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3.死兆の翳り

 部屋の中央に据えられた会議テーブルで、それぞれに複雑な表情をした男達が席へ着いている。皆一様に高価な背広姿であり、ブランド物のカフスやネクタイピンを、まるで何かの勲章の様に身に着けている。腕時計は、乗用車以上に値が張るであろう代物ばかりで、競うように誇示していた。室内は重たい沈黙に包まれ、しきりに溜息をつく者、腕を組み眉を顰める者、カイムを睨み付ける者と、誰もが落ち着かない様子である。

 役員会議室である。ヘルレアとの邂逅から翌日のことであった。

 席に着いたカイムは、突き刺さる視線をやり過ごしていた。

 役員は血縁者で固められており、部外者を寄せ付けない。

 ステルスハウンド関係者はノヴェクの一族、その縁者、あるいは不幸にも双生児と深い関わりを図らずしも持ってしまった者達だ。社会の汚物入れは、暗黙の了解の上で存在し続けている。

 「カイム、今回の件は度が過ぎているぞ」

 部屋の最も奥まった場所に席を取る初老の男が、口火を切った。男は、白髪交じりで象牙色になった金髪を横分けに流し、山吹色の瞳をしている。歳を重ねながらも、この場に居合わせた誰よりも目を引く男で、彼の発言で居合わせる役員達が息を呑む。彼は、役員等の視線を一瞬で集めた。

 ロレンス・ノヴェクは、カイムの大叔父にあたる人物で、役職で言うなら相談役の一人という立場にある。しかし、相談役総取締りが高齢の今、実質組織内での最高権力者である。ロレンスは通常、会社には居ないが、危急時になどにのみ意見を求められて役員会に出席する。

 役員達は好き勝手にロレンスへ賛同の意見を述べ、カイムを糾弾する声を上げ始めたが、彼は無言の圧力で黙らせた。

「言い訳は致しません。どの様な罰も承知の上で、行ったことです」

「お前一人が罰を受けて済むような類の問題ではない。あれは、下手をすれば何を起こすかわからない生き物だ。思い違いをするな、あれは人間ではない。どれだけ姿形が同じでも、中身は別物だ。まだ、子供だと侮って軽率な行動に出たのだろうが、あれが精神的に未熟な時代など、生まれて数年ほどにしか過ぎないのだ」

「王を侮ったことなどありません。だからこそ、正面から嘆願したのです。既に我々には、取るべき選択肢はないに等しい。このまま何もせず、あの暴君が起こす騒ぎを場当たり的に鎮圧しても、ただ翻弄され続けるだけでしかない。現に、片王が誰と番えて、どのような組織を巣にしているのかさえも、我々は知らないではないですか。今までのやり方で続けても、何が変わるというのです。当たり障りのないことばかりしていては、何もしていないことと変わりがない」

 ロレンスは重い溜息を吐き、目を瞑る。

「カイム、お前の言っていることは確かに正しい。しかし、どれだけの正論であろうとも、するべきではないこともある。ノヴェクの人間であるお前が、分からないわけがあるまい」

「分かるからこそ、ヘルレアに願ったのです。私情など挟む余地などない現状で、最も正当で効果的な戦い方があれば、それを取らずにどうすると」

「……勝つことが、全てではない。カイム、人道にもとれば戦う意義を失うことを忘れてはならない。たとえ我々が犬であったとしても、その本質は人間でいなければならないのだ」

 ロレンスは同席する血族達へ目を配る。彼の強い視線に耐えられないのか、男達は居心地の悪そうに目を逸らしていた。カイムはロレンスの鋭い眼差しを見据えた。

「今更、守るべき人道など、どこにあるというのでしょう。ノヴェクが今までに散々踏み躙った者達へ、その科白が言えますか。既に我々は、自らを人であると言えるほど、人間性を持ち合わせてはいない」

「お前がそう思うのならば、なおさら人であろうとするべきだ。たとえ、我々が過去に何をしてきたとしても、正当化したことは一度もない。だからこそ、こうして戦い続けているのだ」

「安全な場所で、成果を聞くことが戦いだと言うのですか」

「命を張るだけが戦いではない――この時節に代表を変えることはできない。お前はそれを分かっていて、動いたのだろう。望み通り、あの暴君が真の王として立った時、尻拭いをしてもらわねばなるまい」

 ロレンスはそれ以上、誰にも有無を言わせず席を立つと、役員会議室を去った。それが解散の合図だった。役員達が続くように一人、また一人と去って行くなか、彼等のカイムを見る目は険しく、侮蔑を顕にしていた。カイムは最後の一人が去ってからも、席から立たずに目を瞑り続けた。

 会議室は空洞のようで、耳に痛いほどの静けさに包まれている。煌々と点された照明は、どこにも影を作らせる余地を与えず、重役等の空になった議席を(つまび)らかにしている。椅子は白々しいほどに厳めしく飾り立てられ、権威の偶像としてカイムを取り巻いていた。むしろ、議席が空である方が役務の重みがいっそうに明らかなようだった。

 与えられた役目が、相応しいとは限らない。そして、あえて不相応な者を就かせることも確かだった。議席を与えられながら、果たしてどれ程の役員が務めを成しているというのか。何事もなあなあでやり過ごし、どれだけ悲惨極まりない結末を迎えても、年末の祝祭を暖かな家で家族と共に祝うのだ。双生児の蹂躙がいかに苛烈を極めようと、役員等はするべきことはしたと、何の呵責もなしに浜辺で寝そべり酒を飲む。

 カイムは目頭を押さえて頭を軽く振ると、右の手指を握り締めてから、弛緩させるを繰り返した。背もたれへ身を預けると深く息を吐いた。

 役職の継続は予想しえていたことだ。まだ、組織のスケープゴートとなる役割が残っている。ロレンスはカイムの思惑を全て了解していたことも驚くに値しない。ロレンスは優しくはないが、愚かではない。

 ロレンスは、カイムの向こう見ずな行動をある程度、容認している節がある。カイムほどの若年を代表として据えるのだから、覚悟の上でのことだろう。

 役員会を最後にして、失態についての事後処理はおわった。ロレンスの決定は絶対である。

 取り扱う議題については迅速さが肝要故に、その場で裁決するのが恒例であった。また、書面に残すことは禁忌とされている。裏を返せば不明瞭な口約束と、その場しのぎの処刑場でしかなかった。

 自分だけが浮き上がろうと、泥を互いにかけ合いながら、誰も逃れられずに溺れていく。カイム自身も例外ではない。沈むことが確定しているのだから、いつ溺れるのかが問題なのだ。

――最悪な状況で引きずり落としてやる。

 くつくつと、乾いた笑いが漏れた。カイムはそのまましばらく、議席で身を遊ばせていた。


 カイムが執務室へ戻ろうと、廊下を歩いていると野太い声が呼び止めた。ジェイドが手を挙げて、背後からやってくるところだった。

「丁度、会議が終わったようだな。その様子を見るとやはり地位は続投と言ったところか」

「なんと言うか、予想通り過ぎてある意味落胆したよ。まだ、解放してくれる気がないのかとね」

「だろうな、あの連中にカイムを蹴落とす度胸は今のところない。もちろん、今のところは、な」

「叔父は時季の見極めにおいては、右に出る者はいない。だからこそ、あれだけ体のいい立場に収まっているのだから。このまま、逃げ切るつもりだろうね。僕も見習っていれば、今頃は重役出勤ができただろうに」

「お前がその程度の役割で、甘んじていられるような人間なら、既に命はなかったのではないか。頭の使い方を知っていても、保身に走るようではいずれハイエナ共に食い散らかされるしかない」

「進退窮まって、いっそのこと相討ちをと、選んだ僕はなかなかの猛将ではないかな」

 ジェイドは小さく噴き出して笑う。

「今現在、その蛮勇に付き合わされる兵卒の身にもなれってんだ――ところで、連絡事項がある。二班の定時連絡が絶えている。珍しいことではないとはいえ、留意しておいてくれ」

「あの律儀なオルスタッドにしては珍しい。苦境に身を置いてなければいいが、もし何か王への手がかりがあったのだとすれば……」

「いっそ、巣にでもかち合ってもらいたいくらいだがな。最近は、使徒さえ、ろくに見つけられていないのだから」

「使徒さえ動かない事態は留意すべきだな。近頃、あまりにも静か過ぎる。王が下僕を故意に押さえ込んでいるのかもしれない」

「嵐の前のなんとやら、にならなければいいが」


4


 その日、夕刊の一面は新会長就任の話題で賑わっていた。新たな会長は年若く、端正な顔立ちで話題性は充分だった。一紙のほとんどが協会関連の記事で埋まりかねない程である。何カ月もの間、会長の席が空いていたために、無理もないことだった。ノイマン会長の死が残した翳りは深く、協会関係者の不審死が相次いだとの話も、巷で囁かれて絶えることがなかったという。

 新会長、アンゼルク・ルドウィンが、黒い噂を跳ね除けて颯爽と会長へ就任したことによって、世間は歓迎ムードに包まれた、というのが各新聞社の見解である。

 カイムは読み終わった二紙目の新聞を低卓に置くと、革張りのソファ横に置いた大型ラックから、新たな新聞を取り出す。

 新聞では、にこやかな表情で新会長が写真に写っている。癖のある栗色の髪を遊ばせたままにしているため、それが童顔に拍車をかけており、学生の入学記念写真を見ているかのようだ。

 ソファと向かい合う大型テレビには、昼間に行われた会見が繰り返し放送されていた。いい加減、話題が尽きてしまい、同じ情報ばかりを何度もアナウンサーは伝えていた。

 カイムは仕事が終わると、居間のソファで新聞を読みながら、テレビで録り貯めたニュースを見るのが日課である。

 カイムは以前からアンゼルクを知っている。協会幹部の一人であり、人柄は温厚で人望もあり、風貌からか女性から特に支持が厚かった。手腕もなかなかに優れており、次期会長候補の一人であった。しかし、何故就任にこれだけの時間がかかったのだろうか、とカイムは思う。候補と目されていた者はそう多くはなく、なによりもアンゼルクと次候補の間にある支持率に、雲泥の差があった。それは、部外者のカイムにも一目瞭然であるほどに、人気の格差が目に見えていたのだ。アンゼルクはパフォーマンスの上手い男だ。

 協会は強大な組織だ。空席が続けば続くほど、混乱の規模は大きくなるのは必須であり、次世代運営の妨げになるのは明らかだった。

 カイムは読んでいる新聞を途中で放り出すと、ソファに寝転がった。マツダが小さく咳払いをしたが、カイムは構うことなく目を瞑る。居間の一画にあるテーブルで、マツダは夜食を整えていた。

 ステルスハウンドの館内一画にあるカイムの私室である。部屋は、暗緑色をした絨毯を敷き詰めた床に、生成色の壁紙という落ち着いた色調でまとめられている。昔、ノヴェクの一族が住居していた頃とほとんど変化がなかった。

 マツダはわざとなのか、低卓の新聞を大げさに振りながら畳み始めた。

「カイムさま、お食事の用意が出来ましたよ」

「少し仮眠させてくれ。メールの返信がまだ終わっていなくて、これから取りかからなければならないんだ」

「最近きちんとお休みなさっていますか。お食事もろくに取っておられないようで」

「ヘルレアの件で立て込んでいた分、色々と仕事が後回しになっていたんだ。これ以上溜め込めば、双生児と関係なく能力不足でクビが飛ぶ。それでは、笑うに笑えないだろう。三十分後に起こしてくれ」

 マツダはテレビを消して、部屋の照明を落としてから、毛布を持ってきてカイムにかけた。

 それから、幾らも経たずにマツダが起こしに来ていた。

 眠り足りない気もするが、少しだけすっきりとした頭で起き上がると、低卓に置いていた電子端末を取り、エマへメールを書く。既に深夜過ぎであり、通話は控えたのだ。本の発送についての進捗状況を尋ねる文言を送信した。

 カイムはPCへ転送しておいたメールに、返信をするため書斎へ行く。

 書斎はかつての主人が使用していただけあり、かなりの面積を割り当てられていて、建具の本棚が壁を覆い尽くしている。更に本棚を追加したものだから、ちょっとした図書館の様相を呈している。しかし、当時の住人が所有していた本も残っている上に、更にカイムが後から本を搬入したため、本棚に収まり切らない本が数多くある。

 カイムは隅に置かれた机に着き、PCで返信を書き始める。

 机はカイムが持ち込んだもので、ごく簡素な無垢木の机であった。書斎で本以外に、唯一カイムが外から持ち込んだ家具が、この机であった。カイムが入居した時、書斎でありながら机が置かれていなかったのだ。執務室の机は書斎から持ち出されたもののようだった。

 書斎は静まり返り、カイムがキーボードを打つ調子の速い音だけが響いている。

 一刻過ぎてようやくメールの返信が終わり、乾いた目を瞬く。つい目を擦りながら立ち上がり、本棚が林立する場所へ行くと、棚に埋もれるようにして、長椅子が一つ置いてある。猫足の長椅子は濃紺に染色された絹張りで、毛布が無雑作に投げかけられていた。カイムが仮眠用にと倉庫から引っ張り出してきたものだが、最近は主な寝床になっていた。長椅子の傍には小さな卓があり、デジタル時計と、水差しにコップが添えられて置いてある。マツダは水差しへ、常に新鮮な水を入れて置いてくれた。

 ヘルレアへの接触が実を結ばなかった今、マツダには急いているように言ったものの、仕事を急ぐ必要はなかった。メールの返信は礼儀以上の意味はないのだし、実のところ重要な件であっても、彼が居なくとも組織は十分に立ちいくような構造なのだ。カイムの代表という役職は、名前だけにしか過ぎない。所詮は、大義を行うための条件を整えるお飾りだった。

 カイムは長椅子へ横になると、うとうと(﹅﹅﹅﹅)とし始めた。

 ヘルレアの顔が思い出される。氷の彫像であるかのようなその容貌は、畏怖を呼び覚ますと同時に嫌悪を感じさせる。後者はおそらくカイムの私情であろう。普通ならば、その美しさに眼を奪われる。この世で最も美しいと言われる“向こう側の女達”その子供だというのならば納得もできるであろう。しかし、“女達”を実際に見たという者達は皆無だ。歴史を紐解けばおそらく接触した者もあろうが、現在に置いては存在しないと断言できる。

 電子端末が着信をしらせて、画面を見ると玩具屋(クリムゾンダイス)という送信者が表示されていた。

『西アルケニアと東占領区が戦争状態に突入。オルスタッド等入国の可能性大』

 たったそれだけの文面が目に飛び込んできた。カイムの眠気は一瞬にして吹き飛び、まろび出るように書斎を後にした。

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