車で運ばれてきた。江副氏の左右に積み上げられている。警察官が立ってる。なんだろう? ケースが開けられると、1万円札がギッシリ詰まっていた。
〈いまここに、15億円あります。これは、平均的なダンジョン冒険者が1年間で稼ぎ出す金額です。もう一度言います。格闘技を学んでいなくても、特別な運動をしていなくても、ダンジョン冒険者となって真面目に頑張れば大抵の人は、1年間で15億を手にすることができます。勝ち組と呼ばれる大企業のエリートサラリーマンの生涯年収は、せいぜい4億~6億円。その2倍以上の額を1年で稼ぎ出す。いま40を過ぎて将来を諦めかけているロスジェネの人たちも、一発逆転が可能なのです〉
ゴクリッと僕はツバを飲み込んだ。本当に、僕みたいな太っちょで、運動音痴で、対人恐怖症の臆病な人間でも、ダンジョン冒険者になれるのだろうか? それに、15億の根拠ってなんだろう?
〈いま貴方はこう思っているのではありませんか? そんなことを言ったって、自分はもう40過ぎだ。健康診断では高血圧とか脂肪肝とか言われているし、中性脂肪値も高い。運動なんてもう10年以上もしてない。そんな自分が、ダンジョンで魔物と戦うなんてできっこない…… 安心してください。いまから、ダンジョンに入る最大のメリット『強化因子』についてご説明します〉
リアルのダンジョンでは、経験値なんて無い。ステータス画面やランクというものはあるらしいけど、筋トレとか色々やって、自分で強くならないとランクアップはしない。いきなり強くなるのではなく、徐々に、少しずつ強くなる。だからレベルアップを夢見ていた人たちは、軒並み諦めてしまった。でも、本当に経験値は無いのだろうか。僕はそう思っていた。そして江副氏が、その回答をくれた。
〈確かにダンジョンには、経験値はありません。ですが経験を血肉に変えやすくする因子、私はこれを『強化因子』と呼んでいますが、これは存在します。簡単に言えば、従来よりも遥かに、筋トレの効果が高まるのです。また細胞の活性化も確認されています。つまり『若返り』です。自分が若かった『あの頃の肉体』に近づくことができる。それがダンジョンです〉
「凄いっ! これなら僕も、できるかも知れないよ!」
嘘クセー、ホントかよ? なんて書き込みがある。でも僕は江副氏を信じたい。
〈次に15億の根拠です。そのためにはまず、一つの数字を提示したい。『4万5千トン』、これは化石燃料などで稼働している日本国の年間電力供給量を、全て魔石に置き換えた時に必要となる魔石量です。1グラム当たり100円としたら、4兆5千億円になります。ちなみに日本が現在、海外に支払っている『エネルギーコスト』は、年間でおよそ20兆円。これが全て国内で賄えるようになり、しかもコストは半分以下になる。政府が魔石確保に必死になるのも当然でしょう。では、この4万5千トンを誰が、どうやって確保するか? ダンジョン冒険者たちが確保するのです。先日、私は相棒の宍戸と一緒に、横浜ダンジョンに入りました。一日で確保した魔石量は150キロです。一人あたり75キロ。もしこれを200日やったらどうなるでしょう? 15トンになります。この15トンが一つの目安です。4万5千トンを確保するには、年間15トンを持ち帰る冒険者が3千人いればいい。理解りますか? グラム100円での買い取りなら、15トンなら15億円になります。そしてこの買取価格は、当面は下がりません。何故か? エネルギーコストが半減する価格、つまりもう十分に安いからです〉
書き込みが変わってきている。「ちょっと申し込んでくるわ」とか書かれている。でも、でも本当に僕にできるんだろうか? すると江副氏が、画面に向けてニッコリ笑った。
〈いま、根拠となる数字を示しました。ですがそれでも、やはり二の足を踏むでしょう。自分に本当にできるのか。自分を『人生の負け組』などと卑下し、諦めかけている貴方に、一つお知らせがあります。我がダンジョン・バスターズが、冒険者見習いとして1名を横浜ダンジョンにお連れします。そして、僅か1日で、冒険者試験を通れるように鍛えて差し上げます。体重90キロ? 体脂肪率30%? ウェルカムです。10年以上外に出ていない引きこもり? 家まで迎えに行きます。私と宍戸の2名で、1日で貴方を生まれ変わらせる。名付けて『ダンジョン・ブートキャンプ』を開催します〉
防衛省のホームページから申込みができる。僕は迷い、そして決断した。
「凄まじい反響だわ。防衛省のサーバーが、危うくダウンしかけたそうよ?」
石原局長がニコニコ顔で書類を見ている。万を超える申し込みの中から、俺が選抜基準を設定して絞りこんだものだ。基準は「日本国籍を有する」「40代」「不健康」「運動音痴」などなどだ。絞った中から1名ずつ書類を見ながら、最終候補者を選び出す。
「これがいいな」
俺は1人に目が止まった。年齢42歳、身長172センチ、体重85キロ。ブラック企業を離職した後は転々とし、いまはフリーのプログラマーをしながら、東京都の片隅のアパートで細々と暮らしている。そうした人は他にもいたが、目を引いたのは「その他」のところに書かれているコメントだ。
『僕は、江副氏のようになりたい。そして、ダンジョンの出来事を同人誌にして出したい』
「僕」だの「江副氏」だの、ビジネスで使うような言葉ではない。恐らく素で書き込んだのだろう。人とのコミュニケーションが苦手な、引っ込み思案な人物だと思った。
「この『田中睦夫さん』にします。条件がピッタリです。彼でいきましょう」
「そう。この件は貴方に任せたから、好きにやって構わないわ」
「ダンジョン内に、マットレスや食料を持ち込ませていただきますが、構いませんね?」
「構わないわ。でも可能なら、食事の光景は写真か動画で残しておいてほしいの。今後のブートキャンプの参考になるし、マスコミも喜ぶと思うわ」
今回の試験が上手くいけば、冒険者候補者を養成する「ダンジョン・ブートキャンプ」を自衛隊が行うようになる。1日10人としても、月間で200人以上だ。その中で見込みのある奴は、冒険者試験を受けること無く登録される。ペーパーテストなどは、登録後で構わないのだ。まずはダンジョンそのものを社会に受け入れさせる必要がある。そのためには、ダンジョンの「有用性」を広めるのだ。
「地上時間で24時間あれば終わります。しっかりと記録してください」
さて、楽しい楽しいブートキャンプの始まりだ。
まさか僕が選ばれるとは思っていなかった。朝8時だというのに、江副氏自身がわざわざアパートの前に迎えに来たのには驚いた。マスコミらしい車なども、他に何台も停まっている中、僕は肩を狭くして江副氏の車に乗り込んだ。僕が住んでいた足立区舎人から横浜ダンジョンまでの移動中、江副氏と宍戸氏は陽気に話しかけてくれた。江副氏は「半年前の俺だ」と言って、写真を見せてくれた。結構太っていて、いまとは別人だった。目に見える変化があれば、それだけで人間の心の持ちようは変わる。これから24時間で、僕も劇的に変化する。俺を信じろ。そう言ってくれた。
「今回の出来事も、本にするんでしょ? いいねぇ。僕は文才が無いからね。できる人が羨ましいよ」
宍戸氏はそう言って、僕を褒めてくれた。僕なんて、なんの取り柄もないただの中年デブだと思っていたのに、江副氏も宍戸氏も、そんなことは無いと言ってくれる。
「どんな人間にも、強みの一つや二つがあるものさ。仮に何も思い浮かばなかったとしても、これから強みを見つければ良い。俺の好きな言葉を教えてやろうか?」
〈20歳までは赤ん坊、40歳までは子供、40歳からようやく、青年期が始まる。50歳で大人、60歳で中年、老人と呼ばれるのは80歳から〉
「どうだ? そう考えると、人生って案外、長いだろ?」
慰めとかじゃない。江副氏自身、本気でそう思っているらしく「睦夫も痩せればモテるぞ」なんて笑ってる。そう、江副氏も宍戸氏も、僕のことを「睦夫」と呼んでくれる。なんだか、友達ができたようで嬉しかった。
「うぅ……恥ずかしいなぁ」
トランクス一枚になって、第一日目という紙を持って僕は写真を取られた。体重や血圧といった健康診断もされる。写真と体重だけは毎回計測するらしい。
「毎回って、どういうこと?」
「これからダンジョンで1ヶ月を過ごすが、ダンジョン時間で1日毎に地上に戻り、シャワーを浴びる。その際に体重を測定し、写真を取る。その後はダンジョンで就寝だ。現在、地上時間11時だ。明日の11時までに、睦夫は劇的に変化する。それを記録して全世界に公表する。睦夫は、自分を変えたいという人たちの希望になるだろう」
江副氏はニカッと笑った。いまから思うと、僕はちょっと甘えていた。ダンジョンで1ヶ月を過ごすという言葉が、どれほどの重みを持っているのか、気付かなかった。
「こ、これは何?」
「ウェイトベストだ。5キロある。今日はこれをつけて歩くだけだ。魔物は俺と宍戸で倒す。あぁ、カメラマンの人は着けなくて良いですよ」
急な階段を慎重に降りて、ダンジョン第一層の「安全地帯」というところに入った僕は、そこで江副氏からウェイトベストを渡された。15メートル四方くらいの空間にいるのは、僕と江副氏、宍戸氏、そして自衛隊のカメラマンだけだ。ブルーシートが敷かれ、その上に折りたたみ式のマットレスや卓袱台、座椅子なんかがある。
「トイレはダンジョン内でする。ダンジョンが自動吸収してくれるから問題ない。ただ『大』の方はできれば地上でやってほしい。1日1度、30分ほど地上に戻るから、その際に済ませてくれ」
防刃シャツと防刃パンツ、ヘルメットとゴーグル、軍手に安全靴を身に付け、最後に5キロのウェイトを身につける。着てみると、意外にそこまで重いとは感じない。この状態でただ歩くだけで、本当に変われるのだろうか。僕は少し不安だった。
「まぁ最初は楽そうに思うだろうな。だが、2時間後に同じことが言えるかな?」
そうして僕らは、ダンジョン第一層に入った。すると可愛らしいウサギさんがピョンピョンと飛び跳ねてくる。江副氏は無表情のままボコッと蹴り飛ばした。ミュゥーと鳴きながら、ウサギさんは煙になった。魔物なんだろうけど、正直少し……
「可哀想と思ったか? ゴブリンやオークだったら、可哀想と思わず、ウサギだったら可哀想と思う。それは単に見た目で判断しているだけだ。よく見ておけ、次だ」
江副氏が再びウサギに近づく。今度は蹴りではなく、拳で迎撃するようだ。だけどすぐに攻撃するのではなく、ピョンと飛びかかってきたのを掌で軽く押し返した。するとどうだろうか。愛くるしかったウサギさんの表情が、まるで夜叉のように悍しいものに変わった。鳴き声まで、ウゥゥゥッと低い声に変わっている。先程より格段に素早く飛び掛かってくる。顔面にカウンターパンチを入れると、魔物は煙となった。
「どうだ。まだ可哀想と思うか? 見た目に騙されるな。魔物は魔物だ」
カメラマンをしている自衛隊員も、ゴクリとツバを飲み込んだ。僕も喉が渇いた。背負っていたリュックから水のペットボトルを出す。このブートキャンプでは、幾ら飲んでも食べても構わないらしい。
「よし。では進むぞ。2時間歩き、20分の休憩を取る」
そして僕ら4人は、第一層の奥へと進んでいった。
「うぅっ……足がパンパンだよぉ」
2時間後、僕は汗まみれで戻ってきた。5キロのウェイトがズッシリと重い。ただ歩くだけで、こんなに疲れるものとは思わなかった。すると江副さんが、赤い液体の入った瓶を差し出してくれた。
「ポーションだ。疲労回復と筋肉再生に効果がある。このブートキャンプでは、ポーションを使っていく。2時間歩いて20分休み、次に2時間歩いて1時間休む。その間に食事を摂る。これを3回繰り返して8時間の睡眠だ。すると1440分、地上の10分に相当する。寝る前に、地上に戻り30分間でシャワーやトイレなどを済ませる。その間に、自衛隊員が水や食料を運び込んでくれる。つまり、ダンジョン内の1日は地上の40分になるわけだ。31日間で1240分、20時間40分ということになる。実際にはもう少し遅くなるだろうが、それはバッファーだ」
「最初の7日間は、とにかく基礎体力づくりだね。ウェイトを徐々に重くしながら、歩き続ける。筋力と持久力の増強を図るんだ。もちろん、その間に少しずつ痩せていくと思う。そして1日休んで、次の7日間は本格的なカラダ作りだ。ウェイトを付けた状態でランニングする。狙いは全身の筋力と心肺能力の向上だね。あと走り方も指導するから、体幹も鍛えよう。そして残りの半月は、一緒に魔物を倒していくよ。ダンジョンでは、最初は誰でも素手だから、素手の戦い方を教える。得たカードで、ガチャも回そう。そうやって、ダンジョン冒険者として濃密な経験を積むんだ」
僕は眼の前が真っ暗になった。そうだった。ダンジョンは地上の144倍の速さで時が流れる。地上の1日は、ダンジョンでは144日になる。1日で劇的に変わるのは、地上で見ている人たちにとってはだ。僕は実質1ヶ月間も、ひたすら運動し続けることになる。全然、楽じゃないよぉ!




