【いつかの空】
※本日二話目です
しぃん、と鳴る黄金色の簪。
その音が聴こえた時、人々は振り返り、存在を認め、畏敬の念と共に道をゆずる。
その存在は民間においてもさすがに膾炙されている。
ただ、戦乱の世において効力を発揮するものは、太平の世において鬱陶しがられるのが常である。半端に学があり且つ政の現状と戦禍を知らぬ者ほど、したり顔で批評をしたがるものだ。
「―――わが国の『星』はあれか」
「先代の『星』も、そして水鏡も確かに『星』であることを示したと聞く」
「水鏡ねェ……占者どもは皆禁欲生活が長いからな。こと上層に『取り入る』方法は女の身でいくらでも考えられるだろうよ」
「しぃっ。聴こえたら牢に入れられるぞ」
しぃん。
数多の雑音を切り裂くように、静謐の音を響かせ女は歩く。形の良いちいさな耳朶に紫の硝子飾り。
「見たか、あの飾。紫硝を切り出したものとみた」
「縁は金か。なんと贅沢なものを」
「『星』は人心と国の富を示すものとはいえ、紫硝はいささか離れたものでは」
「隣国への媚びのつもりか。未婚の女の身で、屋敷も与えられていると聞く」
「これだから、昨今の国の無駄遣いは、」
無礼で無知な陰口は、国が平和である証拠。
女の紅色の唇が、吊り上がるように弧を描く。まるで夏の夜に瞬く満天の星のような笑み。
息を呑む群衆を尻目に、女は華やかな袖を翻し歩いていった。
傍に、秋風のように涼やかな少年を侍らせて。
・
・
・
雲が空を覆いひとつの星も見えなくなる夜は、決まってあの時の音と情景を思い出す。
波音。
夜は共に空を見上げ、流れる大河の波音を背景に星を数えた。星座にまつわる御伽噺も、せがめば母は語ってくれた。空いた時間は共に唄い、言葉遊びをし、習い途中だった文を諳んじ、まるで平和だった頃をなぞっているように過ごした。たとえ物は無くとも、言葉を交わすだけで出来ることが在る。「日常」を形だけでも取り戻せる状況こそ、人間の心身に生きる希望を灯すのだと母は識っていたのだろう。幼い息子をそうやって生かそうとしたのだ。例えどんなに己が辛くとも。
宵闇で見上げた白皙の顔は、もう既にだいぶ日焼け荒れてはいた。しかし星明りだけを瞳に映し、ひび割れた唇で神々の恋物語を綴るその横顔は、変わらず夢見る少女のようであった。父と別れてのち、涙はその頬に一滴も流れていない。けれどやはり、母は泣いていた。そんな母を見るごと、私は父がしていたように母の頭を抱きしめようとした。母は微笑んで礼を言ってくれた。愚かなことであるが、私は母を護っていたつもりだったのだ。父のあの背中を見てから私の中に刻まれた何かが、そうしなければならないと訴えていた。実際はまったくの真逆、何から何まで護られていたというのに。
そういえば、母はあの時こうも言っていた。ごめんなさい、ごめんなさい、ひとりにしてごめんね、と――
思い出を遮るよう、優しい香が漂う。
すやすやと眠る傍らの人を、既に追い越してしまった上背で包み込むよう抱きしめる。寂しいのに、胸が痛くなるほどに嬉しい。今、実の両親に対して感じるのは置いていった恨みとも侘しさともつかぬ感情、そして深い感謝だ。
顔もおぼろげになった父は、されどあの背中だけはしっかりと刻まれている。消え入るような掠れ声での恋唄、そして母の少女のような瞳はいつか、目指すべき本物の星となった。
そして今、私は私だけの大切な家族がいる。
その事実を作り得た亡き両親に、その軌跡を思って瞼を閉じる。
幼かった私を包んでくれたぬくもりを、新たな命宿すその身体を。どうか、温められる己でありますよう。
他の誰でもない、自分自身に願い、誓う。
道を作る星 了