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死を恋う神に花束を 白百合を携える 純黒なる死の天使  作者: 高坂 八尋
第ニ章 猟犬の掟

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23.偽りの世界と知りながら

26



 某国の病院で最も設備が整っているという、某国自らの案内の元、重体の猟犬は搬送されたのだが――。

 ある程度安定し始めて、充てがわれた病院の個室は、あまりに埃っぽく擦れていた。

 だが、入院している当の本人は見て回れるような身体ではなく、眉をひそめたのはサポートする猟犬ばかりだろう。

 オルスタッド・ハイルナーはただ天井をぼんやりと見ていた。彼の頑健だった身体は、二度と動く事がないのだと、彼はもう理解していた。

 ノヴェクは既にオルスタッドを見棄てている。それを隠しもせず、彼にかなりの無理を強いて帰館させる準備にはいっている。何故なら、ノヴェクの秘密を守らなければならないからだ。生きた猟犬を一匹でも手の内から離す事を嫌っている。

「オルスタッド、帰る用意が出来ました」

 オルスタッドはクロエに声を掛けられ、初めて彼女の存在に気づいた。僅かに焦点が定まらず、よく見慣れたクロエの顔を心の中に思い描いた。意識がぼんやりとしている。オルスタッドには理由が分かっていたので、ただ、その穏やかな朦朧とした世界を、揺蕩(たゆた)っていた。

 桃色の前髪はぱつんと切り揃えていて、長さは肩まであり後ろで括っている。瞳は淡い紫色と、肌は東洋形の淡桃色系という今一人種区分の分からない女性だった。

 ――どちらかといえば外界形民族のような。

 クロエ・メロウはオルスタッドのサポート役として、ここ東占領区近辺の国にある病院へ訪れている。

 彼女は元々(ゴースト)雑用(サポート)として働く猟犬だ。しかし、雑用と言えども次期影として控えている存在で、オルスタッドの後任として直ぐに抜擢される可能性もある。何故ならクロエはオルスタッドが育てた猟犬だからだ。女性の猟犬は大抵の場合、男性の猟犬に体力が劣るのが普通だ。女性の猟犬で兵士として高い階級を持つ者は、体力を上回る技術を身に着けている事が多い。

 今現在はこのクロエ・メロウと、更にベル・ヴィッカがカイムの側に――まだ雑用(サポート)だが――置かれている女性兵士だった。

「クロエ、帰ったら部屋を片付けて置いてくれるか」

「それは、勿論」

「全て処分してくれ」

「オルスタッド、それは……」

「迷ったんだが。でも、クロエなら分かるだろうと、分かってしまうだろうと」

「そんな、酷い!」

「それは、違うよ。カイム様はね、私達に夢を見せてくださっているんだ。猟犬へ絶対に与えられるはずの無いものを、無理して最期の最期まで。けして夢が覚めないように」

「夢?」

「カイム様が今の引退や報償金等、人間らしい報償や制度を定めたんだ。でも、君ははっきりと分からないと思う」

「報償金? 子犬の頃に習った気がします。でも、気がするだけで思い出せません。元々、私はあまり詳しくありませんけど、それは昔から……あれ、昔っていつかしら? それに先輩は、皆確かに引退していて、その後――まさか、嘘よ。そんなの嫌」

 クロエは(ふる)え、その視線がオルスタッドの動かなくなった身体へ注がれると、直ぐに見てはいけないものを見てしまったかのように、眼をさまよわせた。

「おそらく、それはカイム様の御心(みこころ)ではないだろう。仔犬の手を引いてくださるあの方を、思い出さずにいられようか。役目の重い猟犬や仔犬の心を、今も変わらず肩代わりすらしてくださる。あの方は、猟犬が逃れようもなかった非情な歴史を夢へ変えてくださった」

 クロエは口を押さえている。

 オルスタッドは切なく微笑んだ。もう一度、クロエの顔が見たかった。このヒトらしい感情に、オルスタッドは愚かにも最近気が付いた。

「なんて美しい夢幻(ゆめまぼろし)だろうか」

「私達は一体何なのでしょう」

「もう一度機会を与えられた、幸福。それを生きる罪と罰」

「幸福? 罪と罰……」

「クロエは猟犬になった事を後悔しているか?」

「カイム様にお会い出来ただけでとても幸せです」

 オルスタッドはクロエの口から、カイムという他の男の名前が出るという不快感を想像してみた。だが、カイムという主人の名前からは何一つ不愉快さは生まれようはずもなかった。

 よく馴染んだ希釈されていく感覚。恐怖という感情が紛れ解け合い薄まる。それはカイムの無意識で行われる処置の一つだった。猟犬が主人の望まない状態になった瞬間、力が主人の意思無しで効果するという。


 ……君ならば、向き合えるだろうか。


 ……剥奪されるのは侮辱に感じよう。


 あの時、カイムは諦めを顔に浮かべオルスタッドを見ていた。オルスタッドにだけは、必要以上の希釈をしないと約束してくれたのだ。


 ……望めばいつでも、夢を見せてあげるから。


 ……終わらない夢を約束しよう。


 特別に許された(うつつ)の記憶。

 事実だけ記憶に残して、感情は薄く散じる。捉えられないクロエを見つめた。クロエがどこともしれないところを見ている。

「クロエ……?」

「どうしましたか。オルスタッド」

 クロエは何事もなかったように掃除を始める。

 オルスタッドは微笑む。

 ――だから、恐れずに話せたものだが。

 余計な事も話す流れになって、少し可哀想な事をしたか、とオルスタッドはため息をつく。彼はちょこちょこ動き回るクロエを視界へ収め続ける。元の病室よりも綺麗にしそうな勢いで掃除をしている。

 もう去らねばならないオルスタッドには、クロエへ抱いた感情を伝えるような、迷惑極まりない行為は出来なかった。こればかりはカイムも直ぐに手を加えてはくれない。

 それでも、人間らしい生き方を選ばなかった後悔はない。ただ探究するまま望むままに生きられたことは幸福なことだろう。

 オルスタッドは意識が揺らぐままに、ぼんやりとしていた。すると瞼の裏に閉塞感のある闇を見つける。一瞬理解出来なくて何度か瞬きしてみる。それ程広さの無い、オルスタッドが三歩か四歩けば壁に突き当たりそうな闇。妄想でも始まったのかと思ったが、カイムの庇護を感じていたので、精神の破綻では無いような感覚があった。

 何か突然作られた小部屋。ある種のVRヴァーチャルリアリティ地味た視界と奥行きの感じ方に、オルスタッドは興味をそそられる。そうしているうちに伏せった瞼の内でなくても、小部屋が存在する事に気が付いた。消せない心像風景の存在に囚われてしまった。意識の中に小部屋が居座り続け、敢えて考え、また見ようとしなくても、存在を常に感じた。

 オルスタッドはその闇が何なのかはっきりと分からなかった。しかしその闇がとても馴染み深いもののように感じていた。ただ無心に闇を探っているような()()()()()()()うちに、酷く懐かしい、主人が与えてくれた夢の残滓を捕えた。何故それを理解出来たのか。オルスタッドはその穏やかなものへ意識を集中する程、自分の記憶が欠落していきそうになったからだ。

 頭を撫でる手が同時に思い出される。

 その瞬間、この闇が自分の心を構成する何かではないかと察した。持って生まれた官能の一部で、何かを切欠に――おそらくはクシエルとの接触を期に――発露してしまったのではないか。そうしてひらめくように思考が及ぶと、青い炎が灯った。オルスタッドはもう意識を離せなくなっていた。

 激しい炎が燃え盛る。だというのに闇はどれ程の見通しも利かなかった。いつの間にかその闇は小部屋ではなくなっていたのだ。閉塞感を失い無限の闇がオルスタッドの中へ生まれている。

 闇に白いものがぽつんと浮かび上がる。それを見ていると、白く細長いものが、闇を撫で回しながら(うごめ)いているのが分かった。

 闇を探っている。確かめている。調べている。

 ――人間のような剥き出しの白い手が、頸元近くまで一杯に露出している。

 理解したと同時に、手が闇を更に(まさぐ)り始める。確実に近付いてくる。

 ――あの手は炎を探していたのだ。

 ()()には大方の感覚が存在しないように感じられた。ただ一つオルスタッドの意識に反応している。気付いた時にはもう遅く、断ち切る方法を探し始めた頃には、手指が滑らかに(うごめ)く様子さえ見て取れた。

 そして違和感に気付く。腕には生々しいミミズ腫れ地味た文字のような入墨が、喰い込んでいた。


 ――名前の庇護。


 オルスタッドは自分が瞬きもせず天井を見ていた事に気が付いた。

 彼は入墨を見た事で我に返った。それを自覚していた。自らの戒めに救われのだ。オルスタッドは小さく主人へ感謝を述べる。

「どうかしましたか?」

「夢を見ていたんだ。悪夢を」



27



 雑用(サポート)のシド・ペテルは眉をひそめる。

 ヴィーがいつまで経っても戻って来ない。カイムの側でふらふらしているのを見咎めて、念の為エレベーター付近で待っていたのだ。案の定現れる様子がない。

 ヴィーはいつも勝手に歩き回っては、カイムへ甘える真似をして迷惑を掛ける。もうヴィーは仔犬ではない。立派な猟犬だ。なのに改める様子が全く見られない。

 シドはヴィーのいい加減なところを見ていると、苛立ちが収まらなくなる。まだ幼い頃ならば、シドもそれ程ヴィーに不快感を覚えることはなかった。しかし時が経つに連れて、いつまでこのような態度で仕事に向き合うのかと、責め立てたくなった。

 だが、シドにはそんな資格はない。先輩と言っても、所詮はただの同僚なのだし。

 ――そして、そもそもヴィーは。

 隊長がヴィーを猫の仔のように引きずって来る。

「離して、たいちょー」

「うるさい、カイムに言い付けるぞ」

「嘘、嘘、黙るから」

 ジェイドがシドを見止めると、安堵したようにため息をつく。

「丁度いい、シド。この馬鹿を仕事へ連れて行ってくれ」

「お任せください」

「うわ、たいちょ。私シド嫌いなの」

「それはよかった、バッキバキに締めてもらえ」

「げろげろ。あたし、()()()()()()もん」

「じゃあ、シド、悪いが頼んだぞ」

 シドは思わずヴィーの細い手首を掴む。

 隊長が立ち去ると、エレベーターを二人で待った。

「離してよ」

「自分で解けるだろう」

 ヴィーは顔を顰めると、腕のちょっとした動作でシドの大きな手を払った。

「なんで、そこで素直に手を離さないかな。だから、女の子に嫌われるの」

「嫌われようが、嫌われまいが、そんな事、ヴィーには関係ない」

「それはそうでした。シドの女関係なんか知りたくもない」

 エレベーターが停まると、先客の猟犬が二人乗っている。シドとヴィーはエレベーターの端々へ別れて乗る。

「お前等また喧嘩してるのかよ」若い猟犬が苦く笑う。

「シドが嫌がらせしてくるのよ」

「人聞きの悪い事を言うな」

「シドもヴィーも、やかましいわ。箱の中では黙れ」仕事をして来た先輩の猟犬が、切れかかっている。

 エレベーターから押し出されるように、二人は目的の階へ下りる。

 何となく二人は黙り込んでしまい、埋める気の無い距離を十分に空けると、無言で作業室へ戻って来た。

 作業室では雑用へ個々に作業台を与えられて、(ゴースト)の身の回りの諸事に当たる。影は九人であるから必ずサポートも最低九人以上在籍するように、猟犬を配置している。雑用とは呼ばれながら、シド達は紛れも無く選び抜かれたエリートだ。単なる雑用というより、影に育成されている段階だと認識する方が正しい。

 作業室には、よりによって誰もいなかった。

 ヴィーは案外と素直に作業台につくと、様々な備品の点検を始める。彼女の手際は驚く程よく、手間という手間もかからずに作業工程を進めて行く。

 シドは違う意味でため息をつく。

 ヴィーはおそるべき天才肌なのだ。そして同時に超攻撃特化型の恐ろしい猟犬でもあった。シドはヴィーに一生勝てないという考えに憚りはないし、彼女へ限っては恥だとも思わない。何故ならシドには正常なヒトらしい恐怖心があるからだ。

 ――上の方々もヴィーくらいなら、ちゃらんぽらんでも赦すのだろう。現にカイム様はこいつに甘い。

「知っているか? お前は次期(ゴースト)候補だと噂されているぞ」

「え? 私はやだなー」

「何故だ。取り立てていただけるなら、喜んで受けるべきだろう」

「だって、影になったら何かと任務へ行かないといけないじゃない。カイム様と離れるのは嫌だよ」

「変な奴だな。主人のお役に立てるなら本望だろう」

「それは男とは違うもの」

 シドは口を噤む。ヴィーに言われて初めて気付いて、そして彼女に気付かされた事に驚きを覚えた。

「……まあ、まだどうなるかは分からない」

「シドだって候補じゃない。今回副隊長を含めて三人除隊しちゃったから、アトラスとシドが新しい隊員だー、って言ってるのも聞いたよ」

「俺は……いや、何でもない。この三人辺りが次の影じゃないかって言われているようだが」

「シドは影になりたいの?」

「取り立てていただけるのならば、俺は何にでも喜んでなろう」

「まあ、出世が出来れば嬉しいわよね。肉片すら帰って来ないかもしれないけど」

「それは猟犬だ、皆覚悟はあるだろう」

「私はそんなのないよ。カイム様のお嫁さんになる」

 シドは微かに眉根が寄る。

「子供じゃあるまいし、馬鹿げた事は言うな」

「馬鹿じゃないよ!」

「だったら何だって言うんだ」

「どうしてシドにそんな事話さないといけないの」

 ――傷付くのはお前だ。

 シドは言葉を呑み込んだ。彼にヴィーの何を否定する権利があろう。彼女の個人的な事柄に踏み込んで、何故傷付けなくてはいけない。

「――忘れてくれ」

 ヴィーがシドを見つめて瞬いている。すると、彼女は大人びた微笑みを浮べた。

「ありがとう、シド」

 あまり聞いた事のないお礼の言葉に、ヴィーから目を逸らす。

 シドは彼女といるのが辛くなったが、その理由は分からなかった。あれ程ヴィーを仕事へ戻そうと考えを巡らせていたのに、今はシド自身が作業室から無意味に離れてしまった。



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