そろそろ飽きてきた
やばー
これは偏見だが、跳び箱を跳ぶのが得意な人は他人との距離を詰めるのが上手い。
少しの助走で箱の天辺に手をつき、軽々自分の体を持ち上げて、瞬きをしたときには既に両手を広げて向こう側に立っている。そんな感じで距離があったはずの彼らは、心の壁を越えていつの間にか隣でにこにこ笑っている。さらに不快に思わせないものを持っているから、隣に立っていることに気づいても、あら、どうもと会釈で受け入れてしまう。四段の跳び箱すら満足に飛べない私には到底できない所業であるが、彼らにとっては染みついた動きなのだろう。
私のアルバイト先にいる跳び箱選手が、まさにそうなのである。
大学生とやらはアルバイトをして自分の遊ぶ金を稼ぐのだと親に教えられ、それではと飲食店に電話したのが三か月前。その数日後に面接からの採用通知を受け、今日まで楽しく皿洗いに勤しんでいる。スポンジに洗剤をつけること以外に能がなかった新人アルバイターに懇切丁寧に仕事内容を教えてくれたのが、その跳び箱選手だった。
学年が三つ上、年齢は四つ上だと教えてもらったときにこれが大学生というものかと感動した私を笑いながら、一日の仕事内容について詳しく教えてくれた。誰かと親密になりづらい性分のせいで大学の仕組みについて無知だった私に、知り合いの一年生を紹介してくれたのもその跳び箱選手だった。
入学したのが四か月前。アルバイトを始めたのが三か月前。皿を割らなくなったのが一か月前。
そして、木曜日の夜晩御飯行こうよ、と誘われたのが、先週の話だ。