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11.惑いの森

12



 病院のエレベーターを下りると、甲高い賑やかな声が押し寄せて来た。

 目の前のホールでは寝間着姿の子供たちが遊んでいる。

 チェスカルと班員二名は看護師に連れられて、個室の前に来た。

「精神的にまだ不安定なので、面会は短時間でお願いします」

 チェスカルは頷くと看護師が扉を引く。

 骨格の発達から見るに、七才の女児が、ベッドに身を起こしていた。

 ボブにしている髪は、珍しい灰白色で、見ようによっては銀色にも見える。瞳は黒のようだが、光の加減で農高な葡萄色だという事が分かる。肌の色は東洋系とまではいかないが、オリーヴ色に近い。その配色は北の計画保護指定隔離民族によく似ている。仕事柄で世界中を動き回るが、滅多に見ない色合いを兼ね備えている。顔立ちはといえば子供らしい子供だ。可愛らしい子だと思う。

「ブドウちゃん、お兄さん達がお話ししたいそうよ」看護師が優しく笑う。

「ブドウちゃん?」ルークが首を傾げる。

「この子喋れないので、名前が分からないんです。それで、病棟の子供達がブドウちゃん、と呼び始めて。それで私達にも定着して」

 ルークが子供の目線に合わせて屈んだ。

「なる程、瞳が葡萄色だからか。なら、俺達もブドウちゃんって呼んでもいいかな?」

 女児が頷く。

 チェスカルが看護師を見る。

「いつ頃から喋れなくなったのですか」

「病院に来た頃には、既に喋れなくなっていました。保安官事務にいる頃は、喋っていたみたいなんですけど」

「ブドウちゃん、お喋りできるかい?」

 ブドウちゃんは頸を振っている。

 ハルヒコがメモ帳とボールペンを出す。

「もう、文字は習ったかな?」

 ブドウちゃんは下を向いてしまった。チェスカルはついて出そうなため息を飲み込む。

――もう、既に就学中のはず。学習が遅い子供か?

 コールデルタは複雑な象形文字を主体としており、表音文字を持たない民族だ。学習が遅れ勝ちな子供も少なからずいるという。

 こういう場合は共通語を使いたいものなのだが――。

 言語こそはかつて大国の植民地だった事もあり、チェスカル等の母国語と、ほぼ同じものも教える習慣があるという。なので、猟犬も特別に複数言語を駆使しなくても、コールデルタの人々とは会話ができる。しかし、それは親子間で続いているに過ぎないらしいので、教育の場というものがなく口語一辺倒らしい。チェスカル等が使う表音文字での読み書きというものが、大人ですらほとんど出来ないという。

――つまり現状、ブドウちゃんは文字が書けない。

「……いいんだよ、ありがとう――お前達、ローザ村へ急ぐぞ」

 チェスカルの裾をブドウちゃんが掴んだ。口をパクパクしている。

「どうしたの、落着いて」

 ブドウちゃんは急いでベッドから下りると、チェストから紙束を取り出し、チェスカルへ渡した。

 拙い人間の絵が描かれている。

 ブドウちゃんの眼には涙が滲んでいて、チェスカルの手を握った。あまりにも小さく柔らかな手を、チェスカルは握り潰してしまう気がして、不安になった。

 画用紙を挿げ替えると、人間の女性らしい絵が出てくる。次々に人の絵が出て来て、チェスカルは首を傾げそうになった。どれもがただの拙い人物画にしか見えなかった。

「ねえ、ブドウちゃん、これは何かな?」ルークが割り込むように絵へと指を差す。黒い線のようなようなものが、書き損じのように付いていた。チェスカルは急いで他の絵を見てみると、どの人物画にも付いている。

「下描き?」

 ルークは人差し指を立てて、()()と、子供へ向かってするようにしてチェスカルへ伝えた。

 ブドウちゃんは何か喋ろうとしたが出来ず、しばらく考えたかと思うとベッドの枕元に置いてあったテディベアを手にする。

 突然、ブドウちゃんはぬいぐるみにダンスを踊らせ始めた。

 懸命にぬいぐるみを動かしている。

 看護師が喜んで手拍子をし始めた。

「あら、素敵。テディベアのダンスね」

 猟犬は誰も笑っていなかった。ブドウちゃんは無表情でぬいぐるみを踊らせているようだが、猟犬にはブドウちゃんの狂気が見えていた。

 ルークはぬいぐるみをブドウちゃんから離した。

「ありがとう、もう、いいよ」

「私達に任せてくれ、必ず村へ帰れるようにしてみせるから」

 ブドウちゃんの口から小さな音が漏れる。静かに待っていると、音が声に変わり、そして言葉になった。

「……おに、ちゃん……をたす、て」

「お兄ちゃん、か。分かった、必ず助ける。待っててくれ」

 ブドウちゃんの口から、それ以上言葉を聞ける事はなかった。



13



 ローザ村へと続く森は、深く暗かった。

 根を下ろす木々の樹高は皆一様に高く、そのどれもが枝の張りが広くて、互いに重なり合い密に茂っている。森から空を見上げる事は出来ず、鬱蒼と天幕を張っているかのようだ。風が吹くこともなく(そよ)ぎすらまともに感じられない。まるで吹き溜まりのように空気は淀み生ぬるい。

 そこは妖族が支配する人外の土地だった。

 人が足を踏み入れる事は殆どなく、入れば命の危険に曝された。

 しかし、その中でも人の切り開いた道がある。ローザ村へ通ずる、ただ一本の道だった。そこだけが人の土地であり、妖も近寄れなかった。

 舗装はしていないのだが――。

 年季の入ったワゴン車は酷い悪路に揺さぶられていた。

 チェスカルは助手席で溜息をつくと、車の窓を全開にする。

 窓を開けて外を眺めれば、煩わしいものから逃れられる気がしたのだ。

「副隊長、これ、揺れ過ぎじゃないですか」ルークが口を押さえながら、車の窓を全開にする。

 聞きたくもない、音が聞こえる。

 何も変わらない。むしろ、余計にうるさい。

 ハルヒコは黙って運転している。

 チェスカル達三人は車でローザ村に向かっていた。それもおんぼろ車で。目立つことは避け、民間人に紛れられる態勢を整えた。ヘリなどで直接村へ向かいたいところだが、土地柄と使徒の種類でそうせざる負えなかった。

「うわ、やば。頭がガンガンする」

 チェスカルは溜息をつく。そして、ハルヒコも。

「ルーク、少しは静かにしろ。副隊長の溜息が聞こえないのか」

「すいません、だって俺こういうの苦手なんですもん。感覚が繊細なんです。少し休憩しませんか? 俺もう……」

「そんなこと出来るわけが」

 ルークが胸の悪くなるような音を、車外へ連発する。

「ハルヒコ、仕方が無い」チェスカルはこめかみを揉んだ。

 ハルヒコが車をなるべく森に寄せて停める。その途端、ルークが車から雪崩れるように飛び出した。

 チェスカルは車のドアを押すと、枝葉が庇となった影に下り立つ。枝の張りが広く、道路にまで深い影を落としている。

「暗い……」チェスカルは眉根を寄せる。

 車道沿いだというのに、森の(かげ)りが忍び寄っていた。

 長らく木の枝を払っていないように見える。それはこの地において、かなり緊急性の高い事態だと分かる。道路まで枝を茂らせつつあるこの樹木は、普通の木ではない。妖樹と呼称される種族で、放っておけば命がけで切り開いた人界の道を失う事になるのだ。

「街の人間は何をしていた」

「仕方がないです。こんな場所に誰も関わりたくありませんよ。村人の行き来が絶えれば、自然、道は荒れていきます。行こうとする俺達の方が異常なんです」背後でルークがカエルのように縮こまっている。

 ハルヒコが運転席から顔を出す。

「生意気言っても格好はつかないぞ」

「俺はハルヒコのようなゴリラじゃないからしかたないんだよ」

「うるさい、野良犬」

「ゴリラ」

 チェスカルが車体を叩く。

「いいかげんにしろ。お前達は子供か。ルーク、そこまで喋る元気があるなら、もう行くぞ」

「待ってくさださいよ。目が回って動けません」ルークはぐったりとしている。

「ハルヒコ、トランクから飲み物を出してやれ」

 ハルヒコは頷くとトランクをあさり、箱で買ったペットボトルの水を出した。それをルークへ渡してやっている。ルークはうがいをするとちびちびと飲み始めた。

「それを飲んだらもう行くぞ」

「ういーす」

 チェスカルはため息をつく。まるで子供の面倒でもみているような気分になってしまう。

 そうしているうちに、ふ、と空が(かげ)った。車道から見上げる狭い空は、いつの間にか雲に覆われていた。

 車道もまた、射陽を遮られ(くら)い。

 雨の兆しがある。

 どこかよくない始まりを感じた。が、自分らしくないと、チェスカルは考えを振り払う。雨はある程度、任務の邪魔になるだけで、それ以上でもそれ以下でもないのだから。

 背中を何かが撫でたような感触に、チェスカルは周囲へ意識を広げる。なんとはなしに車の進行方向を見ると、少女が道路と森の翳り、その境目近くに立っているのが視界に紛れてきた。チェスカルは息を呑み、後退る。ホルスターに収められた銃、その蛇用と汎用のうち、汎用の方へと手を添える。

 少女は全く身動きをしない。(くら)く輪郭線すらはっきりとしなかった。

 細く高い口笛が鳴る。異様に通るのに、こもったような耳閉感がある不思議な音だ。チェスカルが自然に音を追いかけると、ルークが頷いた。

「副隊長、そのまま。絶対にあれヘ焦点を合わせないでください」

「あれは……」

「妖族ですね、妖人。でも、魔獣類に近い。あいつはよくないです。人界すれすれまで来られるのは、強い証ですけど、本来こちらまで来るようなヤツではありません」

「なら、一体なぜ」

「気が荒れているんだと思います。考えていたより状況は悪いかもしれません」

 ハルヒコが緊張した面持ちでルークを見る。

「気?」

「血気で(けが)れているのかも……生き物が沢山死んでる」

「ルーク、アレは倒すべきか?」

「無視しましょう。無闇に血を流せば更に魑魅魍魎共が騒ぎ立つ。人界を明確に確保しているので、あいつは来られません」

 チェスカルは静かに後退する。

 こういう時ルークは別人のようになる。その生まれが石海という特異な場所ゆえと、彼の質ゆえだろうとみるに間違いはないだろう。石海というのは人界ではない。妖魔が跋扈し、神獣すら住まう土地と言われている。妖獣や魔獣というのは人の世界へも重なるように分布しているが、妖魔というのはほぼ隔離されるように生息している。一般的な人間が一生のうち妖魔と遭遇することはない。それをルークは日常的に接する世界にいたのだ。

「うわ、ヤバ。妖人と目が合った!」ルークが車へ突進する。

 チェスカルは倒れそうになる。が、妖人へ銃を構えると、焦点が完全に合った。

 子供はボロ布を被ったように身に着けている。顔は影になっていて見えない。髪は整っていて胸のあたりまで長さがあり、まるで誰かに整髪されているかのようだ。

 何かぶつぶつ喋っている声が聞こえる。チェスカルは耳を澄ませる。

「……大丈夫、気にしないで。気にしないで。気にしないで。気にしないでででき、き、き、き、き」

「副隊長、駄目だ、駄目。声を聞いては駄目です」ルークが開いた窓から車体を叩く。

 チェスカルの横にハルヒコが立つ。

「撃ち殺しましょう」ハルヒコが狙いを定める。

 ルークがハルヒコへ、ティッシュボックスを投げる。

「そいつは殺すな、血で穢れるだけだ――ここを早く離れましょう。騒ぎ過ぎたから、おそらく次が来る」

「誰のせいだと思っているんだ」ハルヒコが運転席へ周る。

 しかし、チェスカルは妖人の目を見たまま、その場に留まった。

 額に脂汗が浮いている。呼吸も忘れてしまう程、妖人へ視線を釘付けにする。

 何か途轍もない圧迫感がある。チェスカルは妖獣、魔獣、妖魔等からなる血気類と争った事は何度となくあった。しかし、これだけ相手の力というものを、手に取るように感じた事はなかったのだ。なぜなら、チェスカルにはそもそも感じ取る能力がない。これはチェスカルが劣っているというわけではなく、人類全般がその感覚を持ち得なかった。これは獣の類が備える極限の感覚と言えよう。

 輪郭さえ精神で再現出来るような。

 人間の内に閉じた、鉛のような肉体には酷く耐え難い。

 心を(まさぐ)られているかのような、行場のなさ。

――これは、駄目だ。

 チェスカルは吐き気を催す。銃の狙いが定まらず、どうしようもなく振れていく。

――何かがおかしい。

「副隊長、どうしました?」

「……目を離したらまずい、おそらく何かある。普通の妖かしではない」

「どういうことですか? あれは確かに妖人のはず」

 チェスカルは口を(つぐ)む。話し続ける余裕はなかった。

「副隊長、すみません。俺、ミスしました」ルークが珍しく緊張している。

 周囲から視線を感じる。

「何が起こっているんだ」ハルヒコが叫んだ。

 チェスカルの視界だけでも、森の中を遠くまで埋め尽くす程の、妖人が佇んでいた。皆、様相は違うが人間でないのは明らかだった。

「これ程までだとしたら、妖魔がいるのかもしれません――こいつら本体じゃない」

 妖人はゆっくりとした動きで、車道へ押し寄せて来る。

「逃げ場を失う、車を出すぞ」チェスカルが無理矢理に視線を断ち切ろうとする、と。

 白く濃い霧がどこからか立ち上って来る。ハルヒコが運転席から周囲を見回している。

「進行方向が完全に没しています」

 チェスカルが助手席のドアノブへ手をかけた瞬間――。

 視界は濃霧に沈んだ。


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