第096話:存在限界突破者
【江戸川区鹿骨町 Aランクダンジョン「深淵」 江副和彦】
「フム…… 茶葉はまぁ、悪くはない。だが、淹れる者の腕が追いついておらぬ。精進せよ」
「……なぜ、そんなに偉そうなのかしら? 殺されたいの?」
朱音の声の他に、聞き慣れない声が聞こえ、瞼を開ける。どうやら第一層の安全地帯に戻ってきたようだ。ソファーから起き上がると、朱音が抱き着いてきた。
「和彦様! 御無事で何よりですわ!」
「あぁ…… どうやら生きているらしい。体にも異常は無さそうだ」
朱音を離して立ち上がる。聞き慣れない声の主に顔を向ける。白銀の鎧と群青のマントを付けた男は、特に興味もなさそうに、朱音が淹れたであろう紅茶を啜っていた。
「余に対する礼ならば無用だぞ。非才な者を導くことも、王たる者の務めであるからな」
「和彦様。今すぐこの無礼者を処分する御命令を……」
朱音が殺気を放ちながら、苦無を抜いて構えた。頭を掻きながら起きると、彰が腕を組んで壁に寄りかかっている。久々に見る、険しい表情だ。
「……兄貴、前も言ったと思うけど、無茶しすぎだぜ? 一人しか入れないのなら、俺が入るべきだった。いま兄貴が生きているのは、偶然に過ぎない。兄貴が死ねば、世界が滅びる。もっと自分の価値を理解するべきだ」
「あぁ、済まない。まさか一人だけになるとは、予想していなかった。だがまぁ、Aランクダンジョン討伐は成功だ。Sランクになったという感覚はないがな。そして、新たなLRカードか……」
偉そうに朱音に指導する声だけ聞こえていた。厄介そうなカードだと思った奴だ。
「一応、お主が余の召喚者となるのだから、述べておこう。余は原初の王にして数多の英雄を束ねし英雄王、ジルガウスである」
これまでのLRカードの者たちとは、何か違う雰囲気であった。これまでは共にダンジョンを討伐する戦士たちが多かったが、目の前の男は違う。王ということは、それら戦士を束ねる存在ということだ。LRカードの長ということだろうか。
「ダンジョンを討伐することを目的として組織した、ダンジョン・バスターズの長、江副和彦だ。ジルガウス、ダンジョン討伐の為に、お前の知識と力を貸せ」
ジルガウスはフンと鼻で息を吐き、手にしていたティーカップを机に置いた。そして嘲るように視線を向ける。
「膝をつき頭を垂れて王の慈悲を懇願するならばともかく、余を見下ろしながら力を貸せだと? 傲岸不遜もここまで来ると滑稽に思えてくるな。この世界の民は、余の民ではあるまい。世界がどうなろうが、余の知ったことではない」
突き放す言い方をするジルガウスに、朱音は怒りの表情で襲いかかろうとした。だが左手を挙げてそれを止める。
「ならばカードに戻るがいい。だが本当にいいのか? ダンジョン・システムに保存されていた記録を観た。お前が治めていた世界も、まったく関係のない異種族の侵略により、滅亡したはずだ。宇宙の創造主と同格になるため、などと放いていたが、要するに自分勝手な都合で数多の世界を消失させてきた、ということだ。それに対しての怒りはないのか?」
ジルガウスは表情を変えることなく、足を組んで顔を向けた。
「奴らの最大の不幸は、足ることを知らぬことだ。飽くことなき好奇心と言えば聞こえは良いが、ではその創造主を生み出した存在は何者か、という問いが次に待っている。どこまで追いかけてもキリがあるまい。肉体を持つ個ならば、そうした気づきに至る者もいたであろうが、奴らは肉体を棄て、いわば集合知性体とでも呼ぶべき存在となった。その時点で、もはや手遅れであろう。未知への妄執に囚われた餓鬼。それが奴らの本質だ。相手をするのもバカバカしい」
「だが現実に、魔物大氾濫のリスクがある以上、相手をせざるを得ない。お前がいた世界も、それで滅んだはずだ。悲劇の繰り返しを、この世界で止める。そのためにも、お前の力が必要だ。存在限界突破者たちは、ひょっとしたら創造主の力を得る者が出るかも知れないと、奴らが残した保険のようなものだ。つまり今のお前は、奴らの掌で踊っているに過ぎない。そこから降りたいとは思わないか?」
ジルガウスは鼻で嗤った。それは自嘲の嗤いであった。そして冷たい眼差しを向けてきた。
「……仮に、すべてのダンジョンを駆逐できたとする。だがそれで、奴らが満足するかは判らんぞ。創造主などという妄想に憑かれているのだ。つまり、止めるためには誰かが“神”になるしかない。お前は、神になりたいのか?」
そう問われ、肩を竦める。冗談じゃない。神は、概念上に存在しているからこそ無害なのだ。実体のある神など有害この上ない。
「もし、俺がそうなった場合は…… この世界から姿を消すだろうよ。神は、信仰の中でのみ存在すればいい。実在してはならない。俺はそう思っている」
「自己犠牲、か…… なぜだ? システムの記録を見た以上、解るはずだ。奴らを止めることは不可能に近い。文字通り、まさに神への挑戦そのものであろう。なぜ、自らの命を捧げてまで戦おうとする? 己が欲望のまま、余生を過ごせば良いではないか?」
無論、そうした選択肢があることは理解している。だが責任感や好奇心以前に、感情がその選択を拒んでいた。激情に近いものが、自分の中で渦巻いている。
「ムカつくだろ? 人様の世界に勝手に押し入り、自分勝手な欲望を満たすためにその世界を滅ぼす。押し込み強盗のようなものだ。だから思い知らせてやりたいのさ。創造主の力を得れば、奴らより上位の存在となる。上位の力を得られるだろう。その力で奴らを蚤のように潰してやりたい。プチッとな」
ジルガウスはクククッと肩を震わせ、やがて大笑いした。ひとしきり笑って息を吐く。
「良かろう。余の力を貸してやる。ただし条件がある。奴らを潰す時には、余を同席させよ。その面を観ながら、上等な葡萄酒で祝杯をあげる。最上の愉悦であろうな」
「この世界で最高のワインを用意してやるよ」
ジルガウスは笑みを浮かべて頷いた。
【ダンジョン省 石原由紀江】
世界初のAランクダンジョンの討伐とSランク冒険者の誕生。本来であれば全世界に向けて大々的に広報し、ダンジョンに怯える人々を勇気づけるべきなのだろう。だが、報告の中にあった情報の重大性を考えると、躊躇せざるを得なかった。
「存在限界突破者、物理法則に縛られない存在…… 様々な可能性を考えてはいたけれど、想像を遥かに越えているわ。スーパーマンが可愛く見えるくらいじゃない」
江副本人も、どこまでが限界かは掴んでいないそうだが、音速を越える速度で三次元空間を自在に移動し、質量に関係なくモノを持ち上げることができる。その気になれば空母一隻を片手で持ち上げ、空を飛んで地球の裏まで運ぶことも可能だろう。さすがに時間旅行は無理だろうと言っていたが、それでもこの惑星に存在して良い生物ではない。いや、生物の枠すら超えてしまっているだろう。
「スーパーマンが実在するとなると、世界の軍事バランスが完全に崩壊するわ。下手に発表したら、世界中から核攻撃を受けかねない。唯一の救いは、彼が理性的で、そのバカげた力を無暗に使おうとはしないことね」
いま時点では、情報は自分のところで止めている。これからのことを考えると、冒険者育成の在り方も見直さなければならない。理性乏しき者が、あまりにも過ぎた力を持った時、世界はダンジョンにではなく人間によって、滅びてしまうかもしれない。
「魔物大氾濫まで、まだ時間がある。存在限界突破者については、徹底的に秘匿するしかないわね。今回は、鹿骨ダンジョンの討伐に成功ということだけ、報道するようにしましょう。それと……」
どこかの宇宙に生まれた、はた迷惑な超文明によってダンジョン・システムが創られた。その目的は神を生み出すこと。
小説の登場人物を、小説という枠から飛び出させ、著者と同じ存在にする。荒唐無稽な妄想だが、時間すらも自在に越えられる、宇宙最強の存在が、それを本気でやろうとしているのだ。絶望的な状況と言えるだろう。数万光年彼方から異星人が侵略してきたというほうが、遥かにマシだ。
「これも秘匿するしかないわね。この迷惑な存在を、なんて呼べばいいかしら」
少し考えて、アノイーと呼ぶことにした。
【ブレージル共和国 リオデジャネイロ】
Aランクダンジョン「苦悶」の討伐に成功した魔王軍の多くは、その調子でブレージル国内の他のAランクダンジョン討伐に乗り出すかと考えていた。だが、魔王軍を率いるピエロ男ジョーカーは、Bランカーの育成を方針に掲げる一方、Aランク以上のダンジョンは全面的な立入禁止を命じた。
「なんか、思ってたのと違うよな。もっとガンガンやるのかと思ってたのによ」
「ボスはSランクになったんだろ? 世界最強だろ? だったら警察だの軍隊だの気にせず、カネも女も好きなだけ奪いまくればいいのによぉ」
魔王軍の中でも、特にDランク以下の「荒れくれ者」は、ジョーカーに強い不満を抱き始めていた。ジョーカーの側近ともいえるBランク以上の者たちは、ジョーカーの目指す「世界革命」を共に夢見ているが、ここ最近に魔王軍に加わった者たちは、世界革命などどうでも良いと考える者も多かった。
「俺らも一般人と比べれば、相当に強ぇえだろ。警察だって俺らには手を出せねぇ。セントロあたりで女攫っちまうか? んで、そのままドロンしちまうのよ」
「悪くねぇな。分け前だって思ったほど大金じゃねぇしよ。やっちまうか」
翌日、観光地として有名なエスカダリア・ド・セラロンの石階段において、複数の変死体が発見された。外傷は一切なく、死因は心不全として片づけられた。
「クラウディオさん、死んだ奴らのことですが……」
「誓約書の効果を甘く見たんだろ。そんな奴らなんか、いちいちボスに報告する必要はない。それより、ブレージル国内の他のダンジョンについて調べておけ。そろそろボスも動くはずだ」
「その…… ボスの機嫌は直ったんですか? アレから少し、不機嫌だったじゃないッスか」
「それは、お前が気にすることじゃない」
ナンバーツーであり、事実上のまとめ役であるシモン・クラウディオは、自分の主人が閉じ籠っている部屋の扉を一瞥して、そう答えた。
その部屋の中では、一人の男が鏡に向かって化粧をしていた。Aランクダンジョンを討伐し、Sランクへと昇ったにもかかわらず、男に笑顔はなかった。ダンジョンを生み出したのは、神ともいえる超存在であった。だが、その動機が気に入らなかった。結局のところ、自分は用意された舞台の上で踊るだけの道化師ではないのか。そう自問自答した自分に対して、腹が立ったのである。
「フヒヒッ…… ふざけた奴らだぜ。テメェらの好奇心を満たせれば、どれだけ犠牲が出ようが知ったこっちゃねぇってか。だったら俺が神になって、その願いを叶えてやるよ。その後は皆殺しだ。フヒッ」
ジミー・デュランテの名曲を口ずさみながら、男は化粧を続けた。
【ガメリカ合衆国 ワシントンDC ホワイトハウス】
ガメリカ合衆国大統領であるピーター・ウォズニアックは、DIA(国防総省)からの報告に頭を痛めていた。日本とブレージルのAランクダンジョンが、ほぼ同時に討伐された。そのこと自体は喜ばしいことだが、問題はそれによって生まれたであろう存在限界突破者についてである。
「DIAの報告では、Aランクという時点で、一個軍にも匹敵する戦力になり得るとのことです。このことから、Sランクとなればその力は超常的なものでしょう。スーパーマンか、それ以上の力を持っていると推察されます。同盟国である日本ならばまだしも、魔王軍を自称するテロ組織に、そんな存在が生まれたとしたら、核をもってしても倒せるかどうか……」
「対話を呼びかけても、ジョーカーなる男からの返答はありません。恐らく、時間稼ぎをしているのでしょう。もはや、合衆国のみならず世界の危機です。遠距離からのミサイル攻撃は通じません。ここは特殊部隊群を送り込んでの暗殺を決断すべきです」
「それと、日本のダンジョン・バスターズです。彼らを動かすには、日本政府に圧力を掛けるしかありません。幸い、保守派の浦部総理は退任し、後任の菅沼は高齢です。自動車への重関税などをチラつかせれば、協力する可能性は高いかと」
ピーター・ウォズニアックは民主党の大統領であり、外交姿勢はどちらかと言えばハト派である。だがこと安全保障の問題においては、必要とあれば武力行使も辞さないのが、ガメリカという国である。
若き大統領も、二代前の民主党大統領に倣って、ブレージルへの軍事介入を決断した。
「陸軍第一特殊部隊コマンドに命じる。目標はジョーカーの暗殺およびテロ組織の壊滅。空海軍も全面協力せよ。ブレージルで、ジョーカーを止める」
「大統領、日本に対しては……」
「いま、日本と対立するのは拙いだろう。ただでさえ、米日安保をこちらから反故にしたのだ。関税を使った交渉などすれば、アジアのみならず欧州からも非難の声が出る。まずはガメリカが動き、解決する姿勢を魅せねばなるまい」
こうして、ブレージルに対しての軍事介入が決定された。だが、残念ながらこれは遅きに失したと言えた。もし日本の防衛省が、Sランカーの力をガメリカに伝えていれば、あるいはこの決断は、回避できたかもしれない。だが、日米安保を一方的に反故にされた防衛省が、自国の安全保障上の秘密を守るのは当然のことであり、それを責めるのは、些か酷というものであろう。
【東京都江戸川区 篠崎公園】
人間の限界を超えた速度で動き、一撃で人を屠れる破壊力を持つ拳を向ける。だが相手はヘラヘラと嗤いながら、片手でそれを防いだ。一秒で一〇撃は出したはずなのに、相手の余裕を崩せない。
「うん。一撃ごとの型は正しいし、重さもある。これなら世界大会で優勝は間違いないね。少なくとも、ダンジョン出現前のボクよりも、間違いなく強いよ」
Aランクの最上位に位置する宍戸彰は、自分よりもずっと年下の高校三年生に対して、賞賛を贈った。世界最強と呼ばれる男からの賛辞である。普通の高校生ならば、諸手を挙げて喜ぶだろう。だが、賛辞を贈られた高校生、山岡慎吾は唇を噛んだ。
「Cランクになっても、宍戸さんに一発入れることすらできません。こんな自分がガメリカに行っても、茉莉を守れるんでしょうか……」
(……お前は一体、なにを言っているんだ?)
ダンジョン・バスターズには複数のチームが所属しているが、その中でも宍戸彰の強さは随一である。その宍戸彰自らが稽古相手になる。しかも相手は、バスターズ最年少の高校生。当然ながら、時間のある者たちや一般市民までが、見学に訪れていた。そして彼らは一様に、この自己理解の足りない高校生に対し、内心でツッコミを入れていた。
「えーっと…… 別に機密じゃないから言うけど、ガメリカでは未だに、Cランクが最上位なんだよ。ようやくDランクダンジョンを二つ潰して、国家的英雄に祭り上げられているらしい。はっきり言って、ダンジョン・バスターズのメンバーたちは、成長速度が異常だよ。医学的検査を何回かさせてもらったけど、原因不明なんだよね。やっぱり、精神的なものかな……」
ダンジョン省専属の研究者であるアイザック・ローライトは、高速度カメラから取り込んだデータをAIで分析しながら、首を振っていた。一八歳のCランク冒険者というのは、間違いなく人類最年少だろう。その彼が、恋人と共にガメリカに留学する。日本政府もそれを認めている。合衆国側としては喜ばしいことだろうが、日本政府は、Cランカー二名が国外に出たところで、大した影響はないと判断したんだ。それだけ余裕がある程、高ランクの冒険者たちが揃っているということでる。
「慎吾と茉莉には、LRカード二枚を送る。いずれもAランクに達している。この戦力なら、Bランクダンジョンすら討伐可能なはずだ。慎吾、俺にとって茉莉は娘のような存在だ。それをお前に預けるんだ。ヘタレたことを口にするのは許さんぞ」
ゾクッ
いつの間にか目の前に出現した四〇代のオッサンに脅され、山岡慎吾は背筋を伸ばした。存在限界を突破したスーパーマン。そのスーパーマンの親類が、自分の恋人である木之内茉莉なのだ。彼女を護る男になりたくて、自分は冒険者となった。だが強くなればなるほど、その果ては見えなくなる。目の前の存在は、自分が目指す地平としては、余りにも遠い存在であった。
思わず、茉莉に顔を向ける。不安そうな表情を見せた彼女を見て、沸々と怒りが込み上げる。自分自身に対する怒りであった。そうとも。ずっと前に決めていたのだ。彼女を護るためならば、自分は人間すら棄ててやる。
「ガメリカのダンジョン、俺たちが独占させてもらいます。江副さんたちは、太平洋を渡る必要はないですよ」
「言うねぇ~」
宍戸彰は口笛を吹いて笑った。江副和彦は表情を変えず、ただ頷いた。