【いとおしき春空】
陽が地平の向こうへと沈み、訪れる宵の闇。ただでさえ寒いというのに、更に寒く凍えるような中では、炭火での暖にも限界がある。こういう時は早く寝てしまうに限る。
出先から戻った後、私はそういうわけでさっさと寝の支度にかかった。実際のところ済まさねばならぬ諸事は山ほどあったが、無理を言って帰ってきた。色々とやる気が起きない。疲れたし寒いし、何より、眠りの不足はうら若き淑女にとって大敵である。珠の肌が荒れる。
茶を一杯だけ飲み、簪を抜き、差し出された手筥に放った。橘花の模された派手なだけの薄衣を脱ぎ、さむいさむいと呻きながら湯殿へ。実は我が屋敷には湧き出る天然の風呂、つまり温泉があるのだ。湯で化粧を落とし身体を流した後はその天然極楽でしっかり温まり、髪を乾布で包み綿入りの寝間着を着こみ、湯冷めしないうちに寝床へ。どすどすと淑女しからぬ足取りで廊下を進み、既に敷かれている筵に滑り込んだ。
「あ~~~」
ぬっくぬくのそこにうっとりとする。さすが私の従者、行火までしっかりと入れて温めておいてくれている。うっすらと焚かれた香は私のお気に入り。完璧である。
すっぽり上筵に包まり、安堵に浸る。夕餉は出先で済ませたし、今はそれ以上どうこうという気分でない。疲れたし寒いしおふろとおふとんさいこう。
外は雪化粧が未だ色濃く重苦しく覆い、手入れされた植木の枝をしならせ、時折雪囲いが風に煽られ小さく音を立てた。
暦の上ではもうじき春だ。しかし、花の香にはまだ遠い。
幾ばくとした頃だろうか。
かたり、と部屋の隅で音がして、引き扉が開く気配がした。私は暗闇の中、頭からすっぽりと分厚い上筵に包まっているのですべては見えない。けれど、確かにその気配。うとうとしていた思考が、不意に現実へと立ち戻る。
「……」
部屋に入っていたその気配は、何やらそこで止まっている。ややあって数歩進んだようだが、またそこで止まる。何を躊躇っているのやら。
仕方ないなと私は寝返りを打って、気配のする方向に身体を向ける。よいしょと筵ごと腕を開いて、手招き。
「―――おいで」
それでも中々近づいてこない。このままではせっかく温まったものが逃げてしまうではないか。
「ほら」
「……」
寒いから早くしてほしい。その意でばふばふと布を振ると、そろり、と影が動き、遠慮がちに滑り込んできた。行火と私の温度で温まった毛布で挟んで閉じ込めてしまえば、未だ強張りのあったそれが安心したように息をつき、ぎゅっとしがみついてくる。さらり、と解かれた柔らかな髪、小さな身体。
「今日もよくがんばったな、清秋」
「……はい」
抱きしめつつ頭を撫でてやると、小さな小さな声で応えが返ってきた。
・
・
・
私と私の従者が出逢ったのは、二年前。
当時、国境近くの片田舎でしがない器職人をしていた私の父が、原料採取のため分け入った山奥にて、人知れず生活していた幼い少年と邂逅したのがはじまり。最初は口減らしか何かによる不幸なこどもかと思ったそうだが、何か様子が違う、ということで父は彼を我が家に連れ帰った。そこから私達一家は彼を世話し、私とその彼――清秋との付き合いも始まったのだ。
何やら訳ありには違いないが世に言う捨て子ではない、と断じたのは、その少年が状態にそぐわぬほど落ち着いていたことによる。
彼は、何日も人里に降りておらず自然界の中で生活してきただけあって、初対面は野生児そのもの。しかし、見た目とは裏腹にしっかりと意思疎通が出来る状態だったのだ。なんでも、弁当を広げていた父にこう話しかけてきたらしい。「塩味が恋しいのでおにぎりをわけていただけませんか」と。
父は突如話しかけてきた小さな野生児に仰天したが、相手の状態に警戒より憐れみと興味を感じ、弁当を分け与え、家族にも関わらせることにした。少年は少々痩せてはいたが飢餓状態というわけでもなく怪我もしておらず、泣きだしたり暴れたりする様子も見せず大人しく身体を洗われた。身なりをきちんとすれば想像以上に綺麗な子供だったのにも私達は驚いた。言葉の受け応えは見た目年齢以上のものを感じ、よく見れば諸々の作法も備わっている。これは庶民出身者でなく、それなりに身分の高い家のこどもであると両親は判断した。そしてしばらくうちで面倒を見ようと。これは我が家の「子供は健やかに育つべきである」という方針の他、ごくあり触れた大人の事情による。
実は私の父は、しがない器職人の皮を被った国家機密役員、つまり国境の監察官であった。どう見ても只者でない少年は何やら隣国のごたごたと関係があると直感、彼を適当に世話しつつ独自の情報網を駆使し、内密に身元調査を進めたのである。
かくして予想通り、少年は中々に厄介な事情持ちであった。昨今解体吸収が始まった小国の出身者であり、いわば単身亡命。父親はなんと亡国軍の長であり、母親も名のある士華出身。ただし一家は揃って国宝を盗み逃げた大罪人として指名手配。父親は中途で討ち取られたが、母子は国宝と共に未だ行方が知れず。
そして、予想以上なことに。
彼は―――我が国の『星』であった。
・
・
・
「此度の戦時が早く済んだのは、砦を奪い返し敵の前線をかく乱してくれた清秋のお陰だ。本当によくやったな」
「……はい」
「あの者は、無事に国元へと帰ったぞ。政敵に当たる異母兄の親類が大失態をやらかしたのでな、その穴埋めと自嘲しておった。しかし、佳き機でもあるな。ひょっとしたら春椿の次世は今世より手強くなるやも」
「……」
「なあに、わが国の次世代はそれに負けぬよ。――本当に、良かった。これも皆、清秋のお陰だ」
私よりやわらかい髪は特段手入れをせずとも常に滑らかで、肌が荒れたところなど見たことがない。それに私よりも手足は細いのだ。憎たらしい。
でもまあ、それが自然だ。
「どうした? なにをまた不貞腐れておる」
「……どうして、琉夏さまはあの者に髪をお返しになられなかったのですか」
「ん? ああ、形見と言われて渡されたあれか。あの者が、私にそのまま預かって欲しいと言ってきた。特に断る理由も無いゆえ」
「……あいつ、次会ったらぶち殺す」
「清秋?」
「……なんでも、ありません」
出逢った頃を思い出す。
初めて見た時、この髪は泥と草花に塗れぐしゃぐしゃ、衣服はなぜかところどころ焼け焦げ破れかしこに引っかかっている状態だった。毛を毟られ綿帽子の中に突っ込んだ兎のようだったこの子は、泥と垢塗れであったけれど怪我はひとつも負っておらず、湯殿にて汚れを落とした際は驚いたものだ。
「今宵は冷えるな。寒くはないか?」
「……べつに、へいきです」
「朝から雪かきもしてくれたのだろう? ありがとうな」
「……ふつうの、ことです」
「他にもたくさんのこと、ありがとう。お前が色々と頑張ってくれるから、私は楽に過ごせているよ」
「……ほんとう、ですか」
食事の作法が最初からきちんとしていたこと、名前や出身国をきちんと言えるだけならまだしも、一年もしないうちに家事や諸々を私以上に完璧にこなせるようになったことにも驚いた。
そればかりか。
「ああ。お前はいつも、よくやってくれている。お前がいるから、私は私でいられるのだ。あの、都の狸どもの前で猫もそれなりに被れている。――まあ、どこまで誤魔化せているのかはわからんが、今こうして穏やかに過ごせていることは重畳であろう」
「……琉夏、さま、」
「ん」
「……申し訳ありません。自分が、まだ、こどもなせいで」
「謝る必要などない」
「……でも、そのせいで、琉麗さまらが……ッ」
琉麗とは、私の母親の名。
「またその話か。私は勿論のこと、家族皆がとうの昔に諒解し納得済みであるぞこれは。お前が気に病む必要は無いし、負うべき責などありはしない。前にも言ったであろう?」
「……でも、でもッ」
ぐりぐりと、なめらかな髪が私の寝間着の袷に擦りつけられる。袖に掴まる力が強まって少し襟が締まり、苦しくなった。落ち着け、とばかりにぽんぽん背を叩くと、ふっと我に返ったように力が弱まる。
「……もうし、わけ、」
「謝るな」
ぐい、と小さな頭を引き寄せ、布の温みの中で小さな体を抱きしめ返す。
「どうしても気になるなら、これはただの恩返しだと思っておけ」
「……おん、がえし」
「ああそうだ」
この、小さな少年に、私は。
「清秋。お前は、母さんの命を救ってくれた」
私の家族は、救われたのだ。
秋橘国。都は古代文化の香り高く、四方八方に広がる山脈には温泉はじめ資源が数多く眠り、人々は培った知恵と工夫を以て地に根ざす。強国に周囲を閉ざされつつ、時にその境を侵されつつ、それでも国として盤石であるのには幾つかわけがある。
ひとつは、国軍が大変に精鋭であること。小国であるがゆえに常に警戒を強いられる秋橘は、数えきれないほどの密偵を大陸各地に放っている。そうして得た膨大な情報にて他国の動きをいち早く察知、万事に備えつつ自国の補強も行っているのだ。
そして前述の理由よりも大きな理由のひとつは、険しい自然区域に囲まれているがため、そもそも只人だけでは攻めにくいことがある。
霊力の申し子である「霊法師」、その力は国同士の戦においては殆ど効果を発揮しない。精霊族の棲み処である自然区域を無闇に侵せば、倍返しどころでない惨事が待っている。ゆえに、もし自然区域に囲まれた国を攻める場合はその地の精霊に貢ぎ物を用意し血を流すことを見逃してもらうか、彼らが動けない時分を見計らってことを為すかに絞られる。
そう。
逃れようのない自然災害――天災時は、人も獣も関係なく多くの命が失われる。そんな時、精霊は只人の動きなどに注目はせず、力の拠り所である霊源や庇護を与えるべき者を護るためだけに集中・奔走する。その隙を、ちっぽけな只人は狙うのだ。
国境にて居を構えていた私達一家は、そんな案配で敵国兵の先鋒に襲われた。先月の小競り合いと同じく、強めの地震と大雨により地盤が緩み、村の男たちが土砂災害の対応に追われている矢先の出来事であった。
各国の動きを把握している本国にとっては、想定内の出来事だっただろう。そしてあり触れたことだ、戦乱の世では。片田舎の小さな農村が敵国兵に蹂躙されること、そしてその動きが思ったよりも早かったことなど。
手始めに、村はずれの一軒家にて小さな子供と一緒に過ごしつつ風呂焚きをしていた無力な女が襲われることも――ごくありふれた、戦禍のひとつと言える。
もしもあの時、清秋がいなかったら。
「父さんも、村の人達も言っていただろう。お前があの時あの場にいなかったら、今頃あの村は焼け野原だ。お前は沢山の命を救ったんだよ。私の母さんを含めた沢山の命を。感謝してもしきれないくらいだ」
「……」
清秋は――見た目は小さなこどもに過ぎなかった彼は、凄まじい力の持ち主であった。
「お前はその力を禍つものだと考えているのか? ……使い方を間違えれば、そうなるのかもしれぬな。しかし、私は知っているよ。今のところ、清秋は間違っていない」
「……」
片手で大人の腕を捻り潰す握力。自分の何倍もの体重を持ち上げ、投げ飛ばす膂力。そしてほぼすべての攻撃を無効化する鋼以上の肉体。彼はその力を以て、敵兵に襲われかかった私の母を救った。
母によると、食料を強奪ついでに乱暴しようとした暴漢の帯を無造作に掴んで投げ飛ばし、槍で突きかかってきた相手の動きを片手で止めて武器をへし折ったらしい。別方向より襲い掛かってきた刃は、彼の頭上で折れ砕けた。兵士らは呆けたところを母に後ろから殴られ、残りは清秋に投げ飛ばされ気絶、騒ぎで集まってきた村人は危機を察知し敵兵を拘束して衛兵に連絡、ことは早めに対処されたという。最寄りの町で泊まり込みの手習いをしていた私は、すべて終わった後で顛末を聞かされた。父から多少の手ほどきを受けていた私が居たとて、数人の武装した兵士相手に何が出来ただろう。
すべて、清秋のおかげなのだ。
「これも言っただろう。困ったら父さんの言葉を思い出しなさい。お前は大人からすればまだ『無力なこども』の齢だ」
父は驚き感謝しながら警戒を強め、手の込んだ暗殺者や密偵の筋からも調査はしたそうだ。しかし、清秋に仕込まれた感は以前として皆無だった。正体がよく出る寝込みにおいて、無防備に過ぎたのだ。武技の類も身についておらず、しかし礼儀作法は年不相応に一級でそれを隠す気配も無い。完全なる素人、まるで良いところのお坊ちゃまが超人的能力のみを身につけ、野に放り出されたかのような。
「『こどものうちに人を殺すと、心を喪う』『こどもは長い将来を考え罪は最小限に、選択肢を多く持ったほうがいい』」
彼のその超人的な――人外ともとれる身体能力は、決して我が国の民には発揮されない。我が国を侵そうとする敵国の兵、そして外国人にのみ発揮される。
彼は、決して他国民に害されない。
「自信が無くなったら、相手を生かすことを目安としなさい。上手く出来ないようなら、それ以上何もしないで放っておいていい。手加減が出来ているようなら、お前は大丈夫だ。『星』の力は、」
そう、それはまるで。
「破壊のものではない。国を――人の集まりを、護るためのものなのだよ」
『星』が本当に人の形をとって顕れたかのように。
「……、ほんとうに、もうしわけ、……」
「だから、どうして謝る」
「……わたくしがまだこどもだから、琉夏さまが、みがわりに、ならなくてはいけなかった。そして琉麗さまが、ひとじち、に、」
「――清秋」
私は筵の中でまた、小さな少年を抱きしめる。清秋が自分を責める必要は無いのだが、彼の性質上何を言ってもこれは改善されないだろう。
私の母は今現在、生家から遠く離れた町にて監視付きで暮らしている。他のなんでもない、私と清秋に対しての「人質」だ。そして母本人は勿論、父も私も、そのことを納得している。
未だに納得出来てないのは、この小さな彼だけだ。
「……ま、まもりたかったのに。るれいさまを、……母上のような、あのかたを、わたくしはまもりたかったのに」
「護れているよ」
私はその都度励ます。それが彼にとっては決して慢心にならないと、識っているから。肯定することで清秋にはより深い覚悟が生まれ、私や母のいるこの国への愛着を強めてくれるから。
私は、狡い。しかし、これが己が役割だ。
『星』である清秋を、繋ぎとめること。
「充分だ、お前は母さんを充分に護れているよ、清秋。昨日だって手紙が届いただろう? どうやら監視の者を手玉に取りつつある。母さんは、私や父さんよりもずっと逞しいのだよ」
「……」
「それに、代わりといってはなんだが、いつも私はお前に我儘を言っている。お前はもっと大きく構えていろ。先日の仕事といい、思いっきりこき使われているのだから」
「……」
冬の半ば、年下の従者の前でわざとらしく取り乱した。ああ言えば、きっと清秋は私の代わりに国境へ向かってくれることが知れていたから。すべては、手の込んだ方便だった。
――清秋を取り巻く環境は、大人の都合に溢れていて、実に醜く、狡い。この私を含めて。
(結局のところ、私は演技でもしなければ清秋を戦地に送りこむことが出来ない。例え、この子自身が望んでいようと)
清秋が『星』であることにいち早く気づいたのは、私の父である。父は国境監察官として活動する上で近接諸国の情報も確かなものを得ており、その筋が一つに「とある国の『星』は物として顕現しており、それは代々国宝として祀られている」というものがあった。何を隠そう、清秋はその、『星』が物として顕現し確かな形で護られている国の出身者だったのだ。
『星』は国中を探して見つけるに難儀ゆえ、大抵の国は『星』の導き手である人を『星』の化身として庇護している。清秋の出身国のように、人でなく物が『星』として確かな形で継承されていることは珍しい。『星』が人であるよりは管理が楽なのやもしれないが、形の決まっている『星』というのは厄介だ。そう、愚かな人間はそれさえ手に入れれは覇権も得られる、国も崩せると思い込んでしまうのである。
……秋橘国に近接していたとある小国が崩れたのは、つい最近の出来事。元々危うい立場にある弱小国であったが、ここ急速に弱り解体が始まったのは『星』が消えたのが一因だとされている。戦犯は国軍の長である武官、彼は信頼を寄せていた王を裏切り暗殺し、挙句国宝を盗み家族ぐるみで逃げ、懲伐されたはいいが肝心の『星』は紛失されいずこにあるともしれぬ。『星』の導き手も行方がわからず、そこから混乱は始まったのだと。一部の識者占者によると、かの国の『星』はおそらくは国の亡びにより地に還ったとされた。
だが、私の父は気づいた。『星』は、別の形で生まれ直したことに。
確かに、かの国の『星』は国と共に亡んだ。そして、別の国の『星』として産声をあげたのだ。
それはもう、歴代でも類を見ない形で。
「……るかさま、」
震えながら、しかし確かな声で『星』は言う。
「……わたくしは、るかさまたちを、まもりたい。死んだちちうえと、ははうえの、汚名をそそぎたい。困っているひとの、道をつくる、そんざいでありたい」
「……」
我が国の『星』であり、同時に『星』の導き手でもある清秋。それは大陸全土を見渡しても前例が見当たらない『星』の顕現であり、そして稀に見る貴重で稀少な能力者でもある。何せ、他国民に決して害されないというその超肉体は、国にとっての兵器ともなり得るのだから。
ただ。
公僕としての義務がまま彼を都に連れていこうとした父の前に、断固として立ちはだかったのは母だった。いつもは穏やかな顔で夫を見送る女は、必死な形相で訴えた。「あの子を国の道具にするなら離縁してくれ」と。命を救われた恩もあるが、母は清秋にすっかり我が子同然の情を移していたらしい。
物陰で父と母の夫婦喧嘩を聞いていた私は、途中でたまらず割って入った。公務を阻害する母を止めようとしたのではない、私も母に賛成だったからだ。実親を無惨な形で亡くした清秋が、あの小さな弟分が大人の都合でこれ以上かわいそうな思いをするなど、耐えられなかったから。共に過ごすうち、情が移ったのは私も同じだった。
あの時の父は、冷たい目で私に言い放った。
『なら、お前が「代わり」となる覚悟はあるか』
『はい』
私は瞬時に悟り、瞬時に了承した。覚悟など、父の仕事に割って入る時点でとうに決めていたから。
迷いもせず応えた娘に、父はそれ以上突き放さず苦く笑った。父自身、強大な力に反しあまりに清秋は幼く、後ろ盾も無く、一国を負う責を果たすに危う過ぎると感じ、何より、清秋に個人的な恩と情とを抱いていた。ゆえに、飛びついて反対してきた実子に光を見出したのだろう。今となってはそう思える。
母は、何も言わず涙を溜めて私を抱きしめた。それが、公に身を捧げた親子の別れであった。
家族は、私が示した覚悟を深く理解してくれた。私の選んだ正義を、尊重してくれた。
『星』の身代わりとして過ごすに、辛いこともあるけれど。今でも、私はこの道を選んだことに後悔はしていない。
この小さな手の主が、全力でしがみついてくる限り。
私はこの子を、絶対に独りにはさせない。
「るかさま、」
とさり、と木々から雪が零れ落ちる音。
出逢いから、二年が過ぎた。未だこの子はこうやって、私に自信無さげな声で尋ねる。
「……わたくしは、道を作れているでしょうか」
抱きしめられるがままになっている小さな少年に、私は微笑んで応える。
「もちろんだ」、と。
こういう時に返答を躊躇ってはいけない。少なくとも、悩んだ挙句のこの子の問いかけの前で迷う素振りを見せてはいけない。昼間の「迷う振り」は敢えてのものであり、重大な場面では即答すべし。それが私の役割であり、――おそらくはこの世で類を見ない『星』を護る唯一の術。
清秋は、実のところ私の従者でない。私が、清秋という『星』の従者なのだ。
「……よかった」
暗闇でもわかる、満面の笑みで清秋が私に抱き着いてくる。
自意識過剰でもなんでもなく、この子は私が望めばなんなりとするだろう。それこそ「兵器になれ」と命じたところで、なんの迷いもなく戦地に赴く。
(しかし、それではだめだ)
ゆえに、私と父は彼に「迷い」を与えた。人間らしく、ごく普通の生活とそれに添う倫理を。土台である生活基盤を護ろうとする本能を、人を傷つけるに躊躇う心を。まだ不十分であるが、それは着々と清秋の中で育っている。進んで人質となり、遠くの地よりきめ細やかに清秋を心配する母の存在も、彼が人らしい心を持つ巨きな理由となっている。
公としての策略の中に、私達家族だけが感じる彼個人への思い。
(頼む、清秋。お前は『星』で在る前に、『人』であってくれ)
そうでなくては、私がここに居る意義すら失われる。
――果たすべき務めや信念、個人的な庇護欲と親愛に覆われ押し込められるその中に、人智を越えた存在に対する畏怖や恐怖の心があることは、否定しない。
しかれど、彼に「迷い」がある限りは、彼がいとおしいから。
「るかさま……」
「ん?」
「いつか、……いつか、父上らの汚名をそそいで、『星』の役目もくぎりがつく日がきたら。その時は、わたくしといっしょになってくださいますよね」
「んん? ああ、その話か。うーん、まあ、その時にお互い独身であればな」
「……。いま、でもいいですか」
「ふふ、何を言う。お前はまだこどもであろう」
極端に怪我を負いにくく、ある程度飲まず食わずでも平気な肉体。頭の回転も速く要領も良く、従者の仕事ついでに修めた学問は既に義務の範囲を超えたという。口達者さは言わずもがな。私も幼い頃は神童だと持て囃されたものだが、この子のそれには遠く及ばない。天より愛された本物の寵児、それが清秋だ。
ただ、落ち着きぶりもあって実年齢よりやや年かさに見えるものの、中身はやはりこどもである。ゆえに、猫被りが得意な私という緩衝材が必要なのだ。ちょっとした感情の昂りで他国の者に危害を加えてしまいそうな時は、特に。
この弟分は、可愛い見た目をして実に危うい。
「……るかさま、だって」
「私は十六で来年は成人だ。お前はやっと七つであろう。成人はおろか十の齢も超えていないようなこどもが、婚姻など口に出すのも早い」
「……」
危うくも、牙を隠した猛獣と称するには、些か可愛すぎる。それが、私の清秋。
「それにな、私は健康な男が好みだ。しっかりとした筋骨で、食べ物も好き嫌いが無く、良い顔色で朗らかに笑える男がいいな。せめて私と同じくらいかそれ以上の背丈で、媛抱きもしてほしいな」
「……がんばり、ます。がんばって、おおきくなります」
真面目くさった声に、くすくすと笑う。人より賢いが、なんだかんだでやはりこの子はこどもだ。将来はさぞ引く手あまたな美男になるだろうが、その頃には年増の私など眼中になくなっているだろう。ほんのりと、寂しいが。
「そういうことで、苦瓜も食べなさい」
「……どりょく、いたします。では、わたくしが十六になったその時は、おねがいいたします」
「ふふ、楽しみにしているよ」
「ぜったい、です、よ。……」
いとけない声に、徐々に眠気が混ざってきた。つられてうとうとしながら、滑らかな髪を撫でる。
「この前食べた干し柿は美味かったな。母さんも手紙で気に入ったと言っていた。また、来年も買って一緒に食べよう」
「……は、い……」
やがて、胸元で小さな寝息が聴こえてきた。
……宵闇が薄れる頃合い、このぬくもりは布団の中から消える。そして口うるさくも優秀才備な年下従者の顔で、我儘な主人を起こしにかかるのだろう。そして私も、何事も無かったかのような顔でそれに応える。
それが、私達の日常であり、欠かすことの出来ない日課であり、次へと進むための必要な過程だ。
重責を負うにあまりに幼い清秋。加えて、おそらくは目の前で両親を喪った心の傷をもその小さな胸に抱えている。戦禍を少なからず識る私の父は、その危うさを事細かに説いた。このこどもは、穏やかに見えて常に破滅と隣り合わせに居る。国への愛着も未だ薄い。ゆえに、如何に賢くとも『星』になるのは無理だ、と。
『お前は派手な飾となり盾になるのだ。あのこどもの代わりに世間の目を一身に受ける存在となれ。狸どもの懐柔を笑顔で受け取り、小娘として転がされる存在になっておけばいい。そうすれば、情勢は安定する』
一も二も無く、私は諒解した。都の海千山千の狸らを相手取るに未熟は未熟だが、清秋よりは私が遥かに適任だろう。
例え掌で転がされていようと、転がりながらも大事なものは護りぬく。
猫被りは得意なのだ。
薄墨のような雲より、新たに白いものが地へと降り始める。出来ればこれが忘れ雪となって欲しい。
温かい寝床の中でくうくうと健やかに眠る少年は、時々夜中にうなされていることを私はよく知っている。泣きじゃくりながら「ははうえ」を呼ぶ声に、その都度応えるように抱きしめてやる。すんすんと鼻を鳴らしながらおとなしくなる彼を、寝ぼけまなこで笑うのも幾度目だろうか。ちなみに彼はそんな姿を昼間には決して見せない。年不相応に落ち着き払い、私以上に完璧に繕い整った麗姿で、いつも静かに穏やかに佇む。『星』がそう望むなら、私はその通りに接するだけだ。あと我儘な媛ごっこって楽しいし。
……危うくも決して綻びを見せない彼がまるで無防備になるのは、闇に隠れたこの小さく狭いぬくもりの中だけ。そのことがかなしくも、少しばかり嬉しい。その瞬間は、私個人にとっても何かに立ち戻れる大事な時間であるから。
生まれたての星が優しく夜空に抱かれ、空の向こうへ白々と消えていくように。巡る夜に、清らかに輝き道を指し示すために。
私は束の間の、春になろう。
清秋・・・とある亡国武官の一人息子。一臣の謀反により実家近くに保管されていた『星』が狙われ、親子でそれを護って逃避行するが、道中で両親が命を落とす。元が物である『星』の現身となったことで超人的な身体を手に入れるが心は空っぽに、しかし琉夏一家に拾われたことで救われる。あぶなっかしいけど琉夏がしっかりしてれば多分大丈夫。静かなる肉食系男子で将来は琉夏と結婚する気満々。でも相手は鈍いし自身もまだまだ甘えた年齢なので、通じ合うのはもう少し先(いざとなったら行動は早い
琉夏・・・強国に挟まれつつ堅実な道をゆく小国の『星』。…というのは見せかけで、一国の『星』となるにあまりにあぶなっかしい清秋を護るため、影武者となることを決意した肝っ玉少女。見かけより冷静で、昼間の我儘な素振りはわざと。でも半分くらい素。公僕父ちゃんの教育をしっかり受けていて、清秋を国のためにも大事にしなければと思っている。そういう意味で彼女が『星』の一員なのも間違いではない。清秋への感情は恋愛でなく家族愛だけど、本人は父ちゃんみたいな切れ味鋭い男が好みなので、将来的に脈はある
他登場人物と裏設定はのちほど活動報告にて。
拙作を読んでくださってありがとうございました!