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死を恋う神に花束を 白百合を携える 純黒なる死の天使  作者: 高坂 八尋
プレ公開『三章 棘の迷宮』

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16.棘の迷宮 微笑みの底の底

16


 ジェイド達三人は延々と続く、何の変化もない廊下を歩き続けていた。左右の壁には等間隔に扉が現れていて、その様といえば左右対称でまったく変化という変化が無く、歩いても前に進んで行くという感覚が失われている。まるで、動く歩道に捕らわれて、同じ場所へ留まり続けているような、精神状態に追い込まれてしまう。

 と、いうわけで苛立ちも募るというわけで。

 まとまりがまるで無い三人組は、ぐだぐだ、ぐずぐず、廊下を歩き続けるしかなかった。話しもあまり合わないので、途切れ途切れの会話の中で、意思の疎通をするしかない。ジェイドはせめてカイムが居てくれれば、ここまで雰囲気の悪い状況にはならなかっただろうと思う。カイムが際限無くジェイドの発言を許すものだから、主人へ色々好き放題言ってしまうが、カイムは紛れもなく代表であり、当主であり、主人だ。対人において、カイム以上に長けた男など、そうそういないであろう。変人共を取り持ちまとめる上手さを、ジェイドは既に飽きる程経験している。

 ――癖の強い猟犬共を従えるのだから、奇異もあるまい。

 ヘルレアが呻き声を上げると、顔を(しか)める。

「しかし、本当に何も変化がないな」

「扉が開くわけでもないから、飽きちゃったな!」オリヴァンが欠伸(あくび)をしている。

 そしてまた、何が攻めて来るわけでもないので、ジェイド、ヘルレア、オリヴァンの三人は何の目的もなくただただ歩き続けているしかなかった。

「これ、歩いて意味があるのかよ」

「確かに、女王蜂が何者も突破出来ないと言っていたからな」

「なあなあ、もう歩くの止めない? 俺っち疲れちゃた」

 ヘルレアがため息をつく。

「もう動くの止めるか?」

 ジェイドが頷くと、オリヴァンはさっさと床に座ってしまった、と思ったら廊下へ横になってゴロゴロし始めてしまう。

 ヘルレアの端整な顔が引きつった。

 ――人外であるヘルレアの方が、常識人と言うこの有様。

 ジェイドは身体では無くて心が疲れた。カイムに負担がかかるから、なるべく精神は安定させて置きたいものだが、この三人組というのは結構辛いものがある。

 他人の事は言えないが、やはりどうにも癖が強過ぎる。

 ヨルムンガンドを筆頭に、王の血筋である変人、そして影の隊長を任じられた猟犬。もう、正直無茶苦茶だろう。どこをどう取っても、個性を打ち消す事など不可能なくらい主張が激し過ぎる。

 ジェイドも仕方なく床に座ると、ヘルレアもそれに続いた。すると、ヘルレアは壁を何度も軽く叩き始める。音を聞いているようだった。

「駄目だな。壁打ち抜いてどうこうという代物では無い。得体のしれない術の内にあるようだ」

「そうか、せめてカイムの元へ帰れればよかったのだが」

「相変わらずジェイドちゃんは、ムー君が好きだね。麗しき愛だね。おっさん同士相思相愛だね。それは、良かったね。あはは」

「誤解を招きかねない表現はご遠慮願います」

「なんだよムー君って。始めてそんな呼び方聞いたぞ」

「俺氏、若かりし頃はカイムの事を、ムー君って呼んでたんだよね。学校でいつも、カイムはムスッとしてたからムー君。カイムのムじゃないんだな、これが。これ、大事なポイントだよ」

「あの、へらへらしているカイムが?」

「え? そうだよ。ヘルレア王知らないのー? ムー君はさ、笑わないんだよね。いつも独りで……」

「オリヴァン殿、我が主のお話はどうかその辺りで……」

「ジェイド、私は聞きたい」

 ジェイドは迷ったが、口を噤む事を選んだ。ヘルレアがカイムに関心を寄せている。ジェイドはあまりカイムの話が出来ないが、オリヴァンならばカイムの話を制限無く喋れる。滅多に無い好機なのかもしれない。正直どうしようもないオリヴァンだが、カイムとの近しさで言えば、申し分ない程の長い付き合いをしているのだ。ヘルレアとカイムの距離が、縮まるような展開へ話が転がるよう祈るしかなかった。

 ジェイドは主人から、更に意識や感覚を固く閉ざした。けして聞かれないよう、傷付けてしまわないように。

「ヘルレア王はムー君の事が聞きたいの? いいよ。面白い話いっぱい教えてあげる」

「学校に行っていたのか?」

「全寮制の男子校だよ。ムー君は確か七才くらいで来たんだったかな。教室で入学の挨拶する時さ、無表情なの。それにさ、目をいっつも伏せ気味にしてさ、お上品なんだけど、これが空っぽで」

「空っぽ?」

「何を言われても、何をしてても、何も感じていないみたいでさ。笑わないし、怒らないの。感情が無いみたいに。皆、あっという間に不気味がり始めてさ。だから、直ぐにムー君を誰も構わなくなたちゃったなあ。寮の部屋も、ノヴェクの超絶坊ちゃんムー君だけ、特別に独り部屋にしてもらってたし」

「大分今と印象が違うな」

「あ、そんでね、ちなみに成績はめっちゃいいんだよ。ムー君はさ、鉄板の、勉強なんかしてるところを、一度も見た事が無い系男子、なんだな。教室でもただ静かに座ってるだけって、クラスの子皆気が付いていたよ。先生もね、昔から学園御用達なノヴェクん()の子、しかもその中でも特別なムー君に触れたくなかったみたいでねえ、居ないものとして先生は過ごしていたみたいだよん。あはは、酷いもんだよね」

「カイムなら疑問を挟む余地もない程、有り得そうだな――特に教師関連が」

「でさ、こうなると学校の皆も当たり前にムー君を避けるよね。でもさあ、イジメはなかったよ。だってムー君よく分からないけど、恐いんだもの」

 ジェイドは唇を強く噛む。聞いているのが辛かった。分かっていたのに止めなかった。何よりヘルレアへ聞かれるのが何故か苦しかった。

「あのボンボンが恐いっていうのは想像つかないが。まあ、そもそもヨルムンガンドの私が恐怖をどうこう言っても、どうしようもないが」

「やっぱりヘルレア王は世界蛇だから、判らないんだと思う――秘密だけど、俺っちは今でも、あの、ほんのり(くら)い緑の眼が嫌いなんだな、これが。さっきは、怒らないって言ったけど、実は本気で怒ると怖いぞー! 俺っちは長い付き合いだからね、色々知ってるんだ。ヘルレア王も試しに怒らせて見ればいいよん。多分、()()()()()が解るから」

 ジェイドは思わず顔を強張らせる。

「……おい、楽しい陰口の時間はそろそろ終わりにするか。もう、いい加減、飽きて来た。別にボンボンの事聞いたって何の得にもならないしな」

 ジェイドは、はっと、してヘルレアを見つめる。

「ジェイド、お前唇切れてるぞ」

「……そうか気が付かなかった」袖で口を拭う。

「陰口は楽しいよねー! ムー君、今ああだけど、本当は昔と何も変わってないもの――あれならそのうち、あっという間に元に戻るんじゃない? ……猟犬はさ、気を付けた方がいいよ。ね、カイムの可愛いい()()()()()

 オリヴァンが薄く笑んだ。

 ジェイドはオリヴァンの強い悪意を感じて、眉を顰めそうになる。だが、ヘルレアの顔がほんの一瞬だけ険しくなった事に、ジェイドは偶然気が付いて、嫌悪感が不思議と鎮まった。

 ――オリヴァンは、明らかにカイムから猟犬への虐待をほのめかしている。

 オリヴァンと言う男は、カイムの友人だ。だが、猟犬は気を許すべき相手ではないと了解している。カイム本人は気楽にしているが、それはカイムがオリヴァンとの付き合い方を心得ているからだ。一般の人々が考える友達とは質が違う。カイムの生きる世界における人間関係というのは常に、細心の注意を必要としている。また、その交友はいつでも切り捨てる覚悟を求められるが故に、カイムは変人オリヴァンを残すのみで、独りを選んでしまった。

 カイムの言葉を想い出す。


 ……あいつは真っ直ぐでないだけ、付き合い易い。僕はあいつとの関係性が、如何なる理由で無くなっても、傷付く事はないだろうと思う。オリヴァンも僕へ親しみを感じて付き合っているわけではない、だからそれは、ただの腐れ縁というものかもしれないな。


 オリヴァンは独りで嬉しそうにしている。

 ヘルレアは壁に寄りかかると目を閉じてしまった。

 ジェイドには、カイムを傷付けるだけにしか思えない話を、ヘルレアへ聞かせて意味があったのかは判断出来ない。

 無意味だったのだろうか。だが、無意味な悪口で済むなら、それでもいいのだ。

 良かれと思って聞かせた事が、逆にヘルレアをカイムから遠ざけてしまったのなら、多くのものを傷付けてしまっただけになる。この結果をジェイドが知る時が来るものかも分からず、“向こう側の女達”のみが、その流れの先を知るばかり。支流は先細り枯れ果てるか、それとも本流へと姿を変えて行くのか。


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