第094話 試験
【東京都江戸川区 Aランクダンジョン 深淵】
Aランクダンジョン「深淵」の第九層にはいる。すぐに最下層だとわかった。これまでと同様の一本道だったからだ。だが造りが違う。天井が高い。そしてそれを支えるように、左右に太い柱が等間隔で建てられている。そして柱には、いつから燃えているのか、松明が灯っていた。まるで神殿へと続く回廊のような、豪奢な造りである。
「天井画は…… あるのか?」
これまでのDランクからBランクまでのダンジョンには、最下層に天井画が存在していた。だがAランクダンジョン最下層の天井は、薄暗い中では見えないほどに高い。第八層のような異界層を想定して用意していた照明弾を使用する。
「よく見えないな。レリーフはありそうだが……」
「ダンジョンコアを手に入れてしまえば、階層の明るさを変えることも可能です。まずは討伐を優先される方が宜しいかと……」
朱音の進言に頷いて、目の前の大扉に手を掛ける。まるで巨人が通るための門のような、巨大な扉が、軋みながら開いていく。扉の向こう側は、深淵という名に相応しく、暗黒であった。
「真っ暗だな。だが、とりあえず石畳は続いていそうだな」
「気を付けてください。罠などがあるかもしれません」
人が一人半ほど通れる幅に開き、中へと踏み入る。すると見えない何かに掴まれたかのように、いきなり中に引きずりこまれた。
「和彦様!」
朱音が続こうとしたが、その前に扉が閉まってしまった。真っ暗の中、俺一人だけになってしまった。緊張し、額から汗が伝う。スコップを手に、前屈みになる。
ボッ、ボッ、ボッ……
すると青白い炎が灯りはじめた。俺が立っている位置を中心に、円を描くように灯っていく。すると内部が露になった。直径五〇メートルほどの円形の室内である。天井は相変わらず高いが、思っていたほど広くない。そして一番奥には、まるで俺を歓迎するかのように両腕を広げた、六枚の翼を持つ石像があった。大きさは俺の伸長の倍程度であろうか。
「見たところ、あの石像以外には何もないな。ダンジョンボスはどこだ?」
上下左右を警戒しながら、石像に近づく。そして一〇メートルほど手前で足を止めた。俺には彰のような才能はないが、それでもこれまで多くの魔物と戦ってきた経験がある。その経験から直感した。目の前の石像は……
《よく来た。待っていたぞ。第一接触者……》
音ではない。まるで脳に直接響くような声が聞こえてきた。そして目の前の石像は、ニヤリと笑い、歯を見せた。なんとも不快な表情に思えた。
「お前は一体、何だ?」
俺を待っていた。つまり此奴は、行商人リタと同様に、ダンジョンシステムに組み込まれた存在だと判断した。ならば何か役割があるはずだ。
だが目の前の石像は広げた両腕を降ろすと、不快な笑みを浮かべたまま返してきた。
《質問が間違っているな。私が何かではない。自分が何者なのかを聞くべきであろう?》
すると石像の目の前に、青い画面が出現した。ステータス画面である。
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【名 前】 江副 和彦
【称 号】 第一接触者
種族限界突破者
第一討伐者
Bランク討伐者
【ランク】 A
【保有数】 73/∞
【スキル】 カードガチャ
回復魔法
誘導
転移
鑑定
身体強化
思考加速
(空き)
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《素晴らしい。僅か二公転程度の時間で、ここまで仕上げてくるとは。スキル枠の拡大までしている。ダンジョンの前に絶望することも、第一接触者の恩恵に甘んじることもなく、戦い続けてきたのだろう。その克己の精神力を心から称賛しよう……》
そう言って手を叩いた。石像のくせにちゃんとパチパチと音がする。石像に見えるだけなのかもしれない。思考を止めるわけにはいかない。目の前の魔物は、これまでとはまるで違う。強いか弱いかなどは判断できないが、薄気味悪さだけは一際であった。
パチンッ
石像が指を鳴らすと、俺を囲むようにゴブリンの群れが出現した。全部で一二体。剣や盾、弓、さらには魔法杖まで持っているゴブリンもいた。
《Aランクに調整したゴブリンたちだ。さぁ、確認させてもらおう。お前の現時点を》
一斉にゴブリンが仕掛けてきた。翼を広げて飛び立つ石像など、構っていられない。鋭い剣戟をスコップで受け止める。弾き返せない。すかさず矢が飛んできた。後ろに飛んで避けたところに、今度は範囲魔法攻撃が待っていた。ドンッと三メートル四方が吹き飛ぶ。
「ギギャッ!」
寸前で、魔法使いの後方に転移し、スコップで首を刎ねる。だがそこで止まるわけにはいかない。俺がいた場所に矢が降り注ぐ。
「身体強化ッ」
速度がさらに上がる。紙一重で槍を躱し、スコップを振る。Aランクに強化されているといっても、せいぜい体高一三〇センチ程度のゴブリンである。同じAランクならば、自力で負けない。
「グゥッ!」
それでも無傷というわけにはいかない。太腿に矢が付き立つ。それを引き抜き、痛みを無視して駆ける。遠距離攻撃は厄介だ。次は弓使いか。だがその前に、盾を構えたゴブリンが待ち受ける。飛び越えようと跳躍したら、盾を持ったまま同じ高さまで飛び上がってきた。そして空中で盾を叩きつけてくる。
「グハッ」
地に足が付いていないはずなのに、強烈なシールドバッシュであった。よく見ると空気が歪んでいる。風魔法で一瞬だけ足場を作ったのだ。
《ゴブリンだからと甘く見ないでもらいたい。強化は肉体だけではない。戦術の判断力まで強化されているのだよ。さぁ、命を…… 魂を燃やしたまえ。限界を見せてみろ》
ここで死ぬかもしれない。そんな予感がした。奥歯を噛み締める。まだだ。まだやれるはずだ。命が尽きるには、まだ長い。槍が腹に突き入れられた。柄を掴んでスコップで叩き折り、唖然とするゴブリンの頭を叩き潰す。背中に火炎魔法を受けた。痛みが襲ってくる。だが痛みを感じるということは、生きている証しである。再び駆け始める。叫びながら、スコップを振った。
肩で息をしながら、床に横たわる。紅い視界が半分だけ見える。右目は潰れてしまった。脳内麻薬物質の影響のためか、痛覚はもはや無くなっている。辛うじて動く右手で、腰に下げた小さな袋から小瓶を取り出す。
(エクストラ・ポーション……)
なんとか指を動かして、瓶を口に持ってくる。持ってきていると思う。もはや首を動かすことすらできない。出血が酷いためか、感覚が徐々に消えていく。喉を動かすことさえ、できないかもしれない。それでも、生存本能なのだろうか。勝手に身体が動いたらしい。
《絶命一〇秒前で、踏みとどまったか。ギリギリだが、まぁ合格だ》
声が聞こえてきた。視界が戻ってくる。起き上がれるという感覚が戻るまで、さらに三〇秒は必要かもしれない。そう思っていると、いきなり衝撃を受けた。身体が宙を飛ぶ。
《何を呆けているのかね? まだ終わっていないぞ?》
床を転がったが、どうやら立ち上がれそうだ。ゆっくりと起き上がる。頭が徐々に冴えてくる。右目は戻った。幾つかの傷も消えた。カランという音がした。足下にスコップが落ちていた。
「終わったんじゃないのか? 何らかの試験だったんだろう?」
《そう。Aランクダンジョンの最深部は試験場となっている。存在限界突破者への試験だ。合格と言ったのは、試験を受ける資格があるという意味だ。これからダンジョンボスと戦ってもらう》
さっきまでの死闘が、ただ模擬試験だっていうのか。これからさらに、ボスと戦わなければならない。酷い話だとも思うが、Sランクがそんなに簡単なはずがない。これから彰たちも、同じように試験を受けなければならない。下手したら死人が出る。終わったら全メンバーに周知しよう。
そんなことを考えていたが、いつまでもボスが出現しない。俺は首を傾げた。
「おい、ボスはいつ出てくるんだ?」
《何を言っている? 目の前にいるではないか》
「なるほど…… お前がダンジョンボスってわけか。だが戦う前に聞いておきたい。お前は一体、何なんだ?」
《質問が間違っている、と言ったはずだ。だがまぁ、答えてやろう。私は……》
醜い笑みを浮かべながら、石像は虚空から武器を取り出した。俺と同じスコップだ。軽く振って、先端を向けてくる。そして言った。
《私は、ダンジョン・システムの設計者だ》
これで満足か? 最後にそう言って、石像は動き始めた。




