第018話:女性局長の悩み
江戸川区鹿骨町に出現した世界最初のダンジョン「深淵」の安全地帯に俺たちはいる。パーティーのメンバーを彰に紹介するためだ。
「は、はじめまして。松江高校一年の木乃内茉莉です。こっちは、ペットのミューちゃんです。よろしくお願いします」
「ミュッ!」
我が社に宍戸彰が入社した以上、アルバイトの木乃内茉莉を紹介しないわけにはいかない。緊張しながら茉莉が自己紹介すると、彰は口笛を吹いた。
「ヒューッ……こりゃ凄い。こんな可愛らしい女の子なのに、僕の肌が粟立ってるよ。君、相当強いね? それにそのウサギ、ミューちゃん? ペットって言うけど、ヤバくない?」
「ミュウ?」
愛くるしいモフモフの動物がピョンと近づくと、彰は無意識に半歩下がった。
「ミューには手を出すなよ? そんな見た目だがお前より強いぞ。それともう二人、紹介しておこう。朱音、エミリ、出てこい」
レジェンドカード二枚を取り出し、二人を顕現させる。プルンッと胸を震わせる妖艶なくノ一と、女子高生のような魔法使いが出現した。
「はじめまして。和彦様の忠実なる下僕、朱音と申します」
「エミリ、主人に召喚された魔法使いよ。言っておくけど、エミリと茉莉にちょっかい出したら、焼くからね?」
美女二人に見惚れるよりも、カードから人間が出てきたことの方に、彰は戸惑っているようだった。
「あ、兄貴、これって……」
「まぁ座れ。お前に『ダンジョン・システム』について説明しよう。とは言っても、判っている範囲での説明になるがな。お前たちには繰り返しになるだろうが、彰は有望な戦力だ。しっかり説明しておきたい。いいな?」
三人と一匹に確認し、俺はホワイトボードの前に立った。
和さんの話では、最初にダンジョンが出現したのは今年の六月末だそうだ。それから5ヶ月が経っている。もうすぐ期末試験だ。学校の成績は問題ない。というよりアルバイト前より成績は上がった。毎週末、この安全地帯で勉強しているからだ。ここでは地上の1時間が6日間分にもなる。だから幾らでも勉強できる。
「ダンジョン冒険者の資格保持者が一緒なら、高校生でもダンジョンに入れる。いずれそうした制度を導入してもらいたいな。実績を積めば、ダンジョン冒険者制度に対する発言力も持つようになるだろう」
和さんは全世界のダンジョンを討伐しようとしている。でも時間はたった10年しかない。だから少しでも多くのダンジョン冒険者を育てようとしている。もし和さんが言うように高校生でもダンジョンに入れるようになったら、私もダンジョン・バスターズの一員になるだろう。あの服を着ている姿を写真に取られるのは、ちょっと勘弁してほしいけれど……
「いや、可怪しいでしょ! こんなのウサギの動きじゃないよ!」
彰さんがミューちゃんと戦っている。「宍戸彰」という名前は私も聞いたことがある。格闘技の世界大会で6年間無敗の世界最強の男だって言われている人だ。そんな彰さんが、ミューちゃんのパンチを辛うじて避けている。頬から冷や汗を流し、本気で蹴りを入れる。でもミューちゃんのモフモフを突き破ることはできない。
「ミューッ!」
ボコォッ
あ、パンチが入っちゃった。彰さん、大丈夫かな。
僕はこれまでテコンドー、ムエタイ、柔術などの異種格闘戦を山程経験し、その全てに勝利してきた。周囲は世界最強と持て囃し、僕自身もそう思っていた。でもそれは井の中の蛙だった。僕は世界を知らず、僅かな経験の中で強いと思いこんでいた「弱者」だった。
ダンジョン・バスターズに入って早速、兄貴と手合わせしようとしたら、その前にウサギと戦えと言われた。横浜ダンジョンでさんざんボコッてきたウサギだ。だが気配が違う。魔物なんだろうが、野生の中に人間のような理性を感じる。そして試しに戦ってみて、僕は戦慄した。
「クソッ! 野生動物が格闘技使うなんて、反則でしょ!」
壁や天井を使った目にも留まらぬ立体機動。小さな体から放たれたとは思えないような、鋭く重いジャブ。プロボクサーが裸足で逃げ出すほどの見事なスウェーやバックステップ。そうした格闘技術を持ちながら、野生ならではの直感と、モフモフというあり得ない防御力。このウサギが神明館世界大会に出たら、間違いなく優勝するだろう。
「ミューッ!」
顔面にパンチを入れようとした瞬間、スルリと躱された。しまった! ウサギがフェイントを使うか! 懐に入られ、愛くるしい鳴き声と共に戦慄の破壊力を持ったパンチが迫る。
(クロス・カウンター?)
そこで僕の意識は途切れた。
「ミューと戦わせたのは、お前の欠点……いや、経験不足を教えるためだ。戦ってみてどうだった?」
ミューとの戦いで意識を失った彰だが、ハイ・ポーションによってすぐに回復した。世界ではポーション一瓶が高額で取引されているが、ここには使い切れないほどある。ある意味、贅沢な環境だ。
「僕はこれまで、対人戦闘ばかりしてきた。でもミューちゃんとの戦いで思い知ったよ。僕が身に付けた格闘技は、全て人を相手に使うことが前提になっている。でもダンジョンの魔物は人間ではない。僕が身に付けている技術が通じない相手がいる。いい勉強になったよ」
「そうだ。人間の中では彰は強い。それこそ世界最強かもしれない。だが強さとは別に相性というものがある。彰が目指すべき最強は『世界最強の人』ではなく『地上最強の生物』だ。このダンジョンはまだ第三層、Dランクの魔物しか出ていない。第四層に行けば、Cランク以上が出てくるだろう。彰と茉莉は、まず第二、第三層で戦い続け、Dランクになれ。第四層はそれからだ」
俺は「スケルトンナイト」のカードを一千枚取り出した。彰の装備を用意するためだ。
「彰の場合、戦闘スタイルは打撃系が良いだろう。ステータス画面を開いてみろ」
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【名 前】 宍戸 彰
【称 号】 なし
【ランク】 E
【保有数】 0/25
【スキル】 カードガチャ
打撃 Lv2
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彰のステータス画面は横浜ダンジョンで確認している。格闘家らしく、打撃のスキルが最初からあった。このスキルを活かせる装備を用意すべきだろう。ケースに入れた1千枚を手に、俺はガチャ画面を開いた。
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【名 称】 豪腕の格闘着
【レア度】 Rare
【説 明】
身体強化と物理耐性の付与効果を持つ
格闘着。体に合わせて服の大きさも
自在に変わる。洗濯可。
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【名 称】 真純銀の手甲
【レア度】 Rare
【説 明】
ミスリル金属でできた手甲。魔法耐性に
優れ、高い防御力を持つ。
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【名 称】 素早さの靴
【レア度】 Rare
【説 明】
移動速度向上の効果付与がされた靴。
早く動ける分、止まる時には力が必要。
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【名 称】 もふもふ靴下
【レア度】 Rare
【説 明】
召喚獣専用の靴下。獣に応じて形と
大きさが変化する。履かせると俊敏性が
高まる。洗濯可。
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【名 称】 召喚獣の巣穴
【レア度】 Un Common
【説 明】
召喚獣専用の巣穴。獣に応じて形と
大きさが変化する。巣穴では召喚獣の
回復力が高まる。
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【名 称】 パワー・リング
【レア度】 Rare
【説 明】
身につけると力が湧き上がる。物理的
攻撃力が少しだけ高まる。
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【名 称】 マジック・リング
【レア度】 Rare
【説 明】
魔法を発動した際の消費魔力を少しだけ
抑制する効果がある。
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【名 称】 マジカル・トイレット
【レア度】 Rare
【説 明】
顕現すると個室式の水洗トイレが出現する。
外に音は漏れない。ウォッ〇ュレット有り。
ただしトイレットペーパーはついていない。
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【名 称】 エクストラ・ポーション
【レア度】 Rare
【説 明】
不治の病や欠損部位なども完全回復させる
最上級のポーション。無味無臭。
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【名 称】 性奴隷の首輪
【レア度】 Rare
【説 明】
自分の血を一滴、首輪の宝石に垂らして
対象者に首輪を填めると性奴隷にできる。
首輪を付けている限り、効果は続く。
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ウン、最後の一枚は永遠に封印だ。こんなものが出現すると知られたらヤバいことになる。というか、民間人冒険者が増えれば、こうしたアイテムも出回りかねない。この辺は冒険者本部に警告しておく必要があるだろう。
「彰には『豪腕の格闘着』『ミスリルの手甲』『素早さの靴』『パワー・リング』の四つだな。後はミューとエミリだ。『マジカル・トイレット』が出たのは何気に嬉しいな。これで茉莉も楽になるだろう」
それぞれにカードを渡す。朱音が何故か、首輪カードに手を伸ばそうとしていたので俺が先に取り、封印用のバインダーに入れた。少し頬を膨らませている。いや、こんな首輪なんて無くても、お前は俺のモノだ。あとでそう言ってやろう。
カードを咥えたミューがピョンピョンと部屋の隅に行く。すると、ポンッと音がした。50センチ四方の穴が空いている。うん、ウサギの巣穴みたいだね。というか、なんでウサギがカードを使えるのかな? それにダンジョンって不破壊属性なんじゃないの?
「うぅっ……ミューちゃんと一緒に寝れなくなるぅ」
「ミュー」
泣きそうな茉莉を慰めるように、ミューが足に身体を擦り付けている。そして巣穴へと入っていった。まぁ良いけれど、たまには茉莉と一緒に寝てあげてくれたまえ。
世界初の民間人ダンジョン冒険者の誕生、そして5時間で1千万円以上を稼ぎ出したというニュースにより、冒険者を志す者たちが殺到……してはいなかった。ライトノベルでは、大人のみならず高校生などがダンジョンに入り、魔物を倒して活躍するというストーリーが多いが、現実は違った。その理由の一つは、記者会見場で宍戸彰が発した言葉にある。
「ハッキリ言って、魔物を倒して経験値を得て強くなる、なんて発想は怠け者の発想だよ。そんなのあるわけ無いじゃん。強くなりたいのなら自分を鍛えないと。僕は万を超える魔物を倒したけれど、ランクアップはしていない。そのことから、経験値獲得という概念は存在しないと思うね」
ゲーム感覚でダンジョンに入るバカは死ね、と言わんばかりである。唯一の救いは、その後に江副和彦が言葉を繋いだことであろう。
「確かに、いわゆるゲーム的な経験値概念は無いと思いますが、魔物を倒すことで身体強化を促すような、『なんらかの因子』はあるように思えます。実際、私たちもダンジョンに入る前と比べれば、体力も筋力も向上しています。身体を直接強くするわけではありませんが、魔物を倒すことで筋力増強などの成長速度が高まるような効果は、あると思います」
サラリーマンが副業としてやれるほど、ダンジョン冒険者業は軽くないということである。だがそれでは困るのだ。日本国が年間に必要とする魔石量をたった2人で確保できるはずがない。いずれ魔石は重要な資源になるだろう。そのためにも、ダンジョン冒険者は育てなければならない。
「困ったものだわ」
防衛省防衛政策局内に設置されたダンジョン特別対策課(通称:ダン対)の課長に就任したのは、キャリア官僚の石原由紀恵であった。防衛省内では珍しい女性キャリア官僚であり、四十一歳で課長になり、いずれ事務次官になるのではとまで言われていた。その石原が、海のものとも山のものとも判らぬダンジョン対策課のトップになったのは、本人の志望である。
(ラノベでは、どんどんダンジョンが増えていって、いずれ国にとって重要な存在になるのよね。だったら今のうちに手を挙げておくべきだわ)
石原の目論見は当たり、ダン対は数カ月後に「ダンジョン冒険者運営局」となった。審議官を飛び越え、40代で局長に就任した。この運営局は、ネット上では「冒険者ギルド」などと呼ばれており、初代ギルド長は女性などと書かれていて苦笑したものだ。
「なんとか、冒険者を確保しないと……」
血塗れで地上に戻った岡山亜由子という女性は、数年前に国会前で安保法制反対のデモをしていた学生の一人らしい。今回も、ダンジョンは保護すべきなどと妄言を吐くために冒険者試験を受けたそうだ。ショック状態であったが今では回復し、活動団体からも抜けたらしい。我が身に降り掛かって、やっと現実を思い知ったのだろう。平和を叫ぶ、不戦を貫く。それだけで争いが回避できるのならば、人類の歴史から戦争なんてとっくに無くなっているはずだ。
(自衛隊が自衛隊員を募集するように、冒険者運営局は冒険者を募集する。ダンジョンは、安全保障上の新たな脅威だわ。冒険者は、それに対抗する兵士。でも、どうやって冒険者のメリットを伝えればいいのかしら?)
ため息をついて、背もたれにもたれ掛かる。良いアイデアが浮かばない。こういう時は、現場の意見を聞くのが一番だろう。石原は立ち上がると秘書を呼び出した。
「車を出して頂戴。横浜ダンジョンに行くわ」
茉莉は期末試験の勉強があるらしく、また民間人冒険者の活躍を見せるため、12月は彰と横浜ダンジョンで活動することにした。第一層は既に飽きていたので、第二層へと向かう。
そして第二層に入った俺たちは、出現した魔物に戸惑った。猫ぐらいの大きさの得体の知れない動物が天井から滑空し、火の玉を放ってきたのである。スコップでそれを叩き潰し、ダンジョン内を観察する。彰が呆然としながら聞いてくる。
「兄貴……あれ、モモンガだよね?」
「魔物だ。モモンガっぽい魔物だ。見た目はエゾモモンガだが、間違っても愛くるしいなんて思うなよ」
「キュィッキュィッ」
可愛らしく鳴きながら、愛くるしい表情でつぶらな瞳を向けてくる。やめろ。そんな瞳で俺を見るな。お前はこれから、車に轢かれたカエルのように、惨たらしく無残に死ぬんだよ!
こちらに向かって滑空してきたので、俺は駆け出して迎撃した。ハエを叩き落とすように、滑空するモモンガにスコップを叩きつける。モモンガは地面に潰れ、そして煙となった。
「魔法を使う魔物か。自衛隊が第二層で苦労している理由がよく解った。だがパワーも速度も防御力も無い。Dに近いEランクの魔物ってところか」
「……兄貴、容赦ないな」
だが彰も、腹を括ったらしくモモンガに迫った。襲いかかる火の玉に向かい、両腕を肘先から回転させて受け流す。火の玉は横に逸れ、そして消えてしまった。
「受けの極意『回し受け』さ。兄貴には対人戦特化って言われたけど、別に魔物に効かないわけじゃない。一度、言ってみたかったんだよね。『◯ラでもヒャ◯でもイ◯◯ズンでも持ってこいやぁっ!』」
そしてモモンガの顔面に正拳突きを入れる。吹き飛ばされ、壁に打ち付けられた愛くるしい動物はパクパクと口を開いて、そして息絶える。
「キュゥゥゥッ……」
モモンガは悲しそうな声で鳴きながら、壁に打ちのめされて煙になった。荷袋を確認すると、大豆ほどの大きさの魔石とカードが一枚、入っていた。
「このダンジョンには茉莉を連れてこれないな。絶対に泣くだろう」
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【名 前】 エビルモモンガ
【称 号】 なし
【ランク】 E
【レア度】 Common
【スキル】 火炎魔法Lv1
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「スキル枠は三つか。魔石の重さは……4グラム。よし、ここで魔石を確保するぞ。1人1分で1匹を倒したとして毎時120体、12時間で1440匹を倒す。一旦、シャワーを浴びにマンションに戻り、深淵で8時間寝る。そして再びここに戻る。地上の3時間で、それを6回ほど繰り返せるはずだ。つまり、地上の12時間で24回ってことだな。あぁ、そんなに悲壮になるな。精神的に辛くなったら言え。無理する必要はない」
俺たちは拳を突き合わせ、そして第二層を進み始めた。
「魔石は……150キロですか! こんな量を2人で……」
テレビカメラが回る中、俺たちは女性自衛官が受付嬢をしている買い取り窓口に魔石が入った袋を置いた。カード出現率は平均で3%、1千枚以上を入手している。
「それと、第二層の魔物のカードです。俺は貰っておくけど、彰は?」
「僕は1枚残して買い取りだね。正直、興味があるのは兄貴と同ランクの魔物からだよ。それまでは買い取り一本で行くつもり」
「そっか。じゃあ半分の528枚でいいか?」
1日で1500万円の稼ぎだが、単純に魔石量だけを考えれば第一層のほうが効率は良いかもしれない。空を滑空するモモンガより、地上を飛び跳ねるウサギのほうが倒しやすいからだ。討伐数、売上、獲得枚数などをノートに記録し、俺たちはシャワールームへと向かった。その時、事務方らしい男が声を掛けてきた。
「お疲れのところ、申し訳ありません。実は冒険者運営局の石原局長が、江副さんにお話があると……」
俺たち2人ではなく、俺1人に話があるというのである。彰に確認し、俺は頷いた。
車で移動中に、改めて計算してみた。魔石300トンでは、100万キロワットの発電所1基を1年間動かす量でしかない。それでも年間発電量にすれば約60億キロワット時だが、水力や再生可能エネルギーを除いた日本国内全ての電力を水素発電にするには、年間8500億キロワット時が必要なのだ。最低140基、可能なら150基は欲しい。魔石4万5千トン以上が必要になる。彼ら2人が、1日で200キロの魔石を休み無く確保したとしても、年間で70トンが限界だ。年間200日なら40トン。つまり4万5千トンを集めるには、彼らのような冒険者を最低でも2250人以上、確保しなければならない。
「1グラム100円として、4万5千トンなら4兆5千億円。でも、日本の化石燃料輸入額は20兆円以上。これが国内で賄えるようになれば、日本経済は一気に活気づくわ。そのためにも、なんとしても冒険者を確保しないと……」
焦燥感に駆られた私は、知恵を求めて横浜ダンジョンに来た。運が良いことに、例の民間人冒険者2人がダンジョンに潜っているらしい。体育会系の宍戸氏に聞いても意味はないだろう。元経営コンサルタントだという江副氏なら、何か知恵を出せるかもしれない。私は縋るような思いで、江副和彦氏と対面した。




