第091話:各パーティーの活動
【大東亜人民共産国 香港特別行政区 日下部凛子】
一九九七年にブリタニア連合王国から大亜共産国に返還された香港は、香港は香港人が統治するという「港人治港」の原則のもと、一国二制度体制が取られている。だが軍事と外交以外のすべてが自由という完全な自治ではなく司法、立法、行政において人民共産党の影響が徐々に強くなってきている。
それに危機感を覚えた香港人たちは、一〇〇万人を超えるデモを行い、諸外国のメディアもその様子を大々的に報道した。だが残念ながら、そのデモは長続きしなかった。二〇一九年六月に行われた二〇〇万人デモから僅か一月後、誰も想像しなかった超常現象が発生した。世界同時多発的ダンジョン群発現象である。香港のダンジョンは七月三〇日、九龍寨城公園に出現した。
最初は未知の空間として扱われていたが、それが超常現象であることが判明すると、大亜共産国は陸軍を動かした。人民解放軍駐香港部隊を増強し、九龍寨城公園を封鎖したのである。また同時に、香港人のデモの主要因でもあった「国家安全法」を香港に適用することを全人代(全国人民代表大会)が採択された。現在もなお、香港は一国二制度が維持されているが、言論と表現の自由は少しずつ狭まっているのが現実であった。
香港国際空港を降りた私たちを出迎えたのは、人々の熱狂であった。まるで芸能人になったかのようである。もちろん私は歌手でも女優でもない。大学を休学して冒険者となった一般市民である。当然、こうした出迎えには慣れていない。香港にある日本総領事館の職員がいなければ、私たちは途方に暮れていただろう。
「日下部さんに、九龍ダンジョン討伐に向けての意気込みをお伺いします」
空港内での記者会見が行われる。これまでは、ダンジョン・バスターズを率いる和さんが、こうした場面では対応してくれていた。だが和さんは一人しかいない。私もそろそろ、チーム天照のリーダーとして独り立ちしなければならない。ダンジョンは世界中にある。いつまでも和さんに甘えているわけにはいかないのだ。
「ダンジョンの問題は人類全体の問題です。九龍ダンジョンのみならず、できればすべてのダンジョンを今すぐにでも討伐したいと考えています。ですがそれは、私たちだけでは無理です。より多くの人たちの協力が不可欠です。九龍ダンジョンを討伐し香港の皆さん、そして大亜共産国の皆さんに、ダンジョンに立ち向かう勇気を届けることが出来たらと願っています」
「人民の中には、日本の手を借りることに抵抗を覚えるという声もあります。それに対してはどのように思いますか?」
「考え方は人それぞれです。日本の中にも、なんで国外のダンジョン討伐を手伝う必要があるのか、という声があります。ですが先ほども申し上げた通り、私たちはダンジョンは人類全体の問題だと捉えています。主義主張や国境を越えて、人類が一丸となって立ち向かわない限り、やがてくる魔物大氾濫を止めることは出来ないと思います」
東亜人民日報の記者からの質問を受け、私はあらかじめ考えておいた答えを述べた。日亜関係は、表向きは好転しているように見えるが、国家間の問題はそんなに単純ではない。日亜関係の悪化を求める勢力が両国に存在し、諸外国においても、アジアの大国同士が手を握ることに危機感を持つ声がある。和さんはそう言っていたが、私たちにはそのような政治的なことなど本来関係ない。ダンジョン・バスターズの目的は、ダンジョンの討伐。ただそれだけを求めれば良いのだ。
「ヤァッ!」
Cランク魔物のエルダー・ゴブリンを一刀両断する。私たちは全員がBランクになっている。Cランク魔物であれば問題なく倒せる。だがもう一組のパーティーは違った。大亜共産国の冒険者パーティー「神龍」である。
「さ、さすがはダンジョン・バスターズだな。我々ではついていくのがやっとだ」
リーダーの劉若汐さんが息を切らしている。一四億人以上の国民を抱える大東亜人民共産国では、はやくも日本を超える数の民間人冒険者が誕生している。だがそのほとんどがFかEランクで、Cランクに到達した者は片手で数えるほどしかいない。その内訳を見ても、民間人はただ一人しかいない。それが劉さんだ。
「Bランクの魔物は、私たちが討伐します。神龍の皆さんは退いていてください」
正直に言えば、私たちだけで香港ダンジョンに入りたかった。私たち天照と神龍とでは、ランクに差があり過ぎる。だが大亜共産国は同行を強く要望していた。それが香港ダンジョンに入る条件だった。足手まといだが仕方がない。たとえ神龍パーティーが全滅しても文句は言わないという約束で、彼らと共にいる。
(正義さんたちは大丈夫だろうか。まぁ、気にしても仕方がないか)
次層からはいよいよ、Bランク魔物が出てくるだろう。油断すれば私たちでも致命傷を負いかねない。神龍のメンバーたちに釘を刺した私は、前に立って階段を降り始めた。
【上海ダンジョン 田中正義】
上海というと上海蟹が有名ですが、二月から三月は旬ではないと聞いています。そこで自分たちは「姥姥」という店で普通に上海料理を食べることにしました。自分が率いるチーム「国士無双」は、元力士やプロレスラー、陸上選手などスポーツ経験者が多く、みんな体格が良いです。二メートル近い身長の自分が店に入ると、皆がギョッとした顔になります。
「この角煮、美味いッスね!」
「紅焼肉っていうらしいですよ。八角が効いていて、私は角煮よりこっちが好き」
アーチェリーで全国大会三位になった竹内理恵さんが、パクパクと肉を口に運んでいます。中華料理はチャンコよりも脂っこいのですが、脂肪分によって野菜の栄養は吸収されやすくなるので、身体作りにはもってこいの料理です。
「うぉっ! 辛いッス!」
アタッカーの高尾盛関が汗を流しながら麻婆豆腐を食べています。自分も辛いのは結構好きなので、豆腐三丁分はあろうかという皿を引き寄せました。
「正義さん。明日からいよいよダンジョンに入りますが、その前に予定があるって聞きましたが?」
「うん。大亜共産国の軍隊の中に、ダンジョン調査チームってのがあるらしくて、その人たちとの顔合わせがあるよ。Cランカーが四名いるらしいから、ダンジョン内でも一緒に戦えると思う」
「外灘のダンジョンは潰しちゃうんですよね?」
「ダンジョンは、中山東一路のど真ん中にあるからね。完全に交通が止められていて、外灘のブランドショップとかも閉鎖されているそうなんだよ」
上海には三つダンジョンがありますが、その中の二つは潰すことが決まっているそうです。今回の目標である外灘ダンジョンと、金融街の象徴であるワールド・フィナンシャル・センターの真横に出現したダンジョンは、そのまま残すより潰してしまった方が、経済効果があるという判断らしいです。その辺のことは、自分は詳しくありません。
「今回は、ある意味では日亜友好の象徴でもあります。上海の金融街は、ビジネスの世界では有名ですが、外灘は観光地で、マスコミの絵面としても映えるので、私たちに任せたのでしょう」
自分のチームは体育会系が多いのですが、ヒーラーの向井悟さんは国立大学出身で、なんと向井総務部長の弟です。頭が良くて計画立案が得意なので、チームの参謀的な役割をして貰っています。視力は良いはずなのに、なぜか丸眼鏡を掛けています。
「今回はダンジョンに入る前と討伐後が本番だと思った方が良いでしょう。マスコミから意地悪な質問もあるかもしれません。その時は私が対応します」
左手の中指で眼鏡をクイと直す仕草は、まるでエリートサラリーマンです。実際、ダンジョン・バスターズに入る前は大手商社で働いていたそうです。江副さんも兄である向井部長の下で働いてはどうかと伝えたそうですが、お子さんが居ないことや兄弟で働くことのデメリットを挙げて、ダンジョン冒険者の道を選んだと聞いています。自分は中卒でビジネスのことなど全くわからないので、向井さんがいるととても助かります。
「ウィグルやチベットなど、政治的にデリケートな地域にもダンジョンは出現しています。人民共産党はそれら地域のダンジョンを封鎖しており、それに対する非難の声も各国にはあります。ですがそれらは政治的な問題であり、ダンジョン討伐とは別です。皆さんも、そうした質問には上海ダンジョン討伐には関係ないとして、ノーコメントとしてください」
ダンジョンの出現は、国際政治にも大きな影響を与えているそうですが、自分はそうしたことは良くわかりません。この辺は全部、向井さんに任せてしまいます。自分らは世間から注目を集めているので、こうした「チームの頭脳役」が一人は必要だと、和さんは言っていました。本当にその通りだと思います。
「もっとも、それほど緊張することもないでしょう。香港政府も人民共産党も、日亜友好を示すために友好的に接してくるはずです。むしろ気になるのは、寿人さんたちの方ですね。フィリピノ政府のドゥテール大統領は強権的な指導者です。ダンジョンの出現で、それがどう変わっているか……」
そう言われ、自分も寿人さんが率いる「希望の翼」に思いを遣りました。
あまり知られていないが、フィリピノ国はかつて、ガメリカ合衆国の植民地であった。一八九八年、パリ条約によってエスパーニャ王国からガメリカ合衆国に譲渡された。その翌年、第一共和国と呼ばれるフィリピノ共和国が建国されたが、ガメリカはこれを認めず米比戦争が勃発、ガメリカは六〇万人以上のフィリピノ人を虐殺し、武力鎮圧した。それからおよそ一〇年間、グアムやプエルトリコと共にガメリカの植民地支配を受ける。それから一〇年後の一九一六年、フィリピノ自治領が認められ、苛烈な植民地支配からは解放されたが、一九二九年の世界恐慌が状況を変える。安価なフィリピノ産砂糖が無関税でガメリカ本土に輸入されていたため、ガメリカの製糖産業が大打撃を受けたとして、フィリピノ産砂糖に関税を課したのである。これにより、フィリピノでは再び独立の機運が高まる。
一九三四年、タイディングス・マクダフィー法が成立し、一〇年後の一九四四年にフィリピノの完全独立が認められた。第二次世界大戦によってその独立は二年遅れてが、一九四六年のマニラ条約によって、フィリピノ第三共和国が成立した。
第二次世界大戦後のフィリピノは独裁政権や麻薬カルテル、宗教間対立などで停滞していた。人口は一億人を超えているが、一人当たりのGDPは三三〇〇ドル程度であり、決して豊かな国とは言えない。だが二〇一六年に大統領に就任したトニオ・ドゥテールの強権政治によって治安は大幅に回復し、近年では高い経済成長率を誇っている。
【フィリピノ共和国 篠原寿人】
マニラ国際空港を降りた俺たちを出迎えたのは熱狂だった。一体、何事かと思っていたら、大使館の人が駆け寄ってきた。なんと大統領自らが空港まで出迎えに来ているのだという。麻薬撲滅を訴え、売人は自ら殺すと宣言するような非常識な大統領だと聞いていたので、正直に言えば会いたくなかった。
「私があと二〇年も若かったなら、一緒にダンジョンに入って魔物をぶっ殺していたのになぁ」
ドゥテール大統領の印象は、一言で表現すれば「田舎のおっちゃん」だった。身長は一七〇センチもなく、俺よりも低い。少しヨレたラフなシャツを着て、ニコニコ笑って俺たち一人ひとりの肩を叩いて感謝を述べていく。強面の人だと思っていた俺たちは拍子抜けした。安居酒屋のカウンターで夕暮れに焼酎を飲んでいるオッサンのような気さくな人だった。なるほど。支持率が九割を超えるというのも解る。この人は、これが素なのだろう。
「捕まえた売人たちをね。ダンジョンに送り込もうかと思ったんだけど、なまじ強くなっちゃうと困るんだよね。ダンジョンから出て来るアイテムに、改心させる薬みたいなものってないかな?」
「IDAOでも使用されている誓約の連判状をお使いになってはどうでしょう? 犯罪の抑制にもなりますし、ダンジョン冒険者として生計を立てることが出来るようになれば、変わっていくのではないでしょうか?」
マニラの市街に向かう車の中で、バックアタッカーの長田陽一郎がそう言う。目の前のオッサンが、笑みを浮かべながら頷いている。日本では、政治家というと一般庶民からは遠い存在になっている。だけど目の前の大統領は、本当に大統領なのかと疑ってしまうほどに、そうした「空気」がない。街中で屋台をやっているほうが似合うほどに庶民的だ。
「討伐してほしいダンジョンはバレンズエラの公園にある。Bランクだっけ? 多分、その公園のダンジョンがそうだろう。フィリピノには他に九ヶ所もダンジョンがあるんだよ。出来れば他も潰してくれると嬉しいんだけどねぇ」
思わず頷きそうになる。俺は咳払いして、日本のダンジョン省と交渉して欲しいと伝えた。
「セイッ!」
バレンズエラ・シティ・ピープルズパーク、通称「ピープルズパーク」に出現したダンジョンは、第一層からEランクの魔物が出現した。大統領の出迎えには呆気にとられたけれど、ダンジョンに入ってしまえば切り替える。スカウトの鈴木真里菜が出現した魔石の重さを計り、カードでランクを確認する。
「うん。仙台ダンジョンの第一層と酷似している。多分、Bランクだわ」
「よし。今日は様子見だ。明日から本格的に討伐を始める。一旦、地上に戻ろう」
これからマカラニアン宮殿で晩餐会がある。俺たちはゲストとして呼ばれている。大使館の人も来てくれているが、正直に言えばあまり行きたくない。政治的に利用されている気がしてならないからだ。
「寿人、あの大統領には気を付けろ」
憂鬱な表情が出ていたのだろうか。陽一郎が話しかけてきた。陽一郎は俺よりも年上で頭も切れる。チームの参謀役として欠かせない存在だ。
「気を付けろとは?」
「人口一億人の国の大統領が、ただの気さくで気持ちの良いオッサンなわけがないだろう? おそらく、俺たちを最大限に政治利用しようとするだろう。下手をしたら取り込もうとしてくるかもしれない。ダンジョンでの戦い以上に、この晩餐会は気を引き締めるべきだ。皆もだ。言質を取られるなよ?」
世界中の政府が、ダンジョン・バスターズをあの手この手で取り込もうとしている。これまでは活動の範囲が日本国内であったこと。ダンジョン省、そして和さんや向井さんが守ってくれていたこともあり、俺たちはそうしたことには触れずに済んでいた。けれども、本格的に海外に進出していけば、そうした国際政治とは無縁ではいられなくなる。
「思った以上に、海外での活動は大変だな」
俺はリーダーだ。俺が迷えば、メンバーたちも迷う。日本に戻ったら和さんを通じてダンジョン省に相談してみようと思った。
【仙台ダンジョン 佐藤蒼汰】
Aランクになるには、Bランクダンジョンを討伐しなければならない。それを知った俺は仲間たちと共に、仙台にあるBランクダンジョンに入っている。この条件は、一般的には公開されていない。それどころか、ダンジョン省とバチカンによって隠匿され、IDAOにすら知られていない。俺たちも口外しないよう、誓約まで書かされた。相変わらず、あの男は汚い。そうやって世界中のBランク、Aランクダンジョンを独占するつもりなのだ。
「何を言っておるのじゃ。Aランクダンジョンの数は限られておる。Sランクにまで上がれる者は七〇名にも満たぬ。有象無象が入り乱れるより、統制し意志ある者を優先する。当然のことだの?」
LRカード、赤髪の魔人ディアーネは「馬鹿かお前は」という表情を隠すこともなく、そう述べた。蒼汰もそれは理解していた。だが認めたくないのだ。あの男の掌の上で、すべてが計画されているように思えた。ダンジョン・バスターズは、表面上は政治に関わらず、ただひたすらにダンジョンと戦い続ける戦士たちの集まりのように見せている。だが結果を見れば、途方もない利益と名声を得ている。江副和彦は「世界に影響力のある一〇〇人」の中に選ばれ、なんと浦部総理よりも影響力は上だと評価された。言葉にはできない、モヤモヤとした何かが自分の中にあるのを蒼汰は自覚していた。
「拗らせておるの。男とはしょうもない生き物だの。まぁ良い。それよりも、おそらく次で最下層であろう。この層で全員をBランクにまで引き上げた方が良かろう」
佐藤蒼汰が率いる冒険者パーティー「旭日」は、大阪をはじめとする関西圏出身者で固められており、しかも半分以上が元警察官である。「市民を護るお巡りさん」という利他の精神によって、ダンジョンでの過酷な戦いにも耐えることができた。
「Sランクダンジョンの恐ろしさは想像を絶する。AランクとSランクでは次元が違うのじゃ。Bランク程度で音を上げるようでは、Sランクなど夢のまた夢というものだの。ホレ、来たぞ」
仙台ダンジョン第九層に出現したBランク魔物、エルダー・オークの群れに向かって、蒼汰は駆けだした。口端は歪み、眼は爛々と輝いている。戦いの狂気に呑まれているのだ。他のメンバーたちはそれを危ぶんだが、魔人ディアーネは何も言わず、ただ面白そうに見守っていた。




