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死を恋う神に花束を 白百合を携える 純黒なる死の天使  作者: 高坂 八尋
第ニ章 猟犬の掟

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1.科人と尾のない蛇





 格子窓から透かした空には雲が滲んでいる。(かげ)りを帯びる程ではない。それでもどこかくすみつつある空に雨の兆しが差す。街のビル群も空の色に引きずられ褪せているようだった。

 窓を背にカイムはデスクチェアへと腰を下ろしていた。机は石棺のように重たげで、その部屋を制するような存在感がある。

 ステルスハウンド、その代表であるカイムの執務室。部屋には構成員の二人であるジェイド・マーロンにチェスカル・マルクルの姿があった。彼らは影の猟犬(ゴーストハウンド)と呼ばれる特殊な兵士達で、カイムの私設部隊員である。

 そして、もう一人は――人と表現するのが正しいかは不明だが――ヨルムンガンド・ヘルレイア。姓はなく種族名しか持ち得ない、この世で一対しか存在しない死の王が訪れていた。

 ジェイドとヘルレアは四日前まで、北方を少し下った地にある東占領区の東アルケニアへと潜入していた。そこでヘルレアの対となる王、クシエルと邂逅していたのだ。東占領区から脱出後、カイムの元へ来て現在に至っている。

 カイムは報償金証書をチェスカルへ渡した。

 先頃、殉職した兵士達に対する報償金を給与する証明書を、ステルスハウンドの代表であるカイムがサインをしたところだった。

 ステルスハウンドでは一般の組織よりも簡単に証書が発行される。特に影の猟犬(ゴーストハウンド)は殉職や負傷と判断されたら、煩雑な手続きなく代表の一存で証書を交付するのが恒例だった。

 オルスタッドはヘリで戦争状態の東占領区から隣国の病院へ直に搬送された。長時間の移動が困難と判断されたからだ。そこでは影の猟犬(ゴーストハウンド)のサポートが連絡役としてオルスタッドの側に待機している。

「報告によると、オルスタッドは朦朧とした状態に陥る事も多くあり、意識を喪失してしまうことも少なくないそうです。原因はよく判らず、精密検査を重ねています。そして、うわ言を繰り返していると」

「何を言っているんだ」

「火に触れるな、と」

 ヘルレアが眉間を押さえた。

 ジェイドが腕を組む。

「クシエルはオルスタッドが欲しいと言っていたからな。何かされていてもおかしくはない」

「王はどう思われますか」

「さあ、どうだろうな。クシエルのことが分かる奴など、まだこの世に殆どいないのではないか。私ですら名前が分かって喜んでいる連中と似たようなものだ。馬鹿みたいだろ。一つ言ってやれるなら、あいつは見紛うことなき、ヨルムンガンドだということだ」

「一番聞きたくないことを言ってくれる。だが、確かにあれは尋常ではなかった。初めてヨルムンガンドを見た気分だ」

「おい、私はいったい何なんだ」

「王は未熟な幼蛇だろう。物の数にも入らない。悔しかったら早く大人になるんだな」

「ジェイドはますます調子に乗っていくな。お前は地を這いずる蛇と世界蛇の違いを忘れたようだから、また壁で引きずってやろうか。この館は壁が丈夫そうだから、綺麗にすり身が出来るぞ」

「遠慮しておく。あの馬鹿力はもう御免だ」

「随分としおらしい(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)

 ヘルレアが声なく笑う。

 結局、ジェイド一人がヘルレアと最後まで同行し、クシエルとの攻防を見届けた。土地柄と良い、戦況と良い、助けを出せるだけの力と時間が無かった。

「ジェイド、しばらくは休むと良い」

「休みたいところだが、こいつがな……」

「私のことか。何故ジェイドが休暇を取るのと私が関係ある」

 ヘルレアが本気で分からないのか、惚けているのか、わざとらしく言った。

「安心してくれ。王は僕がお相手する。どうですか、ヘルレア」

「何故私が滞在する事になっているんだ。私はジェイドに上着を返しに来ただけだ。ボロくなったけど」

「上着の弁償として館に居座れ。部屋も食い物も用意してもらえるぞ。俺の大事な上着(﹅﹅)の弁償でな」

「とんでもない、ふっかけだな」

「ならばヘルレア、お茶をしていきませんか。我が館には最高の茶を入れる執事がいますよ」

「もう少し気を引ける話題で誘ったらどうだ。ナンパの定型文かよ」

「王のお好みにそぐいませんでしたか。なかなか難しいですね。美味しいお菓子もありますよ」

「その程度では私の心は動かないぞ。人肉生で喰う生き物にどういうチョイスだ。そこいらのお嬢ちゃんと一緒にするな」

「本当に手厳しい」

「カイム、俺としても癪なんだが、ヘルレアの言に同意せざるおえない」ジェイドがしみじみしている。

「当たり前だ。ヨルムンガンドは世界を支配出来る力を持っているのだから、そう簡単に落ちるわけないだろ。それに加えて、極上の容姿まで持っているんだ。人間にとって最高のパートナーだろう」

「事実だが腹が立つ。俺だったら絶対に口説かない」

「私もジェイドはごめんだ」

「そこの意見だけは毎回気が合うな。有り難い事だ」

「とにかく王には滞在して頂きたいのです。出来る限りの事は致しますから。お願いします」

「今度は下手に出たか。諦めの悪い奴だな。上でも下でも何でも一緒だ。私はここに留まるつもりはない。お前達には私を引き留められるだけの力も理由もない」

「力はないが、理由は十分にある」

「私には、その理由を酌む理由(﹅﹅)がない」

「本当にそのまま死ぬ気か」

「ジェイドには関係ない」

「この世でお前の死が関係ない人間などいない」

 王がジェイドを見上げ、みつめた。

「なら、私が死んだらこの世の果てまで喪に服してくれ」

「こいつ、このクソガキ」

 扉が唐突に開いた。

 エマは珍しくノックもないまま、力なく肩を落として部屋に入って来た。その表情は虚ろだ。暗闇を歩くようにヘルレアの元へ行くと倒れそうになる。王がエマを抱きとめると、肩に頭を預け、寄り掛かった。エマの身体は、力が完全に抜け切っているようで、ヘルレアは辛抱強く支えていた。

 カイムが立ち上がる。

「エマ、大丈夫か」

 ヘルレアは無言で、エマを包み込むように抱き寄せた。すると、それに触発された様にエマに力が戻った。

「……この、化物」エマは藻掻(もが)き出したが、全く身体が動かないようだった。

 ヘルレアがカイムを横目で見る。

「初対面でそれはないだろう。私は会えて嬉しく思う、エマ。猟犬の愛子(いとしご)という所かな」

 王はエマの(おとがい)へ自然に手をあてがうと、ついばむ様に優しくキスをする。その動きは流れるようでいて手馴れていた。

「お前が妻でもかまわないよ」ヘルレアはエマの耳元で甘く(ささや)いた。

「ヘルレア、なんていう事を……」

 王は膝の折れたエマの肩越しに、カイムへ向かって伏し目がちに笑んだ。瞳に差した光はあまりに鋭く刃のようだった。

 王が手を離した瞬間、エマは怯えたのか崩折れてしまった。身体が小刻みに震えている。その手は血にまみれていた。

「怪我をしているのか」カイムはエマへ走り寄った。

「……殺してやる。お前に何一つ奪わせはしない」

 エマに怪我をしている様子はないが酷く興奮している。目だけが爛々(らんらん)としていて、その形相は混沌としており、憎悪にも悲嘆のようにも歪められていた。カイムはヘルレアを振り返ると、腹部には刃物が深々と刺さっており、柄しか見えていない。支給品である殺傷力の強い軍用ダガーだ。血が絨毯に点々と円を画いていた。

「どうしてこんな事をしたんだ」カイムはエマの腕を掴んで揺すった。しかし、どうして、などと口走った事を直ぐに後悔した。エマが双生児を憎まないはずがない。これは当たり前の行動だ。

 何故、気付かず安穏としていた。ステルスハウンドに関わる者の心を踏み(にじ)った。

 ジェイドがヘルレアの怪我の状態を見る。

「王、怪我の状態は」

「一々騒ぎ過ぎだ。こんなもの擦り傷だ」

「騒ぐのは当たり前だ。普通なら内臓が傷付いて死ぬ怪我だぞ」

 ヘルレアはいとも簡単に腹部のナイフを抜き取りジェイドに渡した。血がナイフを抜いた瞬間に(あふ)れだした。

「おい、そう言えば、何故こんなに血が溢れるんだ」

「気にするな体調不良だ」

「綺紋官能の発露……」

 ヘルレアは舌打ちをした。

「自ら大事にしてどうする。抱き締めなければ、あそこまで深く刺さらなかったろうに」

「女を口説くのくらい自由にさせろ」

「冗談にしても質が悪いぞ」

「エマとかいう女。私が欲しいと思ったら無理矢理にでも奪えるのだから気を付けるんだな」

 エマは血だらけの手で口元を抑えて涙を流した。

 ジェイドがヘルレアの胸ぐらを掴む。

「今のはいただけないぞ、ヘルレア」

「お前には関係ないだろう」

 カイムが睨み合っている二人へ顔を向ける。

「王、あなたの脅しは人間がするものと意味も力も違うのです。どうか撤回してください」

「くだらない、ライブラの教師か。あれだけ(つが)い、番い言っていたくせして。いいか、番いを与えるっていうのはこういうこともありうるんだ。覚悟がないお前達こそ考えを改めろ」

「それとこれとは別です。エマは絶対に犠牲にするつもりはありません」

 カイムはエマを立たせる。

「チェスカル、エマを医務室へ」

 チェスカルはエマに肩を貸して部屋を出て行った。カイムは扉を閉めると、ヘルレアに向き合う。

「ヘルレア、怪我の事はお赦しください。組織には王を憎む者が多いのです。エマも例外ではありません。どうか、今回の事はお見逃しください。お願いします」

「カイムは私を甘く見過ぎだ。一人の女の行動一つで、ステルスハウンドなど一息に潰したっていいんだ。それを忘れるな。私は気安くはないぞ」

 その言葉とは裏腹に王が怒っている様子はない。これは明らかな忠告だ。

「私はエマという女を口説いただけだ。あとは知らない――全部ツケにしておいてやる。私のツケは高いぞ、覚悟しておけ」

 不問に処す、とヘルレアは言っているのだ。カイムは息を大きく吐いた。自分が酷く緊張していた事に気が付いた。

 ヘルレアがソファへ横になる。

「しばらく休ませてもらうぞ」

「お前、手当ては」

「こんなの放っておけば治る」

 カイムはヘルレア様子をしばらく見ていたが、怪我の影響はないようなので医務室へ向かう事にする。

「エマのところへ行って来ます」

 カイムは執務室を出て一番近い医務室へ向かう。医務室の前に行くとチェスカルが折り目正しく立っていた。

 カイムは医務室の扉をノックをせず、ゆっくりと開いた。出迎えた職員にエマは鎮静剤で落ち着いているという旨を伝えられた。

 部屋の一画に設けられた薄いカーテンが閉じられていている。

「エマ、顔を見てもいいかい」

「構わないわ……」

 カイムはカーテンをそっと引いた。泣き腫らしたエマの眼が、カイムを見つめていた。

 椅子をベッドに寄せカイムは座り、顔を寄せる。

「赦してくれ、すまなかった。全ては僕の責任だ。どうして気付いてやれなかったのだろう。ここまで追い詰められていたなんて」

 その目は潤んでいる。エマが掛け布団から手を出す。手に付いていた血は拭われていたものの、薄く乾いてこびりついていた。

「カイム……」

「エマ、ごめん」カイムはエマの手を取り握った。

「私は、どうすればよかったんだろう」

「どうか、心安らかに」

 エマの目尻から涙が伝った。


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