第095話 神々の渇望
【ブレージル共和国 Aランクダンジョン 苦悶】
《フヒャヒャハァァッ》
ピエロ顔の石像が、ピエロ顔の男に斬りかかる。その動きはトリッキーで、まるで人体の構造を無視したようなクネクネとした動きであった。
「フヒヒッ こうして自分の姿を見ると、ちょっと気持ち悪いなぁ。Aランクダンジョンのボスは自分自身ってわけか」
《御名答! 実は、Aランクダンジョン最深部に入ったのはお前が初めてなんだけど、第一接触者じゃねぇってことで、設計者との会話は無しだ。悪いね》
「フヒヒッ、構わねぇよ。面倒くせぇのは、全部アッチに任せるわ」
ジョーカーは左右それぞれに握った短剣を構えなおし、狂気の笑みを浮かべたまま斬りかかった。それを同じ笑みを浮かべた石像が迎え撃つ。金属音と共に、ヒャヒャヒャという声が部屋の中に響く。頬が裂かれ、肩を刺され、腹から血を流そうとも、両者は笑いながら互いを殺し合った。
【東京都江戸川区 Aランクダンジョン 深淵】
互いに一撃必殺を狙っているためか、首や胸に掠り傷を負うだけで、なかなか決着が付かない。自分の姿を模した石像は、能力も思考も自分そっくりであった。
「何のために、俺を模すのか。それが攻略の鍵か」
《死合いの中で、考え事か? まずは目先のことに集中すべきだろう。でなければ、死ぬぞ?》
頸動脈ギリギリのところを刃が掠める。一歩前に出て、振り下ろされたスコップの柄の部分を肩で受け止め、蹴りを放つ。互いにギリギリのところで辛うじて致命傷を避けながら、決定的な隙を伺う。
「お前は……」
《私は、お前だ》
互いのスコップが火花を散らす。瞬き程の僅かな間に、互いに幾度と攻撃を繰り出し、そして防ぐ。一撃が入る。人間なら即死するほどの破壊力で、石片が飛ぶ。スコップが振り下ろされてくる。左腕に回転を付けて、巻き上げるように拳を振り上げて逸らす。瞬間、左脚で相手の手首を蹴り上げる。スコップが手から離れた。一瞬早く、それを掴み、振り下ろす。石像の首すじで刃が止まった。
《……私の負けだ》
自分と同じ顔をした石像は、両手を挙げた。
【ブラジル Aランクダンジョン 苦悩】
《そもそも“存在”とは何か、考えたことがあるかね?》
「俺が、確かにここにいるっている自覚だ」
血塗れのピエロは、タバコの煙を吐いて、カツンと床を踏み鳴らしてそう答えた。首だけになったピエロの石像が口を動かす。
《では、その自覚が無い者は? 例えば脳死状態となり、自覚そのものが無くなったら、それは存在しないということかね?》
「似たようなものだろ?」
《いいや、まったく違う。本人にとっては自覚が無くとも、その本人を知覚する者がいる。彼、彼女にとっては存在していることになる。では、やがて本人が死に、記憶している者も死に、彼が居たという記録すら無くなってしまったら? 存在していたという証拠は何処にある?》
石像の口端が歪んだ。
【東京都江戸川区 Aランクダンジョン 深淵】
《自分が知覚していない世界は、存在しているだろうという確率論で語られる。世界は数字で表現できると言った科学者がいたが、残念ながらそれは違う。この宇宙は自己認識にも、数学的法則にも縛られない。宇宙は極めてあやふやで、不定形なものだ》
「話が長いな。俺としてはさっさと、Aランクダンジョン討伐者の称号が欲しいんだが?」
《Aランクダンジョンを討伐した者は、存在限界突破者になる。そのためには、存在とは何かを理解しなければならない。解りやすく言おう。時速六〇キロで一時間移動した場合、何処に存在する?》
「六〇キロ先だ」
《「ma=f」、これは物理の基本原則だ。mというモノと、aという時間変化。これによってfが決まる。だが先ほど言った通り、宇宙は極めてあやふやで不定形だ。mは、確率論でしか存在しない。その場合、fを決定づけるのは何だ?》
「時間、ということになるのか?」
《そう、時間だ。確率と時間。これによって我々は存在している。この宇宙では、それが基本原則になる。存在の限界を突破するということは、この基本原則に縛られなくなる、ということだ》
「……あー、非常に興味深い話だが、俺は大学の講義を聞きに来たんじゃない。ダンジョン・コアを出せ。大氾濫のタイマーを止める」
《理解できないようだな。自分がどのような存在になるのかを。まぁいい。嫌でも理解するだろう。さぁ、ダンジョン・コアに触れるがいい》
これまでと同じく、漆黒の正八面体が出現した。それに触れたとき、目の前に強制的にウィンドウが表示された。ダンジョンのステータスかと思ったら、見慣れないメッセージであった。
『大いなる先進種の記録を視聴しますか?(Y/N)』
「なんだ、これは?」
振り返って石像に尋ねようとするが、既に石像はボロボロに崩れ落ちていた。顔を画面に戻し、少し沈思してYESを押す。視界が暗転した。
《遠い遠い昔、遙か宇宙の彼方において、原初の文明が誕生した。彼らは長い時間を掛けて生まれ育った惑星を飛び出し、やがて銀河系すら出て、広大な宇宙の冒険に乗り出した》
《宇宙には、彼らほど進んだ文明は存在しなかった。ヒトが、地面を這う蟻を「敵」と認識しないように、彼らも惑星内に生きる原始文明を敵とは考えなかった。侵略の必要などない。なぜなら宇宙には、彼らが求めるだけの資源もエネルギーも十分に存在していたからだ。それらを巡って、種族内で幾度かの大戦が行われたが、彼らは自文明と共に進化を続け、やがて宇宙の果てまで到達した》
《だが、彼らの冒険は終わらなかった。文明が発達するに連れて、彼らは知ったのである。この宇宙とは別の宇宙が、無数に存在しているということを》
《既に永遠の生命を手にしていた彼らには、生存本能に基づく欲求が無かった。彼らにあったのは、飽くなき知的好奇心と、更なる高みへ進化するという欲求であった》
《別の宇宙へと旅立つためには、肉体を棄てる必要があった。エネルギーのみの精神生命体へと進化した彼らは、数多の平行世界を旅した。だがそれでもまだ、彼らは満たされなかった》
《三次元の世界の上に、より高次の世界がある。四次元、五次元へと旅立つ。森羅万象の隅々まで知った彼らを待っていたもの。それは絶望であった》
《空間を越え、時間を越え、因果律さえも操ることができるのに、彼らの進歩はそこで止まってしまった。次元、時間という宇宙を生み出した、より高次の存在を知りながら、彼らはそこに至ることは叶わなかった。肉体を棄てた彼らに、それ以上の進化は無かったのである》
《「物語の登場人物は、物語の著者にはなれない」…… だがそれでも、彼らは諦めなかった。神へと至る道筋は見えている。あとはそれに耐えうる強靭な精神力と肉体を持つ種を育てればいい》
「……それが、ダンジョンシステムというわけか。とどのつまり、自分たちの好奇心のために、勝手にこの世界を巻き込んだのか。数多くの世界を滅ぼしてきたのか!」
ドンッと床に拳を叩きつける。天体衝突級の破壊力を持つ拳だが、ダンジョンの床は不破壊属性である。ただ、拳を痛めただけであった。深く息を吸い、そして吐く。
(落ち着け。ダンジョンはまだ現実として存在している。今は問題解決が最優先だ。ダンジョンをすべて討伐し、魔物大氾濫を食い止める。その先のことは、そこで考えればいい)
ダンジョン・コアを操作し、大氾濫のカウントダウンを止める。システムの声が聞こえてきた。
〈Aランクダンジョン「深淵」の討伐成功を確認しました。成功報酬としてLRカード「英雄王ジルガウス」が与えられます〉
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【名 前】 ジルガウス
【称 号】 英雄王
【ランク】 F
【レア度】 Legend Rare
【スキル】 王を統べる王Lv1
全ては我のものLv1
千里眼Lv1
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「なにか色々と壊れているような奴だな。だが取り敢えず今は……少し、疲れたな」
扉が開くのを感じながら、意識を手放した。




