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24.魔物の墓穴

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 吹雪は収まり、今は細雪(ささめゆき)がちらついている。視界は開け、ジェイドはヘルレアの後を追い、積もった雪に続く足跡を辿っていた。ヘルレアの足運びは相変わらず軽快だったが、どこか心あらずである様な気がジェイドはした。王は何事もなかった態度をしていたが、さすがに綺士と出会って何か思う事があるのだろう。ジェイド自身も王の事は言えず、酷く引きずっていて、いつも以上に周囲の事柄について過敏になっていた。

 ジェイドは王に、綺士と戦い勝ったとは言ったが、実際のところ綺士程度に苦戦しているようでは、これから戦っていけるのかどうかが疑問だった。確かに王は綺士を押していたように見えていた。だが、王と比べたら、たかが綺士一匹と、勘定にも入らないはずの使徒なのだ。それを王は傷だらけになって、ようやく優位に立つという、なんとも危うい勝敗を決した。勝ったとしてもけして喜べるような戦況の運びではなく、(むし)ろ憂慮すべき事態であった。もし東占領区のどこかに片王がいるとして、このまま双生児同士が邂逅(かいこう)してしまったらどうなるというのだろう。ヘルレアには(つが)いだけにあらず、綺士が居ないのも明白だった。いずれヘルレアは、片王と綺士を同時に相手をしなければならないのだ。ジェイドが思っていた以上に深刻な状態だった。正直に言うとジェイド達数人程度の影の猟犬(ゴースト)では、肥大した巣の主人(あるじ)である王を相手にするのは不可能だった。

「……王、正直に言う。本当に今のままで片王に勝てると思っているのか」

「さて、どうなのだろうな。私は勝つつもりでいるが、お前達の働き次第とも言えるのではないか」

「はぐらかすな。これは王自身の問題だ。俺達の力など初めから頭数になど入りはしない。所詮、王の先払いになるかどうかすら怪しい程度だ」

「随分と自分達の評価に辛辣なのだな。もう少し、自らを高く評価しているのかと思っていた」

「猟犬は――少なくとも俺は、自分を一度も強いと思った事はない。寧ろ使徒と戦いを重ねるほどに、自らの無力さを痛感する」

「おそらく猟犬筆頭であるお前が、そう言うのならそうなのだろう。しかし、それでも私はお前達を信じて同行しているのだから、その頼りない先払いでも無価値ではないと思っている」

「まるで泥舟だな」

「素で泳ぐよりは、楽をさせてもらうつもりだ」

「努力するつもりだが、人間の力には限りがある」

「だからこそ強い時もある……ジェイド、まだ動けるか」

「動けと言われれば幾らでも動くさ」

「……その様に嘆くなら、力を見せろ。血の臭いがする。近いぞ」

 ヘルレアとジェイドが樹々の切れ間に出ると、断崖へ行き着いた。崖の下には村が広がっている。雪に沈んだ村は人の気配はなく、家々の黒い影だけがミニチュアのように浮き彫りになっている。

「回り込んで降りるぞ。警戒を怠るな」

 二人は早足で傾斜を降り、村へと進んでいった。直ぐに崖は高さを失い、平地へと変わって村の縁に辿り着いた。村は静まり返っていて、見渡せる範囲で人の姿はなく、鳥の囀りさえも聞こえなかった。雪が降っているから篭っているというには、死んだ様に全てが静止している。

「酷い人間の血臭だ。酔いそうだ」ヘルレアは顔を歪めた。

「村は何事もない様に見えるが、どこにそれだけの血液が」

「敢えて惨状を隠しているのだろう。知能が高くて質が悪い」

 ヘルレアは村に入って行き、ジェイドは銃を下手に構えて、後を追った。周囲を注意深く観察しても異常なところは見つからず、特に上げるとするならば人が居ないということだけだった。それが村に置いてはそもそも異常なのだが、雪の降るしんしんとした静寂と相まって、まるでその情景が当たり前の様に美しく見えた。

 ヘルレアは立ち止まり、どこかを見ている。ジェイドがヘルレアの立つ位置から家の先を覗くと、広場に一人の少女が立って居た。雪の中随分と薄着で赤茶けたネグリジェの様な衣服をまとっていた。

 ジェイドは思わず、ヘルレアを見つめていた。すると王はジェイドの腕を力を入れて掴んだ。ジェイドの巨体がビクともせず二人は無言で見つめ合った。

 ジェイドは視線を少女に戻すと、彼女は二人の方を見て居た。素足の少女はよたよたと頼りなく歩いてくる。近付いて来て分かった。彼女は満面の笑みを顔に浮かべている。まるで遊園地にでも訪れたかの様な、希望と喜びに満ち溢れた顔だ。

 ジェイドはヘルレアの手から逃れようと必死でもがいたが、王の手は指一本として動かせなかった。

「どういうつもりだ。王――」

「お前、子供に恐れを抱いているだろう」

「それがどうした」

「言っただろう。努力すると。殺せ」

 ジェイドの腕が震えた。子供の使徒を殺した事は何度もあるが、こうして改めて子供の蛇を殺せと言われると、恐れが先に立ってしまう。たった一人で雪が降り積もった広場に佇み、欲望のままに殺戮する無垢な子供。まるで小さな王だ。

「俺は、どの様な蛇でも殺せる……」

「本当に? 足手まといはいらない――あの子供、人間だったらどうする」ヘルレアは指し示した。

「王には人間か蛇かを判別出来るのか」

「私にも無理だ。蛇どもは人の姿になれば、完璧に人へ変ずる。元が人間なのだから奇異はあるまい。この状況で、人間の可能性があるから殺せないとは言ってくれるなよ。お前達はどんな可能性も乗り越えたからこその猟犬なのだろう」

「手を離せ。これでは何も出来ない」

 ヘルレアはジェイドを一瞥(いちべつ)すると、手をそっと離した。ジェイドは少女へ向けて銃を構える。少女はゆっくりとした足取りでジェイド達に近付いて来ていて、その顔には相変わらず幸福そうな笑顔が浮かんでいた。

 もしも人間だったら。その問いかけは自分自身に何度もして来た。戦いは常に恐れと背中合わせでジェイドを取り巻いていた。何度となく難しい決断を迫られ、ここまで来たのだ。けして珍しい状況ではない。寧ろ、戦いに出る度に毎回繰り返される選択だ。

 ジェイドは少女へ照準を合わせて狙いを定めた。少女はジェイド達を親の様に求めて、手を伸ばしていた。

 あの子の(いとけな)い顔が思い出される。ジェイドを見つけると抱っこをせがむ様に手を差し伸べて来るのだ。抱き上げてやると、嬉しそうにあの子は首を抱き返してくれた。小さな頭を抱きすくめると、柔らかな細い髪から甘い香りがしていた。舌足らずな声でジェイドを何度も呼んでいた。

 ジェイドの手は震えた。王に指摘されなければ無視出来た事だ。任務では痛みをなかったことに出来たのだ。考えずに済んだのに。

「所詮、人間か……」ヘルレアの呟きに被る様に、重い音が鳴り響く。

 ジェイドは子供の頭を撃ち抜いていた。顔が陥没した子供は行き場を求めて腕を一心不乱に振っていた。

「これで満足か」ジェイドの息は上がっていた。

「覚悟は法螺(ほら)ではないみたいだな。処理は任せたぞ」

 ジェイドは小さな少女の体に、何発も銃弾を打ち込み倒すと、近寄って行き体を足で踏み付け、顔面にも容赦なく弾を浴びせた。少女の顔は原形を失い、ラズベリーパイのようになっていた。ジェイドが動かなくなった子供を見つめていると、指先から黒い鱗が毛並みが揃う様に立ち上がって来た。ジェイドは眉根を寄せてから、頭に銃口をぴたりと付けた。

「すまない。どうか安らかに」銃声が上がった。

 ヘルレアは一人で家々の周辺を見て回っていた。ジェイドはその背中を追い掛けると、王はちらりとジェイドを見た。

「一緒に来るか? 多分碌なものが見られないぞ」

「もう十分、碌なものじゃない」

「この村は、件の綺士どもに荒らされたのかもな」

「これ程何事もなかった様に見せかけられるとは」

「なあ、ジェイド。実はまだ人の気配がするのだがどうする?」

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