第001話:妖艶なるくノ一「朱音」登場!
俺の名は「江副 和彦」。東京都江戸川区在住の、今年で40歳になる中年男だ。職業は一応、経営コンサルタントと名乗っている。10年前に中小企業診断士を取得して会社を辞めた。社労士の資格も持っているので、江戸川区や江東区、あるいは千葉県の中小企業に社保関係の仕事や、たまに研修の講師なんかをやって食い繋いでいる。パチンコチェーンのオーナーをやっている小学校時代の友人や、診断士協会からの紹介なんかで仕事をしている。とは言っても、年収はせいぜい600万に届くかどうかだ。
結婚する気のない俺は、江戸川区の中でも「陸の孤島」である鹿骨地区の、築30年の小さな家を買った。2日働き1日休み、また2日働いて1日休む。週休3日の気楽な生活を送っていた。
「なんだ、この穴は……」
そう。令和時代を迎えて間もない6月末の、今日この日までは……
江戸川区の鹿骨町は、都営新宿線の瑞江駅と総武線の小岩駅の間にある、広大な「鉄道空洞地帯」だ。俺の家からは、どちらの駅にも徒歩30分はかかる。土地面積40平米の中古一戸建てなら3千万円以下で十分に買える。小さな庭がついた「終の棲家」で、俺は慎ましく暮らしていくはずだった。
軽い揺れを感じたのは、昨夜遅くだった。そして朝になると、庭の端に、80センチ四方程度の穴が空いていた。懐中電灯で中を照らすと、石造りの階段が続いている。俺は首を傾げた。
「地下室? 買う時にそんな情報は無かったはずだが」
腕時計で時刻を確認する。9時55分を指していた。今日と明日はオフなので、この後の用事はない。俺は懐中電灯とライターを手に、階段をゆっくり降り始めた。方向からして、隣家の下にまで続いている。ご近所トラブルは避けたい。この穴は木柵かなにかで囲ったほうが良いだろう。そんなことを考えながら、俺は慎重に階段を下りていった。ライターは炎を灯したままだ。どうやら、酸素はあるらしい。
「……おいおい、ずいぶん深いんだな」
体感で30メートル近くは下りている。やがて階段が終わり、地面に足がついた。ホッと息を吐き、下りてきた階段を振り返る。かなり急な階段だ。この階段を戻ると考えると、少し嫌気がする。
「結構、広い地下室だ。整備すれば、何かに使えるかもしれん……」
懐中電灯を四方に向ける。地下室は15メートル四方程度で、天井も3メートル以上はあるだろう。床は石造りで、組み合わせた石には、隙間が全く無い。観察しているうちに、正面の壁で光を止めた。
「扉、だよな?」
高さ2メートル以上はあると思われる、金属製の頑丈な開き扉があった。黒く塗装されているため、すぐには気づかなかったのだ。
「防空壕? もしくは大戦中の軍の施設か?」
金属製の取手は、まるで削り出したかのように溶接の跡が見られない。役所に届け出る前に、中を確認しておく必要があると考え、俺は取手を握った。その瞬間、いきなり声が響いた。
〈第一接触者を確認。世界律に基づき『ダンジョン・システム』を起動します。全ダンジョンが起動するまで、残り1公転……〉
「な、なんだ? この声はどこから?」
まるで機械のような、無機質な声が響く。意外に大きかったため、俺は思わず耳を塞いだ。だが声の大きさは変わらない。まるで頭の中に響いているかのようであった。
〈キャラクターカード『妖艶なるくノ一 朱音』、カード保有上限枚数の増加、能力枠の拡大及びスキル選択機能が第一接触報酬として提供されます。固有能力『カードガチャ』が設定されました。〉
「は? くノ一? カード?」
〈ダンジョン・ルーレット終了、座標固定完了。ダンジョン名称「深淵」、難度A、ドロップ報酬A、獲得強化因子量A。それでは、新たな変革に向けての歩みを期待します〉
唐突に、奇妙な声が途切れる。そして俺の目の前には、白く光り輝く1枚のカードが浮かんでいた。
「……なんなんだ? これは」
突然現れた謎の地下室、奇妙な扉、そして頭が痛くなるような音声と理解不能な内容に、物体が宙に浮いているという異常現象でさえ、今の俺には些細なことに感じてしまう。カードは、それ自体が光を発しているため、懐中電灯を向ける必要は無かった。
手を伸ばす前に観察する。そこには、まるでカラー写真のように人物が映っていた。まるで忍者のような黒髪の女性が、苦無?のようなものを手にポーズを取っている。どこかのカードゲームの1枚かと思った。手を伸ばしてカードを手にする。不思議な手触りである。マット感がありながら、まるで金属でできているように硬い。裏返しにすると、文字が書かれていた。日本語である。
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【名 前】 朱音
【称 号】 妖艶なるくノ一
【ランク】 F
【レア度】 Legend Rare
【スキル】 苦無術Lv1
索敵Lv1
性技Lv1
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「妖艶なるくノ一……朱音と読むのか? えーと、なになに? 苦無、短剣などを使った近接攻撃から、手裏剣などの遠距離攻撃、忍術による索敵などもできる万能キャラクター。さらには性技も長け、休息中も愉しく過ごせます。身長163センチ、B99W57H87……」
読んでいると、カードの光が強くなった。あまりの眩しさにカードを手放し、思わず顔を背ける。光は数瞬で消え、暗闇になった。
「あら、貴方が私の主人かしら?」
「うわぁぁっ!」
暗闇の中から声が響いた。今度は頭の中などではない。本当の声であった。懐中電灯を向けると、黒髪の美女が立っていた。
「このようなモノ、無粋ですわね」
一瞬で、目の前の女に懐中電灯を奪われた。電源が落とされ、漆黒の闇に包まれる。
「ご安心を…… 間もなく、第一層の安全地帯が起動します」
「貴女は、いったい……」
暗闇の中にいるであろう美女に、俺は緊張しながら質問した。微かに花の香りがする。匂袋だろうか。しばらくして、少しずつ闇に慣れてきた。暗闇の中に相手の肢体が浮かび上がる。そして気づいた。床、天井、壁が発光しているのだ。やがて青白い光が部屋を照らした。美女が優雅に一礼する。
「はじめまして、我が主人。私は忍びし者『朱音』と申します」
「朱音……さん。あぁ、俺は江副和彦です。正直、何がなんだか解らなくて、混乱しています」
そう言いながらも、目の前の女性の肢体に釘付けになる。上半身は目の細かい鎖帷子のようなものを身に着け、その上に漆黒の服を着ている。下半身は動きやすいようにするためか、チャイナドレスのように左右にスリットが入っており、そこからムッチリと、それでいて細い生足が伸びていた。そして驚くべきは胸だ。鎖帷子は密着しているようで、まるで巨大な肉饅のような、形の良い乳房がクッキリと浮かび上がっている。
「ウフフッ……厭らしい視線を感じますわ」
「す、すまない」
そう言って俺は顔を背けた。妖艶な美女が放つ、良い薫りが鼻孔をくすぐる。
「お気になさらず……私は主人の下僕。この身体は隅々まで、御主人のモノですわ。殿方を悦ばせる技も存じておりますし、お望みならば如何ようにでも……」
「いや、そういうわけには……」
顔を背けながらそう言うと、フゥッと耳に息を吹きかけられ、俺は慌てて飛び退いた。朱音が嫋やかに笑みを浮かべている。
「ウフッ。落ち着かれましたか?」
そこでようやく、誂われていたことに気づいた。俺は盛大に息を吐いた。確かに、落ち着いた。思考の混乱状態を回復させる方法は、一旦そこから目を逸らすことだ。冷静になった俺は、これまでの情報整理に取り掛かった。
「悪いが1分間、待っていてくれ」
「はい」
俺はカツカツと石床を歩いた。これまでの僅かな情報を思い出し、なんの情報が不足しているか、この空間はいったいなんなのかを整理していく。
(いきなり出現した地下空間、未知の声と理解不能な内容、輝くカードと目の前の美女……そこから掴むべき情報は……)
およそ60秒後、俺は足を止めた。
「貴女に……いや、朱音さんに問いたい。『ダンジョン・システム』とはなんだ?」
美女は、薄紅色の唇を舌で湿らせた。
私の名は「朱音」。ダンジョン・システムに組み込まれた一〇八柱の一柱です。最初に主人を見た時、正直に申し上げれば私の中には失望が広がりました。中年の小太りで、とても強そうには見えません。男性としても、魅力を感じませんでした。それでいて、最初から私の乳房に厭らしい視線を送ってきます。もしここで私を襲おうものなら、その首を刎ねていたでしょう。一〇八柱は例外的に、主人を選ぶ権利を持っておりますから。
「す、すまない」
そういって主人は顔を背けました。少なくとも、牡の欲望だけで動くような人ではなさそうです。混乱状態のようですので、落ち着くためのお手伝いをしましょうか。手でお慰めしても宜しいのですが、そこまでする必要は無さそうですわね。
「1分間の待機」
そう命じられ、私は黙って主人を観察していました。落ち着いた主人は、その瞳に知性の光を放たれています。頭の中では、猛烈に情報を整理されているのでしょう。本能を抑える理性と、状況を判断する知性をお持ちのようです。些か覇気はありませんが、悪くない主人に出会えたようです。もし、この混沌に立ち向かう気概と姿をお示しになられたら、この身を捧げても良いかもしれません。おや、どうやら考え事が終わられたようです。さて、最初の問いはなんでしょうか?
「ダンジョン・システムとは、この宇宙を律している法則〈世界律〉の一つです。存在する理由も、その目的も解りません。水が高きから低きに流れるように、ダンジョン・システムもまた、自然法則の一つとお考えください」
朱音さんの情報を整理すると、ようするに異空間に存在している「ダンジョン」というものが、なんらかの理由でこの世界に出現したらしい。
「今後1年間で、この世界に666のダンジョンが徐々に出現します。毎回の出現は同時で、一度に66~67箇所に出現し、それが10回繰り返されます。その多くは人が集まっている場所になるはずです。ダンジョンは人の数に惹かれますから……」
「なるほど、確かに『1公転』と言っていたな。では次の質問だ。これから俺の理解を語る。間違っている点や補足点があれば、都度言ってほしい。まず俺が想像するダンジョンというのは、地下に降りていく巨大な洞窟のようなもので、そこには人に襲いかかる凶暴な獣が無数に存在している。これはどうだ?」
「その通りですわ。正確には、地下ではなく異空間ですが……」
「なるほど。異空間とやらについては後で聞くとして、ダンジョンについて詳しく教えてほしい。たとえば、出現した獣を倒したりしたら、何かを得られるのか? そうした『ダンジョンの特徴やルール』を知りたい」
「畏まりました。それではダンジョンについて、ご教授致します」
朱音さんはダンジョンについて語り始めた。
「まず、ダンジョンの難度についてです。最低難度がD、最高難度がSとなります。S難度のダンジョンは数が決まっていて、7つとなります。次の難度であるA難度は10%、60から70程度です。そして大半がB難度とC難度、全体の7割を締めます。最後にD難度が20%弱となります。難度は、ダンジョンの階層数と出現する魔物の強さによって決められますが、Bの中でもAに近いB、Cに近いBもあり、一様ではありません。そして難度は、ダンジョンから得られる報酬にも大きく影響します」
「その報酬とやらを具体的に聞きたいな。やはり、魔石とか素材とかなのか?」
「はい、そうした場合もありますが、文明社会の場合は『お金』が報酬になることが多いですわね」
「は?」
カネ? 魔物を倒したら栄一さんとかが出てくるのか? いや、まだ流通してないから諭吉さんか? 俺は一瞬、想像してしまった。
「ダンジョンは、出現した世界にとって価値のあるものを報酬とします。ある世界では食料、またある世界では水……空気という報酬だって考えられます。ですが、ある程度進んだ文明では『金銭』が報酬となる場合が多いのです。もちろん、一概にそれだけとは言い切れませんが……」
魔物を倒すとカネが出現する。だから民間人は大金を求めてダンジョンに入るようになる……などというラノベ的な展開など俺は想像しなかった。もしカネが出現するダンジョンが出たら、間違いなく国が規制する。通貨発行は経済政策である。年間で通貨をどの程度発行するか、この政策が雇用、物価、為替まで動かすのだ。勝手にカネを生み出すダンジョンなど、国が認めるはずがない。
「カネが出現する。だから人々がダンジョンに入ろうとする……などと考えているのなら、ダンジョン・システムとやらは欠陥システムだな。そんなモノを国が認めるはずがない。間違いなく規制され、警察や自衛隊が制圧に乗り出すだろう。魔物に自動小銃が通用するかは知らんが……」
「ダンジョン・システムは自律的にダンジョンを運用します。ですから金銭以外の報酬を出すかもしれません。ただ、軍隊が入ってダンジョンを潰す、というやり方は通用しないでしょう。なぜなら、ダンジョンには武器は持ち込めないのですから」
「ん? どういうことだ? 武器は持ち込めない?」
「えぇ、ここからがダンジョンの肝の部分です。『カード』についてご説明しますわ」
朱音さんは腰から苦無を1本取り出し、俺に見せた。するといきなり、その苦無が1枚のカードに変わった。まるで手品である。
「これは奇術などではありません。ダンジョン・システムの一つです。ダンジョンは、外部から武器を持ち込むことはできません。ダンジョンが武器と判断した段階で、このようなカードに変換されてしまいます。カード化した武器を戻すには、第一層の入り口にある『安全地帯』まで戻らなければなりません」
「武器を持ち込めない? ではどうやってダンジョン内で戦うんだ?」
「方法は二つです。ダンジョンで得た武器を使って本人が戦うか、あるいは私のような下僕に戦わせるか。この二つしかありません。御本人で戦われる場合は、まずは素手で魔物と戦いつつダンジョン内を捜索し、武器を見つけるのが宜しいでしょう。ダンジョン内に持ち込める武器は『ダンジョン産』だけです」
「なるほど。二つ目の『下僕』というのは?」
「ダンジョンの魔獣を討伐すると、カード化して地面へと落ちることがあります。これが下僕です。下僕はダンジョン内でのみ召喚が可能で、自分の代わりに戦わせることができます。封印されていた精霊を救出した時や、トレーダーと呼ばれるダンジョンを渡り歩く異界の商人などからも下僕のカードを手に入れることができます」
「なるほど。要するに自分が戦士となるか、あるいは召喚者となるかだな。それで、なぜ貴女がいるのだ? 俺はまだ戦ってもいないが?」
「主人はダンジョン・システムに最初に触れた方です。第一接触者報酬として、幾つかの特典が得られたはずです。『ステータス』と口にしてみてください」
「ん? ステータス……」
すると目の前に縦50センチ、横30センチ程度の黒い画面が表示され、そこに白抜きで文字が浮かび上がった。
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【名 前】 江副 和彦
【称 号】 第一接触者
【ランク】 F
【保有数】 0/∞
【スキル】 カードガチャ
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「ウフフッ……さすがは第一接触者ですわ。保有上限が無限で、スキル枠も六つもありますわね」
「ん? 見えるのか? あと、保有上限というのはカード保有の上限だな? スキル枠が六つで驚くということは……」
「まず、このステータス枠ですが、ダンジョン内でのみ表示されます。ただし、他の人にも見えますので、お気をつけください。次に保有上限ですが、これはダンジョン内で所持することができるカード枚数です。通常は20枚から30枚が上限なのですが、主人は報酬を得たため、無限になっているようです。それとスキル枠ですが、これも通常は2~3枠です。ただ、この『カードガチャ』というのは寡聞にして存じ上げないのですが……」
「あー……それはいい。なんとなく想像できる。だが保有数が0枚になっている。貴女が入っていないようだが?」
「私が顕現しているため、そして最高峰のレジェンドレアだからでしょう。ダンジョンに入れば、魔物カードが手に入ります。どうされます? 実際に入ってみますか?」
「いや、準備も必要だ。あとは俺の家で詳しく聞こう。一旦、戻る」
そう言って階段に戻ろうとしたが、朱音さんはその場から動かない。振り向いた俺に、朱音さんは溜息をついて申し訳なさそうに言った。
「先ほど申し上げた通り、下僕はダンジョン内でのみ召喚可能なのです。私が外に出たら、カード化されてしまいます。私と話をするには、この場でなければなりません」
「なるほど。再び貴女を顕現させるのに、なんらかのペナルティは発生するのか?」
「いいえ、特には……」
「では悪いが、カードに戻ってくれないか? これまでの状況を紙に整理しておきたいし、何よりも先程から催しているんだ」
「はい。それと最後に、これからは私を『朱音』と呼び捨ててくださいませ。さん付けなどされると戸惑ってしまいます。私は下僕でございますから……」
「朱音……わかった。では俺のことも主人ではなく苗字か名前で呼んでくれ。主人というのは、戸惑う」
「畏まりました。和彦様……」
いや、様付も……と言おうとしたときには、朱音はポンッとカードに戻ってしまった。今度は宙に浮かずに、そのまま床に落ちる。俺は慌ててカードを拾い、胸ポケットに大事に収めた。
その違和感に気づいたのは、トイレを出て換気扇の下で一服している時であった。スマートフォンで時刻を確認すると、10時過ぎを指している。俺は違和感を覚え、自分の時計を確認した。体感だが、あの探索と朱音の話とで、20分は経過したはずだ。実際、ダンジョン内でも身に付けていた腕時計は、10時30分を指していた。
「これはどういうことだ? 時計が壊れている? もしくは……」
ある可能性に思い至り、俺は思わず左手で口を覆ってしまった。
「……時の流れが違うのか?」
早速、仮説検証に入る。2本のクオーツ時計を用意し、一方を自分の腕にはめ、もう一方にはタコ糸を括り付ける。そして、同じ時間からスタートさせる。まずは地下に降りる階段から検証する。すると秒針が目まぐるしく動き始めた。慌てて引き上げ、再び同じ時間にセットし、今度はより深い場所に時計を下ろす。ちょうど1分が経過したので、引き上げる。すると0時0分からスタートさせたのに、2時間近く時間がズレていた。この実験から、俺は確信した。ダンジョン内では、外部より時間が早く動くのだ。
「念のため、朱音に聞く必要があるな」
筋肉痛になることを覚悟しつつ、俺は再び、地下へと下り始めた。