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死を恋う神に花束を 白百合を携える 純黒なる死の天使  作者: 高坂 八尋
第ニ章 猟犬の掟

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27.独り夜空を眺めるあなたは幼いままで

34


 カイムは独り執務室にいる。

 ただぼんやりと考え事をしては、自分の仕事においての失敗、またその先と価値を模索する。彼の失敗というものは、実際のところ常に失敗と言える程穏やかではなく、人はそれを既に罪というのだろう。

 カイムは考えはする。でも、後悔も、悲嘆も、ましては贖罪もしない。如何なる情に寄り添う事も、無意味だと長年の経験で知っているからだ。時には面倒事にも当たるものだが、金銭で幾らでも人の心は動こう。それでも駄目なら、いっそ、始末してもいいだろう。カイムには許される。赦されるのではない。許可されるのだ。全てを円滑に進める為に。滞らないように。腐らないように。


 なのに――。


 ――また、僕の猟犬に傷が付いてしまった。


 過ぎった言葉を噛み締める。こういう考え方をするのも久し振りだった。カイムはまるで自分が記憶喪失になっていたような心持ちになった。長い間、本当に長い間、封印して来た真実からの主という意識。失われ続けたそれを甦らせるのは、ある意味ごっこ遊びの終わりと言うのかもしれなかった。

 それもまた人は罪というのだろうか。カイムの細やかな幸福。それを守っているのも、またカイム自身だとしても。

 チェスカル達三人は、今回傷付き過ぎた。何が彼等をそこまで傷付けてしまったのか、カイムには分からなかった。希釈という穏やかな手段を選んでしまったからだ。

 報告から考えられるのは人の死んだ数、少女の存在、それとも敵の質なのか。彼等は幾らでも、どんな状況でも、安定して仕事を遂行してきたというのに。

 ――いっそ、本当に記憶を掘り返すか、剥奪してしまおうか。

 そうして、いつの間にか自分が際限無い非人道的な思考に取り憑かれている事に気付くのだ。

 少し力を行使しただけなのに、もう歯止めが掛からなくなりそうだった。

 そして、カイムは戻れないのだと思い知らされた。ヘルレアとの口づけで分かった情動の激しい変化と、猟犬の異変。カイムは自分自身を完全に解放しないと、ヘルレアとは行為に及べない。殻を愛欲の中で保つ事が出来ないのだ。そしてもし、これ以上力を解放し続けたら、カイムは引き返せなくなる。

 ――本当に終わってしまうのか。

 約二十年、カイムの人生の半分以上を自己の抑制と猟犬の使役に費やして来た。

 ――僕は猟犬を愛している。

 猟犬の主人には、主人にしか分からない感情というものがあるという。歴代の主人達は猟犬を虐げ、殺そうとも、確かに愛していたのだろう。


 そして、カイムは猟犬に――。


 人になって欲しかった。


 共に暮らして欲しかった。


 本心から愛して欲しかった。


 ――僕は真実、傀儡(かいらい)の王だったのだ。


 カイムの方こそ、過去の主人達よりも余程、病的なのかもしれない。

「もう、十分だろうか……」

 誰かへの問いかけにも似た声音。

 けして答えのあるはずが無い言葉に、目を伏せるしかなかった。

 ――赦してくれとは言わない。()()の為だったとも言わない。ただ、穏やかな夢の道標になってくれた事に、感謝している。

 カイムは誰へ向けるで無く、独り薄く微笑んだ。

 それは呼吸をするかのような自然さで、カイムは世界に無限の広がりを感じた。彼は天も地もない深い闇の中に、取り残されていたのだ。そうして彼は意識を巡らせる。星々が応えるように瞬きを始めて、捕らえようのない塵が雲のように流れ始める。カイムは星降る世界へ溺れるように、独り座っていた。彼を取り巻くのは際限のない星空だった。

 カイムは完全に自らを固い殻から解放した。十代から枷した戒めを自ら解いたのだ。それは突発的に解き放ったような、歪な世界ではなかった。

 ――ああ、僕の心というものが、こんなにも美しくて、残酷な世界である事を忘れていた。

 街を歩くより騒がしいというのに、それでいて煩わしくない。複雑な心の喧騒がカイムを取り巻いているが、その中においても必ず、主人を思う猟犬の心が眩く光っている。

 なのにカイムはどこまでも独りだった。

 ――この世界を知る僕は、もうずっと開きたかったのだろう。

 ――それでも僕は、心を選びたかった。

 カイムにはどちらを選ぶ事も惜しかったのだ。あまりにも純粋無垢なカイムだけの世界と、カイムや猟犬を人と偽装する夢の世界。そうしてカイムは後者を選んで、無理に無理を重ねて、破綻する前にヨルムンガンドと会ってしまった。

 カイムは今以上に猟犬を虐げるのだろうか。愛しているのに、どうして自らの都合で(もてあそ)んでしまうのだろう。いつか本当に取り返しの付かない虐待を重ねて、かつての主達のように猟犬を玩具へ変えてしまうかもしれない。

 ――でも本当に大切なのは。

 カイムが本当に守らなければならないのは、猟犬でも、ノヴェクでも、ましてやヘルレアでもないのだ。今を懸命に生きる無辜(むこ)の人。ただの人間を守らねばならない。生まれ、遊び、学び、働き、愛し合い、子を持ち、年を取り、そして死んでいく。

 カイムが本当に愛さねばならないのは、そんな、ただ現実と向き合い、細やかに戦っている人々だ。

 カイムはそんな人間の生活、社会が揺らがないように側にいる。それはけして手放しに正義とは言えないだろう、むしろ場合によっては悪として唾棄(だき)すべき存在かもしれない。猟犬の悪習がそれを最も表してる。でも、それが人を――エマのような人々を守る為に必要とされるなら。

 ――遺してあげられるだろうか。

 エマが愛する人と暮らして行ける、幸福な世界を約束してあげられるものだろうか。

 もし、それが叶うのならば、猟犬と地獄へ堕ちても構わない。

 虐待と苦痛、愛憎と悲哀、性と死。

 カイムはいずれ自分が堕ちる無間地獄に、過去の主人達を見るだろう。

 カイムには救済を乞う神はいない。

 何故なら彼自身が、神として君臨するように育て上げられたのだから。

 ――全ては、子供の夢だったのだろう。

 カイムは自分が十二才ですっかり大人になっていたのだと、ならざる負えなくてなったのだと思っていた。でも、それは違うのだ。カイムはもうずっと殻に籠もる雛だったのだ。

 長い夢を見ていた。

 外から目を閉ざし、責任から逃れようとしていた。

 ――猟犬との向き合い方を。

 傷付ける事を恐れるばかりに、カイムの時間は止まってしまっていたのだ。

 扉を叩く音がして、ヘルレアがいつの間にかそこへ立っていた。扉は内側から叩いていたらしく、扉の開閉音にカイムは全く気が付かなかった。

「何をしているんだ、淫乱」

「酷い呼び掛けですね」

「好き放題触っといて、よく言う」

「あ、それは言われると痛いです」

 カイムはへらっと笑う。

「あそこまで淫らな事されたのは初めてだ」

「では、僕が責任を取りましょう」

「責任取ってもっとエロい事する気か?」

「取る責任の内容には触れないでください」

 ヘルレアがカイムの元へ来る。そうすると鼻を摘み上げた。

「何を柄にもなくヘコんでやがる」

「そうですか? いつも通りですよ」微笑む。

「ヨルムンガンドを甘く見るな」

「何を仰るやら」

「お前は今も……星空で独りなのか?」

「どこでそれを聞いたのですか」カイムは目を逸らす。

「そんなの知ったことか」

 カイムはため息をつくと、立ち上がってヘルレアの側へ歩む。

「心の形と言う絵本はご存じですか」

 ヘルレアは首を振る。

「心というのは、人それぞれ形と大きさがあるのです。例えばある人の心がコップとするなら、入れられる水の量が決まっています。何故ならその人の容量はコップ一杯分しかないからです。コップを心の形だとすると、コップへ入れる水は何を表しているでしょう」

「心だから、気持ちか?」

「気持ち、そうですね感情。そして、今回のお話で着目するのは負の感情です。心のコップに入れた良い事や何気ない事は、簡単に乾いて次が待ち遠しくなりますからね。

 反対に辛い事や悲しい事は、中々乾いてはくれません。悪ければどんどんと溜まる一方になるのです。でも、心はコップ一杯分しかありません」

「コップが溢れたらどうなる?」

「破綻するでしょう。いずれコップに()()が入ってしまう。壊れる。病気になってしまうのです。だから普通はその前に、忘れます、摩耗します、良ければ癒えるでしょう。これは人間の心に対する極めてありふれたイメージですね。絵本で子犬に読み聞かせます。ヒトがこの話を聞いて、受け入れるに難しくはない」

「だが、お前は……」

 カイムはヘルレアの前に立つ。

「僕の心の許容量は無限なんです」

 カイムは覆い被さるようにヘルレアを見下ろす。どこか危険な距離感が二人にはあった。カイムは身長が百八十センチを越える。それに対して子供のヘルレアは、百五十センチ半ばくらいしかない小ささだった。他人が見れば明らかに大人の男であるカイムが、ヘルレアを威圧しているようにしか見えない。

「脆くて弱いコップを守る為に、際限無く記憶や感情を奪い続けられるのです」

「心が無限だろうが、お前はそれで平気なのか、それが傷付かない理由には聞こえない」

「聞いても意味のない話です」

「それは私が決める」

「僕は物好きな主人です。いつも猟犬の心を無視出来ない。でも、実際のところ心というのは物と同じように消す事は出来ないのですよ。有を無には出来ない。出来るのはただ移動させる事だけ。僕は猟犬の心が傷み過ぎれば、つい移動させてしまう。そして僕は死ぬまで記憶や心を夜空に見ます。僕の心の許容量は無限です。そしてまた特別なところがあります――けして壊れることはない代わりに、忘れる事も、摩耗する事も、癒える事もしない」

「カイムはそれでいいのか」

「それはそれは美しいですよ。苦痛と悲嘆、その晴れない塵に溺れていくようで」

「マゾかクソ野郎」

「溺れて、二度と這い上がれなくなりそうで」

 カイムは膝をついて腰を落とすと、そっとヘルレアの背中に手を回した。彼自身と視線の近くなった、小さな身体を抱き締める。身体が全体的に薄くて骨張っている。本当に性別がないのだと、当たり前の事をカイムは実感する。瞼を深く伏せて、泣けない自分を自業自得なのだと噛み締めるしかなかった。ヘルレアは拒絶しない。何故かカイムは、もう何年も感じていなかった安らぎを抱いた。

 ――この子は死だというのに。

 カイムは戦う事を強いられた生よりも、自分の腕に抱く死の方が愛おしかった。

「カイムは子供みたいだな。心の動きが拙い」

「心の動き?」

「どんな風に育ったら、お前のようになるものだろうな」

「……夢を見ていたんです。もうずっと」

「目が覚めたなら、それでいい」

「でも、僕は何かを取り返しようも無い程、傷付けてしまうかもしれない」

「いいじゃないか。考えてたって仕方が無い。カイムは他の人間が望んでもけして手に入らないものを持っているとは思わないか。お前の力でどれだけのものが護れるかを、考えた方が余程賢明だろう」

「ヘルレア……ありがとう」

 カイムは頭を(はた)かれる。

「抱き着きやがって、少しでも下心があればぶっ飛ばしてやるところだ。キス程度で距離が縮まったとは思うなよ。あんなもの前戯にも数えない」

「何となくは分かっていましたから、これ以上傷を抉らないでください」

「塵に帰して浮かべとけ」

 カイムは微笑むと、ヘルレアから身体を離した。

 不思議と情欲が安定している。ヘルレアに対しての激しい渇望がなくなっていた。ヘルレアが言ったように、本当に下心というものが鳴りを潜めてしまった。何が変化の原因かと考えてみると、ヘルレアと口付けしてから、悶々とした気持ちがすっきりなくなっている事に気が付いたのだ。

 ――単純に性欲を発散したのか。

 カイムはその考えに至った時、余計にヘコんだ。色々考えたくない事が多すぎた。カイムはまた折れそうになる。

「何をまた俯きやがって。いい加減にしろ。もう知らん――お前、首領(ボス)だろ子供に泣き付いている場合か?」

「どうかしましたか」

 ヘルレアがため息をつく。

「何も見えてないじゃないか」

 カイムが驚いて館内の猟犬を感じると、ジェイドの光が欠落している。

 ヘルレアから飛び退ると、今更ながら子供に甘えていた事が恥ずかしくなって、口元を抑えた。

「そんな、参ったな。何故ヘルレアが」

「愚鈍な奴に教えてやるわけないだろ」

「失礼、用事があるので」

「しっかりしろ、()()!」

 ヘルレアがカイムの背中を叩いた。

 王の言葉に、カイムは背中を押された気がした。



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