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プロローグ


 その立ち昇る黒煙は、夜空さえ食い尽くすほどに暗かった。

 大地を鳴動させる程の衝撃とともに、住宅が密集する一画が突如爆散したのだ。立ち並ぶ建造物は一瞬にして塵となり、大気に沸き立った。礫が噴出して降り注ぎ、最初の爆発から免れた住宅を次々に襲った。

 爆風で空を駆け上がった粉塵は、建材と砂礫を孕んで柱のように寒空にそそりたっている。

 夜空は巨獣の咆哮に震えているかのようだ。重く低い大気の揺らぎが、大地を押し潰すかのように伸し掛かっている。

 厚みを持った煙は徐々に周囲へ拡散されていき、それに触発されたように次々と爆発が広がっていった。まるで建物が蒸発していくかのように粒子と消え、それと同時に津波が押し寄せるかのような重みを持って、存在する全てを瓦解させていく。



 爆心地から遠く、どことも知れない所で、一人の男がうずくまっていた。あたりは闇に包まれている。腹に響くような低い鳴動に包まれ、彼は動けずにいた。その、あらゆる生命を屈服させるような、神の憤怒にも似た大気の震えに、彼は意識を呼び覚まされた。

 男は何も判らなかった。ただ、自身を取り巻く圧力を持ったかのような轟音が、過ぎ去るのを持つことしかできなかった。乾いた砂がぱらぱらと、絶え間なく男の周囲に降り注いでいた。永遠に消えることがないかのように思われた震えは、それでも時とともに引いていった。そこで男はようやく身動きができるようになり、自分が何者で何を今すべきなのかを、目が覚める思いでみつけた。そして同時に、嗅ぎ慣れた血の臭気が満ちていることにも思い至った。

 暗闇の中、彼はひどく無理な格好で転がっていた。複雑な隆起をした岩石のようなものに覆いかぶさる形で気を失っていたのだ。閉ざされた視界で、彼は立ち上がろうとするが、体中を打ち付けており、直ぐに動くことができなかった。もはやどこが痛いのかさえ分からない状態にあり、体の下にある硬質な物体がそれに追い打ちをかけているようだった。男がそろそろと闇をまさぐると、鋭利な刃先のようなものが、手を掻いた。

 彼は思い出したように胸ポケットからペンライトを取り出し、自身の下にあるものを照らした。その(はだ)には、蛇のように鱗がびっしりと密に並んでいる。地は漆黒。光の角度で油膜のように色が踊った。だが、歪で角ばった骨格を持つその姿は、蛇から程遠いものだった。やや口吻の長い猫に似た頭は、大きさが牛の頭ほどあり、狭い通路の入り口で首が捻れて、あらぬ方へ向いている。筋張った体には所々隆起があり、角のように発達していた。彼は見慣れているはずの“蛇”に、この時ばかりは顔をしかめた。

 蛇の厚く広い胴には、数カ所穴が開いていている。対“蛇”用に作られた大口径の銃から放たれた弾丸が、着弾と同時に鎧のような鱗へ局所集中的にめり込み、蛇の体内で炸裂したのだ。その炸裂した特殊弾の細片は、比較的やわらかな体内で四散して、鱗が鉄片を外部へ拡散するのを防ぎ、肉体を内側から引き裂いた。その弾丸が持つ性質故に、対人には用いられない。強靭な鱗を持たない人間に使用すると、細片を遮る障壁がないので、一気に細片が飛び散り、発砲した本人さえも危険に晒した。

 ほとんど賭けに等しかったのだ。彼が地下へと走りこんだその時に、居合わせた者が人間か“蛇”なのか、一瞬での判断が男の命を左右した。地下へと続く階段の真下に立っていた老人を、彼は目にすると同時に、銃の引き金を引くことを選んだ。蛇は化ける。その言葉は正確ではないく“二形と成った”というべきなのだが、生来の形から逸脱する術を得た元人間を化けると表現しても、彼は差し支え無いと思っていた。彼は曖昧な言葉を(いと)い、常に誤解を招くような表現を避けてきたのだが、この蛇の変容だけは、人が転じた、化けたのだと口にしていた。

 一歩遅れていれば、男は頑健な怪物の腹に自ら飛び込むことになっていただろう。大地を揺るがす衝撃が、彼を襲ったその前に、蛇は弾丸に貫かれていた。

 彼が周囲を照らしだすと、直ぐに目の前の小部屋で見知った顔を見つけた。頭だけが小部屋の隅に転がっていて、剥き出しの腕や足がバラバラと無造作に散っていた。既に原型をほとんど留めていない遺体は、男の部下であり、その無残な姿は、彼がこの地下室へ来た意味を失った証であった。

 男は痛む体を無理矢理に起こして、転がった拳銃を拾った。拳銃と表現するにはあまりにも大きな銃は、片手での取り扱いが不可能であるため、拳銃と呼ばれる類の銃から逸脱している。本来、対“蛇”用の銃器は使用する弾丸の特殊性から、安定性を得るためにライフル以上の大きさが求められる。その小銃と呼んでも差し支えない男の銃は、人目に付かず携行する必要がある場合に用いられる為に、相対的に拳銃と呼ばれていた。

 彼は地下室から上階へ体を引きずるように上がり、こじんまりとした部屋へ出た。彼が初めて訪ねた時は、住人は嫌な顔ひとつせず、男を迎え入れてくれた。少し前まで男にとって、人の良い老人の住居でしかなかったその家は、今は化物が身を隠す為に作り出した偽装の家にしか過ぎなくなっていた。家には誰も居らず、窓が風に嬲られ軋み、絶え間なく家鳴が聞こえるだけだった。

 彼が玄関扉を押し開けると、何かが焼けたような臭気を乗せた生ぬるい風を感じた。風は絶えず吹き付けて、(まと)わりつくかのようだった。家から少し離して留めておいたジープに彼は乗り込むと、山道向けて車を走らせた。どこに向かうべきか、彼には分かっていた。

 車道の脇にある林は下草が枯れ、乾いた落ち葉が積み重なっている。曲がりくねった道を登り切ると、林の切れ間を見つけて停車する。この場所ならば、市街地を見渡せることを彼は事前に調べていた。

 彼は車から降り立つと、そのまま身動きが取れなくなった。眼下に広がる市街地の中央付近に、遥か見上げるほどの岩壁が穿たれていたのだ。彼のいる丘陵から黒煙の立ち昇る位置は、かなりの距離が開いているが、夜空においても、質量を持った粉塵が一枚岩のようにして、あまりにも明確な輪郭でもって存在しているのが分かるほどだった。その重たく厚い黒煙は、辛うじて残されている周辺の家屋から上がる火の手に囲まれ、闇深い街路の底に紛れることなく、天へと塵が駆け上る様が見て取れた。残された密集する建物は一つの例外もなく、どこかが衝撃で崩れているようで、薄い煙を上げ、炎をまとわせている。

 まるで地の底深くにある地獄の門が開いたかのようだ。風は熱風へと様相を変え、業火が市街地一帯を焼き払いつつあった。市街地が煙霧に沈む。

 この光景は彼の失態でもあった。彼一人がこれ程の災害を招いたというわけではなかったが、被害を最小限に留める術を僅かながらに持っていたという事実が、彼に罪の意識を呼び起こした。微かな予感があった。変事がある。分かっていながら、読み誤った。

 彼は杭のようになった自分の足を、気力でもってようやく動かし車に乗り込む。

 国境を超えなければ。たとえそれが叶わなくとも、爆心地から離れなければならなかった。

 もう、彼にできることはない。

 後は、自分が生き残らねばならなかった。既に自分が気にかけるべき人はいない。市街地一帯は僅かに生き残った人々が、第二の地獄を作り出す。この国は、貧しく寒い。これから全てが凍りつくような冬が待っている。焼け出された人々が、果たして生き残れるかどうか。

 限界まで速度を上げた車で、彼は自分の体から悲鳴が上がっていることにようやく気がついた。体中が痛むというより、おかしいとしか言えなかった。自分では見た目や挙動にそれ程違和感がなかったと思ってはいたが、それはある意味で最悪なことだった。目に見えない感じにくい所で、深い損傷を受けているのか。

 それは、差し込むような痛みに気を取られた一瞬の出来事だった。

 黒い獣のような影が、車体を横切ったのだ。男は無意識に急ハンドルを切り、そのまま木へ衝突した。エアバックが体を圧迫して、男の意識に空白ができた。それもつかの間に、男は金属を掻くような音に目を覚まして、慌てて車外へまろびでる。体がいうことを聞かず、下半身を引きずるようにして車から遠ざかろうとした時、視界に影が差す。立ち上がり手を伸ばせば届きそうな高さの大岩、その上に華奢な人影が佇んでいた。成人の女にしては小さく頼りない影は、未成年であることを物語っている。風に長い髪が解かれて夜の闇に溶け込むようだった。

 男の目が闇に慣れ、次第に子供の全身像が捉えられてきた。子供は抱えきれないほどの岩塊を片手で鷲掴みにしている。よく見るとそれは岩ではなく蛇の頭であった。頭に指をめり込ませるように掴んでいるため、指の間から液体が滴っていた。大口径の銃弾でもってようやく貫ける鱗に、子供は手指を突き立てているのだ。

  青い瞳が蛍火のように尾を引いてから、彼を見とめた。その動きは滑らかで、風に揺れる柳のようだった。

 子供は招くように彼へ掌を差し出す。その顔に薄く笑みが浮かんでいることに男は気づいた。

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