【すずやかなる秋空】
弱めの朝陽が眩い。眩すぎるほどだ。
「起床のお時間です」
「……」
「もう起きてらっしゃるのでしょう? 狸寝入りは通用しませんよ」
「……むぅ……」
仕方なく、寝床より起き上がる。淑女の部屋に勝手に入り、寝乱れた様を無遠慮に視界に入れたまま、私の従者は声を張り上げた。
「起床のお時間です!」
「二度言わずともわかっておる!」
負けじと声を張り上げ、目の前の袷を睨みつけた。いつも通り、無精皺の見当たらない完璧な小袖のいで立ち。こいつがいつ起床しているのはわからんが、私の見る限り朝は常に装いに乱れが無い。こっちがだんだん恥ずかしくなってくる程度にぴしっとしている。
「刻はいかばかりか――ああ、まだ六つ半ではないか。よし寝よう」
「いけません」
窓辺に置いてある日時計に近寄って一瞥し、速攻で寝床に舞い戻った私であるが、敵もさるものであった。気が付けば既に上筵が無い。
「……ッ返せ」
「返しません」
「主人を寝間着のまま晒す気か、破廉恥な」
「着替えればよいのです」
充血など無縁に見える黒々とした眼が私を真っ直ぐに見つめ、もくもくと手元のそれを丸めるように畳む。そして一糸乱れぬ総髪の少年は、髪がぼさぼさのままの淑女に恭しく手筥を差し出してくる。
「本日のお召し物はここに。支度が整いましたら、またお呼びくださいませ。朝餉の支度も出来ております」
「……」
弱めのはずの朝陽が眩い。そして、それに負けないほど目の前の姿も眩い。
「――清秋、お前は毎朝早いな」
「恐れ入ります。しかし、私は別段早く起床しているわけではありません」
つん、とした声で私の言葉に応えるは、背後で髪をくしけずる少年である。ついこのあいだ従者にしたばかり、私より九つも歳下。
「私にもっと早く起きろと言いたげだな」
「その通りです、琉夏さま」
自分のものながら鬱陶しいほどに長い髪が手際よく結い上げられ、整えられる。こちらの百面相をものともせず、これまた手際よく施されていく化粧。目元と口元に紅を引くときは、さすがに「閉じてください」と言われたが。
用意されていた朝餉も美味かった。本当に、年不相応に良く出来た従者である。
「清秋、なんだこれは」
「紫硝です。こたびの慰問は各国よりの学徒が滞在する学の間ゆえ、友好の証として身につけられるのがよろしいかと。紫硝は各国に産地がありますゆえ」
「成程。……む、重い。硝子のくせに重い。耳たぶが引き延ばされる。千切れてしまう。この耳飾は却下で」
「その考えが却下で。耳飾ごときで千切れるようなお耳でないでしょう。いい加減、お立場を弁えてくださいませ。いいですか、琉夏さまは、」
「わかったわかった」
つらつらと意味無く小言を重ねる年下の従者から逃れるようそれを奪い取って、自分で着ける。鏡に映るむっすりした小娘の顔、差し色の暗紫が陽を通し光った。
一通り終わったとみるや鏡台から鏡を外し、鏡筥の中へ仕舞ってぱたんと蓋を閉じる清秋。彼は先ほどの手筥と重ね、それを両手に持つ。
「なあ清秋、特に不具合があるわけではなし、もう少し準備の刻を遅く始めてもよいのではないか?」
「良くはありません」
かの手に渡ると筥がやや大きめに見えるな、と意味無いことを考えた。
「今のあなたさまは責任あるお立場。万一のことあれば、先だって動かなければならないのです。よって、日の入り七つ半には起床なさっていることが望ましいと思われます。起床が難しいのなら就寝の時刻を早めればいいのです。よって、」
「わかったわかった」
だはあ、と淑女しからぬ溜息をつく。そして厚く重い装飾を纏い、私は立ち上がる。恭しくも周到に、最後の装飾である薄衣を広げて待つ従者。そこにすっと腕を通せば「完成」だ。
朝の静謐を裂くよう、一本だけの簪の音が響いた。幾すじも細く分かたれた短冊は細密な彫りが施され、静かながら高い特殊音が鳴るのだ。
細くも強靭な一本の糸が、たわみを赦さず張られるように。
「お勤めのお時間です」
「ああ」
この音が鳴ってからは、私は私でなくなる。
涼やかな風が吹く、秋の空。
朝早く起床し、手早く準備し、足早に移動する。王宮の端に位置する通称「学の間」は、諸外国よりの留学生がこの国の文化教養を学ぶため日々集う学び処の一角だ。隣接しているのは彼らの寝泊りする宿舎。
いちはやく着席していた何人かの学徒らが私達の姿を認め、驚く気配と静かなざわめきが広がった。続いて入室した顧問官が呼びかけたことで、わらわらと私達の周囲に集ってくる。
十数年前より始まった「交換学徒」という制度、要は国と国における人質の交換し合い。国の豊かさによって扱いも違い、友好度によって態度も若干変わる。
ここ秋橘国における交換学徒は、おおよそが平等な扱いだ。一国を除いて。
「我が国の『星』琉夏様です。此度は学徒さま方の慰問にきてくださいました」
講壇の手前は半円状、開かれたその場で私は頭を下げる。短冊の簪が擦れあい、細かく音が鳴った。
「琉夏にございます」
「『星』様、お逢いできて光栄です!」
「ぜひともお見知りおきを!」
「これほどお美しい方が『星』とは……!」
複数の学徒たちがこそばゆいくらいのまなざしを向けてくる。ここ半年余りで慣れた視線、それでも私とそう変わらない年頃の若者ら。それぞれと形式ばった挨拶を交わし、やがて散っていった彼らの中、立ち去らない一人が居た。周囲の学徒とは何か違う雰囲気を漂わすその様に、瞬時に察しがつく。
(ああ、これが)
隣国製の上物の官服を纏ったその若者は腕組みをしたまま、訝しげな表情でこちらを見ている。官服随所に品よく、しかし主張気味に刺繍されているのは椿の花。また刺繍糸の色に合った耳飾りを着けており、それは私の両耳に光るものと恐らく同じもの。だが、加工縁は比べ物にならないほど高価な金を使っていることが遠目でも知れた。大国の中央地域で採れる純金だ。ひとすじも乱れ無く結わえた黒髪を漆紗の冠に収め、胸を張った立ち姿で強い視線を送ってきている。会話をしたいようだったので目で促すと、こちらに少しばかり近寄ってから若者は口を開いた。
「――秋橘国の『星』どのは随分とお若い。それに、」
なぜ苗字が無いのか。その疑問は横で控えていた顧問官によって説明される。
「琉夏様は民間のご出身ゆえ、士華の名を持たれておりません。我が国は、宮上がりになるに縁づくりの下準備をする風習がございませぬゆえ」
「ほう」
王族の血を引くらしき高貴な学徒は、瞳を嫌な風に眇めた。この世界において、私のような立場の者が苗字を持たないのは至極珍しい。通常、少しでもその威光を示すため、例え貧農の出身であっても身分のあるものと即刻養子縁組し、足場を固め後ろ盾を確保する。しかし、私達の国に限ってはそうではないのだ。
「その少年は」
「これは清秋といいます。私の従者です」
「『禿』か」
「そのようなものです」
「そして民間の出か」
「はい」
横合いに居る清秋をちらりと視界に入れ、顧問官に向き直って、大国の若者は嘲るように言った。
「我が国で禿は館での身支度手伝いをするのみであり、このような場所に付き従う存在にあらず。『星』はともかく、士華でもない者、しかもこんなこどもの出宮を許すとは。さすが秋橘。春椿とは常識が違う」
「……」
小国を明らかに見下した声調に、新任の顧問官が言葉に詰まったのがわかった。それはそれとして、私個人としてもこの場の空気はいただけない。
橘花が金糸で織り込まれた朱袖をふわりと靡かせ、一歩前に出る。清秋をなるべく若者の視界から隠すように。簪がまた、鳴った。
「若輩に加え高貴な名も持たぬ一民ですが、それゆえ人心を示すに易いと自負しております。これなる清秋も私に輪をかけ年若ですが、最低限の官礼教養を身につけておりますので粗相は致しませぬ。尤も、貴国の士華に仕える禿様らには遠く及びませぬが。ただ、我が国は『星』ばかりか宮の決まりにおいても独自の路線であることは事実。それゆえご理解いただけない点はあるかと存じますが、その旨、寛大なるお心で砕いてくださればと」
頭を下げ、耳飾りの紫が絶妙に光を跳ね返す角度でもってなるべく健気に見えるよう微笑む。清秋曰く「必殺・猫被りの笑み」である。
「……こどもとは言え、『星』である貴女の従者に対し無礼な物言い、失礼を」
「いいえ」
同じ色の耳飾りを傾かせ、うっすらと頬を染め謝意を示してくれた若者に、私は内心でほっと息を吐く。一緒に頭を下げた顧問官も目で謝意を伝えてくるのがわかった。
春椿国は、大陸一の大国であり強国。一学徒といえど、下手に機嫌を損ねたら秋橘国はひとたまりもない。学徒の報告ひとつで戦争になることすらあるのだ。強国から来た人質は、人質といえど腫物のような扱いをされるのが常なのである。
こういった言い返しが出来るのもひとえに私が『星』であるから、そして上っ面が良いから、それだけの話だ。猫被りは得意。
「さあ、席におつきください。あと半刻ほどで本日の第一講義が始まります」
「『星』どのも同席なさるのか」
「はい。第一講のみですが」
「つくづく意識が異なる。『星』は護られ傅かれるものであろう。それに貴女は元民間人。どうして秋橘はこのような場に『星』どのを引っ張り出すのか。それに我々のような他国の交換学徒とこう軽々しく挨拶が出来るのも不思議だ」
大国の人間は小国に対し、大抵が上から目線で無意識に無礼なものだ。平和外交においては特にそうである。そしてこの彼は若く直接的に物を言う分、割とわかりやすい。
「……我々は滞在国からそれなりの扱いを受けてはいるが、母国への恨みから嫌がらせは受けるし実質いのちは軽い。この学の間は王宮の中央よりも警護が遥かに甘いはず。かのような場所に一国の『星』が軽々しく出入りするなど、正直この国の通識を疑う」
先ほど顧問官に対し見下した言い方をしたのも、ひとえに身分階位に対する感覚的な違いや個人的な正義感によるものだったらしい。
(態度は大きいけれど、悪い人ではなさそう)
「春椿国では『星』は神殿にて庇護されているものとお聞きしました。ですがここ秋橘ではやはり、決まりが異なりますので」
「決まり。それにしてもその決まりとやらは緩すぎはしないか。大事な『星』である貴女に、護衛の一人もつけないとは。士華の名は無くとも『星』として敬われるべきと思わないのか」
がやがやと集ってくる他の学徒、そして講主らの声や気配を横に、私は微笑んだ。
「護衛ならば、ここにおります」
顔を向ける先に、目礼をした清秋が居る。総髪にぴしっと着こなした小袖、凛々しい雰囲気纏う年端もゆかぬ少年。
若者の目が、丸くなった。その両頬の近くで、私と同じ紫の輝きがちかりと光を反射する。高貴な金の照り返しを伴って。
「――は? これが、」
彼が何かを言うのを遮るように、私は視線を前に戻す。
「さあ、第一講が始まります」
「あ、ああ」
「起立。――」
そして、若者とは反対側の隣に侍るその少年を横目でちらりと見る。
一瞬の視線で、慰撫するように。
(清秋、よく我慢した)
視線を受けた清秋は、ふ、と頬を年相応に緩ませる。まるで穂波がふとそよぎをやめたような微笑み。それも他人が気づかぬ程度の刹那の情景である。
「――礼。本日第一の講義を始めます、その前に―ー」
気づいていた。常ならば涼やかな面持ちを崩さない少年従者が、春椿の学徒に対し密やかに殺気を募らせていたことを。ざわざわと、風も無いのに不自然にざわめく草木が、不吉なるものを予感させるように、かの殺気は私達を色濃く取り巻いていた。気づいたのは、やはり私だけであったが。
もう少し前に出るのが遅ければ、この和やかな会場は一変していただろう。
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『星』。
世を治むるは天よりさだめられた天子。しかしいつの時代か、神とも等しいその地位が脅かされる。天子を偽るものが乱立し、争乱はすべてを飲み込み、世は乱れ地は荒れた。
人々の嘆きに応え、天は新たな規律を寄越した。それが彼ら『星』である。
『星』はかたちが定まっていない。時に言葉を解さぬ動物であり、物であり、更には空より降ってきた石ころだった時代もある。ただ、その在り処を識るのはいずれも「人」であった。
数十年に一度、『星』と同調する人間が国のどこかに出現する。彼らは『星』への導き手であり、『星』が国内に在る限り幸運に恵まれ、健やかに生き続ける。砂浜にて砂のひとつぶを探すよりはと、国は『星』の導き手を確保し手厚く庇護した。そしていつしか、『星』という言葉はその選ばれし「人」自体を示すようになった。事実、彼らが不幸に見舞われた時は国も同調するように衰えていったからだ。――否、国が衰退の危機に在る時に彼らもそれを感じ取り弱っていく、の方が正しい言い方だろうか。
私利私欲を以て彼らの存在を悪用しようとした輩は、どの時代も存在した。しかし実際、その手段が長続きした例は殆どない。そのような環境に晒された『星』は多くが急速に弱り、遠からず死んでしまうからである。他国へ逃げた者は、しかし母国から追ってきた者に害され、母国もまた同時期に亡んだ。どうやら『星』なる人々は良くも悪くも国と一体であり、その未来がどうなるかは政治の腐敗度の他、同国民が彼らをどう扱うかにもよるらしい。
不思議なことに、彼らは所在をどこにしようと他国の民に影響されることは無く、同国民に粗末に扱われない限り精神的に害されることも無いらしかった。物理的な害により命を終えたとしても、愛国の意があるならば彼らは今わの際に次なる『星』を示し、国も亡ぶことがない。
大切に扱えば扱うほど『星』は輝き、潰えたとしても次なる『星』が産声をあげる。国を発展維持させたいと望む賢き者らは自然と、『星』なる彼らを害意悪意より丹念に護り、且つ拘束せず自由を許し、国への愛着を強めたほうが良いと悟る。『星』を護るということは、「人」としての安寧を護ること。一国民である彼らを心身健やかにさせるということは、すなわち国を豊かにするということ。
『星』とは。
天よりさだめられた導きと裁きの使者。見えぬものを視、聞こえぬものを聴き、触れるはずのないものを手にする。呪いよりも不確かに、されど卜占にて示される吉兆を誰よりも早く何よりも確かに顕現す。
そして何より、国の平穏が象徴。
民から敬われ、識者権力者より珍重され緩やかに監視されるもの。
彼らの居る国は、栄える。
彼らが見捨てた国は、滅びる。
興ては消え消えては興る人の国。しかれど百の年を超えるほど続いた国なれば、富の流れと利益に従い人の思想はある程度定まるものだ。多くの信心や畏敬を纏い、『星』なる存在は政治体制に関わらず、国を纏める上で必要な位となった。
ただし、通常の政務にたずさわる権限は無い。彼らの保身のためにも、関わらせないのが正道ゆえである。
星はただ夜空にあり、定められた位置にて決められた光を発し、暗闇に惑う者にこそ道を指し示す。人の灯りが多ければ多いほど、眩しければ眩しいほど、その光は遠くなる。
戦乱の世においては光明。
太平の世においてはただのお飾り。
それが、『星』。
なぜ、『星』は『星』なのか。
どうして、その身が『星』であるとわかるのか。
『星』が生まれる瞬間にたちあった者らは、口々に言う。
「『星』は『星』が決めるのだ」と。
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澄み渡った青が、秋の上空を幾重にも覆っている。
それと揃いの風が、実った稲穂を、作業する人々の額を撫でて何処かへと消える。宮の扉より出でた私達の頭上をそれは通り抜け、簪が高く細かい音を立てて鳴った。
「先ほどの春椿の学徒どのは、中々に博識であったな。立場と若さゆえに口に蓋をすることが少ないとみえるが、基本的には気持ちの良い殿方だった」
「……」
「なぁに不貞腐れておる。焼餅か」
「違います」
「人気者は辛いなァ」
「違うと言っているでしょう。――琉夏さま、かの者はあくまで外つ国の民です。あまりお気を赦しになりませぬよう」
「へいへい」
「傍に人がいないとはいえ、言葉遣いが乱れております」
「わかったわかった」
私の後に付き従う者が、そっと隣に並ぶ。口うるさくも、差し出してくる肩掛けは温かい。
「……もう、二年か」
「はい」
温かな布を巻き付け、横顔を向けたまま呟くと、穏やかな返応が聴こえる。
『星』となって二年。そう生きると決めてから、季節は早くも二巡りした。
(もう二年なのか、まだ二年なのか)
時を数えるのは詮無きことなのかもしれない。しかし、秋を感じるたび思いを巡らせざるを得ない。この道を歩き出した時から、ずっと傍に在る従者の存在と共に。彼は時と共に確かに成長し、しかし芯にあるものは出逢った時と変わらず、いつでも静かな面持ちだ。内心で、何を思おうとも。
従者を伴って、いつもの景色が中を行く。活気のある都の色。人々は往来し、荷を運んだ車は均された路を音を立てて過ぎゆき、しかしその殆どが私を見て道を譲る。中には恭しく頭を垂れて挨拶をしてくる者もいる。
「『ほし』さま、こんにちは!」
「こんにちは」
たたた、と走り寄ってきたのは顔なじみの幼子だ。いつも元気よく挨拶をしてくれるこの小さな女の子は、確か近くの乾物屋の娘。
「おいしかったの、これどうぞ」
小さな両手で差し出されたのは笹葉の包み、中身を解くと出てきたのはしっとり粉を吹いた干し柿だ。この季節では一般的な、しかし中々類を見ないほど肉厚で大きなもの。
「美味しそうだね。もらっていいの?」
「うん! ……じゃなかった、はい!あのね、おばあちゃんが、ことしの柿はほうさくだって言ってました! 『ほし』さまにも食べてもらいたいと思った、思いましたので! おすそわけです!」
まんまるい頬が赤くなり、きらきらと瞳が輝いている。慣れない敬語といとけない口調が混ざっている様子が、実にかわいらしい。
「こんな立派なものを、どうもありがとう。いただいておくね。おばあさまにもよろしく」
「うん!!」
宮近くに居を移して一年と半年、余所者ながら顔なじみはそれなりに増え、あちこちで『星』として訪れている事実もあり、こうして親し気にしてくれる者は増えた。都にて金糸で橘花を模った衣をまとうのは、士華かそれなりの高官かに限られている。そのどちらでもない私は、ひとえに『星』である目印を纏っているようなものだ。都人の多くはそのことを知っているがため、往来では敬意を以て、そして親しみを込めてくれるのだ。
ただ。
私が幼子から干し柿を受け取った直後、突き刺さる視線が増えた。敬意や好意的な注目でない、冷徹な監視の視線が。
「……」
視界の片隅で、何気ない素振りをしつつこちらと歩調を合わせてくる者が、幾人か。街中や衆人の場では、護衛という名の監視に十重二十重と囲まれているのはいつものことだ。この手にある柔らかな包みは、この市街地を出ると同時に没収され中身は捨てられるだろう。
――『星』は、他国民には決して害されない。しかし、同国民には害される危険性が常に付きまとう。ゆえの警戒態勢であり、必要処置だ。
でも。
(せっかくの干し柿なのに)
あの子の小さな両手は頬より真っ赤だった。きっとこの空の下、私が通るのをずっと待っていたのだろう。
「……清秋、」
数歩後ろを歩く従者に、小声で語りかける。
「後で、干し柿を買っておいて」
「はい。言い訳は『いただいたものが美味しかったので親類の者にも贈りたい』でいいでしょうか」
「ああ」
一を呟けば十の察しが返ってくる。実に有能な従者である。
色無き風がまた、簪を揺らし音を立てた。涼やかなそれは、郷愁の思い出も誘う。
(……母さんは元気かな)
寂しい時もあれど、しかし辛いと感じた時は無い。そう信じたい。
紅と黄の山粧いから剥がれたものが降り立った、水面。錦の波はうつくしかれど、水の冷たさと足がつかない底の深さを目には伝えない。滝や泉への身投げが多いのも、山へ分け入った者が行方知れずになるのも、錦秋のうつくしさに惹かれ惑わされたせいだとくだらない言の葉が何かを覆い隠すように舞い降りる。
この季節は、陽が落ちるのもはやい。井戸の釣瓶に例えた諺は、どこの国のものだったか。そして秋の宵闇は、常よりも魔物が湧きやすい。人のこころに気鬱をもたらしやすい季節でもあるのだ。
どこまでも涼やかで、されど気づけば不吉に昏い。
この秋空のような少年従者は、今日も私の隣で静かにたたずむ。
※ここでの「禿」は「年少の小姓」という意味合いです