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死を恋う神に花束を 白百合を携える 純黒なる死の天使  作者: 高坂 八尋
第ニ章 猟犬の掟

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20.潰れた卵、夢の終わり

22



 カイムが独りで外廊下を歩いていると(ゴースト)雑用(サポート)であるシド・ペテルの背中を見つけた。

 シドに隠れるようにして、もう一人いるのがカイムには分かった。当たり前のように、隠れているのがベル・ヴィッカだというのが()()()()()

 カイムは過敏になっているよう。

 二人は喧嘩をしている。

「こら、こら。君達は何をしているんだ」

 シドが振り返ってカイムへ礼を取る。

 シドは短髪にしていて、その髪色は橙に近い濃厚な金色だ。瞳は透明感の無い硬質な濃緑色をしている。肌は日に焼ける質ではないようなのだが、白くもない飴色だ。はっきりとした、男性的な顔立ちをしている。

 色味で言うならノヴェクの血が濃い。

 彼の父親は、ノヴェクの人間だった。

「ヴィーが訓練外でチョコレートを食べていたのです」

 ヴィーが面白いくらい図星を突かれたという顔をしている。

 彼女は燃えるような癖のある赤毛を、ショートカットにしていた。瞳はカイムより深い澄んだ緑で、褐色の肌をしていた。配色は狙って揃えたような色合いで、調和がとれ、とても美しい。十九才という事もあって、その活発そうな顔立ちは可愛らしいものだ。

 ヴィーは何か複雑な顔をしていたが、そうしているうちに開き直ったらしく、カイムの背後に回って、シドから隠れてしがみつく。

「ヴィーは何か言いたい事はあるかな?」

「チョコレート美味しいです」

 カイムはその素直な返答におかしくて笑う。

「ヴィーは不思議とチョコレートが食べられるよね。むしろ、とても好んでいるし。でも、ヴィーの場合は訓練や仕事以外で食べるのは止めなさい。君の体質には合わない、許可は出せないよ」

「カイム様、ごめんなさい。でも、シドは直ぐ怒るんですよ」

「お前がいい加減だからだ」

 大分二人は感情的になっている。

 言い合いを始めてしまい、カイムは目の前で指を何度か鳴らす。二人は音に捕らえられたように黙り込んだ。

「二人ともいい子だ。喧嘩はいけないよ。仲良くしなくては」

「はーい」ヴィーがシドへそっぽを向く。

「シドもよく見ていてくれたね。これからも後輩を指導してやってくれ。さあ、自分の仕事へお帰り」

 シドが再び礼を取ってから廊下を歩いて行った。しかし、ヴィーはどこへも行こうとしない。不思議に思いつつカイムが外廊下を行こうとすると、ヴィーが付いて来る。

「仕事はどうしたんだい?」

「仕事はないのです」

「サボったら駄目だよ」

「休憩時間でーす」

 ()()、となんとも嬉しそうな声で、カイムの頸へとしがみつき、背中にぶら下がった。

「ヴィーはいつまで経っても仔犬だな」

「そんな事ありません、ちゃんとおっぱいも大きくなりました」

 カイムはため息をついて、ヴィーを背中から引き剥がした。

「そういう事を人前で言ったらいけません」

 ヴィーは頸を傾げる。

「だって、人なんて誰もいないじゃありませんか」

 それを言われると、カイムは何も言えまい。確かにここには()()()()()人間などいないのだから。

 カイムはヴィーの手を握ると、執務室へと手を引いた。ヴィーは幼い頃から猟犬でカイムともよく交流がある。確かにカイムへぶら下がった時、背中に当たる胸が、驚く程大きくなったものだが。

「馬鹿野郎、ヴィー」聞き飽きた低い声が廊下を駆け抜ける。

 ドスドスと足音を立ててジェイドが現れた。

「また、お前はカイムに引っ付いてたんだろう」

 ジェイドがヴィーの手を掴む。

「やだやだ、帰りたくない」

「ジェイドは休暇だろう」カイムは瞬いた。

「アトラスの奴、ヴィーがいつまでも帰って来ないって俺のところへ来やがった」

「何だって」カイムは頭を抱える。

「いいかげんに……」

 カイムはジェイドの言葉を手で遮る。

「ヴィー、いいかい。君が生き続ける為には働かなくてはいけないんだよ。それは分かるね」

 ヴィーは頷く。涙ぐんで頷き続ける彼女をカイムは抱きしめる。

「僕はいつも側にいて、ヴィーを感じているよ。だから、君に与えられた役目を果たしなさい。そうしたら、いつでも来ていいから」

 ジェイドがため息をつく。

「カイムは相変わらず猟犬に甘いな。これだからヴィーが調子に乗るんだ」

「そうかい?」

 カイムが長身のジェイドへ手を伸すと頭を撫でた。

「絵面が汚いから止めろ」

「嬉しいくせにね」カイムがヴィーへ微笑む。

「くせにね」ヴィーが真似をする。

「カイム、そんなことよりお前、何一人で歩いているんだ」

 カイムは笑って誤魔化す。ヴィーが猟犬だとしても一応は女性なので、それが仕事でない限りは、ヘルレアとの性的な行為に失敗したとは、目の前で言えまい。

「あまり一人で歩くな、猟犬でも何でも呼べ」

「なら、私がお供する」

「お前は駄目だ。別の仕事があるだろう」

「ご主人様の命令を優先してもいいって先生に教わったもん」

「お前は躾の為に自分の仕事優先だ」

 ヴィーはジェイドに連れられて素直に仕事へもどって行く。

「カイム様、また後でね」

「お前はまた、カイムの邪魔をする気か」

 カイムは二人を見送る。そうしてぼんやりしていると、見えなくなっても、延々とジェイドとヴィーが意識から離れず、刻一刻と状態が変遷し続けた。弾かれるように自分の行動に気付いて、猟犬への手を断ち切る。殆ど無意識で主の力を使うなど十代の時以来だ。カイムは言い知れない不安を感じ、自分が一人切りである事に安堵を覚え、より固く心身を閉じるのだった。



23



 カイムが執務室にいると、何となく誰かに肩を叩かれたような気持ちになり、本を読む手を止める。重い背表紙を閉じ切ると、机の端へ寄せる。ヨルムンガンド等の伝説を集めた所謂(いわゆる)お伽噺だった。そのような幻想譚、誰が本気で読む者がいよう、それがいるのだから現実というのは嫌になるものだった。しかも、それを本気にしているのが、国家が暗黙の了解で存在を許し続ける、武装集団だというのも笑えないだろう。

 カイムは執務室へ足音が近付いて来るような気がして、手を空けておいた。そうしていると、直ぐに扉が叩かれた。

 入室を許可する。

「ただいま帰館致しました」

 二頭の猟犬が執務室へ訪ねて来る。同じくらいの身長で年齢をした二人――百八十五センチ前後の青年――が僅かに疲れた様子で、カイムの前に並んだ。

 ユニスとエルドが胸に手を添え、頭を垂れる。仔犬が一番最初に習う礼儀作法を、完璧そのままカイムへ尽くした。

「お帰り、ユニスにエルド。ご苦労だったね」

「畏れ多い事でございます」 

「楽にしなさい」

 二人は自然な姿勢で立つ。

 カイムは無言で二人を眺める。その二人と言えば主人の様子へ何の反応もせず立ち続けた。

――猟犬とは健気なもの。

 カイムは二人をよく観察する。

 エルドは丸っこい顔立ちをしていて、肉が削げていてもそれは変わりがなかった。完全に骨格の特性でどうにもならず、本人は気にしている。彼の髪はチョコレートのように濃厚な色をしていて、剛毛という感じの毛質だ。綺麗に刈り込んでいて、見た目も感触も毬栗(いがぐり)そのものだった。だが髪の強い色素に反して、不思議な事に、瞳の縁は青く輪を描き、虹彩へ向かう程黒くなる。

 反面、ユニスと言えばパーツだけ見れば顎の細い優男(やさおとこ)風だ。チェスカルと同じくらい髪は軟毛でクリーム色をしていて、おまけに巻毛だ。瞳は青く澄んでいた。ちょっとした王子様の体なのだが、残念ながらエルドと同じく本当に()()()が良すぎる。猟犬なのだからと言っても、日常で女子職員からのパーツは格好いいのにな、という呟きを本人と聞く気まずさよ。

 カイムは頷くと微笑む。

 とても満ち足りていて()()()()()

 カイムは満足した気持ちでペンを握る。

「さて、事の次第はジェイドと話すといいけれど、彼には休暇を出した。でも、多分ジェイドは、そうそうに動き出しそうな感じだな」

「隊長はじっとしていられなさそうですね」エルドが口を引き結ぶ。

 ユニスが小さく手を挙げる。

「カイム様、発言をよろしいですか」

 カイムが頷くと、ユニスはほっとした顔をしている。

「今、ヘルレアはどうしているのでしょう」

「いらっしゃるが、詳しい事は影を集めて話した方がいいだろう。他に質問はある?」

 カイムが無意味にペンを動かしていると、手からペンが弾き飛ばされて床に転がった。まるで二人が本当に猟犬(ハウンドドッグ)のような俊敏な反応で飛び掛かる。カイムのペンを手にしたのはエルドだった。カイムの元へ来ると片膝を折り(うやうや)しくペンを掲げる。

「落とされたお持物はどうなされますか」

 エルドは落ちた物を触るかどうか聞いているのだ。

「いいよ、君にあげる」

「ありがたき幸せ」

 まるで宝物でももらったように、エルドは子供の無邪気さを溢れさせて笑う。厳つい青年ではあるが、カイムに取ってはいつまでも仔犬(パピー)だった。

 カイムは微笑むと毬栗頭を撫でる。仔犬の頃から髪が(こわ)すぎて、どうにもならないとすっかり刈られてしまうのだ。手触りはとても気持ちよくて、カイムには好もしいのだが。

 そうしていると、胸を焼くような負の感情に気が付く。自分は何をそんなに不快になっているのか考えてみても理由が見つからない。カイムは何の切欠もなくただ突然に理解した。ユニスがストレスを感じている。それはあまりにも分かり易い嫉妬だった。まるで子供が年下の兄弟に親を独占されたような、面白くなさと寂しさだ。

 カイムは笑いそうになったが、同時に自分の制御能力の低下を思い知らされた。猟犬の情動を知らずしらずのうちに集めるようになってしまったのだ。

「エルドはもう下がりなさい。後は影で集まって話し合うことにする。ユニスは残りなさい」

 エルドが下がる。ユニスは身の置き場がなさそうにしている。

 カイムが机を探ると、ポケットに入るくらいのペンライトを取り出す。筒身は傷だらけで使用感が激しい。

「皆には秘密だよ」カイムが指を口元へ添えるとペンライトをユニスへ渡す。

「頑張ったからご褒美。でも、もうオルスタッドに一つあげて、これ一個しかないから。ユニスに内緒であげる。絶対に誰かへ言ったら駄目だよ」

 ユニスが親密な共犯者の顔付きで、大きく頷く。カイムからペンライトを受け取ると夢中になって見つめている。

 カイムの前では猟犬は皆仔犬のようだ。

「ありがとうございます、カイム様」

「じゃあ、お帰り」

 ユニスの機嫌はあっという間に直ってしまった。何か特別な事がない限り、ユニスとエルドはカイムの下賜したものを一生持ち続けるのだろう。

 あのペンライトは戦時中カイムが私物として使っていたものだ。あの仔達はカイムの特別な私物を特に喜ぶ。だから、エルドには大分可哀想な事をしたか。カイムにとっても考え深い品を、同時に居合わせたユニスだけに下してしまったのだから。

 ユニスが特別なわけでも、エルドを(ないがし)ろにしているわけでもない、ただ、そういう流れになっただけ。

――僕にはもう、必要あるまい。

 およそ三年という特別な戦禍で、身に着けていた細やかな装備品だ。

 カイムはもう戦場に出ることは一生ない。一生許されない。

 カイムの心には今でも猟犬達の賑やかな笑い声が響いている。

 そして隣り合うように、濡れた咀嚼音が彼等を食い潰し続けるのだ。猟犬達は終わりの無い死を延々と繰り返す。その姿をカイムは()()()()()()()のだった。


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